116 不安とひがみの狭間のピクニック
「……へぇおじさん達、第二王子様の護衛騎士なんですね」
一見、素直な見た目の少年は、にこやかにケルルを見ている。そう背の高くないケルルはブラッドリーと並ぶとほぼ頭の高さが同じくらい。共に歩く騎士は、子猫たちを腕に抱え、和やかな顔でニコニコと答えた。
「そーなんだよーでも今は内緒にしてくれな? 俺たち謹慎中だ」
「ふふふ……ずいぶん堂々とした謹慎中ですね」
「がははは! 実は俺たちコソコソするのにあんまり向いてないんだよ! どうちてでちゅかね〜?」
どうしても何も……見るからに隠密行動に向いていなさそうなその男は、言いながらモコモコの黒い子猫を顔のそばに持ち上げる。幼児言葉で話しかけられ、高い高いと持ち上げられた目の据わった子猫たちは、もはや何かを諦めた表情をしている。その冷たい視線を受けてもなお騎士たちはマリーたちにメロメロである。
「可愛いお目めでちゅねぇ!」
「隊舎にも一匹欲しいなぁ……嬢ちゃん一匹分けてくれないかなぁ……」と、物欲しそうに言われた途端、怒ったらしいマダリンが容赦無くザックの頬をザックリと引っ掻く。
「ぁ痛! ちょ、気性が荒れぇなぁ♡」
「そこがまたいい!」
「見ろトマス、見事に引っ掻かれちまった! どうだ? キレイに爪の跡ついたか?」
「ふん、俺なんか指を噛まれたぞ、見てみろこのかっぷり思い切りのいい歯形を……!」
マールに噛まれた指先を高らかに掲げるトマス・ケルル。
何!? いーなぁ……っ! ……と……めげることを知らない彼らにブラッドリーが薄く笑う。
「ふふ……おじさんたち血塗れだよ」
ブラッドリーの指摘にも、騎士たちは「血?」「あ、本当だな、ガハハハ!」──と、大笑いで。
流血を拭いもしない男たちに、ブラッドリーは大人びた顔で冷笑を浮かべている。
「…………」
──その異様な光景を──背後から硬い顔で見つめていたエリノアは──迷っていた。
ハラハラすればいいのか──……ひがめばいいのか──……馬鹿馬鹿しいが、娘にとっては非常に悩ましい問題であった……
「ねえ…………なんでブラッドリーの隣を騎士トマスが歩いてるの……? あれ私のポジションじゃない!? しかもマリーちゃんたちを抱っこしてるし!」
せっかくの弟との水入らずのピクニック、……のはずが、どうしてだか騎士らに乱入されてしまったエリノア。
娘は騎士らが羨ましすぎて涙ぐむ。しかも弟と並んで歩くトマス・ケルルのすぐ後ろはザックがゲラゲラ笑いながらついて歩いているもので……その分厚い肉体に阻まれて、低身長のエリノアからはブラッドリーの姿がほとんど見えもしない。
王都を出てきた一行はのどかな街道を歩いている。王都周辺の道はきちんと舗装されていて広々としており幅も十分だ。つまり一生懸命歩けばエリノアも彼らに並んで歩くことは可能なのだが……足のコンパスの問題か、それとも単にエリノアがとろいのか。なぜだかいつの間にか彼らの後ろを歩く羽目になっているエリノアであった。
「わ、私のブラッド……」
騎士らの流血子猫談議を興味深そうに聞いているらしい弟の声に、エリノアが消沈する。
そもそも騎士らだって“護衛”としてついて来ると言っていたのに、ほぼほぼ子猫たちばかりを見ていてエリノアは視界にすら入っていない気がするのだが……気のせいか……
「う……困った状況なのに、悔しさが勝ってしまう……あそこは私の場所なのにぃ……!」
本来なら魔王と魔物たちとのピクニックに、何も知らない部外者が乱入して来るという非常に緊張感のある道筋であるはずなのだが……娘の顔はどう見ても「弟恋しい」が勝っている。
「……はぁ」
悔しそうなエリノアの傍で呆れの滲むため息がこぼされる。──騎士たちを監視するようにエリノアの隣をひたひたと歩いていた白犬だ。騎士たちの手前、堂々と喋ることが出来ないヴォルフガングは声をひそめてエリノアを睨む。
「(……おい、じめじめするな鬱陶しい……お前もしっかりあの者どもが陛下に無礼を働かぬか監視しろ!)」
「(う、だって、私だってブラッドとのんびり仲良く歩きたかったのに……)」
「(そもそもお前があいつらを受け入れたりするからこんなややこしいことに……!)」
「(しょうがないでしょう!? なんだか分かんないけど、ブラッドが妙に乗り気なんだもの!)」
責められたエリノアは、泣きべそ顔で反論する。もちろん二人とも小声である。
──しかしそうなのだ。『たまには姉弟水入らずで過ごしてシスコン魔王様のストレスを解消してこい』という女豹婦人のありがた〜いお言葉から成ったこのピクニック。意外なことにブラッドリーは乱入してきた騎士たちを嫌がらなかった。
『ふぅん……僕は別にかまわないよ? 姉さんの王宮での様子でも聞いてみようかな』
『え……?』
『だって騎士さんとお話しする機会なんてなかなかないしね……それに敵のことは知っておいて損はないし』
『……て、き……?』
どこか含みのある表情を見せるブラッドリーにエリノアは戸惑った。弟が騎士たちを敵視する意味がよく分からない。が、もちろんブラッドリーが言う敵とは、彼らではない。……ブレアである。
ブラッドリーは不思議そうな姉に気がつくと、にっこり楽しそうに微笑むだけで。それ以上は何も語ってくれなかった。
「なんでかな……? 私がよく騎士様たちの繕い物させられてるから?」
「…………」
エリノアは首をひねっているが、その足元で、君主の意図が漏らさず分かった白犬はひたすら沈黙した。
エリノアはしばし怪訝な顔をしていたが、それでもよく分からなかったらしい。ため息をついて、「それはそうと……」と、疲れた調子で言った。
「ハァ……まさかグレンまでが騎士様たちを歓迎するとはねぇ……」
エリノアの言葉にヴォルフガングが呆れたように鼻を鳴らす。
彼女たちの出発前。騎士たちになど欠片も興味がなさそうな黒猫はニンマリしてこう言ったのだ。
『騎士たちですか? 私も大歓迎ですよ』
『え……な、なんで?』
先に相談した忠犬ヴォルフガングは、主人の行楽を他人に邪魔されることにブチ切れていたというのに、のんきに返事をしてきた黒猫にエリノアは驚いた。しかしグレンは肩をすくめて言う。
『だぁって。別にあいつら無害でしょう? 何かあれば陛下が一瞬で消し炭になさるでしょうし……それにうるさい妹どもの面倒見てくれれば私は助かります』
『あ、ああ……』
グレンの天敵(?)マリーたち子猫三姉妹は、騎士たちが気に入ってしまって片時も離そうとしない。いつも彼女らにおもちゃにされているグレンは、妹たちから解放され、これ幸いと今日は自宅でまったりする気らしかった。グレンは鼻にかかった甘え声で言う。
『だってぇ、陛下とお出かけはしたいですけどぉ、妹どもと遠出なんて絶対! イヤ! です。魔物だって休日が欲しいんですよぅ、私だってたまには家でゴロゴロしたぁい!』
『……ぁ、あ……そ……』
床に寝そべってコテンコテンと身を左右に振り転がって主張する黒猫。なんとなく呆れるが、労働者という立場のエリノアとしては、休みが欲しいという言い分は分からないでもなかった。
『まあ……そうよね、魔物だって疲れたりもするわよね……そうか……』
なるほどとエリノア。
が……ところがだ。すると今度はグレンだけではなく、コーネリアグレースまでもが外出について来ないと言い出した。女豹婦人は艶っぽい顔で自身の胸に手を添えて言う。
『ま、頼りになるあたくしがいないと皆さん不安でしょうけど? でもねぇこの機会に我らが根城を隅から隅まで掃除してしまいたいんですの。もう二度と憎っくきソル・バークレムなんぞに馬鹿にされるのはごめんなんです。……散らかし魔の娘たちがいるとちっとも掃除が捗りませんし……この際、騎士どもを利用して護衛させてやりましょうよ。おほほ、というわけでエリノア様、子守をよろしくお願いいたしますわね。大丈夫、ヴォルフガングもおりますから。おほほ』
そう言って……コーネリアグレースは息子に雑巾とバケツを押し付けた。息子をまったりさせる気はまるでないらしい……
……とういう訳で。本日の一行は、彼女ら親子と、テオティル、そして常日頃から杖必須で遠出が嫌な老将抜きのメンバーということに相成った。まあ……テオティルはどこにでも現れてしまうから、正直置いて行っても無駄な気はしたが。先日勝手に王宮に現れて散々脅かされたエリノアは、今日は何があっても飛んで来たりしないようにと、聖剣に強く強く言い含めた。
そんなこんなでなんとか王都を出て。近くの景色の良い野原を目指す一行。
騎士たちは遠慮するエリノアから荷物を奪いとり(※エリノア弁当だけは死守。絶対めちゃめちゃに振り回されて台無しにされる)担いでくれた。
しかし頼もしい一方……抱いた子猫たちに身体をバリッバリに引っ掻かれているケルルたち。だが、彼らはニヨニヨするばかりでちっともダメージを受けている様子はない。
エリノアは疑問に思った。マリーたちとて魔物のはずだが、トマスたちの鍛えられた分厚い肉体には子猫たちのかわいい爪は通用しないのだろうか……
以前オリバーがグレンに引っ掻かれた時の惨状を目の当たりにしていたエリノアは怪訝そうだ。
そんなエリノアにヴォルフガングが小声で言う。
「(……まあ、チビどもの力なぞ大した影響力はありはしない。対してあの陽気の化身のような騎士どもは女神への信仰心が高いのだろう……加護があれば多少の攻撃からは身を守れる)」
「(だ、だけど魔障の前に外傷が……騎士様たちのお顔が傷だらけになってるわよ……)」
「(……それは放っておけ……奴らは好んで引っ掻かれている)」
「…………」
……それはなんとなくそうじゃないかなとエリノアも思っていた。
騎士たちは子猫が好きすぎるのか、マリーたちに引っ掻かれれば引っ掻かれるだけ目尻がデレデレと垂れ下がって行く。まあ……普段から鍛えている彼らのことだ。多少の傷くらいは慣れっこなのかもしれなかった。
エリノアは、彼らに関しては、少しホッとした。確かにグレンが言う通り、騎士らの様子は無害そのものである。マリーたちに魔障をつけられないのならばなお良い。ついて来られても、まあ、やり過ごせそうではある。彼らはとても鈍そうなことだし……
因みになのだが……騎士らにピクニックをリークしたのはハリエットだった。
それなら文句は言えないとなと、やや美女に弱い節のあるエリノアは現実逃避気味な顔でつぶやく。
「……ハリエット様なら仕方ない、ハリエット様なら……ふふ……」
「(……おい、馬鹿言ってないで現実を見ろ! お前……アレはどうするんだアレは……!)」
呆れた調子のヴォルフガングに小声で叱咤されて。“アレ”と示された人物に、エリノアは、うっと顔を苦しげに歪めた。
呆れ顔の白犬が黒い鼻先で示すのは──ケルルとは反対側、ブラッドリーの隣を歩く──
──リードである。
その姿を見て一気に現実に引き戻されたエリノアは、一瞬スッと瞳に虚無を映す。
「(………………あああああぁ!!)」
「(唸っている場合か!?)」
街道の真ん中で、唐突に青い顔面を両手で覆うエリノア。
……そんな娘の尻に頭突きして叱咤する犬。
……彼らの前を歩く魔王とのんきに子猫を抱いた騎士たちと……彼らから少し距離を置き、どこか暗い表情で気まずげなリード。
……状況はいよいよややこしい事になっていた。
お読みいただきありがとうございます。
なんとか更新再開することができました!( ;∀;)
…テオはエプロンと三角巾でもつけて、コーネリアグレースにお手伝いさせられていることと思います。




