2 ハリエットの誘い
朝食を終えたエリノアは、ブラッドリーと共に家を出た。
姉弟の争いは、結局エリノアがあまりにも悲しむもので……
ブラッドリーが『……じゃあ次は妹で』と、渋々譲る(?)かたちとなった。
「だけど……その次は絶対他人だよ!?」
「!? っどうしてよ!?」
そんなのいやだと唖然と叫ぶ姉を振り切って、ブラッドリーは仕事に行ってしまった。
もちろん……『他人がいい』という弟の言葉は、姉を愛しすぎるが故の言葉だが……根っからのブラコン娘には悲しい言葉である。
「な、なんなの妹って……私に妹としての素養がどこに……私は姉になるために生まれてきたような人間なのに……」
「お前勇者だろ」※ヴォルフガング
「ブラッドと他人とか……絶望的な言葉すぎる……それはつまり……ブラッドをお世話する権利を剥奪されるってことでしょう!?」
「……(弟想いが病にまで達しそうだ……)」
残されたエリノアは、ジメジメした顔で登城して、見守り役のヴォルフガングに大いに呆れられた。小鳥姿の魔将には、もちろんブラッドリーの言葉の意味がわかっている。エリノアは愛が病にまで達しそうだが、ブラッドリーはすでに別の場所に到達していたらしい……
ため息まじりにジメついた娘の顔を見ていた小鳥は、もふっとキレる。
「……まったく……この、果報者めが!」
「!? !? 痛い!」
突然頬を、小鳥ガングにくちばしでビシビシビシッと連続かつ高速でつつかれたエリノアは、意味が分からず目を白黒させるのだった……
そんなこんなでも。なんとか王宮での午前の仕事を終えた頃。
例の如く、王太子の婚約者、王女ハリエットに呼ばれたエリノアは、彼女の滞在する貴賓室を訪れた。が……
「え!?」
扉の前までたどり着いたエリノアは、その賑わいを見て驚いた。
「こ、これは……」
美しい貴賓室の扉は開け放たれていて、そこから次々に使用人たちが荷物を抱えて出て来る。
扉横の廊下の端には、大きな旅行鞄がいくつも積み重ねられていて、それがどうやら荷造りであるということに気がついたエリノアは──目をまるくして王女のもとへ急いだ。
「ハ、ハリエット様!」
「エリノアさん。来てくれたのね。いらっしゃい……あら? その頬はどうしたの?」
ハリエットはいつも通り、たおやかに微笑みながらエリノアを迎えてくれた。が、エリノアの頬の点々としたアザに目をとめて心配そうな顔をする。
「あ、いえこれは……大事ありません、さっき気の荒い小鳥につつかれただけで……」
「まあ……わたくし小鳥に顔をつつかれた人を初めて見たわ……」
王女は驚きながらも「さすがエリノアさんねぇ」と感心したようにコロコロ笑い、側仕えのクレア嬢に向かって薬を持って来るように言う。どうやらエリノアは王女に愉快の化身か何かのように思われているらしい。が……
しかしエリノアは、そんなことよりもと王女に悲壮な顔を向ける。
「あ、あの、も、もしかしてハリエット様──ご……ごごごご……ご帰国なさるんですか!?」
彼女を真の乙女と慕うエリノアは、まとめられていく荷物たちを悲しげに見ている。
そんな娘の顔に、王女は困ったように微笑んだ。
王女は侍女に茶を頼むと、それからエリノアをすっかり物のなくなってしまった部屋の奥のテーブルまで招いた。ハリエットは寂しそうな顔で言う。
「そうなのエリノアさん。わたくしも残念なのだけれど……わたくしたちは、明日にはクライノートを出ることになるわ」
明日!? と、エリノアが目を剥く。
「そ、そんな急な……そっ……そう……そうなんでございますかぁぁぁ……」
突然の別れの宣言に、エリノアがガックリと肩を落とす。
けれどもエリノアにだって分かっている。
ハリエットは海を隔てたアストインゼルの王女。今回はいろいろあって滞在が伸びてしまっていたが、まだ王太子への輿入れは先のこと。予定では、来年の春、女神祭りに合わせて行われることになっていた。
けれども──そこへきてあの聖剣騒動である。
騒動の余波を受けて、その予定も延びてしまうのではという噂さえあった。
いずれにせよ……彼女が母国に帰るのは当たり前のことだった。
……とはいえガッカリせずにはいられないのか、メイド服の娘はあからさまに落ちこんでいる。
その落胆具合を見て、しかしハリエットは目元を和らげる。エリノアの悲しみようから、彼女がとても自分を慕ってくれているということを感じて心が和んだらしい。
ハリエットはクレアの持ってきた薬を受け取ると、しょんぼりしているエリノアの頬に手を添えて。白い塗り薬をそこに優しく塗ってやりながら、言葉を続ける。
「本当は……聖剣騒ぎが落ち着くまでは滞在する予定だったのだけれど……まあ、事情もあって急遽。ごめんなさいね、こんなバタバタしているところに来てもらってしまって。本当に、急にそうすることになってしまったものだから、とにかく時間がなくて」
ひと目だけでもあなたに会っておきたかったのよ、と、微笑を浮かべ謝る王女に、エリノアはブンブンと頭を横に振る。
「いいえ、いいええ! そんなこと! お呼びいただけて嬉しいです! でも……寂しゅうございます……ハリエット様、またおいでになられますよね?」
希望を込めた眼差しで見つめると、ハリエットはにっこりと微笑んで「もちろん」と言った。
その言葉と微笑みにホッとしたのか、娘は複雑そうに王女に笑みを返す。眉は悲しそうに下がったままだったが、口元の端がぎこちなく持ち上がる。
「……」
そんな娘のしおしおの顔を見て──ハリエットが一瞬沈黙した。そして……ついといったふうにその唇が動く。
「……ねえ……エリノアさんよかったら……」
「? はい」
呼ばれたエリノアは、身を正してハリエットを見る。
ハリエットはとても真剣な顔。どうしたのだろうと思っていると……王女が言った。
「私と……一緒に来ない?」
その言葉にエリノアがキョトンと目をまるくする。
娘は不意に硬くなった王女の顔に戸惑いながら、彼女の背後に立っている侍女クレアに、どういうことですか? と、視線で問う。しかしクレアのほうでも主人の言葉に驚いているらしく、彼女は咎めるような声でハリエットを呼んだ。
「ハリエット様……」
「……分かっているわ、でも……」
「?」
二人の言葉の間には、何か含みがあった。
珍しく歯切れの悪い王女の様子にエリノアがどうしたのだろうと首を傾げるが……そんなエリノアの手をハリエットが取る。
「もちろん侍女としてではなく、わたくしのお友達としてしばらく遊びに来てほしいの。旅行だと思ってくれればいいわ」
「え……で、も……」
エリノアは返事に困る。
海を隔てた国への旅行など、数日で帰れるようなものではない。王宮からそんな休みを急にもらえるわけもないし、弟のこともある。できようのないことだと……賢いハリエットならば分かっているはずだが……
しかし王女の言葉にはどこか切実な響きがあった。無理を承知で……というふうだ。
突然の誘いの理由は分からないが、そこになんとなく……何か王女の不安──エリノアを心配するような気持ちを感じて。
「…………」
エリノアは、少し考えてから、そっと王女の手を握り返す。
真っ直ぐに彼女のヘーゼルの瞳を見つめた。
「……大変ありがたいお申し出ですが……わたくしめ、王都に家族もおりますし……それにええと……」
娘は少し首を傾けて、恥ずかしそうな顔で言う。
「ブレア様のお世話も……その、まだお勤めしはじめたばかりですし、私のような若手が抜けると……ブレア様のお傍は結構年齢層が高めの侍女が多いので困ると言いますか……あのですね、上級侍女と聞くと優雅なようで、なぜか結構ハシゴに登るような仕事やら、ブレア様大好きな騎士様方と戦うような体力勝負な仕事もありましてですね……わたくしめのような者でも必要かなと……あ、先輩たちの中には腰が悪い者もおりまして……ええと……」
言い訳めいたことを並べながら、気恥ずかしいのかエリノアはもぞもぞと落ち着かぬ様子。
ハリエットは、それを黙って聞いていたが……不意にため息をこぼした。
エリノアの顔には、離れがたい“誰か”への気持ちで溢れている。
──それが、とても羨ましいと思った。
(……わたくしも、もっと……あの方にこうやって行きたくないと言えたらよかったのに……)
ハリエットは、本当はこんな形で王国を離れるのは嫌だった。
それでも聞き分けなければならないのは、互いに立場のある身ゆえ。それに──これは彼の望みでもあるのだ。
(……リステアード様……どうしてわたくしを……)
脳裏には王太子の優しげな顔が思い浮かんだ。
ハリエットはグッと不安を堪える。それでも瞳には憂いが浮かび、思わず目頭が熱くなって……内心慌てたハリエットが、それをエリノア に悟られぬよう指で目元を押さえようとする──
が……
その耳に、エリノアの至って真面目な言葉が届く。
「──それに──ブレア様もせっかくわたくしめを“お姉さん”と慕ってくださ──……」
「それは違うと思うわ」
途端ハリエットがクワッと目を剥いた。
スパッと食い気味の反論。
憂いも涙も、一瞬にして霧散していた……
王女の顔には、どうしてそんな発想に至ったのだと激しい疑問が浮かんでいる。悲しみに沈みかけたものの、そこだけには突っ込まずにはいられなかったらしい……
厳しい顔のハリエットに、間髪入れず発言を覆されたエリノアは、ギョッとしたきり固まっている。その顔に、王女はやや呆れて……
(まあまあ……なんなの“お姉さん”って……)
しかしエリノアは、何が違うと言われたのかが分からないのか……ポカンと口を開けた間の抜けた表情でハリエットを見つめている。王女は、呆れすぎて……
思わず──噴き出してしまった。
「……ハリエット様……?」
「ふふふ……まったく……。……つまりエリノアさんは……ブレア様の傍を離れるのは嫌なのね?」
「う……!? あ……そのですね……」
指摘された娘の顔は、パッと耳まで赤くなった。ハリエットは苦笑とため息を漏らす。
「……分かったわ」
できればこの娘を自分と共に連れ帰りたかったが……
……この様子では、何かを知ったとて、エリノアはブレアの傍を離れまい。いや、知れば余計にだ。
「……仕方ないわ。……また会いましょうねエリノアさん。……必ず」
複雑そうな微笑みを浮かべ、ハリエットはエリノアの手を固く握りしめるのだった。
お読みいただきありがとうございます。
誤字報告していただいた方もありがとうございました、とても助かりますm(_ _)m感謝!
そして反省…一向に減らない誤字…お恥ずかしい。しかし強い心で頑張ります 笑




