114 王妃、究極の二択
エリノアを抱きしめていたブレアが慌てて手を離して後ろへ下がる。
「す、すまん……!」
「……」
ブレアに解放されたエリノアは、何故か微動だにしない。
ただ、無言で一歩後ろに下がり──……
──土下座した。
「──っ申し訳ありません!」
それに驚いたのはブレアだった。
「や、やめなさい、何故!?」
驚いた男は娘を地面から引っ張り上げる。エリノアは鎮痛な面持ちを真っ赤に染めて、頭をげっそり斜めに傾けていた。
「エリノア!? どうした!?」
「お助けいただいたのに……そのブレア様の背中に頭突きかますだなんて……」
「ず、頭突き?」
なんのことだとブレア。
どうやらエリノアは、先ほど王妃の登場に驚いた彼女が彼に向かってよろめいて行ったことを言っているらしい。
ブレアはなんだそんなことかと思ったが、エリノアにとってはそれは気が遠くなりそうな程の失態だった。
「!? いや……不可抗力であろう。倒れこんで来ただけではないか……」
ブレアは宥めるが、エリノアはげっそりしたままだ。
「いえ……これはわたくしめの胆力の問題です……転びそうだからって王子殿下を杖代わりにしていい訳がありません。立派な侍女はそこで殿下を華麗に避けなければ……そもそも侍女は有事に王族の方々を守らなければならないっていうのに……己がいの一番に驚いて殿下に攻撃(頭突き)してどうするのでしょう……」
汗だくの娘は片手で己の心臓をギュッと押さえた。その下で心臓はひどくドキドキしている。
不謹慎な心臓めとエリノアは恨めしく思ったが、しかし同時に先ほど後頭部に感じた感触を思い出すと、その動悸はおさまるどころか速くなる。
何か……と、エリノア。先ほど王子に支えられたあと……頭に優しく触れたものがあったが、あれはまさか……王子の手だったのか。それになんだか激しく間近に──額に触れるくらいのごく近い場所に、ブレアの喉元が見えた気がしたが……
(あれは──夢?)
あの瞬間はただただびっくりして。でも、ふわりと爽やかな香りがエリノアを包みこんだような気がして──とてもとても心地よかった……
……が、今になってその図を客観的に想像すると、身体中の血液が煮えたぎりそうに恥ずかしい。
(ぅ、駄目だ……これ以上の回想は腰が抜けるやつだわ……)
想像力豊かなエリノアは自己防衛のために自主規制をかけた。
(……ま、前から思ってたけど……ブレア様はちょいちょい距離感が……なんていうか近すぎない……?)
以前も何故か抱きかかえられて、王子の住まいの中を意味不明に周回したことがあったことを思い出す。と、エリノアはもしかしてと悩ましげな顔をした。
(……もしやブレア様は……他の女性にもこう、なのかしら……)
その考えはエリノアを大いにモヤッとさせた。
いや、この朴念仁にかぎってそんなことはまるっきりない。全然ない。
──が、エリノアはだったら嫌だなぁと考えて。そしてハッとする。
(……ダメダメ! よこ……邪ま! なんて邪悪な……ブレア様にタックルかましておいて何が……! あーもう馬鹿なの私!)
邪念を振り払うかのように、ずぶ濡れの犬ばりに頭を勢いよく振ったエリノア(※それを見たブレアは小型犬みたいで可愛いなと密かに思った)は、改まってブレアに頭を下げる。
「ブ、ブレア様……(※頭の振りすぎでクラクラしている。)本当に申し訳ありませんでした……それと──有難うございました。騒ぎを治めてくださって……本当に助かりました」
そう言われて、エリノアの土下座のせいで一瞬クラウスのことを忘れかけていたブレアは、そうであったと娘を不安げに見る。
「……大丈夫か?」
ブレアはエリノアの腕に目をやった。
「……侍従たちに随分強く腕を引かれていただろう? 念のため医務室に……」
「そんな、大丈夫です、そこまででは……」
心配そうなブレアの顔にエリノアは慌てて手を振ったが、ブレアは渋い顔のまま引かなかった。
侍従二人とエリノアを掴んでいたケルルは、重量級の見た目通りかなりの力自慢だ。そのケルルと男二人とで腕と腰を引っ張り合われていて痛くなかったはずはない。ましてや華奢なエリノアだ。ブレアは叱るような顔で娘に言った。
「……見せなさい」
「え……」
その言葉にエリノアの目が動揺する。
「え? あ、あの……痛いところを、で……ございますか……?」
エリノアは咄嗟に身体を手で押さえた。右手で左の二の腕を握り、左手で腹を。大したことはないと言いつつ、やはり身は痛かった訳だが……
腕と腰を引っ張られていたのだから、当然痛いのはその辺り。だがそこを見せろと言われても……
(え? 私、見せるの? ブレア様に? 二の腕と……お腹を?)
ブレア相手に流石にそれはちょっと……いやかなり恥ずかしいなと思ったエリノアは。どうしようと目を泳がせる。
そんなエリノアに、ブレアは不思議そうな顔をした。
「どうした? 早く──」
と、言いかけて。その、キョドキョドとした目にブレアがハッとした。エリノアの手はもじもじと彼女の腕と腹を押さえている。その意味に、彼もやっと気がついたらしい。赤面した強面男の顔面は恐ろしいことになっている。
「ええと……」
「い、や……何も邪まな意味では……だ、断じて……」
真っ赤な顔でよろめきながら後ろへ下がっていくブレアと、そんな王子に慌てるエリノア。
「へ!? い、いえいえまさかそのようなことでブレア様を疑っておる訳では……あ──あれ!?」
そう言えば……とエリノア。あることを思い出して泡を喰う。
「さ、先ほどこちらに王妃様がいらしてませんでしたっけ!? あれ!? 陛下!? ──が、いらっしゃらない!?」
あれ!? と、こちらも赤面したまま周囲を慌てて見回す娘。──に、探されている貴婦人はといえば……
「………………」
挙動不審にも赤面し合いオロオロしている二人を──離れた木の影からジッと眺めていた。
同じ木の後ろにはケルルたち三騎士の姿もある。
「……陛下……探されてますよ……」
「シッ! お黙りなさいトマス・ケルル! 見つかっちゃうでしょう!」
プンスカ怒った王妃に叱咤されると、ケルルはピョコッと肩を竦めて己の口を両手で押さえている。
「あのー……陛下? なんで隠れるんっすか?」
こんなにコソコソした王妃を初めて見たなと思いながら別の騎士が問う。その問いに、王妃はブレアとエリノアから視線を少しも逸らさずに、真面目くさった口調で「だって」と返す。
「恥じらっているブレアがおもし……いえ珍しくて可愛いわ……あの賊に切りつけられても平然としている仏頂面がねぇ……ずっと見ていられる……なんなのこれ」
「確かに」
「わかります」
「そうよね? 見ちゃうわよね。なんなのあれは、ずるい。やっぱり報告ばかり聞いてないで早く見に来るべきだったわ。あの二人は……いつもあんな感じなの?」
振り返る王妃に騎士たちは頷く。
「はぁ、だいたいそうですねぇ」
「まあ……なんてことでしょう……!」
その時、王妃の心の中では二つの感情がぶつかり合った。息子の微笑ましい顔をもっと見ていたいという感情と、じれったいという感情が。
……息子の隣に寄り添うウェディングドレスを早く見たい。いや、もっと言うならば早く孫の顔が見たい。だが、あの幻の生き物並みに希少な息子の恥じらった顔もものすごく惜しい。ハッと優雅に息を呑む王妃。
「え……究極の二択だわ……!?」
どうしたらいいの!? と、真剣な顔で慄いている貴婦人に──ケルルたちは、さすがうちの王妃様は平和的思考。のどかだなぁと思った。
「………………」
「……陛下……? どうなさいますか……?」
ケルルが黙りこんだ王妃を恐る恐る覗きこむ。と、王妃が静かに言った。
「………………もうしばらく……放って、おきましょうか……」
王妃はとりあえず穏便な道を選択した。
「だって私王妃だもの。本気になればブレアを結婚させるのはいつでもできると思うのよ……でも、あれは……あの甘酸っぱい感じは私に演出できることではないもの……」
赤面し合う二人を遠目に見ながら、王妃はしばらくは大人しく見守ろ(覗き見しよ)うと心に決めた。
「浮いた噂の一つもなかったあの子ですものね……今の内にたくさんもどかしくも素敵な思い出を作らせてあげないといけないわよね……ええそうよね……」
一人母親の顔でそっと涙をぬぐいながら納得する王妃。その背後でケルルたちは大喜びである……
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