115 筋肉とかわいいの塊
「…………昨日はいったいなんだったんだろう……」
クラウスたちとの騒動があった次の日。
エリノアはビクビクしながら王宮を目指していた。
いろいろ起こりすぎて、今日の出勤が怖かった。
しかしそんなエリノアが、王宮の裏門を恐る恐る壁伝いに進んでいると……またもや門兵たちに、「また不審な動きを……」「さっさと行け!」と、追い立てられてしまった。
大柄な門兵たちに、シッシと犬でも追い払われるように手を振られた娘は「何よ」と恨めしそうな顔をした。
だって怖いんだものとエリノア。
ここのところ、王宮ではブレアの専属になったせいで、ほとんど他の王族の姿など見ることはない。
それどころか最近ではブレアも聖剣探しで忙しく、その姿すら見かけない日もあるというのに。
それなのに──昨日はといえば、ブレアどころかクラウスと遭遇し、あまつさえ舞踏会以来の王妃とまで再会する始末。
それが使用人としての普通の出会い方ならまだいい。
だが、仕事をしていたはずが、なぜか第三王子クラウスに連行されかけた身としては、やはりビクビクしてしまう。気まぐれと有名な王子クラウスが、再び手勢を連れて自分を捕らえようと待っていたらどうしようなどと考えると恐ろしくてたまらない。
「……もう箱に詰められるのも、私の身体で綱引きされるのも真っ平ごめんだわ……昨日はおかげでハリエット様とのお約束にも遅れちゃったし……」
──昨日あの後。どうしてもと言うブレアに連れられて、エリノアは王宮の医務室に向かった。
ハリエットとの約束の時間に遅れそうなことをもちろん分かっていたエリノアは、治療を辞退しようと思っていたのだが……
いざ医務室についたエリノアが袖をめくってみると……腕には真っ赤なアザがくっきりとついていた。おまけに爪でも食いこんだらしい傷痕までもが残っていて……
それを見たエリノア自身は、『あちゃぁ……』と思った程度だったのだが──しかしブレアはそうはいかなかった。
エリノアの腕に痛々しく残る赤い指の痕を目撃した青年は……強張っていた顔をさらに強張らせて、瞳に壮絶な怒りを燃え上がらせた。そして彼は周囲の者たちが「え?」と、思っているうちに、無言でくるりと身を返し……そのまま医務室を出て行こうとしたのだ。
その様子に一同は唖然とした。
ブレアの背中には……誰の目にも明らかな強い怒気が漂っていた。
そのただならぬ様子にエリノアも騎士たちも、居合わせた医官や駆けつけたオリバーすらもが慌てふためく。
誰の脳裏にも、彼をこのまま行かせれば、再びクラウスとの揉めごとが勃発するであろうことがたやすく思い浮かんで。エリノアたちは、その王子を必死で止めた。もうハリエットとの待ち合わせがどうとか、遅刻がどうとか言っている場合ではなくなってしまった。
必死なエリノアがブレアの前に回りこんで落ち着いて欲しいと懇願すると、青年は多少は怒りを解いた、が……そんな娘の腕の傷と、顔とを見ると、ブレアは今度はとてもつらそうな顔になった。
そしてやはりクラウスとは話をつけなければならないと頑なに言うもので、エリノアたちも困り果てたのだが……
──そんな時──
オリバーが言ったのだ。
『ブレア様、新人娘に魔法薬を使いましょう!』──と。
『……は?』
その提案にエリノアはぽかんとした。魔法薬っていったい……
いや、もちろん魔法の薬で魔法薬。それは分かっている。
この国には、今では貴重な存在となった魔法使いも数人在籍していて、彼らが王家のために魔法薬を作っているとことはエリノアも知っている。しかし、それは誰もが使えるものではない。しかも使用には確かブレアだけではなく王太子や王妃、国王クラスの許可が必要となるはずだった。
だが怪訝そうなエリノアとは反対に、皆に引き留められても進もうとしていたブレアは、足を止め、鋭い眼差しでオリバーを振り返った。そんな王子にオリバーは続ける。
『王族専用の、貴重な、激烈高価な魔法薬です。あれならアザくらいたちどころに消えます。ただ──あれはブレア様がいないと使用許可おりませんよ!』
『…………』
『あの……騎士オリバー……? そもそもそんなお薬使用人のわたくしめが使える訳が……』
と、エリノアは挙手して一応言ってみた。するとオリバーが鬼の顔で声をひそめ、エリノアに耳打ちする。
『馬鹿野郎! とりあえず時間をあけて落ち着いていただくんだよ!』
『は、ぁ、しかし……』
もっと現実的な話でなければブレアは留まってはくれないのでは……と思ったエリノアではあったのだが……
しかし。そのエリノアは現実的でないと思った話で──なんとブレアは、あっさりと医務室の中に戻ったのである。
顔は渋かった。が、それでもぽかんとしているエリノアの手を引いて、医務室の奥へと引き返していったのだ。
『え……、ちょ、あれ?』
エリノアはブレアに椅子に座らされながら戸惑った。
だがエリノアには分からなかったが──どうやらブレアはクラウスの侍従を断罪するよりも、彼女の傷を癒すほうを優先させたいと思ったらしい。
ため息を吐きつつ、ブレアは医務官に薬を用意するように命じ。エリノアはよく意味のつかめぬままブレア立ち合いのもと、その激烈スーパー高価な魔法薬を傷口に思いっきり塗りたくられたのだった。……王妃や王太子の薬の使用許可は、あっさりと下りたらしかった……
エリノアは複雑そうな顔で己の腕を見下ろす。
メイド服の袖の内側で、エリノアの両腕はつるりと綺麗に傷が消え、なんなら怪我する以前より綺麗になったくらいである。
「……さすが王国専属魔法使いが王家の財力を後ろ盾に最高の材料を集めまくって作ったというお薬……でも……ありがたいけど……もうあんな怖い思いはごめんだわ……」
エリノアは王宮の壁に隠れつつ、その時のことを思い出して身震いする。
貧乏性のエリノアにとっては、王族専用と聞いただけでも恐れ多くて身のすくむ思いだったが……のちに面白がったオリバーが、エリノアが使った薬の一塗り分で、だいたい幾らくらいだなんて具体的な金額を教えてくれたもので……衝撃を受けたエリノアは、胃痛に襲われ、昨夜は一睡もできなかった。
おまけにそんなに効く薬なら、自分よりもブラッドリーに使いたかったなど……とついつい考えてしまうと、なんだか切なかったエリノアである。
「イヤイヤイヤ……折角のブレア様のお慈悲に胃痛なんて……はあ……と、とにかくしばらくはクラウス様には出くわさないようにしないと……!」
門兵になんと思われようと、今日は絶対コソコソして職場までたどり着いてやろう。
──そう心に決める彼女の背に、誰かが笑う。
「……決意の割に、いつ見ても運動神経の乏しい後ろ姿ですよねぇ……」
「格好なんてどうでもいいわよ、目的さえ達成できれば──て……なによ、やっぱり来ちゃったの?」
振り返ったエリノアは困ったような顔で地面の上の黒猫グレンを見る。
「ついて来て大丈夫なの? 昨日、怪我したんでしょう?」
どうやらあの騒ぎの最中、出現しようとした聖剣を抑えるためにグレンは怪我を負ったらしい。
「今日くらい家で休んだら? 私は大丈夫だから……」
「なーに言ってるんですか。言ったでしょう? 怪我ならもうとっくに老将殿に治してもらいましたってば! だいたいあのくらいの怪我で、姉上のドジっ子王宮ライフを目撃できないなんてもったいないですからね、あは!」
「……」
いつも通りに笑う黒猫にエリノアはため息をついて。そして何を思ったか、地面で笑っているグレンのしなやかな身体を両手で持ち上げた。
「……は?」
急に抱き上げられたグレンがキョトンと青い瞳を瞬いている。
「……姉上?」
「私は仕事してお給金もらって、無事に家に帰り、そして可愛いブラッドの顔見るために働いているの! せっかくブラッドともピクニックの約束したんだから……クラウス様に罰せられてる場合じゃないのよ! ……私のために怪我した猫がついて来てると思ったら、いざという時全力で走って逃げられないでしょう!?」
もうしょうがないんだから! とぶつぶつ言いながらグレンを腕に抱く。そんなエリノアに、「ああ……」と、黒猫は生暖かく笑う。私、猫じゃなくて魔物ですけど、あと相変わらず真面目にブラコンだなと、グレンは思った。
「(♪)あはは、姉上くれぐれも聖の力を漏らさないでくださいよ。……そうそう、そういえば姉上知ってます?」
「な、何よ、あんまり喋らないでよ見つかっちゃう……」
「私の得た情報によりますとですね、あのチビひげオヤジたち、謹慎になったらしいですよ」
「え? チビひげ……誰?」
「トマス・ケルルとかいうカエルの鳴き声みたいな名前の騎士たちです」
ケロリと言うグレンに、エリノアがギョッとする。
「……え!?」
「なんでもクラウスの侍従に手出しをしたせいで、ブレアも何も処分しないわけには行かなかったとか」
「……そ、そんな……」
途端にエリノアの眉尻が困ったように下がりきる。
「……でも……あれって結局私を守るためだったのよね……?」
確かに騎士が王族の侍従に手を出したなら問題なのだろうが、エリノアが箱の中にいると固く信じていたケルルたちが、クラウスにその箱を奪われまいとしたのなら、それは自分にも責任がある気がして……
と、深刻な顔をしはじめたエリノアの心が手に取るように分かったらしいグレンがイヤイヤイヤ、と、器用に猫の前足を振る。猫は露骨な呆れ顔だ。
「あんた無理やり箱詰めされたんでしょうよ、責任なんて感じる必要あります?」
「で、でも……」
「それに英断だと思いますよ、だって私がクラウスならこの機にブレアと親密な騎士らの数を少しでも削りますね。チビひげたちはブレアの手足も同然です。そういった隙を作る前に、先手を打って形だけでも身内を処分するのは守るため。そうしなければチビひげはクラウスからもっと重い処罰を受けるやも」
「……」
エリノアもグレンの言っていることは分かる。しかし、
「……そういう処分をされると、ただ自宅に篭っていなければならないだけじゃなくて、記録がついて騎士様たちのお給金にも響くのよ……あーどうしよう……」
「どうしようって、どうしようもなくないですか? まさかこんなことのためにメイナードを駆り出すわけには行きませんし」
メイナードであれば、忘却魔法を使って騒動をなかったことにできるかもしれない……が、
「本件は無理ですね。だって宮廷の記録まで弄りに行くのはさすがに高リスクですよ。単純に文字を消せばいいとかいうことでもありませんし。それに記憶を消さなければならない人数も多いです。姉上と聖剣の傍にいるせいで老将殿も使える力が弱まってきているし……前の舞踏会の時のようにはいかないですよ」
「そ、そっか……」
どうしたらいい、きっと彼らも落ちこんでいるに違いない。何か彼らのために何かできないかとため息をついたエリノア。……の、悩ましい週末……
「…………へ?」
ひとまずコーネリアグレースとの約束通り、弟とピクニックに行こうと張り切って支度をしたエリノアは、その朝、自宅の居間の扉を開いて──ギョッとした。
「いたっ、痛いぞふふふ、しかしかわいい。ふふふ……もふもふ……もこもこ」
「ヤンチャっ子めぇ♡ 真っ黒でかわいいでちゅねぇ〜、あ! おはよう嬢ちゃん」
「え……」
居間に……筋肉の塊のような男たちが陣取っているのを見て──エリノアが引く。
男たちは、野太い腕で、マリーら子猫三姉妹を抱っこしていた。
シャーシャー威嚇され、爪で引っ掻かれながらも……ニヨニヨ嬉しそうに目尻を下げている……その男たちは、紛れもなく……トマス・ケルルとザック・ウィリアムズだった。
居間の椅子に座り、赤ちゃん言葉でマダリンに話しかけていたケルルがエリノアに言う。
「嬢ん家の子猫たまらん毛並みだな! なんだこのかわいいの塊は! 天使か!」(※魔物の子)
そのデレついた声にエリノアが我に返る。──その瞬間、ケルルの手から逃げ出して来た一匹、マールがエリノアの髪の中に逃げこんだ。
「……は⁉︎ 騎士様!? あれ!? き、謹慎は……いやそれより何故ここに……!?」
うろたえるエリノアに、ケルルらは「あーそれなー」と反応が軽い。
「暇だったからちょっと抜け出して来た」
「はあ!? そ、そんなバレたら……」
エリノアが慌てると、騎士らは大丈夫大丈夫と笑う。
「そんでな、暇だし、嬢がピクニックに行くつーから。護衛がわりに一緒に行こうかなって。ブレア様も心配しちゃいますしねー、そーでちゅよねー?」
──と、言う騎士が最後にデレデレ顔で話かけていたのは……マリーだ。
エリノアは……なんかもう言葉もない。
ちなみにそんな騎士を……マリーは死ぬほど冷たい目で見上げている。
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