118 不安とひがみの狭間のピクニック③ 偏愛者たち
本日は王都周辺の気候もよくて。風も少なく、太陽はのどかに街道を照らしていた。
一行の背後には荘厳な王都外壁と水堀。
この辺りの道は都のすぐそばということもあって、賊などの物騒なものもいない。
外敵に身を隠す場を与えぬように、堀のすぐ傍には木々を生やさないよう国が管理していて、辺りは見渡す限りの野原になっていた。
舗装された道の脇には草むらが広がり、小さな花も咲いている。
どこかに鳥でもいるのか、時折高い鳴き声が空高く響いていた。
──そんなのどか極まりない道を……
「…………」
「…………」
気まずげに歩くエリノアとリード。
リードは固い顔で、その半歩後ろをエリノアが困りきった顔で歩いていた。話しかけたいが、そうできないという表情はお互い様だった。
(……ど、どうしよう……リードが何か怒ってる……)
困ったエリノアは、ドキドキしながら腕の中のバスケットを強く抱きしめる。
もしかしてとエリノア。
リードは告白の返事を先延ばしにしていたエリノアを怒っているのだろうか。
それはそうかもしれない。
リードに「好きだ」と言われてから、もう結構な時が経ってしまっている。
隠れ勇者となってから、なんだかんだとエリノアが忙しかったのは確かだが、返事を先延ばしにしてしまっていたこともまた確かだった。待たされるほうの身になってみると、それは大変な苦痛であったのかもしれなかった。それをリードが怒ったとしても、エリノアには責められない。
できる行動は一つである。
(……ちゃんと気持ちを伝えて、返事をする……ちゃんと……)
つまり、今自分には片思いしている人がいるから、リードの気持ちには答えられないと告げること。
(しっかりしなきゃ……)
エリノアは地面を見つめながらため息をこぼした。
リードは自分に気持ちを見せてくれたのだから、自分も誠実にしなくては。……とは思うのだが……
それは結構大問題だ。
(……なんて伝えたらいいんだろう……)
これまで弟一筋で生きて来て、こんな恋愛ごとに直面するのは初めてだった。
自分が誰かに気持ちを向けることも初めてだが、向けられる気持ちを断ることも初で。どう対処していいのか分からない。
だってこれは長年共にいた親友を傷つけることであり、下手をすれば彼を失うことである。
だからこそ、魔王だ魔物だ聖剣だ……と、混乱した現状ではなかなか返事をすることはできなかった。しっかりそれだけに集中して考える時間がほしかった。きちんとした形で彼の気持ちに向き合いたかったのだ。
──でも、リードが怒っているのなら、もうあまりノロノロしているわけにはいかない。
エリノアは心の底から頭を抱えた。
こんなことならルーシー姉さんにでも相談してくればよかった!
と──そんな足元おろそかな娘の靴の爪先が、不意に道のわずかな凹凸にけつまずいた。
「ぅわ……! ……と──?」
思わぬ引っ掛かりに足を取られ、一瞬腕に抱えたバスケットを放り出しそうになったエリノアは……
しかしすぐに身体が支えられて、ハッと顔を上げる。
「──大丈夫か?」
気がつくと、スカイブルーの瞳がエリノアを見ている。腕を取る形でリードに支えられていたエリノアは、慌てて彼から離れた。
「ノア気をつけろ、この辺結構舗装が痛んででこぼこしてる」
「う、うん……ごめん、ありがとう……」
助けてくれたことに礼を言うと、リードは困ったような顔で小さく笑った。
その顔はすぐに前を向いてしまったが、それを見て、エリノアはじぃんとした。
リードは優しい。
怒っていても、こんなそそっかしい自分のことを助けてくれる。
そんな彼に、いつものように気合でなんとか! ……と、雑に突貫しては、いけないことだけはエリノアにも分かった。
エリノアはグッと奥歯を噛む。
(……きちんとしなきゃ……)
彼は大切な人だ。
誠実に向き合わなくては。
「……あのさぁブラッドリー坊……」
のしのしと歩きながら、トマス・ケルルはブラッドリーに聞いた。
どこか釈然としないという顔。珍しく……何かを考えこんでいるらしい。
ブラッドリーは素直な顔で彼の顔を見る。
「はい、なんですかトマスさん」
「あの後ろの二人だけどさ……なんか様子がおかしくないか?」
コソコソひそめられたその問いに、ブラッドリーは今頃? と呆れた。姉とリードの気まずそうな顔は、自宅からずっとである。
ピクニック用の荷物と子猫を抱えた騎士たちは、体格もよく頼りがいのありそうな風貌だ。が……どうにも彼らはあまり細かいことは気にしない性格らしいなとブラッドリー。
少年は頷く。
「すみません、せっかくのお出かけなのに気になりますよね……僕もよく分からないんです。でもこの際なので……ピクニック中に二人には仲直りしてほしいんです。だからおじさんたちも……できるだけあの二人の邪魔しないでくださいね?」
にっこりと姉を案じる弟の顔でブラッドリー。どこか圧のある言い方だが、しかしそんなことに気がつくトマスたちではなかった。騎士はまだ何か引っかかることがあるらしい。(……ちなみに『せっかくのお出かけ』とは言っても……騎士らのこれは謹慎中のお出かけであることを忘れてはならない。)
「んん〜?」
怪訝そうなトマスは、己の顎髭を触りながら、同じく何か喉の奥に小骨でも刺さったかのような顔をしてリードのほうを見ているザックへ問うた。
「……おいザックよ……」
「どうした兄弟……」
「あの爽やかイケメン……どっかで見たことがあると思わないか?」
爽やかイケメン……とはどうやらリードのことらしい。
問われたザックは、ああと頷く。
「お前もか、そうなんだよな……どっかで見かけたような……」
並んでしげしげとリードを見つめる騎士たち。と、不意にザックが「あ!」と声を上げた。
「分かったぞ兄弟! あいつ……いつぞやに街中で見かけたブレア様の恋敵じゃないか⁉︎」
「はっ!」
途端、小さなおっちゃんことトマス・ケルルがパチクリと目を皿のように丸くした。
……二人は以前、ブレアが帰宅するエリノアを城下に送って行った時、彼女を迎えに来たリードの姿を見ている。(※三章二十四話参照)今頃だが、そのことに気がついたらしいトマスは唖然として、慌てふためく。
「ほ……本当だ……!! え⁉︎ じゃあこれは……邪魔すべき案件か⁉︎」
「えぇ⁉︎」
マジか、心の準備が……と急にソワソワしはじめるザック。……だがそこに制止が入った。──ブラッドリーである。
彼らの会話を聞いて、「は?」と表情を冷淡に変化させた少年の瞳からは、先ほどまでの素直そうな輝きは消えてしまった。不快さ全開の魔王顔に、彼の足元で白犬が身をこわばらせている。
「…………おじさんたち? なんの話をしているの?」
目の笑っていない薄ら笑いには、冷気が漂っていた。その不穏さを敏感に察したマリーたちが、騎士たちの腕からぴゅっと逃げて行き、ブルブル震えているヴォルフガングの背中に張り付いた。
ブラッドリーは凄みのある顔で微笑み、嘲笑うように言う。
「僕、たった今二人の邪魔をしないでって言ったはずだけど……恋敵って? まさかブレア王子のために二人の仲直りを邪魔しようっていうの?」
「む……そうではないぞ少年。友人同士の仲直りならば、我らは仲裁役とて買って出よう。しかし……それ以上に親密になられては困る」
「バカ言わないでよ……そうなってもらわなくちゃ困るんだけど」
「いやいやいや……これは少年の姉御のためにもなる話だぞ」
少年のトゲのある視線にも鈍感に気がつかず、騎士らは真剣な顔で語りはじめた。
「ブラッドリー坊だって、姉が良い嫁ぎ先を見つけられれば良いと思わないか?」
お相手は王子殿下だぞ、一緒に応援しようぞ! と、揃って拳を握る騎士たちに、ブラッドリーの視線はさらに冷たくなる。
「良い嫁ぎ先って何? 王家ってこと? 冗談じゃない……地位や財力がなんだっていうの、信頼し合える相手こそが良縁って言うんだよ、リードみたいにね。だいたい姉さんの相手には姉さんにすごく優しい人間じゃなくちゃ。……まあ人間じゃなくてもいいけど。((……いいんだ……)※子猫たち心の声)ブレア王子なんて、国事やらなんやらで忙しそうじゃないか。ダメだね。姉さんを一番に考えられない人間は問題外だよ」
「なに言ってる! ブレア様は優しいぞ! 坊は知らぬだろうが、あれでもブレア様は嬢ちゃんには激甘判定してるんだぞ! 色々と!」
“ブレアなんて”と言われたトマスは怒った鶏のような顔でブラッドリーに立ち向かう。
しかしその隣でザックがヤベェよと彼の野太い腕を引いた。
「トマス……これは悲報だぞ……嬢ちゃんの弟が恋敵を推しているなんてことがもしブレア様のお耳に入ったら……殿下がすごく落胆なさるんじゃねーか……?」
「な、なにぃ⁉︎」
「騎士団共有の情報書(エリノア観察日誌)の備考に、嬢ちゃんは“かなりの弟偏愛者”だって書かれていただろう? その弟がブレア様との仲を反対しているなんてことを殿下がお知りになったら……」
「…………確かに悲報だ……」
大袈裟に愕然とするトマス。その王子愛溢れる会話に、ブラッドリーは(自分のシスコンを棚に上げて)呆れた顔をしている。
ちなみにエリノアの備考に彼女のブラコン情報を書き入れたのはオリバーである。
ともあれ、これはなんとかしなければと思った騎士たちは、果敢にも、キッとブラッドリーを見据える。その視線を当然ブラッドリーも迎え撃つ。(ブラッドリーの背後では、白犬ヴォルフガングが「あいつら正気か⁉︎」とうろたえている。)
「我らブレア様の恋愛見守り隊(非公式)!」
「我らはブレア様の味方、いや……ブラッドリー坊も一度会ってみればわかるはず、ブレア様は、それはそれは頼りになる素晴らしきお方だぞ! 坊の義兄となれば坊のこともそれはそれは大事にしてくださるに違いない!」
ばーん! と、誇らしげに胸を張る騎士二人。の、言葉にブラッドリーは鼻を鳴らして応戦した。
「頼り? 僕ら姉弟にとって、長年傍で支え続けてくれたリードほど頼りになる人はいるはずがない」
「何を言う、そんなことがあろうか! 少年よ! 井の中の蛙でいてはいけない!」
「ブレア様はかっこいいぞ⁉ 武芸にも優れておいでで、ちょっとダンスと女性が苦手なのがチャームポイントで──!」
「リードのほうが何倍もかっこいい──!」
「(へ、陛下落ち着いてください!)」
キレ気味の少年魔王に忠犬魔将が慌てている。背中の子猫たちは小さな耳を倒して唖然と魔王の偏愛を眺めていた。(※マダリン(すごい……)、マール(おもしろい……)、マリー(……あのちゃいろアタマのニンゲンどっかで見たことある……?)←リードを判別してない)
トマスは仕方ない……と渋い顔で腕を組む。
「では、ここは俺がブレア様の麗しいエピソードを幼少期から語って進ぜよう……」
「はあ? 何言ってるの? ……じゃあ僕はリードのかっこいい逸話を──!」
「(へ、陛下ぁああぁぁ!)」※ヴォルフガング
…………ということで。
かくしてここに、リード推し少年魔王と、ブレア推し騎士らの戦い(?)の火蓋が切って落とされる。
……少し後ろを歩いていたエリノアとリードは遅れてその騒ぎに気がつくが、時はすでに遅かった……
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