120 不安とひがみの狭間のピクニック 小話 ブレア
「…………」
無言でうなだれている男がいる。
俯いた下の表情は見えないが……見えずとも、容易に想像がつくような暗雲を背中に重く背負っている。
「…………」
その様子を傍で生暖かく見守っている騎士がいた。見守っているというか呆れている様子だが。
彼の焦げ茶色の瞳は、暗雲背負う男ブレアだけではなく、その周りで普段通りキビキビと仕事をこなしているソル・バークレムにも向けられている。
よくもまあ、己の仕える王子が明らかに暗い顔をしているというのに、ああも華麗に気がつかないでいられるものだ。
オリバーは言った。
「……相変わらずうちの生真面目ど天然コンビは、かみ合ってるんだか、かみ合ってねーんだか……」
「? 騎士オリバー、どうかなさいましたか? 仕事してください」
オリバーの声を拾い聞いて、ブレアの執務机の上の処理済み書類と未処理分を取り替えて来たソルが不思議そうに問う。不思議そう……といっても彼の場合、真顔の眉毛が僅かに上がる程度だが。
「いや、お前よくあのブレア様に触れずにいられるな……」
「? あのブレア様、とは?」
案の定、ソルは怪訝そうな顔をしてブレアの様子を見ている。彼の視線の先ではブレアがため息まじりで未処理の仕事に手を伸ばしはじめているが……その据わった目を見ても、ソルには何も分からなかったようだ。そのことに重ねて呆れるオリバー。
「若干、ブレア様の仕事効率が落ちている気がいたします」
「分かるのそれだけかよ! ……見るからに落ちこんでおいでじゃねーか、お前は本当に……」
「ああ……あれは落ちこんでいらっしゃるのですか。……何故?」
納得したように頷いてから、ソルは再び怪訝そうに眉を動かした。
説明を求めるような書記官の顔に、オリバーは頭をガリガリ書いて面倒臭そうに答える。
「あー……なんでも新人娘の遠出にトマスとザックがついて行ったんだと」
途端ソルの目が怪訝に歪められる。不審げな書記官のぴっちり揃えられた手が、サッと上がる。
「……三つほど疑問点がございます」
「あ?」
「まず、何故あなたはいつまでもエリノア・トワイン嬢を新人娘と呼ぶのでしょうか。二つ目は、騎士殿たちは確か謹慎中のはずです。そして三つ目は何故そのことでブレア様が落ちこまれるのでしょうか」
真面目腐った質問にオリバーが心底鬱陶しそうだ。
「うるっせーな……新人は新人だろ。(ここでソルが「新人の定義とは」と、再度挙手したがそれは無視した)。……他になんて呼べってんだよ……下手な呼び方したらブレア様に睨まれそうで変えるのこえーじゃねーか!」
オリバーは凶悪な顔で舌打ちしている。……どうやら彼は彼なりに色々と気を使っているらしい……が、ただしそれは、彼がエリノアの尻を撫でようとしたりという悪事があってのことだが。
騎士はそれでと続ける。
「トマスのヤローどもは……謹慎中だが、ハリエット様経由で王妃様が許可なさったんだよ! おまけになんでかクラウス様の婚約者オフィリア嬢まで口添えなさって、ビクトリア様が『は? タガートの娘が遠出するから心配? 知らないわよ別に勝手にすればいいじゃない……』……とか言って実質黙認なさったから。あいつら堂々と出掛けて行きやがった」
トマスたちはオリバーに、
『あ、土産はないからな』
『だってピクニックだもんな? 土産屋なんてねーよぉ』
『どうしてもって言うなら花でも摘んで来てやろうか?』──と……
実に嬉しそうに、ウキウキドスドススキップして去って行ったらしい。
その時の心境を、オリバーは『……死ぬほどウザかった』と、のちに表現している。
それを聞いたソルは「はあ」と、彼にしては珍しく曖昧な受け答えをした。
「謹慎の意味がなくなっている気もしますが……つまりビクトリア様が黙認なさったのでクラウス様も文句が言えなかったわけですね?」
「そういうことだな……」
げっそりしたふうのオリバー。
それを見たソルは思った。……そもそもオフィリア・サロモンセンは、どこでエリノアの外出情報を得たのだろうか。
書記官の脳裏には、廊下の隅や物陰から、王宮で働くエリノアの様子をこっそり窺っている令嬢の姿が思い浮かぶ。
「……どうにもストーカーくさい疑惑が……」
「あ?」
「いえなんでもございません」
ソルはその疑惑を心の中にそっと仕舞いこんだ……
……もしかしたらサロモンセン家のお嬢様は、エリノア嬢とお友達になりたいのかもしれない。……そっとしておこう。そう納得した。
「さてそれで……ブレア様が落ちこんでおられるのは何故ですか?」
オフィリアのエリノアストーカー疑惑を封印したソルは、隣の騎士に問う。
と、オリバーはあからさまなため息をついてから──言った。
「………………一緒に……行きたかったんだろ……」
「……、……、……あぁ…………」
なるほど……とソル。途端、書記官の眼差しもオリバー同様生暖かくなる。
「……左様ですか……ブレア様はご自分もエリノア嬢とお出掛けしたかったと……なるほどなるほど……ふふふ、ブレア様にもずいぶんお可愛らしいところがおありなのですね……」
いつも通りの厳しいお顔だったので気がつきませんでした、と笑む書記官に、オリバーが眉をひそめ厳重注意。
「……お前それマジでブレア様ご自身に言うなよ……?」
羞恥に頭を抱えて苦悩する王子が目に見えるようだとオリバーは思った。
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