1 季節の移ろい
──その変化を、彼女らが異変なのだと気がつくまでには少しの時間を要した。
季節が次第に移りゆく頃。
居間のカーテンを開けながら、外を見ていたコーネリアグレースがつぶやく。
「……最近少し涼しくなってまいりましたわね」
「? ……ああ……」
朝食をテーブルに並べていたエリノアは、窓際に立つ婦人の声に顔を上げて、同じように外を見て同意する。
「そういえばそうですね。これからだんだん寒くなっていくと思いますよ」
まだ秋というには早いが、最近外を歩いていると、少しだけ涼しい風を感じることが増えた。
クライノートは比較的気候が温暖で、春の穏やかな季節が続き、しばらくすると秋がくる。それから少し気温が下がって冬が来て、それが開けるとまた春が来る。
夏季と言えるほど暑い時期はなく、冬季の寒さも程々。南下すると暑い地域もあり、北部や高地は雪が降ることもある。だが、エリノアたちが暮らす王都はそこまで季節の変化は厳しくはない。
しかしその説明を聞いても猫顔の婦人はため息をつく。
「程々と言われましてもねぇ……あたくし寒いのは苦手ですわぁ……魔界の住まいは年中生暖か〜い気候の土地にありましたし……雪とか冗談じゃありません。雪遊びなんてする輩は正気を疑ってしまいます」
想像して寒くなってしまったのか、コーネリアグレースは「ああ嫌だ嫌だ」と言いながら、肩を竦めて身震いしている。どうやら相当寒さが苦手なようだ。意外な弱点である。が、
そんな婦人を見て、エリノアが沈黙する。
(まあ……だってねぇ……)
エリノアの視線は、点、点、点……と、大袈裟に震えて見せる婦人のスカートの下へ。そこに覗くフッサフサのしっぽの先を見て……まあ寒さが苦手でも仕方ないのだろうなぁと思った。
(……猫、だもんね……)
と、そこへグレンがやって来た。背中の上にマリーたち三姉妹をくっつけて、毛並みがボロボロになった兄猫は、鬱憤のこもりまくった邪悪な面構え。
「ま、寒くなったらその辺の民家でも薪にして焼きましょうよ。ぼうぼう燃やしてやったらさぞ暖かい……」
「やめろ」
エリノアは即行で奴のしっぽを握りしめる。なんつー物騒な、と、睨んで娘は言う。
「まったく……だから……王都はそんなに寒くならないの! もっと山手の方とか……隣国のほうは結構雪も降るみたいだけど……それももう少し先の季節よ」
グレンのしっぽを掴んだまま叱ると、それを傍で聞いていたコーネリアグレースが安堵したように胸を撫で下ろす。
「なるほど、左様でしたか。ここは比較的魔物に優しい土地なのですね」
「…………」
よかったわーと、歌うように言う婦人に……エリノアは「魔物に優しい土地とは」と心の中で微妙に思う。神妙な顔でテーブルにフォークとスプーンを並べていると……女豹婦人が続けて言った。
「でもやはり冬には備えなくては。愚息の下策は論外ですけど。寒いのは本当に御免ですよ。なんとか暖かく過ごせるよう対策を……!」
その意気込みを傍で聞いていたエリノアは、ふと……「ああ……この人たち、冬になっても我が家に居座る気なんだなぁ……」と、思った。
それどころか、魔界に帰る兆しのカケラもない彼らは、きっとこの家で年を越し……来年もこの家にいるつもりなのだろう……
なんだか年を越してしまうと、なし崩しにもう家族のようになってしまうなぁ、やれやれ、まったくいつまでいる気やら……とため息をつきながらも──
当たり前のように食卓の上に七人分(姉弟+魔物+聖剣※子猫たちはカトラリー類不使用)の、フォークを用意し──このテーブルやっぱり狭いから新しくテーブル買わなくちゃ……なーんてことをのんきに考えていた娘は──ふと手を止める。
「……あれ?」
ある可能性に気がついた。
「…………もしやそれって──老後まで!?」
ギョッとした。十分あり得る話である。
きっと彼ら魔物はこれから先も弟のそばを離れまい。魔王である彼がどのような歳のとり方をするのかは未知数だが……ということは、勇者とはいえ普通の人間である自分が老婆になった頃にも彼らは弟のそばにいるということになる。
そう思ったエリノアは慌てる。
「……え? それって大丈夫なの? 大丈夫なの!?」
エリノアは弟の人生を考えた。
数年はコブ(魔物)付きでも大丈夫だろう、しかし、弟が成人となり、結婚でもしようとした時……そこに奴らがいて大丈夫か。エリノアは深刻な顔で頭を抱えた。
いつか弟が好きな人を連れて来たら泣く気しかしないエリノアだが……そうなった時、己には新たなる使命が課せられる。
すなわち……それは魔物たちの手から弟のお嫁さんを守らなければならないということだ。
「ひ、ヤバい、未来のお嫁さんが苦労する気しかしない……」
絶対弟の傍を離れそうにない魔物たちから弟嫁を守ろうと思ったら、彼らの巣食うこの家に同居してフォローするのが最善だと思うのだが……
エリノアがそんなことを新婚からしてしまえば、自分はブラッドリーの花嫁に小姑として嫌われるのではないだろうか……
そして、しまいにはブラッドリーに言われてしまうのだ。
『僕の〇〇(※まだ見ぬ弟嫁)をいじめる姉さんなんか嫌いだよ』
「ひ、ひぃぃいいいいぃっ! や、やだっ」
エリノアは、いつになるかも分からぬ未来を想像して涙した。
しかしその未来はそう遠くない(ような気がしている)。
エリノアからしてみると、己の弟ブラッドリーは少々クセ(前世が魔王)があるものの、素晴らしく可愛らしい弟であるからして。
彼が健康になった今、数年後のブラッドリーは立派な青年となり、大勢の女性が放っておかない存在になる……ということは確定済みの事項。
「どうしよう……ブラッドリー……別に姉さんあんたの新婚生活を邪魔しようってんじゃないのよ……魔物たちがなんかしないか心配で……天に誓って嫁いびりなんかじゃ……」
もはや朝食の用意どころの心境ではなくなってしまった娘は、げっそり涙目で未来の弟夫婦に向かって謝り倒している。卓上に肘をついてうなだれていると、そんな娘をいつも通りの生暖かさで見守る女豹婦人の後ろから……少しむくれた顔のブラッドリーが現れた。
「……ちょっと姉さん……いったい何を言ってるの……? 僕が姉さん以外の人間を愛するわけがないじゃないか。妻なんか、」
吐き捨てるように言った弟に、姉は顔を上げて複雑そうな顔をする。
「……ブラッド……」
憮然とした弟の顔に、エリノアは複雑な想いを抱く。
その姉へ向ける愛情は嬉しいが、しかし彼の姉としては喜ぶのはいかがなものか。
「いやでもね……姉さんブラッドよりも先に死ぬかもしれないじゃない? 魔王の寿命ってものすごく長そうだし……ここは少し長生きなお嫁さんと幸せな……」
「あら、でしたらやはり妃は魔物がいいのでは?」
エリノアの発言に、コーネリアグレースが、うきっと進言する。が、ブラッドリーはそれを苦々しげに切り捨てた。
「……嫌だ」
「嫌って……私だって永遠にブラッドの傍にいてあげたいけど……」
老いはどうしようもないではないか。そう眉尻を下げる姉に、ブラッドリーは薄暗い表情を浮かべた。
「……もし姉さんが僕より先に死んだりしたら……魂を捕らえて永遠に閉じ込める……」
「あ、エリノア様気をつけて! ダスディン陛下の顔がチラ見えしてますわ!」
「え」
ブラッドリーの暗黒面に、コーネリアグレースが、笑いを堪えた声で警告する。ぽかんとするエリノアを、弟はつと見つめる。
「閉じ込めて、永遠に愛でるんだ……」
「いやだわぁ陛下……朝からその殺気やめてくださらない? 煙たいですわ、近隣住民が皆病になりますわよ」
婦人の不穏な言葉にエリノアがギョッとする。
「ブラッド、ど……どうどう! え? ダスディン? ど、どっちでもいいけど……とりあえず落ち着いて! 私の魂なんか、アンタにならいくらでもあげるけど! (※グレン笑う。「いいんだ(笑)」)ご近所さんが病気になるのはだめよ!」
エリノアが慌てて止めると、いくらか落ち着いたらしいブラッドリーが姉の手を取る。
「姉さん……お願いだから僕より先に死ぬなんて言わないで……」
「う、うん、うん分かった、分かったから」
「姉さんの来世は僕とは血縁がないといいな……」
「はぁ!? なんでよ!」
弟のポツリとしたつぶやきに、今度はエリノアが目を剥いて悲壮な顔をする。
「そ、そんな、どうして? ブラッド私のこと嫌いなの!? わ、私たち仲良し姉弟だよね!? 来世があるなら私は次もブラッドの姉がいい!」
「……やだ……」
「な──っなんでよ!」
涙ぐむエリノアと、頑なな弟。
その攻防をはたから見ていたコーネリアグレースはしめやかに言った。
「…………今日も無事、御姉弟がブラコンであり、シスコンであられて……あたくしとても安心いたしましたわ……ふふふ」
あけましておめでとうございます。
四章開始です。
相変わらずシスコンでありブラコンである姉弟ですが、今年もまたお読みいただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。




