108 王子、仕事してください byトマス・ケルル
「これでよし……」
箱の中に布を投入したケルルたちは、エリノア入りの木箱を担ぎ直し再び歩きはじめた。
一番先頭でケルルが見張り役を務め、ザックともう一人の騎士が木箱を抱えて歩くという陣形。他の騎士たちは、あまり大勢で動いても目立つということで……状況を見に、王宮内に散って行った。
彼らは一旦王宮を出て、外から建物沿いにハリエットの待つ客間を目指している。
王宮外の綺麗に刈りこまれた低木に身を隠しながら……見張り役のケルルが心配そうにぼやいた。
「……王妃様の侍女たちは追ってきてねぇな?」
「おい急ごうぜ、下手したら王妃様の命令で衛兵たちも敵に回っちまう……」
敵……とは大袈裟な言い方だが、王妃の命令一つで衛兵たちが動くのは事実だった。……たとえその目的が、息子の婚約者でもないエリノアにウェディングドレスを仕立てたいという無茶な願望でも。
「……王妃様は時々アレだな? すごいな?」
「やめとけトマス。下手なこと言うな。本気でやばいから」
それより大事になる前に先を急ごうとザック。
とにかく要は無事ハリエットの元にエリノアを届け、ブレアが王妃をなだめるまでその手の者たちから守っていれば良いわけだ。
と、もう一人、木箱の片側を支えていた騎士が苦笑する。
「だけどよ、ブレア様の侍女たちがエントランスで騒いでるせいか、王妃様の侍女連中もすっかり嬢ちゃんがブレア様のお住まいにいると思いこんでるみたいだな」
おかげで追っ手が減って助かると彼は言う。
確かにその通りだった。廊下や回廊でちらほらと見かけた王妃の侍女たちは、彼らに見向きもせずにブレアの住まいのほうへ急いで行った。この調子なら案外楽に客間まで辿り着けそうだと言う仲間に、しかしケルルは辺りを警戒しながら真面目くさった顔で言う。
「だがそれも時間の問題だぞ……気がつかれたら一気にこっちがやばくなる。面倒なことにならないうちにさっさとハリエット様のところに行こうぜ。ブレア様のためなら王妃様でも敵に回して悔いはないが……やっぱり怖いしな……」
「確かに。了解」
「それになぁ……嬢も窮屈だろうしな……」
「……だな」
騎士たち三人はチラリ……と、自分たちが抱えた木箱を見る。
……一応、箱の中のエリノアに窮屈な思いをさせているという意識はちゃんとあったらしい……
さて、そうして建物沿いに進んだケルルたちは、うまく死角を縫うように進み、中庭を突っ切った。
中庭では庭師が数人作業をしているが、建物と生垣の間は死角になっていて彼らに気がついた様子はない。
「……よし、もう少しだ。もうこれだけ離れれば王妃様の侍女たちもいねえだろ」
ホッと胸を撫で下ろすケルルに、ザックが言う。
「お、じゃあそろそろ嬢ちゃんを外に出すか?」
しかしケルルが渋る。
「いや待て。お前王妃様を侮るなよ。王妃様がここ一番でお力を発揮するのが、ブレア様の婚姻関係なんだ。万が一ってこともあるだろ、入れといた方が安全だ」
「……だけどよ……」
ケルルの反対に、ザックがやや神妙な顔つきで木箱を見る。
「どうした?」
「いや……なんか……さっきから嬢ちゃんが妙に静かじゃねぇか……?」
「え……?」
「そういえばそうだな……おーい嬢ちゃん? 大丈夫か?」
騎士が木箱をコンコンと軽く打つ。……が、返事はない。もしかして……と騎士。
「……乗り物……酔い、とか?」
「「……」」
三人は顔を見合わせた。彼らには……自分たちがかなりアグレッシブに走り回ってきた自覚があった。箱の中はたいそう揺れたに違いない。
やばいとケルル。
「すまん!」
「大丈夫か!?」
「吐きそうなのか!?」
ザックともう一人は慌てて木箱を地面に置いた。ケルルもうろたえた様子で手伝って、三人は大急ぎでフタを持ち上げようと──……
した、のだが……
「──……おい」
「「「!」」」
不審げな声に騎士たちの動きが、ハタっと止まる。
彼らが持った木のフタが、少しだけ持ち上がったか否か……という瞬間のことだった。
──途端、驚いた彼らの重そうな身体がガバッと跳んで──
騎士たちは、とっさに庇うように木箱に飛びつき。ケルルは何故か木箱の上で寝そべり、誤魔化すようにピロピロ陽気に口笛を吹いている。……のはともかくとして。
他の二人が慌てて声がしたほうを振り仰ぐ。と──唖然とした彼らの視界に、少しくすみがかった金色の頭髪が飛びこんできた。
「っう……」
その顔を見て騎士たちが、げっという顔をする。
「何をしている」
「──ク、クラウス様……」
彼らのいる場所の上。見上げる場所にある王宮の窓に、金の髪の──第三王子クラウスの姿があった。クラウスは窓を開き、冷たい視線を騎士たちに落としている。
「先ほどからコソコソと……答えろ、貴様らそこで何をやっている」
クラウスの疑り深そうな目に、騎士たちは、うっと息を吞む。とても口笛などでは誤魔化せないと悟った(※そもそも無理)か。ケルルも大人しく箱から降りて、仲間と共に箱の前に立つ。
よりによって──何故今ここに──と、心の中で呻きながら──しかし、それでも騎士たちは、表面上で平静を装い王子に向かってに敬礼する。
「殿下」
「ご機嫌麗しゅう殿下! はて──? コソコソ?」
「いったいなんのことですかな? ハハハハハ!」
笑ってごまかそうとする三人に、クラウスは気難しそうに顔を歪めた。
「チッ……ブレアの配下か目障りな……おい、羽虫ども、それはなんだ?」
「え? それ? それとは……?」
ケルルがキョトキョト瞳を瞬いて。精一杯誤魔化しを試みている。が──それが通じる相手でもない。
クラウスは目を合わせようとしない騎士たちを冷酷な目で睨みつけると、箱を指差した。威圧するような声が三人に降り注ぐ。
「開けろ」
「え……? えー……と……」
「さっさと開けて中を見せろ。まさか何か盗みでも働いているのか?」
「ま──さか、そんな、うふ」
疑いの眼差しを向けるクラウスから、騎士たちは、すすっ……と、不自然に目を逸らす。
「その、これは──ただの騎士団の備品ですよ? 殿下のお目にかけるようなものでは──ははは」
「だったら開けろ」
「「「…………」」」
眉を釣り上げたクラウスの顔にはさらさら引く気がなさそうで。騎士たちは黙りこんで顔を見合わせた。視線だけで、「どうする?」と、トマスが言う。
(よりによってクラウス様か……)
(まずいな……)
(嬢ちゃんが吐きそうな時に……)
勝手に乗り物(騎士)酔いで吐きそうだということにされるエリノア。
しかしそう言えばと、ケルル。そういえば……この辺りはクラウスの住まいに近かったなぁ……と……
……いや、そんな場所で油断するなよと言いたくもなるのだが──しかし。
勤勉なる主人を持つ彼らは、主人と同じ王子たる立場の人間が、国が慌ただしいこの渦中に、こんな昼間に王宮にいるなどとは思ってもみなかったのだ。
早朝から宮廷で働き詰めのブレア同様、クラウスも当然執務室のある宮廷側にいるものだと──思いこんでいたケルルらは思った。
(クラウス様……仕事しろ……)
(本当だよまったく……!)
(ブレア様はあんなに頑張っておられるのに……)
騎士たちは猛烈にイラッとした。
クラウスの背後には、侍従と共にいつも通り取り巻きたちの姿も見える。開いた窓からそこはかとなく香ってくるワインやらの香りが腹立たしい……なんでこんな奴の命令聞かなきゃなんねーんだよ……! と、思った彼らの心情は、まあ……今は置いておくとして。
クラウスに開けろと命じられた箱の中には、エリノアがいる。
彼らは王妃の侍女たち、ウェディングドレス採寸隊から逃れようとしているだけで、別にクラウスにそれが見つかったとてなんら後ろ暗いところはない。が……そこにうまく因縁をつけるのがこの第三王子クラウスという王子である。
騎士による侍女拐かし──誘拐──まあ、それくらいならば事実無根と言い張って貫くが、そこにブレアを巻きこまれるとことである。それだけは避けたいというのが騎士たちの共通する思いだった。
それに……と、見交わした騎士たちの視線は言っている。
単純に、この高慢な王子にエリノアを出くわさせるのは気が引けた。箱の中身が仲のよくない兄の想い人だと知れば……彼は必ず食らいついてくるだろう。
(クラウス様はしつけーし……嫌な思い──絶対させちまうよな?)
(……だなぁ)
(クラウス様は──まあ吐きそうな時に見たいお顔じゃねぇよなぁ……)
勝手にエリノアが吐く間際と決めつけているとケルルたちは、必死でこの場を、箱を開けずにどう切り抜けるかを考えた。
もちろん彼らにはクラウスの命令を拒む権利はない。拒めば処罰の対象となるだろう。
しかしそれでも何か方法がないかとケルルたちが思考を巡らせていると──
そんな彼らの様子を見たクラウスは、騎士たちが開きたがらない箱の中身が、余程自分には見せたくないもののようだと察したらしかった。それはつまり、兄ブレアに関する何かではないのか。
「おもしろい……おい」
彼が顎をしゃくると、それに応じ、廊下の隅で控えていた侍従たちがぞろぞろと外に出て行った。その者たちは、ケルルたちを囲んで円になる。
「お……な、なんだよお前ら」
「殿下の御命令です。箱を開けてください。中をあらためます」
「おい! 勝手なことすんな! これは俺らんとこの──クラウス様!」
ケルルが抗議するような声を上げたが、彼らを上から見下ろしているクラウスは、薄く口の端を持ち上げて嘲笑うような顔でケルルを見ている。
侍従たちが箱を奪おうと乱暴に箱のフタに手を掛けたのを見て──ケルルが──吼える。
「く……野郎ども! こうなったらしょうがねぇ──逃げるぞ!」
その号令に──騎士たちの目の色が変わった。次の一瞬ケルルの身体が下に沈みこんだかと思うと、彼の一番傍にいた侍従が足払いを掛けられて転倒する。ケルルはそのままもう一人侍従に素早く当て身を喰らわせた。
「!」
まさか命令に逆らわれるとは思っていなかったのだろう。侍従たちはあっけなく転び、それを見たクラウスが怒鳴る。
「おい! 逆らうのか!?」
「申し訳ありませんー!」
と、口ではのんきに謝りつつ、ケルルは三人目の侍従に体当たり。彼が道を開くと、ザックたちが間髪入れずに木箱を担ぎ上げ侍従の包囲を駆け抜けて行く。
「逃すな!」
厳しい叱咤にクラウスの侍従たちが慌てて騎士たちに食らいつく。──侍従たちも必死だ。ここでケルルたちを逃せば、のちにどんな叱責を受けるかわからない。
「ぅ、お!?」
腰にまとわりつかれた騎士がバランスを崩すと、大きく木箱が揺れて。
「!」
落下しそうになった箱を、仲間に代わりケルルが落下寸前で受け止める。侍従に足止めされた騎士はそのまま逆に侍従の後ろ襟首を掴んで地面に押しつけた。その目がケルルらに先に行けと訴える。言外に、それを理解したケルルたちは、木箱を担いで地を蹴った。
「お許しくださいクラウス様! 俺たちこれから厠に行かねば!(※エリノアを吐かせに)」
「貴様ら! 衛兵!」
逃げていきそうなケルルを見て、クラウスが歪んだ顔で怒鳴り衛兵を呼びよせる。
すると侍従を振り切ろうとしていたケルルたちの前方から、騒ぎを聞きつけた衛兵たちが姿を現した。前方を衛兵に、後方をクラウスたちの侍従たちに阻まれたケルルたちは、行く手を失って急停止する。
「やべっ、ついに衛兵まで敵に回しちまったか……」
「あーあー……結局大事になっちまった……」
げっそりと衛兵たちを見るザック。流石にこうなってくると多勢に無勢である。彼らの慌てた様子を見て、クラウスは勝ち誇った顔で鼻を鳴らした。取り巻きたちはクラウスを称え、まるで何かの見せ物でも見物しているかのように囃し立てて騒いでいる。
「……無様だな。僕から逃げられるとでも?」
「……ク、クラウス様……勘弁してください! これ……本当にこんな大騒ぎするようなものではないんですよ……!」
衛兵と侍従たちににじりよられたケルルが困り果てた顔で言う。
だが、クラウスは獲物をいたぶるように笑いながら問答無用とそれを切り捨てた。
「さっさとしろ。荷を奪え」
「は!」
「おいやめろって! ゆらっすな!」
「クラウス様!」
数人がかりで羽交い締めにされたケルルはそれでも根性で木箱にしがみついていたが……そこに衛兵も加わるともう打つ手はなかった。仲間二人も同じように左右から腕をとられ、首を腕で押さえられている。抵抗すると、しまいには衛兵たちが腰の剣に手を掛けて。
数人の衛兵がスラリ──と、鞘から白刃を覗かせた。
「!」
その輝きに、ケルルたちの目が長閑さを失った。騎士たちは、普段ののんきさからは想像もつかないような剣呑な顔つきとなり、己らに剣を向けようとする衛兵たちを睨む。拳だけならまだしも、剣を向けるならそこには命がかかる。場はピンッと張り詰めて。衛兵たちがジリっと身構え、騎士たちに剣を突きつけようと動き──
……が──その時だった……
「──ちょっとっっ! 騎士様がた!!」
「!?」
衛兵の抜刀に騎士たちが殺気立った瞬間のこと。
場に──ビシャリと厳しい声が響く。
「!?」
鋭い声は、男たちの怒号と嘲笑を切り捨てるように強かった。名指しされた騎士たちも、衛兵も。そしてクラウスたちまでもが思わずギョッと動きを止めた。
外にいる者たちは呆然と振り返り、窓の中にいた者たちは恐る恐る頭を窓の外をうかがった。
すると、そこには──ホウキを逆さに持って、仁王立ちしている一人の侍女。
表情は怒りに満ちている。にじみ出る覇気はただの娘にしては異様。いや──その異様さは、彼女の背後からジワジワと湧く黒い煙のせいでもある。
それは地面沿いに這い伸びて。呆然と彼女を見ている男たちのほうへゆっくりと蛇のように忍びよってくる。煙に触れてしまった者たちは、その冷気に驚いて飛び退った。気のせいか──黒い煙の奥に、怪しく光る一対の獣の瞳のようなものが見える気がして……数人の男たちが慌てて目元を擦っている。
──そうして場に動揺が走る中……
揃ってポカンと口を開けている者たちがあった。──ケルルたちだ。
「ぁ……れぇ……?」
「……え? なんで?」
その姿を認識した騎士たちは、死守しようとしていた木箱を呆然と指差し──その指が、娘との間で疑問に彷徨った。衛兵たちに向けていた凄みはすっかり消えていた。
──確かにそこに詰めこんだ……ハズなのに。
そんな彼らの戸惑いをよそに。娘は悪鬼のような顔でゴンッとホウキの柄で床を打つ。その音は何故か異様に轟いた。
娘は、もう一度、きぃ……しぃさぁまぁぁぁっ!! と、呻くように言って。──その瞬間近くの空でバチバチッと激しく弾けるような稲妻が走った。
「私めがアイロンかけたシーツ! 返してください!!」
特大の落雷とともに上がった怒声に──ケルルたちだけでなく、クラウスも、侍従も衛兵も皆身を竦める。
その場にいた者たちには、まるで──稲妻が、娘の声そのものであるかのように感じられたのだった……
お読みいただきありがとうございます。
誤字報告、感謝。ブクマ、評価等も励みになります。




