105 エリノアのお出かけ計画と、聖剣テオティルの敵認定 ②
端正な顔はどこか冷たくオリバーの頭を後ろから見下ろしていた。
陶器のような肌を持つ彼が身動きせずに佇むと、まるで彫像か何かのようだが……橙色の瞳からそそがれる視線には驚くほどの力強さがあった。それは斬るべきか斬らざるべきかじっくり考えているようでもあり、主人の号令を静かに待っているかのようでもあった。
そんな聖剣を目撃したエリノアは、口から心臓が飛び出そうなところをなんとかすんでのところで堪えた。
「ぅっ、ぐ……」
(テ……テオぉぉぉぉぉっ!!)
「……? どうした青い顔して……」
いきなりひどい形相で両手で口を覆ったエリノアに、オリバーが怪訝な顔をしている。
「後ろに何か……」
「ぅおおおぉええええ!!」
「!?」
オリバーが後ろを振り返りそうなそぶりを見せた瞬間、エリノアはアイロンを置き、オリバーに駆けよった。そしてテーブルの上に乗っていた彼の手を飛びつくように両手でガッシリと握りしめる。
「は……?」
「騎士オリバー! 私たち……とっっっても仲良しですよね⁉︎ ね!?」
「は、はぁ?」
必死なエリノアに、オリバーは眉間にシワをよせている。思い切り、お前何馬鹿なこと言ってんだと、怪訝そうに目を細めて睨まれて。しかし構っていられなかった。このままではオリバーが聖剣に勇者の敵認定されてしまう。
「仲良しですよね!? だって同じブレア様にお仕えする身ですし、私の裁縫能力は役に立つでしょう!?」
「…………まぁな……だがやめてくんねーかな……こういうことされるとまた俺がブレア様に睨まれるじゃ──」
「どうしてですか⁉︎ 仲良しなんだからいいでしょう!? だって私たち仲良しなんですから!」
「…………」
『仲良し仲良し』といやに強調するおかしな娘の奇行に迷惑そうなオリバー。娘は彼が腕を引こうとすると、必死にその手をつかんで離そうとしない。焦りすぎで目はグルグルしているし、おびただしい汗がテーブルに滴り落ちている。
「……お前……本当に意味の分かんねぇヤツだな……なんで俺が……」
「ひー!!」
余計なことを言いそうなオリバーにエリノアが怯える。男を見下ろすテオティルは、今も機械のような顔でチクタクと何かを静かに判定しているもよう……いや、別にこの騎士がここでテオティルと鉢合わせるだけならまだいい。だが本当にオリバーがテオティルから敵だと認定されてしまったら、このトンチンカンなテオなら言いそうではないか。
剣の姿に戻り、『さあ共に敵を倒しましょう、エリノア様!』──……などと。
想像したエリノアの顔が悲痛さを増す。
(ひ、ひぃいい!?)
そうなるともうなんか色々アウトである。
なんだか堂々と諸々をバラしてしまいそうなテオティルを想像したエリノアは、血の気の引く感覚を味わいながら、裏返った声で必死でオリバーの手を握った。なんとか彼が敵ではないと認識させるためにオリバーと仲良しアピールをして、聖剣を家に返さねばならない。
「あ! そ、そうだ! 騎士オリバー! 私たち仲良しだから! 相談とかにも乗ってくれますよね!? あの、あのですね! 私今弟のことで悩んでいまして……弟を今以上に可愛がるにはどうしたらいいかなって、えーとえーっと……」
「はぁ? ……分かった分かった、とりあえず話は聞いてやるからこの手を離せ。今、余計なことして王妃様に見つかったら大変なんだからな……」
オリバーは必死なエリノアに舌打ちしそうな顔でそう言った。
昨晩、町でブレアとエリノアが会った話はすでに王妃に伝わっている。(※通報者・ケルル)
案の定王妃はものすごい喜びようで。そんな時に水をさしたらどんなことになるのかは想像だに難くない。エリノアと必要以上に親しげにしているのを王妃に知られれば、また面倒なことになるに違いなかった。微笑みながら強烈な圧をかけてくる王妃の顔が見えるような気がしてオリバーは身震いをした。
騎士はやれやれと思いながらエリノアの手から己の手を引き抜き、挙動の不審な娘をなだめにかかる。
「落ち着け、なんなんだよお前……相談? ……ああ、聞いたところによるとお前重度のブラコンなんだって? その様子じゃ話は本当だったのか」
呆れ顔のオリバーは懐を探り、例の飴の袋を取り出してエリノアに差し出す。
ひとまずこれでも食って落ち着けということらしい。──そう言う男の背後にはいまだテオティルが立っている。気配のない聖剣に騎士はまだ気がついていない。まるで幽霊のようだわ……とげっそりしながらエリノアは頑張った。
「わ、わぁ! いっつもありがとうございます騎士オリバー! 本当に私たちとっても仲良しですよね! 騎士オリバーは、し、親切……じゃないけど気さくだし、だ、大好きですよ!」
「…………」(※オリバー、気味が悪そう)
引きつった顔で上擦ったセリフを吐かれたオリバーは、途端に、こいついったいどういう魂胆なんだという顔をした。もちろんエリノアが自分を好きだなんて口先だけだと分かっているという表情だった。
騎士にはエリノアの彼を守ろうとする気持ちが微塵も伝わりはしなかったようだ。……が、幸いなことに。それは無事、テオティルには伝わったらしい。
テオティルは、エリノアが恐る恐ると視線を上げてうかがうと……エリノアに向かって無邪気にニコッと微笑んで──……
そのまま静かに消えて行った。
「は……っ……、……はあぁぁぁぁぁ……」
瞬間、エリノアの口から盛大な安堵の息が吐き出される。
どっと疲れた娘は、崩れ落ちるようにげっそりと作業台に突っ伏した。気分はすっかり除霊師である……
そんな娘の前では、ガコッといきなり卓上に頭を落とした娘に、オリバーが眉をひそめていた。
「……どうした、なんなんだよお前本当に……挙動が不審すぎて突っこむのも疲れんだけど……」
「…………もう! いいでしょう!」
まさか己が聖剣の脅威から守られたとは……まあ、思うわけもないオリバーの呑気なセリフに、エリノアが作業台を拳でドンッと打つ。
「人の気も知らないで!」
「なんなんだこいつ……急に手の平返しやがった……意味わかんねぇ……」
「どうせ……どうせ私は挙動不審者ですよ!」
そりゃあどう見ても、誰もこれが勇者だとは思いっこないだろう。だが一応これでも必死なんだよと報われないエリノアが悔しがっている。なんなんだ。伝承では勇者は魔王から人々を守るはずが……なぜだか聖剣から人を守る羽目になっている。エリノアだって意味が分からなかった。
と……オリバーが「で?」と、エリノアに問う。
「相談ってなんだ?」
「はぁ!?」
一気に疲労感に襲われたエリノアが半泣きで作業台から顔を上げると、オリバーが呆れたような顔をする。
「キレんなよ……だから、お前は大好きな俺に何か相談したいんだろ?」
「だっ!?」
「大好きなんだろう? お前が言ったんだろうが、俺と仲良しだって」
「う……」
そうだったと赤くなるエリノア。慌てていたとはいえ、なんであんなことを言ってしまったんだと頭を抱えている娘──を、放っておいて。オリバーは「弟ねぇ……」と、作業台の上に肘をついた。
「お前の弟は確か……十六くらいだったか?」
「え、なんで知って……」
平然と言うオリバーにエリノアはギョッと顔を上げる。が、騎士は「ブレア様の周りの人間の情報くらい頭に入れてる」と、こともなげに言う。
「は、はぁ……そうなんですか、すごいですね……」
「俺にも弟がいるが、それくらいの男兄弟なんだったらあまりベタベタしないほうがよくないか? “可愛がりたい”って……もうそう子供でもねえんだから……お前、どっちかっていうと、弟を猫っ可愛がりするほうだろう?」
指摘されて。エリノアが、うっと口をつぐむ。
「な、なんで分かるんですか……?」
「見るからにそんな感じだ。だが俺には姉もいるけどな、いつまでも子供扱いされると正直いい加減にしてくれって感じだぞ、ガキじゃねぇんだから大量の菓子を押し付けられても困るしよ、この服買ってきたから着ろとか言われても、あっちはいつまでも子供のイメージでそういうもん買ってきやがるからイマイチ好みに合わないっていうか……喜ばせようとしてくれてるんだろうけどよ……」
「う……そ、そうか……そうですよね……」
自分も街でブラッドリーにお菓子や服を買ってやりたいと思っていたが、それは押し付けだったかもしれないとエリノア。じゃあ、と娘は恐る恐るオリバーに問う。
「あの……二人でお出かけなんて……もっとダメなんでしょうか……?」
「お出かけぇ……? ……さぁねぇ、俺ならあれこれ口うるさい姉と外出なんて、鬱陶しくて絶対勘弁してほしいが……」
オリバーが言った途端、エリノアはガーンと口を開けてショックを受ける。
「か、勘弁してほしい……そ、そうですか……」
「! お、おいなんで泣くんだ!?」
「……ないて……ません……」
と、言いながらグスッと鼻をすするエリノア。
「いや泣いてんじゃねえか! どんだけ弟好きなんだ! いやな? そりゃあ俺の場合だ。こっちはもういい歳なんだ。お前んとこのガキとは違うしだな……」
……そのガキは魔王だ。……と、いうことはまあ置いておくとして……
しょんぼり肩を落としたエリノアに、オリバーが慌てている。
オリバーは思った。
……やばい……
これがブレア様に知られたら……殺される……!
「!」(※ゾッとした)
「う、うぅ……私のブラッド……」
「な、泣くなって! お前は……! 意味不明に騒いだり泣いたり忙しいヤツだな!」
「うう……弟の姉離れが悲しい……どうしたらいいんですか……どうしたらこの鬱陶しい姉はブラッドを煩わせずに労ってあげられるんですか!?」
「…………はぁ……もうお前……」
オリバーがげっそり青い顔で疲れている。
「とにかく……弟に希望を聞いてみたらどうだ? 俺とは違ってお前の弟は姉ちゃん大好きかもしれねぇじゃねえか!」※まさにそう。
オリバーの必死のフォローにエリノアが涙ながらにうなずいている。
「は、はいぃぃ……そうします……!」
グスグス鼻をすするエリノアは──テオティルに対する誤魔化しのはずが……
本気でオリバーに相談してしまい、他家の姉弟関係を垣間見た結果……弟の姉離れについて深く心を痛める羽目となった。
のちにテオティルが……
「やはりあの男はエリノア様の敵です」──と、
言ったとか言わなかったとか。
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