106 王妃の魔?の手と、ケルルの妙案?
その時ブレアは執務に勤しんでいた。
執務机に向かう表情はいつも通りの真顔。昨夜も数時間しか寝ていないということをまったく感じさせないキビキビとした様子も普段と変わりがない、の……だが……
そんな王子の様子を見て大臣の一人が首を傾げる。
「……おかしい……何かが違う……」
「? どうなさいましたか大臣?」
難しい顔でブレアを見ていた高齢の大臣に気がついてソルが問いかけた。
「いや……ブレア様のご様子がどこか……ううむ……いつもと違う気がするのだが……」
そんな大臣の疑問に、ソルは表情も変えずに答えた。
「ああ……あれはゆうべ、例のタガート家のお嬢様とお過ごしになったせいかと……」
「ほう!? ブレア様がか!? それは……お珍しい……」
大臣の驚きにソルは指でメガネを押し上げながら満足げに口の端を持ち上げる。
「ふふふ……仮説通りです。やはりブレア様は、エリノア・トワイン嬢とお会いになった後のほうが職務の効率が上がります。二度の検証でそれが証明されましたね、ふ、ふ、ふ……」
二度の検証……とは、どうやら先日の茶会やゆうべの市場での出来事のことらしい……が、滅多に笑うことのない男の歪な笑顔に大臣がのけ反っている。
「う、やめろバークレム、その笑い方は不気味だ……! おい!」
「ふ……」
そうして部屋の端で、大臣とソルがああだこうだと顔を突き合わせていた時。執務室の扉が開き、そこにオリバーが現れた。
いつになくげっそりした様子で執務室にやってきた騎士は、すぐにその二人が面倒そうな話題で盛り上がっているのに気がついたが──それは、きれいに無視し、一番奥にいるブレアの傍へ急いだ。
「……殿下……」
ためらうような声に呼ばれたブレアが顔を上げる。
「? どうした?」
配下は嫌に虚無感に包まれた表情をしている。いつも飄々としているオリバーにしては珍しい顔だった。
ブレアは怪訝そうに眉をひそめて何かあったのかと説明を求める。と、オリバーは頭をやや緩慢に左右に振りながら、言った。
「やばいです。王妃様が──エリノア・トワインを狙っています」
途端、バサッと音がした。
──ブレアが真顔のまま、手にしていた書類の束を机の上に落とした音だった。
「…………な──何……? いや待て……」
己の顔面を片手でおさえ、もう片方の手はオリバーに制止を求めるように掲げて。……どこからともなく現れたソルが、ブレアが落とした書類をせっせと拾い集めている。
「そ、れは、以前から……しかし母上には余計なことはしないでほしいと再三……」
オリバーがげっそりと返す。
「いえ、そうなんですが……それがその──昨晩のお二人……つまりブレア様と新人娘の市場での様子を、ケルルたちが王妃様のところに報告に行きまして……それをお聞きになられた陛下が……喜びのあまり──です」
「…………」
ブレアが沈痛の面持ちで、両手で顔面を押さえて机に伏す。オリバーは続けた。
「えー……とにかくご興奮が物凄くてですね……一時興奮しすぎて卒倒なさって侍医が呼ばれたほどで──」
「そ、卒倒……!?」
「いえ、まあそれはすぐに回復されたんですが……お目覚めになられた途端、今すぐ嫁入りだ、新婚用の宮殿をもう一つ建てろとか、もう無くなった聖剣もタガート家の意向も議会も放っておけ、ブレアの婚礼の方が大事だとか無茶なことをおっしゃるもので……えー……」
オリバーは、説明していくにつれ、ブレアの頭が徐々に傾いていくのを見て最後は言葉を濁らせた。
「……大丈夫ですか……?」
「……大丈夫だ、すまん、それは……私のせいだな……」
母の暴走は、焦りゆえ。そしてその焦りは、自分が今まで散々心配をかけたためだと彼は分かっていた。
ブレアは反省した。ゆうべは流石に調子に乗りすぎた。ブレアはげっそりしつつ、顔を赤らめてため息をつく。
王子の行動が母に報告が行くのは当たり前。しかも、今は王妃が自分とエリノアの動向に目を光らせていると分かっていたのに。
自分が国に与える影響力はきちんと自覚していたはずだったのだが……
「分かっていたのに──制御できなかった……」
今も、あの瞬間を思い出すと心臓が締めつけられる。
「これが……恋で身を持ち崩すということか……」
胸を押さえてガックリうなだれる王子に、オリバーは心の中で、(もう結婚すればいいのに……)と、思いながら。うつろに笑う。
「ははは……別に悪いことじゃないですけどね……でも今回は色々実害が出そうなので……とりあえず、王太子殿下にご助力いただき、王妃様はなだめてもらっているんですが……本件に関しては王太子様もどちらかっていうと王妃様の味方ですからね……どこまで抑止力になるか……」
「…………」
王太子も王妃と同じく、エリノアをブレアの婚約者に据えたがっているとオリバーに言われ、ブレアが複雑そうに顔を歪める。
「それと……どうも王妃様付きの侍女たちが王妃様の命を受けて新人娘を連れ出しに行ったらしく……あ、ちなみにもちろん侍女らはブレア様の妨害を警戒しています……さっき見たら宮廷の出入り口すべてに王妃様の侍女らしき見張り手が立っていました。本気になったご婦人たちの達者さは本当に凄いですよ……ははは」
「……母上……」
「まあ、ある程度王妃様の反応は予想していたので、当の新人娘のほうには今朝一番で今日はブレア様の部屋から出ないほうがいいと言っておきました。あそこにいれば王妃様の侍女たちもおいそれとは手出しできないでしょう、一応仲間にも見張らせていますし」
「…………」
配下の言葉にブレアが、はー……と、長いため息をこぼす。
「……仕方ない……、ソル」
ブレアは、傍で書類を拾い終わり、それを正しく並べ直していたソルを呼んだ。
「はい」
「急ぎの仕事だけ出してくれ。後は午後に」
「かしこまりました。ただ──このあと会議が……別室ですでに大臣たちが待っておりますが……」
「分かっている。……すまんオリバー、合間を見つけて母上のところへ行く。それまでは──」
そう鎮痛な面持ちで言う主人を見てオリバーは、少しだけ苦笑した。
己の個人的な問題で職務に影響を出すのが心苦しいのだろう。だが、それでもすぐに王宮に戻りたいというブレアの気持ちはありありとそこににじみ出ていて。以前なら、「放っておけ」とだけ言って平然と職務を続けただろう王子の顔に、オリバーは──随分、お変りになられたなぁと思いつつ──しっかりと、頷いた。
「持ち堪えます。任せてください」
※ ※ ※
「ちょっと!」
不満そうな声がブレアの住まいのエントランスに響いた。
見れば侍女たちの集団が二つ。数人ずつが横並びに顔を並べ、互いに睨み合っている。
「そこをおどきなさいあんたたち! 私たちがどなたの命で動いているか分かっているの!?」
いきり立つ初老の侍女。しかしその前に立つ侍女も負けてはいなかった。
「お黙り、いくら王妃様の命でもブレア様の許可もなく、うちの侍女を勝手に連れて行こうなんて……駄目に決まっているでしょう!」
道を開けろと言う侍女に、ムッとした顔で立ち塞がっているのはエリノアの同僚侍女たちだ。
「だいたい一体なんなのよ、いきなり来てエリノアを連れてこいだなんて……」
一番先頭に立っていた侍女が不愉快そうに言うと、王妃の侍女は、今度は猫撫で声を出す。
「何もあの子に危害を加えようってことじゃないわよ。ただ、王妃様は、早め早めにウェディンドレスの採寸を……」
「ちょっと……それがもうおかしいと言っているでしょう!」
一気にエリノアの同僚たちは、気色ばむ。
「私たちのテリトリーで余計なことしないで頂戴! 今ここでは、ブレア様が尊くも焦ったい初恋を育てておいでなのよ! ウェデングドレスって……そんな強烈に先走ったものぶっこまれたら困るのよ!」
そうよそうよ、と、ブレアの侍女たちは同調して頷く。
「“母親”ってワードも今はまだ危険よ……繊細なのよ! 壊れやすいの! 分かってるの!?」
「そもそも許可取りが先なのよ! まずはブレア様と議会と、エリノアと、タガート将軍の許可をとってきなさい!」
「だから……エリノア・トワイン嬢に会わせろって言ってるじゃない!?」
「それはダメ」
「なんでよ!?」
「ブレア様が嫌がるもの」
「でも王妃様がお望みなのよ!」
「だから……! そういうのはブレア様が一番嫌がるって──」
──と、いう……互いの主人を想った侍女たちの言い争いを……
その背後、エントランス奥の廊下の角で……ブレア配下の騎士たちは怯えた顔で眺めていた。
「……女の戦いってどうしてこう怖いんだ?」
「ダメだ、ぜんぜん俺たちの出番がない……」
「……まじりたくねーから、いいんじゃないか……?」
まぁ、な……と、ケルルが諦観の笑みを口元にのせた時。──その背後から「あれ?」と声がする。
「? 騎士トマスに、騎士ザック? その他の皆さんも……そんなところで縮こまって何してるんですか?」
「ぅおう!」
騎士たちはその声に、野太い声を出して飛び上がる。──振り返ると……キョトンとしたエリノアが、立っていた。腕に抱えた大きなカゴには、アイロンをかけ終わったリネン類がいっぱいで。どうやらそれをどこかに運ぶ途中だったようだ。
エリノアは、声をかけた途端廊下の絨毯の上にコロコロ転がって行った騎士を不審そうな顔で見ている。
「……何を見ていたんです? エントランスがどうかしたんですか? ん? なんか騒がしいですね……?」
「わ!」
怪訝そうに角の先を覗こうとしたエリノアに、騎士たちが慌てて筋肉の分厚い壁を作った。
「なんでもない! 嬢は向こうで仕事しろ!」
「え……? いえ、もう一区切りついたので……これを運び終わったら、ハリエット様のところに行く予定で……」
「な、にぃ!? 駄目だ駄目だ! オリバーに今日はこっから出るなって言われてただろう?」
「え……でも……王女様とのお約束を破るわけにも……」
同盟国王女との約束と聞いて騎士たちが、うっと怯む。
どうやらエリノアは、昨日ソルから届けてもらった菓子の礼を言いに行くつもりらしかった。
男たちはエリノアに顔を向けたまま、サカサカと数歩後ろに下がり、顔を突き合わせてコソコソと言葉を交わす。
「ちょ、おい、どうするハリエット様だってよ……」
「王太子様の婚約者様か……で、でも、オリバーがブレア様のために今日は嬢ちゃんを外に出すなって……それに、あの集団に捕まったら厄介だぞ……」
今もエントランスの方では女たちが侃々諤々と言い争っている。
どうする? と急かしてくる仲間の言葉に、顎髭に手をやって何事かを考えこんでいたケルルは、言った。
「……仕方ねぇ……こうなったら……」
「………………は……?」
騎士たちの言葉にエリノアは、ぽかぁん……と目と口をまぁるく開けた。
彼女の視線の先では……不気味にニコニコしたケルルとザックが何やら大きな箱を持って近づいてくる。
それを見たエリノアは、思わず後退って背後の壁に張りついた。
「ちょ、ちょ……待ってください、え? 今……なんて……」
戸惑って問うと、ケルルが満面の笑みで答える。
「だからぁ、な? ここに入ってくれ嬢!」
「はぁ!?」
騎士たちは、ずいっと箱を突き出して懇願するように見つめてくる。
ケルルはウルウルした瞳でエリノアに言った。
「入ってくれよぉ、俺たちも侍女たちの争いが怖いんだよぉ、ブレア様のためなんだよぉ」
えっ? と、エリノア。
「ブレア様の……?」
が、いやいやと首を振る。ブレアのためと聞いてうっかり承服しかけたが。騎士たちのこの説明では、ちっとも何も分からない。
「意味……意味がわかりません! な、なんで私がそんな箱に詰められないといけないんですか!?」
「だってここを出てハリエット様に会いたいんだろ? 大丈夫、俺たち丁寧に運ぶから!」
「わ……わぁあああああああ!」
…………
…………
……そうして結局エリノアは……騎士たちに“丁寧に”箱詰めにされてしまったのだった……
お読みいただきありがとうございます。
ブレアの母の敬称については「陛下」とするか「殿下」とするかでご意見をいただき……考えたすえ「陛下」に改めたのですが、チェック不足で「殿下」のところがあるかもです(´∀`;)ぼちぼちでなおしていこうと思います。




