96 ソルの爆弾投下
腹立たしげに青年をホウキで小突いていた婦人をなんとか止めて。
エリノアは眠れるソル・バークレム書記官を、寝起きの老将メイナードに託した。
「…………おや…………?」
さわやかな黄色いリボンのついた菓子箱を手に、トワイン家玄関扉の内側で目覚めたソルは、ハラハラ自分を見上げているエリノアに気がついて、まずそう片眉を持ち上げた。
「……? 私はいつの間にお宅にお邪魔させていただいたのでしょうか……?」
何か違和感を感じているのか、怪訝そうな青年は眉をひそめている。そんな彼に慌てたエリノアは、考える暇を与えてはならないと、焦った様子で声を上げた。
「こ、こんにちはバークレム書記官! きょ、きょ、今日はどうなさったんですか?」
愛想笑いを盛大に貼り付けた顔で、精一杯何事もなかったかのようにソルを迎えるエリノア。だが、いかんせん演技がわざとらしすぎる……
エリノアの後ろでは、人間に化けたコーネリアグレースが「下手ねぇ」と失笑をこぼしていて。そしてこの面倒な書記官ナンバー1のソルも、エリノアのそんな有様をやはりスルーしてはくれない。
ソルは疑わしそうな目でエリノアを見る。
「……どうなさったのですかお嬢様、挙動不審ですよ」
「!? なんですか!? 家はきれいですよ!? ふ、ふ、服だってちゃんと着てるし!」
「服? 服は着ていて当たり前です」
「わ、分かってますったら! そ、それよりバークレム書記官、身体は大丈夫ですか? い、痛いところとかは……」
メイナードを信用していないわけではないが(※魔王配下)、魔物の術にかけられて、何か副作用のようなものでもあったら大変と。エリノアはソルの顔色をハラハラと見上げている。
しかしそんなエリノアの気苦労も知らず、ソルはエリノアを「出迎え早々におかしなことを聞くお方だなぁ」という目で見て……「ふむ」と、顎に指をかけて考える素振りを見せた。
「そうですね……しいて言うならば、なぜか身体の側面が痛いですね。打撲のような痛みがございます」
「……」
それを聞いたエリノアは、背後の婦人へ引きつった鬼顔を向ける。
ソルのその痛みは、もちろんコーネリアグレースにホウキで散々小突かれたものである。
しかし当然、当人はケロリとした顔で、ほほほと笑うだけだった。
「──それで……今日はいったいどのようなご用件で……?」
打撲傷を与えた負い目もあってか、エリノアは丁寧にソルを居間に通した。
椅子を勧め、お茶を出してから、自分も彼の前の椅子に着席しながらそう問うた。色々あって息切れ気味のエリノアの顔はすっかり疲れ切っている。しかしソルは無事に、裸にバスタオル一枚で出てきたエリノアに遭遇した記憶を忘れているようだった。
密かにホッとする彼女の問いを受け、ソルは「はい」と一度頷いて。それから持参した箱を丁寧な仕草でエリノアの前に置いた。
「? これは……?」
キョトンとするエリノアに、ソルは、自分がハリエット王女の使いで来たということを説明する。
「え……ハリエット様? ハリエット様のお菓子!?」
その名を聞いた途端、素直なエリノアの顔がパッと輝く。
事情を聞いた娘は嬉しそうに「開けていいんですか?」とそわそわした調子でソルに聞き、彼から了承を得ると、箱を開け、そこにずらりと並ぶ焼き菓子に相好を崩した。
「す、すごいっ、いい匂い……」
昨日は緊張してお茶菓子どころではなかったエリノアは、蓋を開けた途端ふんわりと香ってきたバターの香りに感動したような顔をする。
色々心配事もあって。張り詰めていた心にハリエット王女の心遣いが染み渡るかのようだった。ちょっぴり涙ぐんだエリノアは、天井を仰ぎ「ハリエットさま〜♡」と、王女の名を称えるように呼んでいる。
「…………」
そんなエリノアを……無言で眺めているソル。
彼は密かに、菓子を前に丸顔をふくふくさせた娘の分析を試みていた。
メイナードに記憶を改ざんされてしまったソルだが……彼は、もう一つの目的を忘れてはいなかった。ソルは心の中で首を捻る。
(…………この感情の読みやすそうなお嬢様のいったい何がブレア様を悩ませているのだろうか。………………)
ふむ、と、ソル。
「…………お嬢様」
「え?」
書記官に重い声で呼ばれたエリノアが顔を上げる。彼女は真っ直ぐに自分を見ている書記官の真面目な瞳に気がつくと、キョトンと目をまるくして「なんですか?」と返事をした。ソルはかしこまった顔で背筋を伸ばし、抑揚のない声で彼女に聞いた。
「──お嬢様は、ブレア様のことがお好きですか」
…………唐突にも、どストレート……
途端──居間の中がシンッと静まり返る。
食い入るようにエリノアの返事を待つソル。
ぽかぁぁぁん……とするエリノア。(の、後ろで生暖かい顔のコーネリアグレース。)
キッパリスッパリ端的に問われた娘は、その言葉があまりにも直球すぎたのか……一瞬、質問の意味が脳に届かないという表情をした。
「……ぇ……オジョウサマハ、ブレアサマノコトガオスキデスカ……?」
「はい、ご回答願います」
と……けろりと真面目に頷く青年は、エリノアに余計なことを言うなというハリエットの忠告をすっかり忘れている。
「………………」
問われたほうのエリノアは。
彼女はたっぷり一分ほどの時間を思考が止まった状態で過ごしていたが……
脳内で反響していた片言の「オジョウサマハ、ブレアサマノコトガ……」というソルの台詞が徐々に正常変換されていき……その意味がじわじわと理解でき……た、瞬間──……
ゴトっと音がして。忽然と、エリノアがテーブルから消えた。
「? お嬢様?」
正面に座っていたエリノアが消えたのを見て、ソルが驚いた顔でテーブルの下を覗く。
するとその床の上には、真っ赤になった顔を両手で覆ったエリノアが。
ブルブル身を震わせて転がっているエリノアを見たソルは、足早にエリノアの傍に駆けよった。
「お嬢様なぜ床に!? めまいですか?」
「…………ぅう……」
羞恥に呻くだけのエリノア。そんな娘の顔色が異常に赤いことに気がついたソルは、怪訝な顔でまさかとエリノアの額に軽く触れて。その熱さにハッと目を瞠る。
「あ、熱い! こんなに熱があるのになぜ医者にかからないのです!?」
誰もが「いやあんたのせいだから」と思う中、ソルは、これはいけませんと迷うことなくエリノアを抱え上げた。
「医者に行かねば!」
「……う……ち、ちが……」
羞恥で死ぬほど恥ずかしそうな娘を抱え、毅然とした様子で外へ出ていこうとする男……
問答無用で医者に連行されそうなエリノアは必死で異議を唱えているが、如何せん……ソルに与えられた精神ダメージのせいで声が弱々しすぎた。
エリノアは、おびただしい汗をかきながら……ソル・バークレムに抱き抱えられて家から連れ出されて行った……
……それらの光景を……
すべてエリノアの背後から見ていたコーネリアグレース。婦人は思わずボソリと一言。
「…………喜劇王なの……?」
彼らの出て行った扉に向かってつぶやいた婦人はあまりのコントっぷりに呆れ果てていて。止めるべきか笑うべきかを本気で悩んでいる。
…止めましょう。
お読みいただきありがとうございます。
雨が続きますね。ささやかすぎますが、皆様の気晴らしになれればいいなと思います。




