112 ホウキと白刃
半ベソ顔で、騎士たちを手持ちのホウキで殴るエリノア。よほど怒っているのか額までを真っ赤にしてキーキー怒った小猿のような有様の娘を……ケルルたち騎士は無言で見入ってしまう。
三人は考えていた。なんだか不可解な現象が起こった気がしたが……現在のエリノアには普段と違うところは何もない。いつも通りよく動き、表情が元気なエリノアを前に、騎士らは頭に疑問符を浮かべる。
辺りを漂っていた黒煙も……いつの間にか(エリノアの怒りように見とれているうちに)またどこかへ消えてしまった。
騎士たちが顔を見合わせる。あるか? ……ない、消えた。……錯覚……? と、いう無言の会話がそこでなされ、騎士たちは言葉なくエリノアを見下ろす。
「「「…………」」」
「ちょっ……! どうしてびくともしないんですか!?」
力一杯叩いているというのに、なぜか騎士たちがシン……と、鎮まり返ってしまったもので……エリノアが唖然としている。
この騎士らは、この非常時にいったい何をのんびりしているのだろう。今は場は水を打ったように静か(エリノア以外)だが、ここにはいまだ、自分たちを見下ろす窓辺に第三王子がいて、こちらをずっと凝視しているというのに。
(ちょっ、とぉおおおお!?)
焦る娘。
エリノアとしては、このまま力づくで騎士らをホウキで追い立てて。羊を追う牧羊犬のごとく、素早く王子の前がらどさくさ紛れに逃走しようというつもりだった。幸いなことに、なぜか放心状態の王子たちはこちらを見つめたまま動かない。絶好のチャンスだと、思うのに。
(お、重いぃ!)
いかんせん強靭な筋肉に包まれた彼らは、見た目通り防御力が高く重量もあった。
小柄なエリノアがいくら武器を使っているとはいえ、痛くも痒くもなかったらしい彼らは、バシバシとホウキで打たれながらも、ちっとも動く気配を見せない。
(ちょっと騎士様!)
「…………」
小声で話しかけてみても騎士らは無反応。仕方ない、この時彼らもいくらか動揺していた。何せ箱詰めしたはずの娘がなぜか外にいる。が──当然エリノアが魔物に頼んで魔法で箱から脱出したなんてことは、彼らには分かるはずがない。騎士らは不思議そうに首を捻っている。
そんな彼らに痺れを切らしたエリノアは、彼らをホウキで追い立てるのを諦めた。ホウキを横に持ち直し、それをケルルの身体に押し当てて足は精一杯踏ん張ってみる。
「(う、重……)騎士様たちの恩知らず! 今あなた方が着ている隊服だってっ、大きな穴が空いていたのを私めが繕ったんですからね!(早く動け!)」
恨めしそうに訴えると、やっと現実を思い出したのか、騎士らが夢から醒めたような顔をする。
「…………ごめんて」
「そんなに興奮するな、鼻血が出るぞ」
「お菓子いるか?」
と、ケルルがサッと取り出した菓子はかじりかけである……
エリノアは頭痛を感じた。本当に、なんて察しの悪い騎士たちだろうか。
今それどころじゃない! と、憤慨したエリノアが、口を開けて苦情を申し立てようとした瞬間。
「いりませ、にゅっ!?」
ケルルに無理やりパウンドケーキを口に押しこまれたエリノアが目を丸くする。粉物の攻撃に娘が目を白黒させているうちに、そのまま背後にひっくり返りそうなエリノアの首根っこを器用に捕まえて、騎士たちは顔を見合わせる。
「……かつぐか?」
「いやもう一回箱……」
「いや、怒られるって(※エリノアに)」
もう今更な気がするけどなーと、言いながら、ケルルは身をかがめてエリノアを俵持ちに持ち上げる。
「!?」
咳きこむ間に担がれたエリノアは鬼顔でケルルの背中を叩いている。
「ムガッ!? ガー!!」
「あ、シーツ? だな」
怒るエリノアはおそらく「離せ下せ!」と言っているのだと思うが、それが「シーツも持ってこい」という意味だと思ったらしいザックがいそいそと木箱を抱える。
周囲の侍従や衛兵たちはまだ唖然としたままエリノアの鬼顔に怯えている。が、
そのジタバタ騎士の肩の上で暴れている娘の顔を見て──ハッとした者がいた。
──クラウスだ。
窓の内側から彼らを唖然と見ていたクラウスは、その憤慨して喉に菓子を詰まらせた娘が、以前──舞踏会で兄のダンスの相手をつとめた娘なのだとやっと気がついた。
「……トワイン家の……娘か!」
クラウスが以前エリノアの姿を見た時、彼女は舞踏会用のドレスを着ていた。それが今回は、彼が特に記憶に留めない者たちの服──侍女用の制服を着ていたもので、クラウスにはすぐにエリノアを判別できなかったようだ。彼は使用人の顔などほとんど覚えることがない。
しかしそうと気がついたクラウスは、すぐさま窓から身を乗り出して、下で娘たちの騒動を呆然と眺めている己の侍従たちを叱咤した。
「おい! その女を捕らえろ! ぼけっとするな!」
クラウスの叱りつける声に我に帰った侍従たちが、反射のようにエリノアに向かって行く。が、皆、先ほど起こった怪異ともいえる出来事への不安が拭い去れないらしい。騎士たちを囲んだはいいが……男たちは一瞬エリノアに近づくのを躊躇った。
それでもクラウスに「何をやっている!」とわめかれると、どうやら王子への恐怖の方が上回ったらしい。慌ててエリノアたちに向かって行く侍従たちを見て、クラウスがいびつに笑う。
娘の登場には不可解なところが多かった。が、場に好機を見たクラウスはひとまずそれは忘れることにした。この状況であれば、クラウスには娘を捕らえる口実がある。
娘は王子たる自分の目の前で騎士たちに乱暴を働いた。理由がなんであれ、それだけでも罪に問うには十分だ。相手の騎士がブレアの配下だろうがなんだろうが知ったことではない。
もしくは逆に、ブレアの騎士たちに連れ去られようとしたところを助けたとでもうそぶけばいい。そうなれば、ブレアのもとへ返さない口実も出来るわけだ。嘘の目撃者や証言者など、彼には幾らでも用意することができるのだから。
本当は時期を見るつもりだった、が、兄の弱点ともいえる存在を支配下に置く絶好の機会だ。見過ごすことはない。
「あっ!」
「! 嬢ちゃん!」
駆け出そうとしたケルルの身が後ろに引かれる。ケルルがとっさに振り返ると、追って来た侍従たちが、彼の肩の上のエリノアの身体を両側から掴んでいた。腕と服を掴んで肩から引きずり下ろそうとする男たちにケルルが怒鳴る。
「ちょ、おい離せ! セ、セクハラだぞ!」
お前が言うな! とエリノアは思い切り思った。か、どうかは今は置いておくとして……
ケルルは必死でもぎ取られそうなエリノアの腰を掴んで抵抗。
しかしクラウスの侍従たちもエリノアの両腕をつかんで離さない。
「!? ぅ、い、ったたたた……!」
腰と腕を前後から引っ張られたエリノアはたまったものではない。
その顔が苦痛に歪み、苦悶の声が漏れ出ると、ケルルが焦る。騎士は離すべきか迷ったようだが──しかし離せばエリノアがクラウスに連れて行かれてしまう。それはものすごく嫌な予感がした。だが、仲間二人は他の侍従と衛兵を相手にしていて手が借りられそうにない。
「あわわ……こ、こういう時本当の親は手を離すのか!? 離すのが正解か!?」
「あ、あなた私の親じゃ……い、ぃたたたたっ! ちょっと! 腕、もげますったら!」
うろたえるケルルには突っこみ、侍従には威嚇を向けるエリノア。遠慮なしで腕を引いてくる侍従たちを睨む。ものすごく痛くて、腹が立って──
その時──
気合でなんとか握りしめていたホウキがうっすらと白みはじめた……
同時にエリノアの手の甲の女神の印も同種の光をにじませる。
光は次第に強くなって行くが──エリノア本人もケルルも、必死すぎてそれどころではない。娘を逃せばクラウスに罰を与えられる侍従たちも同様だ。
しかし──エリノアの手の中で、何物かがひっそりとホウキと入れ替わろうとしている。
──その様子を傍の木の上で眺めていたグレンが顔を歪めて後退る。
「ぅえ、聖剣のやつ……」
エリノアが放つ聖の気が次第に強くなり、グレンはそれ以上前へ出ることができなかった。黒猫は呻く。
「こんなところでお前が出しゃばったら姉上が勇者だってバレるだろうが……あのクソやろう……!」
──聖剣が、エリノアが持つホウキと己の身を入れ替えようとしている……
それをいち早く察知したグレンは視線を走らせて、己とは反対側の木の上から騒動を眺めている青年を睨んだ。
確かにエリノアはピンチだが、人間たちの目前である。今はまだホウキとエリノアの放つ光は明るい陽光に紛れる程度。だが……流石にホウキが聖剣へと変わればこの場は大変なことになるだろう。
グレンは激しく舌打ちし、枝を蹴って。今まさにエリノアの手元へ自らを転送しようとしている聖剣の元へ渾身の力で跳んだ。──聖の気配が身に痛かったが、それどころではない。
しかし、グレンが毛並みを燻らせながらも、木の上でエリノアを見つめているテオティルに飛びかかった、その瞬間──青年の姿は霞のようにかき消えた。
「!」
爪が空振りし、聖剣がいたはずの木の上に着地したグレンが息を呑んで慌てて振り返る。
その目が──苦痛に歪むエリノアの顔を見た、刹那──グレンは唖然と目を見開いていた。
「ちょっと離してくださ──……っ……ん? ぎゃ!」
腕ごと持って行かれそうな力に抵抗して。侍従たちの手から腕を引っ張り抜こうとしていたエリノアは、急に腕が楽になったことに瞳を瞬かせた。が、その瞬間、拮抗していた力がなくなったことで、エリノアは、彼女の腰を掴んでいたケルルごと後ろにひっくり返る。
「ひぃ!?」
「のわっ!? い、てて……だ、大丈夫か嬢ちゃん?」
「は、はい……」
どうやら唐突に、侍従らがエリノアの手を離したらしい……
ケルルの膝に頭を乗せる形で転倒の衝撃から守られたエリノアは、慌てて立ち上がりケルルを引っ張り上げた。
そして後ろを振り返る。と──……
白刃の輝きが目に入った。
「え……!?」
その冷たい色を見てエリノアが短い悲鳴を上げた。重なるように──静かで低い声が響く。
「……お前たち……何をしている……」
怒りのにじむ声に侍従たちが戦慄したのが分かった。
エリノアもケルルの隣で思わず固唾を吞む。
その声の主は……たった今、エリノアがケルルたちに奪い合われていた場所の傍に立っていた。
声の主と相対した侍従が小さく呻く。……男の喉元には、鋭い剣の切っ先が迫っていた。
よく磨かれた刃は陽の光を鈍く弾き、ひたりと侍従の首に狙いをつけている。侍従は、硬直したように動けない。
同じように、彼に命じたクラウスが窓辺で身をこわばらせている。が、そんな彼に一瞥をくれることもなく──
ひざまづいた侍従に冷徹な眼差しを向けているのは、鷹のような灰褐色の双眸。
剣を握るは、黒衣を纏った──……
ブレアであった。




