111 ホウキの制裁
「……騎士様ぁぁぁあああ!!」
怒号が黒煙を震わせた。ドスの効きまくった女の声に、窓の中で育ちのいいクラウスたちが衝撃を受けている。唖然とした瞬間──その彼らの傍で、明け放っていた目の前の窓ガラスが一枚弾けるように割れた。
「!」
その音にクラウスと取り巻きたちが身をすくめる。
それでもなぜか──彼らは窓の外の娘から目を離すことができない。
怒りに燃えた娘の瞳は彼らの方を見ていない。窓の外で衛兵と侍従に取り囲まれて、ぽかんとまぬけな顔で木箱にかじりついている騎士たちを睨んでいるだけだ。……が──雷光に照らされ爛々とした娘の双眸を見ていると、何か、己がもっと大きな何かを見ているような気がして──クラウスは困惑する。
身体は凍りついたように動かない。それなのに、喉だけがゴクリと生唾を呑みこんで。
「っ……」
そのことに気がついたクラウスは、唖然とした。
──バカな、この僕が女なんかに……
──しかも使用人風情に……
まわりで奇怪な現象が起きているとはいえ、立っているのはただの侍女。
普段、彼はその制服を着た者たちを見下し空気のように扱っている。
使用人は感情を殺し、ただひたすら従順に自分の命じたままに動く。そうでなかったことなどなく──もしそうでなければ、処罰という名の強制力で正される。王族である彼の思うままに。
それが彼の生来の常識であり、当然のことだった。
それだけに──クラウスが感じた娘の得体の知れなさは他の者たちよりも大きかった。クラウスは、額に汗をにじませて身をすくませる。
と、不意に──その鬼顔の娘が窓の中にクラウスを見つけた。娘と目が合った瞬間に、クラウスは己の中にはっきりとした恐れを感じた。思わず足が一歩後退しかけるが……彼がその場から逃げ出す前に──娘の表情が変わった。
「あ、クラウス様」と、言って、娘はペコリと頭を下げる。
「御前を騒がせて申し訳ありません」
「!」
唐突に声をかけられたクラウスは、その落差にうろたえた。
周囲の者たちも息を呑んで。緊張した視線が青年に集まった。
「え、あ……?」
顔を上げた娘は平然とした表情でクラウスを見つめている。それは、普段見る使用人たちの表情となんら変わりない。が……しかし、その足元からは未だトグロを巻くような黒い煙がもうもうと湧き、パチパチと何かがその中で光っている。
呆然とするクラウスに、エリノアは、殿下? と呼び掛ける。
「どうかなさいましたか?」
「ど、どうかなさいましたか、だと……?」
思わず声が上擦った。
「どうかなさいましたかではない! 貴様……なんだその……」
クラウスに怯えたように指差され、エリノアは不思議そうな顔をした。『なんだその』と、言われても、ホウキくらいしか持ってないんだけどなと思ったエリノアは、殿下はホウキもご存知ではないのかしらと思いながら答える。
「? これはホウキですが……あ、掃除道具です。でも今回は騎士様たちの根性を叩き直すべく用意いたしました」
「はあ!?」
「いえ、同じ国王陛下のもとで働く身としてもう少し他部門の仕事にも敬意を持っていただきたいと申しますか……あ、もしや殿下もこの騒々しい騎士様方に何か被害をお受けに? でしたらわたくしめが喜んで代わりに制裁をお引き受けしますが……」
と、娘は手持ちのホウキを強く握り、そのミシ……ッという軋むような音にクラウスが身を仰け反らした。娘の目は笑っていない。その顔からもらされる『制裁』という言葉は異様におどろおどろしく聞こえた……
クラウスはひどく狼狽した顔でついにエリノアを怒鳴る。
「……! お、お前はなんなんだ!」
「え? わたくしめですか? ……? ……わたくしめは王宮の侍女です」
「あの稲妻はお前か!?」
「え? なぜ……? お天気が悪いのは……わたくしめのせいなどであるはずがないと思うのですが……」
きょとんと返されて、クラウスが戸惑う。
「で、では、その煙と光は──」
なんだと、クラウスはエリノアの足元を指差したが──……途端、その顔が愕然とする。
「? 煙?」
エリノアが不思議そうに振り返った時──そこには何もありはしなかった。なんてことない建物の出入り口があるだけの背後を見てから、エリノアは困ったような顔でクラウスを見上げた。
「? わたくしめが走って来たせいで……ホコリでも舞っていましたでしょうか? 申し訳ありません、掃除不足ですね」
「………………そ、そんな馬鹿な……」
先ほどまで確かにそこにあったはずの黒煙が幻のように消えていて。エリノア以外の誰も彼もが声を失い辺りを見回している。絶句して、それきり無言のクラウスに、エリノアはひとまず話の続きとばかりに、指先を騎士たちに向けた。
「ええと、それでですね。わたくしめ、そこな騎士様方に仕事を台無しにされまして……こうして荷を取り返すべく追いかけて来た次第なんです。殿下、申し訳ありませんが、騎士様方をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「荷……荷だと……?」
「はい」
エリノアはこっくり素直に頷いて──それから再びグワッと表情を変えた。
「っ!」
クラウスに向けていたよそ行きの顔を綺麗に消し去って、エリノアは鬼顔を騎士たちに向けた。その激変に、クラウスがまた身をこわばらせている。
が、エリノアはそれには気がつかず。ぽかんとした顔のまま自分とクラウスのやり取りを見ていたケルルたちに向き直った。
「その箱! 私めがせっかくアイロンをかけたシーツ! どうして勝手に持っていくんですか!」
「あ……」
名指しされたケルルたちはやっと我に返って、ああ……と、戸惑った様子で木箱を振り返った。彼らを取り押さえていたクラウスの侍従や衛兵たちは、思わずといったふうに彼らから手を離す。
「──え? シーツか、あはは? でも……あれ?」
エリノアに恨みがましい目で睨まれたケルルたちは首を捻った。彼らはエリノアが王宮の建物から出て来たことが解せない。
俺達、確かにこいつを箱に入れたよな……? と、困惑した顔を見合わせて。
エリノアの言う“シーツ”を、この箱に大量投入した時だって、確かにそこに娘の姿を確認したはずなのに。
ケルルが何で…? という顔でエリノアに問う。
「嬢ちゃんいつの間に──」
「いつの間にじゃありません!」
ケルルの問いをピシャリと撥ね付けて。エリノアはホウキの穂先を騎士らに向けた。
「誤魔化そうったってそうは行きませんよ……私が丹精こめてアイロンかけたっていうのに……ほら、早く箱を開けてください!」
「お、おう……???」
ケルルたちはまったく意味が分からないという顔のまま箱に手をかける。
それを見た周囲の者たちが騒めいた。あれだけ箱を開けるのを渋り抵抗していた騎士たちが、やっとそのフタを開ける素振りを見せたことで、周囲の視線は一気に箱に注がれた。
ブレアの配下があんなに必死に守ろうとしたものとはいったいなんだったのかと、クラウスたちも一瞬エリノアに対する怯えを忘れて窓から身を乗り出し箱を覗きこんでいる。……が……
観衆たちに注目される中、騎士たちに持ち上げられたフタの下から現れたのは──
乱雑に折り重なり、シワだらけの──数多の白い布。──シーツ。
「「「…………」」」
──見物人たちの目が一瞬にして点になる。
──クラウスが、はっ!? と、ものすごい形相をした。
──ケルルたちは箱を開けても尚、そこにエリノアがいないことが納得いかなかったのか……あれ、なんで? という困惑の顔で箱の中のシーツを腕でかき回し、居るはずのない……というかもうすでにそこにいるエリノアを探している。
──そしてそれを見たエリノアは、シワだらけにされたシーツをさらにかき回しグチャグチャにしてくケルルに物凄くイラッとしている……
「…………? ……イリュージョン?」
ぽかんと言ったケルルの台詞にエリノアは憮然とした顔のままフイッと視線を逸らした。
そこへ……呻くような声が響く。
「……シーツ、だと……?」
眉間にシワを寄せたクラウスが彼らを睨んでいる。その気難しそうな顔に周囲の者たちが黙りこむ。
騎士たちの様子から、箱の中身が己が憎む兄にとってたいそう重要なものではないかと期待したのに……それが……なんてことないただの布切れだと分かったクラウスの苛立ちは強かった。
だが……青年が苛立ちのこもった金切り声を上げる前に、エリノアが恨みのこもった声で嘆く。
「ひ、ひどいぃぃ……っ!」
「……!」
その声に、エリノアの存在を思い出したクラウスたちが叱責の声を呑みこみ、うっと身を仰け反らせた。
エリノアは恨めしそうな顔で騎士たちを睨んでいる。半べそだ。ホウキを握りしめる手がプルプル震えている。
──シーツはとてもそのままでは使えそうになかった。洗濯からやり直しである。
尖った視線が騎士たちに突き刺さる。
「騎士様……? ちょっと洗濯仕事を軽んじすぎておいでではありませんか……? この大きさの布を洗濯して、綺麗にアイロンかけるのって大変なんですよ……!? アイロンって結構重いしすごくあっついんですからね! それに……これブレア様のシーツなんですよ!? 大事なブレア様の……ぁあああ! こんなに乱雑にして……破けでもしていたらどうしてくれるんですか!? 上等な布なのに!」
「いや、すまん、その……」
ヘラっと笑うケルルを下から睨み、エリノアはホウキを握りしめた。
「え? なんだ嬢ちゃん顔が怖……」
「怖くて当たり前です! ブレア様の安眠妨害行為ですよこれは! なんという仕打ち! わたくしめの午前の労働を返せ!」
「!?」
ホウキを手に騎士らににじり寄るエリノアを見て、周囲がギョッとする。怒れる娘の背後には、再び黒煙が揺れていた。
「ま、待った待った! 嬢ちゃん、ちょ、さっきからなんだそれ!? 何の煙……」
「はぁ!? 煙!? 知りませんよ! 適当なこと言って誤魔化そうたってそうは行きませんからね!」
「いや!? ちがっ──」
──と。ケルルが慌てて手を振った時。
エリノアは般若の形相でホウキを大きく振りかぶった。
「我が労働とブレア様のシーツの恨み……!!」
クラウスらは──
そのホウキが騎士の硬そうな尻に衝突する様を──呆然と、眺めているのだった……
お読みいただきありがとうございます。
エリノアの王族の前での誤魔化し行為は二度目ですねぇ。そしてまた聖剣ではなくホウキを装備している…(´∀`;)




