102 夜明けの魔物たち
──早朝。
寝台のうえに横たわって、天井をまんじりともせず見上げていたエリノアが──ふと……呻く。
「…………どうしよう……ぜんっぜん眠れなかった……」
充血した緑色の瞳は爛々としている。声は呆然と後悔をにじませている。と、娘はがばりと寝台のうえに半身を起こして、身体にかけていた布団を固く握りしめた。
「ぁあああ……今日は仕事だっていうのに……身体も疲れてるのにどうして眠れなかったの……⁉︎」
身を起こしてみると、やはり寝不足がきいているのか全身がズッシリと重い。それを感じた娘は、なぜと唸っているが……原因はもちろん分かっていた。寝不足は、ずっと頭の中にちらつく金の髪の青年のせいだった。
昨夕味わったときめき……というより恥ずかしさ由来の緊張が、夜になっても、今に至ってもずっと抜けなかったエリノアは、目が冴えすぎて眠れなかったのだ。
エリノアは真っ赤な顔で握りしめた布団で顔をおおう。
「殿下に向かって大口開けて、あまつさえ物を食べさせてもらうなんて……ぅああっ!」
エリノアが呻くと、うふーと、意味深に笑う声がする。
「姉上ったら、可愛い雛鳥のようでしたねぇ。必死な咀嚼顔が大そう愉快でした」
「ぐ、ぐ……ぅ、ぐぅ……」
からかう声にエリノアは寝台のうえにうずくまる。その布団の上をトコトコと歩いて来た黒猫は、目を細め、ケラケラと笑って寝台のうえで団子のようにまるまったエリノアの背中にピョンッと跳び乗った。
普段、このグレンは、エリノアの寝室への侵入を許可されていない。が、昨晩はあまりにも眠れなかったもので、それに耐え兼ねたエリノアがブラッドリーに内緒で招き入れていた。
エリノアいわく……『だって……猫が眠っているところを見たらものすごく眠気を誘うよなー……て、前リードが言ってて……』
と、理由はいまいち真偽の不確かなものだった。が、とりあえず藁にもすがる気持ちだったエリノア。しかしやっぱりコーネリアグレースに頼んでマリーたちにしておけばよかったかなとも思っている。
「でもチビちゃんたちを夜更かしさせる訳にもいかなかったしな……」
「…………」
しょぼくれた顔で指をいじくっているエリノアに、グレンは内心で僕ら本当は夜行性なんだけどなー……と、思ったが。
せっかくエリノアに呼ばれたのに、その役目をマリーたちに取られるのもしゃくなので黙っておいた。
「はーやれやれ、姉上ったらぁ、本当に手がかかるんだからぁ♡ そんなだからブレアにも面白がって給餌されちゃうんですよぉ、うふふ」
「う、ぁあああああっ」
なぜか嬉しそうな黒猫の言葉に、昨晩のことを思い出したエリノアはまた頭を抱えた。──と、厳しい声が飛んでくる。
「……おい、それくらいにしておけよグレン」
声のしたほう──扉の前には、ちょこんとまぁるい小鳥。
ブスッと渋い顔の小鳥──ことヴォルフガングは、グレンを睨む。
「お前がそう余計なちゃちゃばかり入れるから、その阿呆がいつまでも眠れぬのだ! 馬鹿者め、朝になってしまったではないか!」
イライラした小鳥ガングは、しかし扉の前から動こうとしない。
どうやら──以前この部屋でエリノアと眠りこけて、エリノアの腹を触ってしまった件を気にしているらしい。
グレンのことは見張るつもりで来たようだが、彼はせめて布団の端においでよ……というエリノアの提案にも頑としてそこから動くことはなかった。小鳥姿なのは、『手がなくば腹にも触る心配がないだろう、あっはっは!』 ……と、いうことらしかった……
グレンが、ハンッとせせら笑う。
「何言ってるの、僕が相手しなくてもこの人絶対眠れてないよ。ずっと真っ赤な顔で呻いてばっかりだったじゃないか」
グレンは小馬鹿にしたような顔でヴォルフガングを見る。それに対して小鳥がカチンとした顔で表情を険しくさせると──
「あーやめてやめて!」
険悪な顔で睨み合っている黒猫と小鳥に、エリノアが大きく腕を振りながら、姉顔で制止をかける。
「朝から喧嘩しないの」
「しかしだなっ」
ピヨっ! と、いきり立つヴォルフガングに、エリノアはやれやれと寝台から降りて、よろよろと歩き、扉の前にちんまりとどまっていたヴォルフガングの小さくて柔らかい身体をすくい上げた。
「! お、おい……な、なんだ……」
そっと持ち上げられたヴォルフガングが戸惑っている。エリノアは気力の薄い顔で笑った。
「グレンの言うとおり、一人でもどうせ眠れなかったと思う。でも全然眠れなかったけど、おかげで夜中は(グレンがずっとお腹の上に乗って重石になっていたから)身体は(強制的に)横になれてたし……少しは疲れも取れたと思う。……二人とも、付き合ってくれてありがとう」
「「…………」」
ごめんね、一晩中興奮したりウジウジしたりして、と……寝癖で頭がボサボサの娘に、げっそりクマの深い顔で謝られて。一匹と一羽は顔を見合わせた。
娘はそのまま。よろよろと壁際の鏡台のほうへ歩いていく。どうやら朝の身支度をはじめるつもりらしい。
エリノアの手の平に乗っていたヴォルフガングは、鏡台の卓上に下ろされて。そこから気怠そうに椅子に腰を下ろしたエリノアに、おい大丈夫かとハラハラ言う。
「よろよろではないか、そんな身体で出勤して大丈夫なのか!?」
「大丈夫大丈夫……今日はハリエット様にお菓子のお礼を言いに行かないといけないから、しっかり身綺麗にしていかないと……」
慎み深い王女様の前に変な格好で出て行く訳にはいかないとエリノア。
鏡を覗きこんで、己の顔に向かって正気を保て、と、パチパチ頬を打つ。
「ふー……気合だー落ち着け、きっちり切り替えるのよ私……昨日のブレア様のあれには……きっと深い意味は……多分ご自分の配下の腹がごろごろ鳴っていたからうるさくて……哀れだと思われたとか……飼い犬にご飯あげるくらいの感覚で……そうよ! 前に騎士オリバーだって飴をくれたし、騎士トマスだってしょっちゅう食べかけのお菓子を押し付けて来るじゃないの! それと同じ、深い意味なんて……!」
……トマスが寄越すかじり掛けのクッキーやら芋やらゆで卵やらと同じにされてはブレアも無念だろうが、エリノアは、思い上がってはいけないと自分を厳しく律した。
王宮侍女の職場は女性社会だ。中には王族に取り入りろうと王宮に入って来る娘もいるようだが、エリノアが望んでいるのは平穏だ。平穏に、長く働いて給料を貰っていくためには、出しゃばってはいけない。王族に特別優しくされたなんて言いふらせば、きっと面白くないと思う者も出て来るだろう。
(だって実際それで王宮を追い出された娘もいたじゃない……)
エリノアは過去に王宮であった出来事を思い出す。
それは何年か前のこと。美形で心根も優しいことで有名な王太子にまつわる話だった。
ある侍女が、彼に優しく気遣われたことを勘違いし『私は王太子様に好かれている』『妃も夢ではない』などと、あちらこちらで吹聴してまわった。
挙句、その侍女は王太子に馴れ馴れしくなり、結果、それをよく思わない同僚侍女たちには睨まれ、職場には不穏な空気が漂って……
最終的に彼女は、王太子に色目を使った不届き者として王宮を去る羽目となった。
無理もない。その当時は王太子がハリエット王女と見合いをした頃だった。『妃も夢ではない』と自信を見せるだけあって、その侍女も名家の出身ではあったのだが……もちろんハリエット王女に敵うはずもない。王宮もよくない噂を広められては困ると思ったのだろう。早々に彼女は家に帰されてしまったのだった。
「……そうよ……ブレア様だって、まだお妃様候補も決まっていないのに……こんな時に私が変な発言したら一発でクビなのでは……? ……はっ! まさか……バークレム書記官はそれを探りに……?」
「「…………」」
あれはもしかして調査的なやつだったのかとエリノアは鏡台の前でブルブル震えだす。
その挙動に小鳥と黒猫が再び微妙そうな顔で顔を見合わせた。
「おかしいと思ったのよ、あの人ハリエット様の配下でもないのにお使いなんて……だいたいあんな機械みたいな人が、親しくもない私に、理由もなく恋愛の話なんてするはずないもの……!」
恋愛話には向かないが、監査だとか調査だとかいう話なら、いかにもソルは適任である。
エリノアは確信した。
きっと昨日のお茶会あたりから自分がブレアに気持ちがあることを感づかれていたに違いない。
「バークレム書記官にしっぽを捕まえられたら王宮を追い出される……?」
怖い! と、エリノアは青くなる。
「浮かれてはいけない……思いあがってはダメ! ……ブレア様に馴れ馴れしくするのもダメだわ……墓石のようにひっそり静かに身を潜めて……」
「墓石……」
「墓石……」
ガタガタ震えるエリノア、に、あのなぁと小鳥。
「……我らが口出しするようなことでもないが……ちょっとそれは……」
「悪い方向に勘繰りすぎなのでは?」
呆れたように言う魔物たち。彼らは昨晩のエリノアとブレアの様子を見ている。なんとなく、二人の間に好意的な感情があることは彼らにもわかった。
「陛下の手前、あまりこのようなことは言いたくはないが……ブレアはお前に好意があるのでは?」
「そうそう。どうせならそれを利用して国を乗っ取りましょうよぉ、陛下のためにー」
「お馬鹿! 何言ってるの!」
恐ろしいこと言わないでとエリノアはグレンをきつく睨んでから──娘はしょぼしょぼと悲しそうにうつむいた。
「? どうした?」
「姉上?」
一羽と一匹が不思議そうにエリノアを見る。と、娘は肩を落とし、ため息をつく。
色々あって。エリノアも、もしかしたらブレア様も少しくらい私を……? と、思ってもみたが……
「……」
エリノアは無言で顔を上げ、己の寝室を見回した。
古い木造の壁。置いてあるものも使いこまれ、色あせたり、傷があったり。
エリノアはそれらをよく手入れし、家の中もとても居心地のいい空間に整えている。彼女たちにとってはこれが尊い我が家だ。が……
エリノアの脳裏には、煌びやかな王宮の光景が浮かぶ。
あのブレアが当たり前に過ごす空間を思い出すと、否が応でも身分差を感じずにはいられなかった。
貧しさを恥ずかしいとは思わない。でも、この家にしっくりくる自分が、ブレアの横に特別な意味で並ぶことは想像がつかなかった。
エリノアはため息をつく。
「……難しいのよ、私の望む家族との平穏な暮らしと、ブレア様をお慕いする気持ちを両立させるのって……想うだけなら許されると思うんだけど……」
なんせブレア様は王子様だから、とつぶやいて……その頭がゆっくり下がって行くのを魔物たちは気遣わしげに見ていた。が──
ヴォルフガングがオロオロし、グレンがちょっと元気出させるために一発爪で引っ掻いてでもみるか──
と、思った時。
「……!」
唐突に、エリノアの頭がガバリと上を向いた。
間髪入れず、娘は己の両頬をパンパンと手で打ち、その強い音に、ヴォルフガングたちが驚いた顔をしている。
「ふ、ふふ……」
「え、ちょ、キモい姉上……」
「お、おいどうした……悩みすぎでとうとう気が変に……」
ギョッとする魔物たちに、エリノアは短く「違う!」と、文句を言う。
「気合を入れたの! 今日も仕事よ、出勤前に落ちこんでたら終業まで持たないわ!」
ヒリヒリする頬の痛みを感じながら、エリノアは心に刻む。
──卑屈になってはいけない。
──悩みに囚われてはいけない。
エリノアの顔が上を向く。
「……今日も目の前の仕事から一歩ずつ、だわ」
よし、と、気合の入った顔で、まずはこれよと鏡台の引き出しからクシを取り出して。娘は髪をがっしがっし整えはじめた。
「頑張るのよ! 私にはそれしか取り柄がないんだから!」
「…………」
「…………(あれ? この人……女神の勇者じゃなかっ……た……?)」
取り柄とはなんぞや……と、グレンは心の中で首を傾ける。
ともあれ。魔物たちにもなんとなく、この娘がこれまでの苦労の多かった人生を、こうして気合で乗り越えて来たんだろうなぁということは分かった。小鳥と黒猫はやれやれと一瞬目を見交わして──それぞれ跳躍し、飛び上がり、エリノア左右の肩にふわりと舞い降りて行った。
「ん?」
両肩の感触にエリノアがキョトンとする。何? と娘が聞く前に、魔物たちはエリノアの顔を覗きこむ。
「おい、馬鹿力で叩きおって……仕方のないやつめ!」
「あーあ、ほっぺたが真っ赤、もーそんなの見たらまた陛下が心配するじゃないですかぁ、手のかかる人だなぁ、まったくぅ」
「……え?」
気がつくと、エリノアの手からクシが消えている。そして肩の上でも白黒の姿が消えていて……
ぽかんとクシが消えた己の手を眺めていたエリノアは、頭を後ろへ軽く引かれる感覚に瞳を瞬く。視線を上げると目の前の鏡の中に、己の背後に立つ黒い獣人態の魔物の姿が見えた。
「……グレン?」
「すっごっ! どうやったらこんなにもつれるんですか!? あははでも大丈夫。私がていねーいに解いてあげますからねぇ〜痛かったら愛らしくウルウルした目で艶かしく泣いてくれてもいいんですよ♪ 上目遣いだったらなおいいですねぇ」
「ちょ、い……ひ!?」
慌てた瞬間に、今度は別方向から少し湿った温かい布を、乱暴に顔に押し当てられた。
「むぐが……っ!? (な、何事っ⁉︎)」
「しっかりしろ! 世話の焼ける女だ……チッ!(※鞭打つような激しい舌打ち)クマがひどい! まったく……異性からの給餌行動くらいで何をうろたえる! 馬鹿者め……!」(※なぜか半ギレのヴォルフガング)
「ちょ……ぐ、ちょ、ま……や、やめ……っ」
獣人態に戻ったヴォルフガングにグイグイ遠慮なしで顔を拭われるエリノア。……拭うというより無理やり布を押し付けられている感がものすごいが、髪をとかしてくれているグレンのひっぱる力も加わって、エリノアの身体はグリグリグイグイ前後に大きく揺れている。
「う、う、うぅぁああ……!?」
「うるさい!」
「あ、そうだ、ねえヴォルフガング、始業時間までに姉上を回復させたいなら、老将殿に頼んで時間をとめてもらったらどうかな? ついでに母上に頼んで強制的に魔法で眠らせれば回復するんじゃない?」
「……お前の母親のそれは毒が回るやつだろう? ……そう回りくどいことをせずとも、聖剣に命じて回復魔法をかけさせたらいい」
「えー……聖剣野郎に頼るのはムカつくんだけどなぁ……」
「ちょ、あ、あんたたちっ、」
「動くな、じっとしていろ! 汚れを見落としたらどうする! 俺様が世話を焼く以上、わずかな目ヤニの一つも許されぬ!」
「!? !? !?」
「姉上、大人しくしててくださいねぇ〜♪」
何が何やら分からず……エリノアは両手を掲げて抵抗を見せたが。寝不足の弱々しい主張はかけらも魔物たちに相手にされなかった。
しかし。
その後、グレンがニヤニヤしながらタンスから着替えを持って来て、真顔のヴォルフガングが「気にするな、私からすればお前は赤子も同然だ」と、寝巻きをエリノアからひっぺがそうとした時には……さすがのエリノアも、最後の力を振り絞り、全力でお断りの意を示したのだった……
ヴォルフガングは……最後辺り、エリノアの生腹を触って怒られたことをすっかり忘れていますね!(°▽°)
お読みいただきありがとうございます。
だいぶん回復しまして、活動再開いたしました。
今後は倒れない程度にやろうと思います。
久々の投稿なので文字数ちょっと多めです。




