91 書記官の外出記録
ブレアはその時王都城壁の上にいた。
王都では数年前から老朽化した城壁及び城壁塔の補修工事が進められていて、この度ようやくその竣工検査が終わりブレアが視察するにいたった。
高い城壁の上に設けられた歩廊の上から城下を眺め、そこで生活している人々を静かな眼差しで見ていた彼は、ふと、ある一角に目を止める。
「……行きたいんですか?」
「……気配を消して忍びよるなオリバー」
背後からの唐突な声にも動じる事なくブレアが憮然とした調子で言う。
それに軽く笑いながら、オリバーはブレアの横に並んで城下を眺める。
「何言ってるんですか、どうせとっくにお気づきだったのでしょう? ……それよりどうなんです、せっかく城下に来た事ですし……帰りにでもよりますか?」
どうします? と、オリバーは城下の──トワイン家の方角を示すが……ブレアはいやと頭を振る。
「……昨日は随分迷惑をかけた。せっかく休日で羽を伸ばしているところに押しかけて気を使わせたくない」
言ってブレアは息を吐いた。心の中で、会いたくはあるが、と静かに付け加える。
そんな胸中を察しているらしい騎士はこちら側でもため息を溢す。
「はぁ、まあ確かに昨日のビクトリア様の件は厄介でしたけど──……ちょっと気になる話があるんですが……」
「……気になる話?」
「いや、気になるというより大いに心配な話……ですかねぇ……」
オリバーの遠回しな言葉にブレアが怪訝そうな顔で振り返る。と、騎士の顔はいやに複雑そうな顔をしている。笑うような、呆れているような……意味ありげに生温かい表情に、ブレアの片眉が持ち上がる。
「おい……なんなんだその顔は……」
「それが──ソルがですねぇ……」
「ソル?」
それが思わぬ名だったのか、ブレアが不思議そうな顔をする。
生真面目同士で気の合っているソルは、ブレアにとっては優秀な書記官だった。その書記官の何が心配なのだろうかとブレアは首を傾げている。
「そういえば……今日は今朝見かけたきり宮廷でも姿を見なかったが……ソルがどうかしたのか?」
その言葉に騎士は、ハハハ……と、空々しく笑う。
「あいつ、ハリエット王女に呼び出し喰らったそうです」
「……ハリエット王女?」
「ね? 嫌な予感のする組み合わせでしょう? 生真面目馬鹿と未来の王妃様……二人でいったい何の話をしているやら……ちなみにその後ソルのやつも城下に外出しています。ブレア様のこの視察とは別件です」
「? なんだ、王女に何か頼まれたのか?」
「それが……あいつ律儀に外出記録を書いてまして……行き先が──ブフッ」
「?」
突然吹き出したオリバーにブレアが変な顔をする。
「……なんだ……どうかしたのか?」
怪訝そうに目を細められたオリバーは、大きな身体を折って笑いを堪えている。
「殿下! 忙しいからって書記官の外出記録ちゃんと見てなかったでしょう!?」
「それは……確かに今日は視察もあったゆえ……」
外出記録? と、眉間にシワをよせるブレアに、オリバーはちゃんと見なきゃダメじゃないですか! と笑う。
「?」
「ゲホッブフッ……それが……特にね、備考が笑えるんですよ……“ハリエット王女のお使い及び──恋煩いでお寂しげな第二王子殿下の心の安定を保つための視察”……なんですって!」
言ってから、オリバーはもうたまらんとゲラゲラと腹を抱えて笑い出した。ブレアは──そんなオリバーを強張った顔で凝視している。
「……な…………んだ、それは……」
「“恋煩い”とか“お寂しげな第二王子……”って、書記官の外出記録帳で初めて見ましたよ! “お寂しげ”……て! なんスか? 殿下、今朝、ソルに何か“お寂しげ”に恋愛相談でもなさったんですか?」
「!」
言われて何やらブレアがハッとする。
それを見たオリバーは、……したんだなぁ……という顔でハハハと笑う。
「まあ一応殿下の沽券に関わるかと思って、“第二”ってところは消しておきました。無駄かもしれませんけど!」
帳簿がブレアの管理下のもので、記録の主がソルである以上、“第二”が消されても、その王子がブレアであることは、誰が見ても明らかだろう。きっと……その記録を見たものは皆仰天するに違いなかった……
「!? !?」
可哀想に……ブレアは真っ赤になっている。
「殿下……ソルの馬鹿真面目さを甘く見ましたね……あいつの辞書に恋愛の文字なんてあるわけないでしょう? 苦手分野すぎてるのに、本人気がつかないままお役に立とうと必死になって迷走してます。……まったく……相談相手絶対間違ってますって」
なーんで俺にしとかなかったんですかぁ、と──ニヤニヤ言うオリバーに、ブレアは「お前がこういうやつだからだ!」と、心底思った。
で? と、笑いを湛えた目でオリバー。
「ソルの、い、行き先知りたいですか?」
「!?」
知りたいですよねぇと涙目で爆笑しながら聞いてくる騎士に、ブレアはギョッと恐ろしい顔で目を剥いた。
「おい待て、まさか……」
「ははは、そーなんですよ! つまり……ソルの視察先は──トワイン家」
──その瞬間の──……固まったブレアの顔は見ものだった。
「──な……なんだと?」
「あなたの馬鹿真面目な書記官が向かった、寂しげな第二王子殿下の心の安定を保つための視察先がトワイン家です」
「!」
「もう悪い予感しかしないでしょう?」
ゲラゲラ笑うオリバー。
それを、身を硬直させ、泣く子が尚更泣き叫びそうな顔で見ていたブレア。彼は一瞬絶句していたが──すぐに身を翻し、城壁塔を駆け降りていく。
「あっれぇ? ブレア様いったいどこへ?」
「……」
ブレアはニヤニヤ笑いの騎士を鬼のひと睨み。
「分かりきっているという顔で聞くな!」
青年は足早に石の階段を降りて行き、オリバーは苦笑しながらその後を追って行った。
ソルもソルですが、オリバーもオリバーです。
お読みいただき有難うございます。
数日のんきな話が書けるのんきな状態になかったもので;少し間があきました;
誤字のご指摘有難うございます。
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