93 魔王に激甘なエリノアの仮説 ②
優しい問いかけに弾かれるように顔を上げると、姉が自分の手を取っている。
エリノアは、ブラッドリーの手の甲を慰めるようにさすりながら言った。
「リードの反応は……正直私にも分からない。リードだから大丈夫……って言ってあげたいけど……やっぱりことがことだから……どんなに優しい人でもきっと驚くとは思うのよ……」
「……」
そう言われると、ブラッドリーは再び俯きそうになる。が、その瞬間に、姉が力をこめて彼の手を握りしめた。
エリノアは少し声音を低くして、改めてブラッドリーに向かい直った。少しだけ聞き辛そうな顔で、しかし何かを決意するような表情で問う。
「その……もしかしてブラッドは……以前の生で……魔王として生きていた時に、何か──リードが知ったら嫌われるような行いをしたの?」
姉の切りこんだ問いに、ブラッドリーはグッと息を吞んだ。それはまさに、彼が先ほどエリノアやリードに知られたくないと思っていた事柄そのものだった。咄嗟に怖がられたくないと思ったブラッドリーは言葉に詰まったが……しかし姉の顔は真剣で。少年は躊躇したあと、奥歯を噛んで──重く、頷いた。
それを見たエリノアは、ほんの一瞬悲しそうな目をして、「そっか」と呟いた。口は真一文字に結ばれている。
エリノアも、そうではないかとは思っていた。覚醒した当初から、ブラッドリーは時折冷酷な一面を度々のぞかせる。転生後の今でもそうならば、転生前の様子も少しは想像がつくというもの。
しかし……そうは思っても、彼女はブラッドリーの手を離さなかった。
エリノアは、苦しそうな顔で自分から目を逸らしている弟に言う。
「でもねブラッド。怖がられてもリードはリードだから」
「……ぇ」
「ブラッドリーがたとえ魔王でも変わらず私の弟であるように、私たちを怖がっていても、リードは変わらず私たちに親切にしてくれたリードだわ」
エリノアは、戸惑った顔のブラッドリーににっこりと笑って見せた。
「私たちリードのこと大好きだから、彼が私たちをどう見ても、私たちはリードを大切にしなきゃ」
「……うん」
辛そうだが、ブラッドリーはエリノアの言葉に頷いた。
人の感情は他者には変えようのないものだ。できることがあるとすれば、それは己の気持ちや行いを整えることだけだとエリノアは遠回しに諭している。
「大丈夫、私がずっと一緒にいるから。ね?」
一緒に頑張ろうと姉に言われると、少し気が楽になったのかブラッドリーはちょっとだけ口角を上げる。そんな弟を見てほっとしたらしいエリノア。が、娘はふと何かを思い出したようにもう一度「でも……」と言った。
天井のほうを見ながら少し首を傾けている姉に、ブラッドリーは不思議そうな顔をする。
「どうしたの?」
「えーっと……ちょっと思い出して……ブラッドはずっと病気だったら通えなかったけど……私毎週教会に行っていたでしょう?」
エリノアがブラッドリーに向き直って言うと、少年は唐突な話に瞳を瞬く。
「町にある女神教会のこと?」
問うと、姉はそうと頷く。
「そこで私、人は死んだあと天界で裁きにかけられて、生きていた頃に罪があれば罰を受けるって教わったわ。魂は女神様によって皆公平に審判にかけられるそうよ」
その言葉を聞いたブラッドリーはやや怪訝そうに、姉に小さく頷いて見せた。
「それは──確かに。女神たち天界の領域の話だね」
己たち魔物とは、関係のない話だと思いながらブラッドリーは姉の顔を見た。すると、エリノアはじゃあと弟の顔を見た。
「それなら……ブラッドリーは一度魔王として死んだんだから、新しい今の命をもらう前に魂の国でもう罪を償って来たんじゃないの?」
「え……?」
姉の発言にブラッドリーはぽかんと瞳を瞬いた。
「だってブラッドリー、あなたが魔王として勇者に滅されたのはもう千年も前よ? 千年ものちに生まれて来たってことは……その間ずっと償っていたってことかもしれない」
真剣な顔で言われ、ブラッドリーは返答に困窮する。彼には女神に魂を囚われていた頃の記憶はない。そんな苦々しい時代のことなど深く考えたことはなかった。
しかしエリノアは考えてみてよと言う。
「天界と魔物の魂は関係ないのかしら……うーんでも……確かにあなたが前に言っていたみたいに、人の世の負の感情を得てあなたは魔王としての力を復活させたのかもしれないけれど──一度は勇者に滅されて魂が女神様の支配下に入ったのだから……それを女神様が放っておくとは思えないのよね。やっぱり罪があったなら、他の死者の魂と同じように裁かれて罰を受けたと考えるのが自然じゃないかしら。そして償いが終わったから、千年後の今、再び生を与えられた……て、これ──楽観的な考えすぎる?」
「そ、れは……」
自身が言う通り、かなり楽観的な考え方だとブラッドリーは思った。女神側からすれば、魔王は大罪人だろう。人の魂と同じようにはかることなどできるだろうか。
だが……記憶もなく違うとも断言出来ず。少年は分からないと戸惑った返事を姉に返す。するとエリノアは、そんな弟の手をよしよしとさすった。
「ま、そうよね、本当のところは分からないわよね。天界での記憶は消されると言うし……でも私、そう思うことにする」
「ね、姉さん……?」
キッパリ言い切るエリノアが意外すぎて、ブラッドリーは困惑の表情を見せた。が、エリノアは苦笑する。
「いいのいいの。だって、そもそも女神様がこの世で一番魔王に激甘な私のところにあなたを送りこんだのよ? 少しくらいえこひいきな考え方しても女神様も怒らないと思う」
「…………」
あっけらかんとした姉の主張にブラッドリーは唖然と言葉を失った。
なんという開き直り。女神の意思すら己のいいように解釈し微笑む姿は図太いというかなんというか……
しかし本人もそれは分かっているのだろう。エリノアはニンマリと子供のように笑って肩を竦めて見せる。
「ま、そういうことにしておきましょうよ。だからもう後ろめたいとか思わないで。人間毎日生きるだけでも大変なのに、生前の罪まで背負っていたらやってられないわ」
「……だ、だけど……」
投げやりな言葉にブラッドリーは戸惑うが、エリノアは異議がありそうな弟の口を、にまーと笑うことで封じる。その朗らかでいて……少々したたかそうな顔を見て。ブラッドリーは、すっかり気がぬけてしまった。
あ、とブラッドリーは己の胸を手で押さえる。
(……まただ……)
……また、気がぬけたついでに、ブラッドリーの心の中に渦巻いていた毒気がきれいさっぱりぬけていっていた。
恐れや憂鬱さで穴が開いたようだった胸は、いつの間にか安心感で満たされている。
「…………」
ブラッドリーは思った。
エリノアも、きっと魂の国での償いなどと本気で言っているわけではないかもしれない。ただ、暗い顔の弟を慰めるためにわざと軽く笑って滑稽な言い分を言い張っているのかもしれなかった。
それでも。
姉が向けてくれる気持ちの何もかもが嬉しくてたまらなかった。痛感するのは、やはり自分には姉が絶対的に必要だということだった。
(……やっぱり僕、姉さんがいないとダメだな……)
ブラッドリーは心からそう思い──姉が好きすぎる自分にどこか恥ずかしくなって。気恥ずかしげに自分の前髪をクシャリと握った──時。
突然、エリノアが、あ! と、叫んだ。
「?」
「しぃ……まったぁっ! そういえば……バークレム書記官のこと忘れてたわ!? ブラッドにバレる前にメイナードさんを────ぁ……」
「………………」
しんみりしていたブラッドリーは、「ぁ……」と漏らしながら、あからさまにしまったという顔で自分を見る姉の顔に──……にっこりと微笑みかけた。
「……姉さん?」
「あ、え、えー……とぉ……バレ、バレリーナが……?」
珍妙なことを言いながらスサっと目を逸らすエリノアに、ブラッドリーは目を細めてハハハと笑う。
「そんなに目を泳がせちゃって。まったく……姉さんったら可愛いったらないよ……ふふふ……で?」
「え? えーっと……」
魔王顔で迫りくる弟の顔に……エリノアの目は、すよすよと泳ぎ続ける。
…すみません、腹減りでチェック浅いですが…暗いとこだけで終わらせて更新するのもアレなんで、続き上げときます。でも朝から何も食べてないのでまた後でチェックします!( ;∀;)誤字あったらすみません〜




