121 不安とひがみの狭間のピクニック⑤
喧々囂々元気なブラッドリーを見て。
嬉しそうなエリノアを見て……
リードはずっと曇り調子だった己の心に、スッと晴れ間ができた気がした。
そうすると──自然、足が動いて。ここのところずっと近づくことを躊躇っていたエリノアの隣に立つことができた。
エリノアの幸せそうな顔を見ると、嬉しくなってつられて笑う。
(ああ──)と、リード。
これでよかったのだ。自分にとっては。
* * *
とりあえず……
ブラッドリーたちがこの状態では、もうこれ以上先には進めそうにないという話になった。
当初の予定では、一行はもう少し先に進んだ丘の上まで行くということになっていたが、それは諦めて……現在いる旅道を少し外れた下に広がる野原で、のんびりいまだ決着のつかない弟と騎士たちの争いが終わるのを待つことに。
おそらく彼らの愛は尽きることがないのだろうが……そのうち互いが満足すれば争いも終わるだろう。賑やかな弟たちを蚊帳の外から眺めながら……エリノアは思った。
(…………男の友情って熱いな……)
……いや、暑苦しいの間違いかもしれない。
とにかく今は放っておく以外の薬はなさそうだった。こういう時は諦めるに尽きる。
弟が元気なのは嬉しいが、程度問題である。
やれやれとどこか呆れた様子のエリノアは、野原にサッサか敷物を用意し、持って来たバスケットの中身の食べ物をその上に並べはじめた。子猫たちは興味津々でエリノアのあとをチョロチョロしている。
敷物の上はすぐにいっぱいになって、パンや果物。小鍋に入れられた豆の煮物。カップケーキなどが並べられた。ガサツそうな騎士たちからバスケットを死守したおかげで、ブラッドリーが朝から焼いてくれたカップケーキが無事でエリノアはとても満足そうだった。
……ちなみに……
弟の傍を離れたがらなかった白犬(注※魔将)は、『もうほっときなさい』と、エリノアにヘッドロックで敷物まで連れてこられていた。その犬は今、リードに慰められている……
どうやら会話できずともハラハラしたヴォルフガングの気持ちは、彼の正体を知らないリードにも伝わったもよう。
「大丈夫かヴォルフ……そうかそうか、ブラッドが心配なんだな?」
「…………(陛下陛下陛下……! くそ……ご尊顔に騎士どもの唾でも飛んだら……くぅいちぎるっ!)ゥウゥゥゥ……ッッ!」
「落ち着けヴォルフ、そんなに唸らなくても大丈夫だぞ、よしよし」
「グルルルッ……!」
「よーしよしよし」
リードは低く唸る魔将を撫で回している……
「…………」
その様子を傍目に見ていたエリノアは、リードはよくあの魔将の鬼顔が怖くないなぁと思った。必死すぎるヴォルフガングの顔は強烈で、今にもいつだかの怒り狂ったたわし態(※二章44話 参照)が出て来そうでやや怖い。あれを前にして平気とは、さすがリードだなぁ──
……と、感心しすぎたエリノアは。
うっかり彼に嫌われたのではという疑惑と不安を失念している。
そうしてうっかりしみじみ感心したまま、バスケットの中から緩衝材がわりの布に包まれたティーカップを取り出して。その中に人数分の飲み物を注ぎ入れはじめる。
すると、そんな娘の手にあるカップを見て、リードがヴォルフガングの前で小さく噴き出した。
「ぶっ……」
「!?」※ヴォルフガング。急に噴き出した青年にぎょっとする。
リードはエリノアに気が付かれないようにくつくつと笑っている。
──エリノアに、
──野原に、
──ティーカップ。
リードにとって、この取り合わせは実に思い出深い。
ここにもしバッタでも飛んでいれば完璧なのだが。
ついつい幼い頃のことを思い出すと、笑いがこみ上げて来て止まらなかった。
そうして(怪訝そうな白犬の隣で)静かに身を揺すっていた彼は。不意に……ふっと肩から力を抜いた。
「……はあ……まあ、エリノアはエリノアか……」
彼女がたとえどんなものでも、彼が彼女と過ごして来た時は消えない。
自分が彼女を好きなのは、まさにその時間あってこそ。
エリノアが、もしただの“エリノア”ではなくても。まあ──心配は尽きないが……
「…………」
リードは、エリノアの周りをチョロチョロとついて回っている子猫たちを見た。
その姿はあの日、異形の少女に化けて見せた猫に似ている。が──……よく考えてみれば、黒猫など珍しいものでもなかった。実際、同じような毛の色の猫などは街にはそこら中にいる。
エリノアの傍にいる猫ということで、咄嗟にそうだと思いこみ焦ってしまったものの……冷静になってみれば、あの日からもう数日が経っており、リードの記憶も曖昧になって来ていた。
加えて当の子猫たちも、リードがあからさまに観察するような目を向けても、彼にはちっとも興味を示さない。(※マリー、人間を見分けられずリードを覚えていない。おまけに騎士たちがウザすぎて、そちらばかりを警戒中)
子猫たちはしつこい騎士らに怒って何度も尖った爪で攻撃をしていたが……特別それで何か不審なことが起こったわけでもなかった。
(…………違う、猫だったのかも……)
リードはだんだんとそんな気がして来た。
それに魔物とは、人を惑わすものだという。
エリノアを魔王だと言ったあの異形の少女の言葉も……どこまでが真実なのかも怪しかった。
「…………ふー……」
リードは深呼吸して、明るい空を仰ぐ。
──まあいいか、と思った。
正直な話──そして単純な話。その疑惑に対して、自分がエリノアを大切に想う気持ちが大きすぎるのだ。
そう思ってリードは思わず苦笑した。
──まあいいか、自分は、
「……好きなんだ、だから、守りたい」
それだけだ。
魔王だとか魔物だとか、そこは関係なかった。
ただ、エリノアがエリノアであることが重要で、それ以外はまあ……色々とこれからの状況を変えていくかもしれないが……ひとまずリードはそれで自分の気持ちが変わらないだろうことを、今回の疑惑のおかげで悟ったのだった。
それを、心から良かったと思う。
「ふふ……」
思わず笑みがもれる。と、
「ん? リード何か言った?」
リードの呟きがよく聞こえなかったらしいエリノアが顔を上げる。
キョトンとまるい目をした娘に、リードはいいや何もと微笑んだ。
お読みいただきありがとうございます。
リードとエリノアのティーカップにまつわる思い出話についてはどこかで書かせていただこうと思います。




