101 魔王の葛藤と平和
ブラッドリーは言った。
「──僕、モンターク商店の手伝いしていてよかったよ……」
少年はにっこり微笑む。
「そうじゃなかったら……一日中姉さんの警備員(もしくは監視員……もしくはストーカー)でもしてるところだもの」
ブラッドリーが口の端を持ち上げると、どこからともなく廊下に冷気が立ちこめて来て。微笑みを向けられた配下たちがぶるりと身体を震わせた。
身の毛がよだつとはこのことねぇと、心地よさそうに漏らしたのは……どうやらコーネリアグレースだ。婦人の肩の上にはマリーたちがうずくまっていて、老将メイナードはブラッドリーの傍でちゃっかり毛布に包まれていた。
そんな彼らに見守られている少年魔王は、いつまで経っても開く気配のない玄関扉をじっと見据えて待っていた。
彼がそこから戻ってきて欲しいのは、もちろん姉、エリノアである。
──本日の昼間。今日だけは姉の行動を詮索しないと決めた少年は、健気にも、いつもに増してモンターク商店の手伝いに励んだ。
姉には見張りもつけている。何かあれば知らせは来るはず。きっと心配ないし、心配しすぎもよくないのだと。
仕事に集中していれば、余計な不安に胸を苛まれることもなく、きっと家に帰る頃には──姉はいつも通り、自分を暖かく出迎えてくれるはずだと。
だが──せっせと働き帰宅したブラッドリーのその期待は、見事に裏切られてしまう。彼が家に戻った時、エリノアはそこにいなかった。
(……いや、それはいいんだ……)
と、ブラッドリー。がっかりはしたが、姉にだって都合がある。
弟としては、毎日忙しい姉が楽しい休日を送ってくれているならば、それはそれで嬉しい。が……
問題なのは、もう日が暮れて来たということ。単純に、姉の帰りが遅いことが心配なのだった。
「……姉さんが夜道で変な奴に声をかけられたらどうしよう……」
ブラッドリーがハラハラしながら家の中を行ったり来たりすると、その足元に闇が冷気を伴い溢れ出す。
そんな少年の背中に、コーネリアグレースがモッフリした手を乗せる。
「まあまあ陛下。落ち着いてくださいな。姉上様には愚息をつけてますし、さっき忠犬も二人を探しに行きましたから大丈夫。見つかり次第お迎えにでもなんでもお行きになればよろしいじゃありませんの。もし不埒にも誘拐犯などがいましたら、アタクシが棍棒で吹っ飛ばして来て差し上げます」
ね? と、微笑む婦人は──エリノアを連れて行ったソル・バークレムのことを故意にブラッドリーに黙っている。
ソル・バークレムは意味の分からない人間男ではあるが、そう害はないだろうというのが婦人の見立てである。まあ、エリノアは医者に連れて行かれたようだから、健康状態が良いということでも証明されて帰ってくるだろう。現在トワイン家では献立のほぼすべてを彼女コーネリアグレースが掌握しており、己の作る料理を食べているエリノアが健康でないはずがないと、婦人は絶対の自信を持っていた。婦人の獣の口がニヤ……と、薄く割れる。
(ふふふ……アタクシの優秀さに挑むのねソル・バークレム……ギャフンと言うがいいわ)
ふ、ふ、ふ……と、婦人は悪人顔で笑っている。が……ふと気がついた。
「……あら? 陛下、どうかなさいました?」
見下ろせば、ブラッドリーが口をつぐんで戸惑ったような顔をしていた。
「陛下?」
「……いや……今日は…………行かない」
「え? お迎えにですか? 行かないんですの?」
絞り出すような君主の言葉に、コーネリアグレースが不思議そうな顔をする。
「……今日は邪魔をしないと決めたんだ……今日は……」
「はあ? そうなんですの? まあ、お珍しい」
「……」
もちろん姉は心配だ。が、もしかしたらただ夕方の町で何かを楽しんでいるだけかもしれない。
ブラッドリーは苦々しい顔で呻くように言った。
「……だって、もし姉さんが何か楽しんでいるだけなら悪いし……姉さんが僕以外の誰かと楽しそうにしてたら邪魔したくなるから見ないほうがマシって言うか……それに姉さんが楽しんでいる間に僕が心配しているなんてことを姉さんが知ったら、それはそれで気に病むだろうし……でも心配だから顔は早く見たい……ぁあ、どうしたら……」
……どうやらブラッドリーの中でも色々な葛藤が複雑に渦巻いているらしい。
滲み出る苦悩に──配下たちは皆、しみじみと陽光にあたるが如き顔をする。
(((…………へいわ……)))※三姉妹
(平和だわぁ……)※コーネリアグレース
(平和……じゃ……な……)※メイナード
殺伐とした魔界時代に彼が頭を悩ませていた諸々の問題を思えば……こうして彼が今、姉が帰ってこないだの、他の輩と楽しんでいるところを見たくないだのとイライラしていることは、魔物たちにとっては平和そのもの。……もちろん主が心の底から悩みまくっているのは由々しきことだが、どうにもこうにものどかさを感じてしまう魔物たちであった。
「……陛下の脳みそはだいぶん平和にカスタマイズされているわ……エリノア様のせいで」
でもとコーネリアグレース。我慢をしているらしい主君は、イライラで冷気をはらんだ邪気をバンバン家の中に発生させている。……もしエリノアが朝帰りなんぞしようものなら家のすべてが凍りついてしまうことだろう。
──と、その頃のヴォルフガング。
「…………」
エリノアの匂いを追跡し、人間たちが大勢集まる市場に潜入した魔将は、無事その隅で娘を発見した。が……
(……あれは……どうしたらいい……?)
その光景に困惑した魔将は、ひたすらに地蔵のような顔でエリノアたちを見ていた。
(……、……、……第二王子の…………給餌行動が終わらん……)
無言のヴォルフガングが呆れ顔で見つめる先では、エリノアの前に沢山の料理を並べた男ブレアが、フォークを手に、次から次へとエリノアの口に食べ物を運んでいる。
相変わらず堅苦しい顔をしている王子だが、エリノアが彼の差し出した食べ物を食べるたびに身にまとう空気がキラキラと華やいで──……
(……いるのは、まあ、それはどうでもいい……)
ヴォルフガングは面倒臭そうに顔をしかめる。
問題は、その正面に座る娘である。
ヴォルフガングの顔に呆れが浮かぶ。エリノアは、必死だった。
息も絶え絶え。羞恥で死にそうという真っ赤な顔で懸命に口を動かしている娘は、どう見ても、何を食べても味わえていない。何せ必死すぎて……小鳥に化けたヴォルフガングがテーブルの隅にとまっても気付かない有様である。
小鳥ガングは渋い顔で、テーブルを埋め尽くすような皿の隙間から二人の顔を見上げた。
(…………イチャイチャさせておいて……大丈夫なのだろうか……)
幸せそうに給餌行動を続ける王子と、必死の形相でそれに応える娘(勇者)。
今日という日のほとんどの時間を、君主ブラッドリーの供としてモンターク商店で過ごしていた魔将は、この二人がどうしてこうなったのかはよく分からなかった。事情を知っているだろうグレンはヴォルフガングの顔を見るなり、しらっとした顔で舌を出してあっという間に何処かに行ってしまった。どうやら昼間に自分が見せた失態(※リードにおやつをもらっていた)の件で少し腹を立てているらしい。しかしそうなると、ヴォルフガングにはいよいよ事情が分からない。
(……なぜ王族が、己の侍女に物を食わせているのだろう……)
さっぱり意味が分からなかった。
もしや主従関係を利用して、王子に強要されたのかとも怪しんだ、が……しかしそれにしては、魔物の目で見ると、エリノアのまとう空気は複雑そうながらとても幸せそうな色をしていた。
ヴォルフガングは首を捻る。
(…………いったいどうしたものか……)
エリノアのこの有り様を見たら、間違いなくブラッドリーは嫉妬に怒り狂うだろう。
だが……この忠犬(忠鳥)は、先刻家を出る時、その君主本人に、『……今日は姉さんの安全にだけ配慮して、姉さんが何をしていても報告するな。……今日だけは!』と──いやに切羽詰まった顔で命じられていて。その、いやに『今日だけは』と強調するあたり、君主の葛藤を大いに感じてしまったヴォルフガングである。
おそらくそれは君主なりに何か思うところがあってのことなのだろうが……忠犬(鳥)は迷う。
(……本当にこれを報告しなくて……いいのだろうか)
しかし報告すれば命令違反である。……忠犬(鳥)は大いに悩んだ。
(……、……、……まあ……ここは……命令を守りつつ、使命をまっとうするほかないか……)
すなわち、『エリノアの安全に配慮する』という使命をだ。
しばし黙ってエリノアが拐かされないよう見張っていようと決めこんだ小鳥は、テーブルの端でじっとりとエリノアを見上げる。
そういえば出かける時に、コーネリアグレースが、今日はエリノアがあまり食事を取れていなかったと言っていた。
それを思い出した小鳥はまあいいかとため息をつく。王子の給餌行動はあえて止めないことにした。
(……やれやれ……陛下もこの娘も難しい年頃だな……)
呆れたように見守る小鳥の頭には小さな疑問。はて、魔王に仕えるとはこういうことだったかと思い、そんな彼の、じっとりした仏頂面にエリノアが気がつくのはもうしばらく後のこと……
その瞬間の、エリノアのギョッと真っ赤な顔には、さすがのヴォルフガングも多少の哀れみを感じたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
現在書き手持病の悪化で体調不良中。チェックも甘いし、内容もほとんど進んでませんが;パソコン作業できる時間が少ないのでご勘弁をm(_ _)m後日チェックいたします。
本日は病院。検査とかあるのでバタバタしてます。次話更新も少し遅れると思います。
元気になり次第更新頑張ります。




