119 不安とひがみの狭間のピクニック④ エリノアの夢
睨み合う両者の熱量の高さにエリノアがびびっている。
弟の暗い双眸。騎士たちの荒い鼻息。高まる緊張……
これからいったいどんな争いが繰り広げられるのか──……⁉︎
……と、思ったら……
次の瞬間、彼らが雪崩れるようにはじめたのは……
「ぜ……ったいに! リードのほうがかっこいい!」
「なぁにぃ⁉︎ ブレア様の素晴らしさを知らぬとは!」
坊主は人生を損している! ──と、いう……やや凝り固まり合いあった舌戦……
互いが敬愛する青年のどちらが“かっこいいのか”という単なる言い争いであった……
その開戦には、肩透かしを喰らったエリノアが、思わずガクッと身体を斜めに傾かせている。
そんな姉を背に、まず先手を打ったのはブラッドリー。
「リードは優しいし! 商売上手だし! 見た目もかっこいい!」
と、少年が力説すれば、騎士たちは気合の入りまくった鼻息をばふっと噴き出し応戦する。
「ブレア様は武芸に秀でていらっしゃるし、しなやかにも適度に引き締まった肉体をお持ちで! 坊はブレア様の腹筋を見たことがあるか⁉︎ (※「あるわけないでしょ⁉︎」と、ブラッドリーがキレる)しかし私のお勧めは前腕筋だ!」
「それに勤勉で寡黙なところがスーパー渋い!」
トマスに追随するようにザックが言うと、すると今度はブラッドリーが歯がみしながら、負けじと言う。
「リードは面倒見が良くて、大人にも子供にも動物にも(魔王にも)好かれてるんだ! しかも料理も上手でお菓子だって作れるんだからね!」
「な……っにぃ⁉︎ 料理ぃ⁉︎ ポイント高いじゃねーか……やるな……」
「でもな! ブレア様だって剣の腕前は当国随一だぞ!」
「実技だけでなく座学だって俺たちと違って結構おできになるしだな……!」
「はぁ? 家庭的なスキルがひとっつもないじゃないか。リードは仕事もできるけど、家事もできるんだからね!」
「はぁ⁉︎ いいよ分かったよ! 今度俺がブレア様にお裁縫教えとくよ! それでいいだろ⁉︎」
──と──……いうその争いに。
「………………」
エリノアは唖然と黙す。
まずものすごく思ったのが、騎士様……あなた方ブレア様にお教えできるほど針仕事出来ないでしょ……ということで。いつも彼らに繕い物をさせられているエリノアの表情に呆れが滲む。そもそも繕い物など王子の仕事ではない。
彼らの争いが、まさか自分の相手にふさわしいかどうかということに端を発しているのだとは思わないエリノアは、彼らがなぜ突然こんな言い争いをはじめたのかということが、まったく分からなかった。が……
「………………」
エリノアは少し考えるような素振りを見せた。その緑色の瞳が見つめるのは、リードになだめられながらも、彼の素晴らしさについて騎士たちに熱弁している弟。
……エリノアがポツリともらす。
「…………ま……いっか……」
エリノアは肩から力を抜き──……ひとまず彼らを放っておくことに決めた。
最初はどうなることかと思ったが……この熱苦しくもどこかまぬけな言い争いは、勢いだけは激しいものの手の出る喧嘩には発展しそうにはない。フッとエリノアが達観したような笑みを浮かべる。
(……大好きなんだね……ブラッドリーも、騎士様方も……リードとブレア様が……)
疲れ顔でため息をついていると、そこへうろたえた小声がかけられる。
「(おい! 貴様何をぼけっとしている⁉︎)」
「ヴォルフガング……」
見ると先ほどまで弟の周りで不安そうにしていた白犬が、彼女の足元にやって来ていた。
激する魔王をどうしていいのか分からないらしく、魔将は背中に三匹の子猫たちをくっつけたまま、ウロウロオロオロしていた。部外者がいることで人の言葉もしゃべることができず、魔王をなだめることも叶わない彼は、かわいそうに……その尾をすっかり股下に巻き入れている。
「(へ、陛下……! ど、どうしたらいいんだ! あの無礼者たちを食いちぎるか⁉︎ おい……!)」
ビクビクしきった白犬ヴォルフガングは、エリノアに必死な顔で助けを求めてくる。そんな様子がかわいそうになって。エリノアはまあまあと彼の背をなで、彼だけに聞こえるような小声で、ここは前向きに捉えてみましょうよと提案した。
「まあ……落ち着いてヴォルフガング。大丈夫よ大丈夫。アレはアレで……ある意味ブラッドのストレス発散になるかもよ……?」
「(はぁ⁉︎)」
驚いたのか、白犬は目をまるくしている。が、エリノアは存外落ち着いた様子で彼を見る。
「(へ、陛下が怒っておられるのにか⁉︎ 何を悠長な……!)」
「まあまあ聞いてよ……ほら……ブラッドって……少し前までは病弱だったじゃない? 大きな声を出そうとすれば咳きこんじゃうし……怒ってしまうとそれも体調悪化につながるってお医者様に止められるような生活だったのね」
生まれてからずっとと、エリノア。
その静かな語り口調に、慌てていたヴォルフガングも思わず黙りこむ。
エリノアの目は愛おしげに弟を見ている。
「だから、あの子はあまり叫ぶっていう経験もなかったし……たまには大声も出したほうがストレスも減るんじゃない?」
性格にもよるかもしれないが、あの年頃の男の子が健康なら、普通はたくさん大きな声も出すものだろう。
たくさん友達と遊び──喧嘩もするはずだ。
そう言って、騎士らと言い合いをする弟を感慨深そうに見つめていたエリノアは、それでも心配そうなヴォルフガングの瞳に気がついて。そんな魔将の頭をなでながら微笑む。
「大丈夫、きっといい経験になると思う」
「(…………本当だな?)」
「……多分」
「(オイ⁉︎)」
「よ、よーしよしよしよし」
大丈夫、大丈夫よとエリノア。言いながらヴォルフガングの白い背中をわっしわしなでる。
これまでブラッドリーは身体が弱く、誰かにひどい言葉を投げかけられたとしても、言い返す余裕はなかった。その悔しさを代弁し、庇って来たのがエリノアだ。
その頃を思えば……あそこでしっかり自分の気持ちを発言出来ている弟の姿には彼の成長と回復を見ているようでどこか嬉しかった。……相手がずいぶん年上の騎士なのが笑えるが。
彼らはブラッドリーに対し、怒り顔でピィピィ憤慨しているものの……彼らののんきな気性を思えば弟の喧嘩相手としては平和的結果しか見えない。
「……すごいな」
「!」
穏やかな声にエリノアが横を向く。……気がつくと隣にリードが立っていた。
一瞬ドキリとしたエリノアだったが……彼もまたブラッドリーたちの様子を見て彼女と同じことを感じていたのか──エリノア同様、ブラッドリーに優しい目を向けている。ブラッドリーが彼の長所を並べ立てるのが恥ずかしいのか、どこか照れ臭そうな顔だ。
ずっと気まずそうだった彼の、そんな表情に少しだけホッとして。エリノアは頷く。
「……うん、本当に」
エリノアは微笑み、そしてリードと並びブラッドリーに視線を戻す。
弟を含めたどこかちぐはぐな三人組は、のどかな草原に立ち止まり、いまだああだこうだと顔を突き合わせて言い争っている。
弟の……同世代の他の男の子たちと変わらないああいった普通の姿を見ることが、ずっとエリノアの夢だった。
──それは彼が魔王だろうとなんだろうと変わらない願いである。
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