104 エリノアのお出かけ計画と、聖剣テオティルの敵認定 ①
「…………」
王宮のブレアの住まいの作業室。
無事出勤したエリノアは、与えられた仕事をこなしながら──今朝コーネリアグレースに言われた言葉を思い出していた。
……ちなみに本日も主人であるブレアは不在。
エリノアはガッカリしたような……しかし昨日の今日で顔を合わせるのは恥ずかしいような……そんな複雑な心持ちであった。
そうして一瞬脳裏にブレアの顔が浮かび、寂しさにとらわれそうになって──ハッとしたエリノアが、頭を左右に振る。
ともかくだ、今は先にコーネリアグレースの忠告のことを考えておかなければならない。
作業場に運びこんだ大量のリネン類に、重い炭入りのアイロンをかけながら。エリノアはどうしたものかと頭を悩ませた。
「うーん……どうしようかな……」
今朝、コーネリアグレースにエリノアは、大きなストレスを抱えている弟と水入らずで過ごすようにと勧められた。
まあエリノアは、ブラッドリーとともに過ごすこと自体は大歓迎だ。せっかく健康体を手に入れた可愛い弟と一緒にやりたいことは山ほどある。
ただ……ここ最近は、自分が聖剣抜くやら、自宅に普通でない住人が続々と増えるやら色々ありすぎて。自分自身も精神的にはギリギリだった。聖剣を国に無断で持ち出し状態なのも後ろめたくて、のんびり楽しんでいるような心の余裕がなかったこともある。
しかしだ……可愛くて仕方がない弟が、よりによって自分のことを想ってストレスを溜めていると聞いてしまっては、放っておくことなど到底無理な話なのであった。
(でも要するに……ブラッドを気晴らしに誘えばいいのよね……? うーん、私自身はブラッドとやりたいことはいっぱいあるんだけれど……一緒に買い物に行きたいし……新しい服も仕立ててあげたい……あの子病気でずっと食事制限があったから、美味しいものも食べに連れて行ってあげたいし……気候がいいうちにピクニックなんていうのも……)
そういえば、昔没収されたトワイン家の領地へ向かう旅道の途中には、きれいな花の咲く野原や景色のいい川なんかがあったなぁとエリノアは思い出す。
幼心にも、屋敷を飾る品よく花瓶におさまった貴婦人のような切り花よりも、そんな野に広がり風に揺れる花たちの伸び伸びとした様子がとても好きだった。
(きれいだったな……)
ふと懐かしい気持ちになって、エリノアは、ほうっと息をもらす。
ただエリノアが残念に思うのは……そんな彼女が懐かしむ光景を、弟が見たことがないことだった。
魔王になる以前のブラッドリーは、身体が弱かったこともあって、物心ついた頃には名医の多い王都の町屋敷に移されていた。エリノアは何度も領地の屋敷と町屋敷を行き来したことがあるが、病弱な彼にはそれが許されなかった。彼が旅道を通ったのは、小さな赤子の頃に一度きり。だから正確なことを言えば、ブラッドリーもあの光景を見たことはある。だが、幼すぎて。きっとブラッドリーには旅道の記憶どころか、領地の記憶すらもないに違いなかった。
「…………」
なんとなく寂しい気持ちになって、エリノアはポツリとつぶやいた。
「……見せてあげたいな……」
領地はすでに他家に渡ってしまっているから訪問するのは流石に無理だろう。だが、旅道くらいなら。のどかな景色の中を一緒に歩いてみたりすれば、ブラッドリーの気晴らしになるのではないだろうか。
(でも……遠出するとなるとなぁ……)
きっと護衛だなんだとうるさい連中がいるだろう。
(ヴォルフガングとか……テオティルはついてくるって言いそうよね……)
ヴォルフガングやコーネリアグレースが命じれば大人しくなりそうな黒猫軍団はまだしも……この計画において言えば、何気にテオティルが一番厄介そうだなとエリノアは思った。
無邪気な聖剣の化身は、行動が予測できなくて、そこが一番怖い。
突然現れたり消えたり……それはまだいいが、いきなり剣の姿に戻るのは本当にやめてほしい。
そもそも聖剣連れだとブラッドリーの機嫌があまりよろしくない。
やはりテオティルは同行させないほうがいいなとエリノアは思った。
「テオにはなんとかお留守番を頼んで……王都の外だと人目も少なくて万が一テオが急に出てきても安心だし……」
なんとかブラッドリーが喜んでくれるようにと、ささやかなピクニックの計画を組み立てるエリノア。だが、それにしても、とため息をつく。
「女神様はどうしてもうちょっとこう……テオに見た目どおりの精神とか知識とかを搭載してくれなかったんだろう……見た目は大人なのに中身は幼児……まあ、聖剣に知識は……不要だろうけど……本来は武器なんだし……」
しかしおかげでこっちは“聖剣の勇者”というよりは、“聖剣の保護者”じゃないかとエリノア。
もちろんこのお人好しの娘は聖剣に対してとっくに情が湧いてしまって、面倒だから追い出そうなんてことはカケラも思いはしない。
なんとか私が教育していくしかないのかしらね、などと呟きながら……エリノアが思わずもう一度ため息をついた──その時……彼女の頭にフッと影が落ちる。
「はぁ、まあそのおかげでブラッドリーが辛うじて敵認定されてないのが幸いだけど……」
カックリ疲れたようにエリノアがそう言った時。
「? 敵認定? 聖剣に知識がなんだって?」
「っっ!? ギャっ!」
突然背後から男の声。アイロン台の前に立っていたエリノアは、驚いた拍子に跳び上がる。
そのまま持っていた高温の炭入れアイロンを取り落としそうになって。しかしなんとかそれを耐えたエリノアは、青い顔で後ろを振り返った。
「騎士オリバー!」
急に驚かせるのはやめてください、危ないでしょう! と怒って威嚇する娘に、オリバーは、ケラケラと笑う。今日も過剰に元気そうだなぁと。
「よ、胃の調子はどうだ新人」
「ぐ……」
胃の調子……と、言われて昨晩のブレアとの食事を思い出したエリノアが赤くなる。その分かりやすい顔色を見て笑うオリバー。が、彼はひとしきり笑った後、で? とエリノアに問いかける。
「え?」
エリノアの前にある作業台のイスに腰掛けながら何気ない調子で言われたエリノアが不思議そうな顔をする。
「いや今何をぶつぶつ言ってたんだ? ……聖剣がなんだって?」
「っ!?」
途端エリノアが、うっと、息を吞み──次いでその緑色の瞳が、すよっと横に泳いだ。
「え……えーと……なんのことでしょう……?」
「今お前が言っていただろうが。聖剣の知識がどうこうと」
「へ!? へ、ぁあ!? そ、そぅんなこと私……言いました⁉︎」
「…………お前……誤魔化すのものすごい下手だな……」
「……!? !?」
見るからに嘘が上手そうな騎士が、若干気の毒そうな顔でエリノアを眺めている。騎士は呆れたように半笑いで眉をひそめ、己が持っていた荷物を作業台の上に置きながら冗談めかして言う。
「なんだ? お前聖剣の行方でも知ってるのか? ん?」
「は、はぁ⁉︎」
笑いながら核心を突かれたエリノアが見るからに挙動不審。
「そ、そ、そんなわけ……っ」
エリノアはまずいと思った。
彼女自身、自分に嘘をつくという能力があまり備わっていないことは分かっている。
加えてオリバーという男はいかにも誘導尋問や他人の嘘を見抜くのにも長けていそうで怖い。
そういう点を踏まえても、普段のオリバーのエリノアの態度を踏まえても、この男はエリノアの天敵と言って過言ではない。
(さっきのアイロンの件といい、ほ、本当にこのお方は厄介な……)
見ればオリバーが持ってきた荷物は、袋いっぱいに詰めこまれた──騎士団の制服。要するに……またエリノアに繕わせるつもりで持ってきたのだろう。それを理解したエリノアの顔がイラッとして引きつる。
またなの!? と、一瞬地団駄を踏みそうになって──しかしエリノアは、そこでハッと打ち消すように首を左右に振った。
(だ、ダメだ! 迂闊な敵認定は危険なんだった……!)
これは魔物たちに忠告されたことなのだが……どうやら聖剣は、遠く離れていてもエリノアの精神状態を読むらしく……エリノアが下手に心に怒りや不安を抱えると、それに反応したテオティルを呼びよせてしまうらしい。
──特に、誰かにムカついた時ほどお気おつけなさいまし──……とはコーネリアグレースの生暖かい助言。
エリノアの脳裏で、ふっさりした婦人の幻影が踊る。
──あなた様の僕は、トンチンカンな武器気質ですから……人間の常識が面白いくらいに通用しません……
──下手に『あ、こいつムカつく、しばいたろか……』なぁんて職場で考えようものなら大変ですよ……
──お気をつけ遊ばせ…………
と、いうエコーがかった婦人の忠言を思い出したエリノアは、まずい──今の大丈夫だったかな──と、不安そうにオリバーに目をやって──
が──……
「!」
その瞬間、エリノアの口が、ゲェッホッと盛大に噴く。その音にはオリバーがキョトンと目をまるくした。
「……おい、なんだいきなり……」
「え……あ……あの……な、なんでも……」
エリノアの目が再び思い切り泳ぐ。
「? なんだ?」
ぽかんとした男、騎士オリバー。
その背後には──……
いつの間にか、冷酷な顔をしたテオティルが立っていた……
…神出鬼没なテオにエリノアが苦労してます。
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