113 ブレアの怒り
「お前たちはクラウスの侍従だな……? 答えろ、お前たちは今何をしていた」
「…………」
その怒気を前に口が聞ける者などいなかった。
怒鳴っているわけではなかったが、ブレアの口調には有無を言わせぬものがある。その声を聞いた侍従二人は、すぐにでも釈明したいと思ったが……王子の冴え冴えとした瞳を見上げると、その意思がくじけてしまう。
侍従も衛兵も怯えた。彼らもこの王子の冷たい表情は見慣れていたが、今見上げている表情が普段のそれとはまったく別物であることははっきりと感じ取った。
特に侍従たちは……年中、主人に付き従い、彼が発する嫌味の数々に、冷静に応じる第二王子の姿を知っている。
主人の異母兄に対する態度は年々ひどくなるが……それに対しブレアが感情的になったことなど一度もなかった。ましてや剣を抜くなどということは。……それだけに、今の彼が恐ろしかったのである。
刃を突きつけられた侍従は蒼白の顔で己の主人に助けを求める。決してあてに出来ないことは分かっていたが、それでもそうせずにはいられなかった。
そんな……怯えた視線の行先を見てブレアが目を細める。
「……なるほど。──クラウス」
「!」
兄に名を呼ばれたクラウスが、グッと顔を強張らせる。
「手出しは無用と言っておいたはずだが……忠告は聞けぬか」
ブレアは剣を下ろし弟を見た。鋭さは消えなかったが、瞳にはやるせなさが滲んだ。
いつまで経っても改まらない弟の横暴さが虚しいという顔だが……それはクラウスの癪に障ったらしい。母親の違う兄を快く思っていない第三王子は兄の悲しげな顔にカッとなって虚勢を張る。
「忠告? は! 何のことですか兄上。私はただそこで騎士に狼藉を働いた者を捕らえようとしただけです」
尊大な口調で言ったクラウスはエリノアを指差して。嘲笑うような視線を向ける。
「狼藉……?」
クラウスの噛みつくような言葉にブレアの眉が持ち上がる。
ブレアの登場にしばし唖然としていたエリノアは、ハッと我に返った。
確かに狼藉と言われればそうだった。エリノアは使用人階級、ケルルたちは騎士位を持っている。
ただ……ケルルたちはいつも異常にフレンドリーで。
エリノアの無礼を当たり前のように流してくれるし、毎日当たり前のように迷惑をかけてくる。仕事の邪魔はするわ、余計な業務を押し付けた挙句それを台無しにするわ……怒ったエリノアがホウキで彼らを追い払うくらい日常茶飯事。するとエリノアの反応が楽しい騎士らは図に乗って更にちょっかいを掛けに来る……というエンドレスループな関係。……要するに、ただのじゃれあいに等しいのだ。
現に、クラウスに『騎士に狼藉』と言われた当人たちも全然ピンときていない。首を捻ったケルルたちは、怪訝な顔でコソコソ言葉を交わしている。(「……狼藉?」「騎士って……誰のことだ?」「は? 俺たち?」)
けれどもと、エリノア。
この状況で、クラウスがそれを理解してくれそうかと言うと……否である。
(…………クラウス様の前っていうのはやっぱり……不味かった、かぁ……)
ちょっと分かってはいた。だが騎士たちを放ったままにはしておけなかった。一か八か。気合でなんとかしたいと思ったのだ。
──そのなんでも気合でどうにかしようとするところ直した方がいいよ……
以前ブラッドリーに言われた言葉が今になって耳に蘇る。
(……他の人を、巻きこむ訳にはいかないわ……)
いや、そもそもエリノアは巻きこまれた側のような気もするが……どうやら今、第三王子が目をつけたのは自分のようだから仕方ないと彼女は思った。
(お給料カットかな……降格で上級試験受け直し……? 追放なんてことにはならないといいけど……)
エリノアはホウキを握りしめて、顔を上げ、前に一歩進み出た。
「申し訳ありません、わたくしが──」
と、言いかけて、ハッとする。いつの間にか、少し離れていたはずのブレアの背が、目前にあった。
(──あれ?)
不思議に思ってから、気がついた。その背は、エリノアにあれほど刺すように注がれていたクラウスの視線を遮ってくれている。
(ぅ……)
それがさりげないブレアの気遣いだと察して。エリノアはこんな時にも関わらず心がほんのり幸せな気持ちになった。些細なことだが嬉しかった。思わず感動していると、その間に誰かが鼻を鳴らすような音がした。もちろん言わずと知れたクラウスである。
目敏いクラウスも兄の行動に気がついて。軽蔑したような顔で言う。
「何をお怒りか分かりませんね。使用人ごときが王宮を騒がせるなどもってのほか。罰を与えられても当然のことではありませんか」
「あ」
“使用人”と強調するように吐き捨てるクラウスの冷たい声にエリノアはハッとして。慌てて前へ出ようとするがブレアがそれを許さなかった。
(ブレア様──?)
エリノアは困惑したようにブレアの顔を見上げるが、ブレアは饒舌な弟を真っ直ぐに見ている。
「そのような者がいては王室の威信が問われます。すぐに排除すべきです。代わりなどいくらでも──……」
笑いながら言いかけたクラウスは……窓枠を隔てた先にある異母兄の顔を見て──思わず言葉を呑みこんだ。
そこに浮かぶのは、怒りというよりも不動の意志だ。ブレアは眼光鋭く、ずしりと身体の芯に響くような声で弟に言い渡す。
「──ならん」
「っ……」
はっきりと切り捨てられ、兄の気迫にクラウスが怯む。
「なぜ理由も問わず処罰に直結させる。騒動があったなら状況を聞き取るのが先だ」
「く……だらない! なぜ私がそんな者のために時間を割かねばならないのですか! 私は王族ですよ!」
顔をしかめ、虚勢めいたセリフを吐く弟に、ブレアは、ほうそうか、と頷く。
「小事に割く時間はないと言うか……ならば本件は私が引き継ぐ」
「!?」
「私がお前に代わり状況を判断し適切に処理しておく。証言することがあるならば、この者たちを私が預かろう」
「!」
そう示されたのはエリノアを捕らえようとしていた侍従二人である。侍従たちは青ざめて、クラウスは慌てた。
エリノアを捕らえてやろうと思ったのに、これでは逆に己の手下を連れていかれてしまう。
ブレアは平然と言う。
「心配するな、何があったのかを問うだけだ。私の侍女を手荒に扱っていた理由ももちろん説明してもらう。……真っ当な理由があるならば恐れる必要はなかろう、真っ当な理由があればだが……」
この時ブレアがクラウスに向けた視線の鋭さは、先ほど彼が侍従に向けた剣の切っ先よりも鋭いように思えた。一切の口答えを許さないと言うように、視線は微塵も揺らぎない。
それを目の当たりにしたクラウスは怖気づき──そんな己を酷く恥じた。が、そのまま反省するような素直さを彼は持ち合わせてはいない。
屈折した性根の王子は、兄に気迫負けしている自分がハラワタが煮えくり返るほど悔しくて堪らなかった。なんとかしてブレアの鼻を明かしてやりたくて、その忌々しさはそのまま兄の背後にいるエリノアに向かった。
(あの女っ……滅茶苦茶にしてやりたい……!)
弟の激しい憎悪の表情を見て、ブレアも一気に殺気立つ。
チリッと火花が散るような緊張感が辺りに漂って。エリノアを含め、誰もが息を呑んで二人の王子を見つめたが──
と、その時。
「ちょっと!」
高い声が上がった。
「「!」」
「ぎゃっ!?」
非難するようなその声に、皆一斉に振り返る。──同時に、王子たちを止めなければとアワアワしていたエリノアは、思わぬ方向から飛んできた声に驚いたのか、思い切りつんのめってブレアの背中に倒れこんだ。
「!? エリノア!」
途端、ブレアの殺気が見事に消える。
「だ、大丈夫か!?」
背中にすがられたブレアは慌ててエリノアを抱き起こし、その顔を心配そうに覗きこむ。──と、再び「ちょっとブレア!」と、不満そうな声が青年に突き刺さる。
ブレアはエリノアを支えたまま苦虫を噛み潰したような顔をして。エリノアはぽかんと声のするほうを見た。
「あ、のお方は……」
──王宮の出入り口で、金の髪の貴婦人がプンスカ怒って立っていた。
「ちょっとブレア! どうしてわたくしを置いて行くのです!? エリノア嬢に会いたいのはわたくしなのよ! お前が先に行ってどうするの⁉︎」
なんなのかしらあの子ったら、わたくしを止めたかったんじゃないの? と、美しい口元をひん曲げて、それでもどこか品よく憤慨している彼女は──なんとこの王国の国母。王妃であった……
騒動の渦中にいきなり現れた佳人に、一気に場が混乱する。
「へ、陛下……!?」
衛兵や侍従たちが慌てて足を折って首を垂れる。
クラウスまでもがゲッと顔を歪めて焦り、怒りのあまり共に来た母のことを失念していたブレアは呻く。
その腕の中で、エリノアの顔面にはぶわっと玉のような汗が吹き出してくる。……なんだか今王妃の口から己の名が出たような気がしたが、気のせいか。
「あら……なぁに? 何の騒ぎなの……?」
と、そこでやっと王妃は場の異変に気がついた。
夫の側室の息子に気がつき、キョトンと「あらクラウス」と言い。ついでにそこにぽかんとした顔のケルルたちを見つけた王妃は怪訝な顔をした。
対峙するように向かい合っていた彼らを見比べながら、形のいい眉を持ち上げる。そして怪しむような声。
「あら……? トマス・ケルルじゃないの。……あなたまた何かしでかしたの?」
疑り深い顔でケルルを見る王妃。エヘっと指をいじるケルル。
……不思議と事を言い当てている彼女だが、どうやらブレアが守るように腕の中に収めたエリノアにはまだ気がついていない。
エリノアに乱暴を働いていた男たちを目撃し、内心怒り狂っていたブレアは……今度は緊張感に欠ける母の登場に調子を狂わされた。苦悶するような、呆れたような、いわく言いがたい険しい顔で言う。
「……母上……すみませんが、今取りこみ中で……」
「? なぜ? ……クラウス?」
息子の疲れた様子に王妃が不思議そうだ。問われたクラウスが戸惑っている。
「まさか……また何か揉めているのですか?」
探るような王妃の顔にクラウスがぎこちなく笑い首を振る。
「いえ……その……そのような訳では……」
クラウスはそう曖昧に返しながら、王妃に気づかれないように歯がみする。
ブレアに加えて王妃まで出てこられると、流石に分が悪かった。
「クラウス?」
「っ! なんでもございません! 失礼いたしますよ陛下!」
どこか悔しげに言い捨てて、逃げるように去って行くクラウスを、ブレアは目を細めてそれを見送った。
預けろと言った侍従たちもどさくさ紛れにクラウスについて逃げて行く。が、あえて追うようなことはしない。
腹はとても立っていたが、それよりも今は大切なことがあった。
思わずホッとして。腕の中のエリノアの後頭部に掌を当てて安堵のため息をつく。
連れていかれそうなエリノアを見た時は心臓が止まるかと思った。クラウスがどのような企みでそのようなことをしたのかは知らないが、彼女を連れていかれるわけにはいかなかった。
(良かった……)
と、そっと黒髪を撫で、軽く引き寄せてその感触を頬で感じた時……
──ブレアはハッとした。
腕の中で──エリノアが真っ赤な顔でうつむいてブルブル震えている。
顔面の汗がひどい。
「っ!」
それを見て、今更に密着しすぎの己に気がついたブレアが──壮絶にギョッと目を剥いた。
…でもこの後さらに王妃が控えているというブレアの苦難。
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