89 ソル、再び。VSコーネリアグレース
「すごい……」
エリノアは目を瞠って感嘆の声を漏らした。
その視線の先──浴室にしゃがみこんだエリノアの手元の桶の中には、首から下に水をかけられて毛並みをぺっシャリとしぼませた子猫マリーが無言でたたずんでいる。
──先刻、風呂場に来るなり、速攻でコーネリアグレースに風呂の中に叩きこまれたエリノア。婦人の妙技で彼女の身体は既にピカピカで。裸の身体にバスタオルを巻いた娘は、今は小さめの桶の中でずぶ濡れの子猫を洗っている。
しかしそんな格好にも関わらず、彼女が何故か手袋をしているのは、子猫たちが女神の印を嫌がるからだった。
「──濡れるとこんなふうになるの……か、可愛い……」
子猫らは、濡らすとまるで別の生き物のようにほっそりとして。そこに現れたか弱そうな生き物に、エリノアは、ただただ、保護欲を刺激されるばかり。──と、エリノアがハッとする。
「え? ちょっと待って……こ、こんな仔鹿よりもか細い足で走り回っていたの!? マリーちゃん、もう戸棚の上から飛び降りたりしちゃダメよ!?」
「…………」
エリノアは必死だが、注意されたところでマリーたちが素直に言う事を聞くわけもない。今も娘の背後では、洗い待ちのマダリンとマールが石鹸を蹴って駆け回っている。そんな二匹に気がついて、止めようと声を上げるエリノアに……不意に、水桶の中のマリーが問う。
「マダリンちゃんたち!」
「……ゆうしゃ、なんで?」
「え──?」
エリノアがキョトンとして見下ろすと、マリーが小粒の青い双眸をじっと自分に向けている。
「? どうしたの?」
「なんで……みわけられるの?」
あたしたちそっくりなのに、と言うマリーに、エリノアは「ん?」と、首を傾げる。
──子猫たちがこちらに来てから。マリーたちは一度もエリノアに見間違えられたことがなかった。
兄姉たちにですら、“末の妹たち”と、一括りにされ、時折間違われることもあるマリーは、人間のエリノアが己たちをしっかり見分けているのが不思議でならなかった。
と、エリノアが答える。
「えー……と…………毛、かな……」
「け?」
怪訝そうなマリーに、エリノアは水桶の中から彼女をそおっと持ち上げてじっと濡れたマリーの身体を眺める。
「ええと……今は濡れてるからよく見えないけれど……ふんわりしている時、マリーちゃんたちの黒い毛の表面に少しだけ色が見える時があって……」
その毛色の違いで見分けているのだとエリノアは答えた。
「……」
両手で持ち上げられた子猫は、ふーんと目を細める。どうやらエリノアはそれは毛質の違いか何かだと思っているようだ。が、マリーは、娘が言っているのが、おそらく自分たちがまとう魔力のことなのだろうと察する。
彼女たちは姉妹でも、母であるコーネリアグレースから受け継いだ魔力が濃い者と、父から受け継いだものが強い者とではそれぞれ魔力の質が違う。エリノアが見ているのは、おそらくその違いのことだろう。
マリーたちの毛の色は漆黒で、色などはどこにもついていないのだから。
しかし、それは──いや、魔力の違いどころか魔力そのものすらも、本来人間にはたやすく認識できるはずのないものだった。
マリーは内心警戒しながらエリノアを見る。
(……やっぱり、これ、ゆうしゃではあるのね……)
「……こんなにまぬけなのに……」
「?」
はあ、めんどう……と膨れる子猫のつぶやきに、エリノアは不思議そうな顔をしている。
が──そんな時、不意にエリノアがあれ? とマリーを洗っていた手を止める。
耳を澄ませるような素振りを見せ、キョロ……っと辺りを見回して、つぶやく。
「? ん? ……何か……声がしない?」
「こえ?」
「……誰か来たのかな?」
……と──その声の元。トワイン家玄関。
「…………」
「…………」
玄関ドアを開けた女豹婦人(人間態)は、無言でその訪問者と対峙していた。
訪問して来たその男も、無言で婦人を見ている。お互い怪訝そうな顔をしており、二人の間にはただならぬ威圧感が漂っていた。
と、男のほうが口を開いた。
「──御婦人……これはどういうことか、ご説明いただけますか……?」
言葉は丁寧だが、どこか詰問するような響きがある。男が低い声で問うと、コーネリアグレースが、好戦的な眼差しで嘲笑う。
「あらおほほ、なんなのこの殿方は。訪問早々面倒そうな匂いがぷんぷんするわ、しかしどうぞ? ご質問がおありになるのならあたくしがお聞きしますわ。何を説明してほしいと……?」
婦人はカケラも笑っていない目で、やや芝居がかった調子で男を促した。男はそんな婦人に目を細めてから、ジロリと彼女の背後、トワイン家内部を睨む。……マリーたちに散々荒らされて未だ片付けの済んでいないエリノア宅を。
「失礼ながら……拝見したところ、室内が随分荒らされておいでのようだ……まさか強盗にでも入られたのでしょうか?」
その言葉にコーネリアグレースが高笑う。(※エリノア、この辺を聞いた)
「まーほほほ! ご心配には及びません。これは、ただ、散らかっているだけですの」
と、婦人の答えに一瞬眉をぐいっと持ち上げた男──言わずと知れたソル・バークレムは、相変わらずの冷淡な表情で婦人に言う。
「散らかって……いらっしゃるだけ? ほう……それにしてはなかなかに悲惨な状態に見えますが……なるほど。エリノア嬢はお片付けが苦手でいらっしゃると……」
なるほどなるほどと一人で納得したらしい青年は、コーネリアグレースを見上げ、己の胸に手を添える。
「僭越ながら──私は片付けが得意です」
生真面目にも唐突な宣言に……婦人が生暖かい顔で吹き出す。
「いやだわ……いったいなんの自慢なのお坊ちゃん? ……あたくしだって整頓能力には定評がありますのよ?」
おーほほ! と……何故か胸を張って張り合う婦人。が、それはソルの面倒臭い男ぶりを加速させる結果となる。
コーネリアグレースの言葉を聞いたソルは、トワイン家内の荒れ果てた様子をもう一度一瞥し、異論がありそうにジロリと婦人を見る。
「おや……? 失礼ながらとてもそのようには見えませんが……やれやれ仕方ありませんね……」
「はあ……?」
ため息をつくソルに婦人が眉を顰めた瞬間──青年は手に持っていたリボン付きの箱を婦人に押し付けて。彼女がなんなのという顔をしているうちに、彼はいそいそと腕まくりをする。
「失礼いたします」
「え゛」
突然家に侵入して来た青年に、コーネリアグレースがアイメイクバッチリの瞳を剥いて。が、婦人はそれはならぬと彼の前に立ち塞がった。
「お──おまち! 何が仕方ないんですの!? 勝手に侵入しないで頂戴!」
しかし──ソルは、生真面目な顔で婦人に向かって、いえ大丈夫ですと手を持ち上げる。
「先ほども申し上げましたが、私は怪しい者ではありません。それよりも御婦人、ホウキと雑巾はどこですか? モップがあるとなお良いのですが」
「!?」
と、そこでソルは少し気遣うような表情を見せる。……威嚇しているコーネリアグレースを完全に無視して。
「調べが足りませんでした──きっと、エリノア嬢は……王宮での仕事がお忙しくてご自宅にまでは手が回らないのですね……そうでしたか……お気の毒に……しかしブレア様の意中のお方のご自宅を、このような状態にしておくわけには参りません。ここは私めがブレア様の配下として──お役に立ちましょう」
静かに、だが使命に燃えた目をした青年は、手始めにと床の上に散乱している物を拾いはじめ──コーネリアグレースが鬼顔で牙を剥く。
「いや──ちょ、話を聞きなさい! なんなのこの人間は……!?」
と──そこへ──……
コーネリアグレースの怒声を聞きつけたエリノアが、慌てて駆けつけて来た。
「コーネリアさん! ど、うし──なんの騒ぎ──……!?」
いつも飄々としている婦人のただならぬ様子に、またテオティルとでも揉めているのか──と、走って来た娘は……
そこまで言って、コーネリアグレースの巨体の向こうに──黙々と──玄関まわりの散乱物を拾う青年を見つけて壮絶にギョッとする。
「バッ──バークレム書記官!?」
な、なぜここに……と、目を剥いた瞬間に、エリノアに気がついたソルが顔を上げて……
「──む」
途端、彼はグイッと眉間に厳しいシワを寄せた。
「……お嬢様──……っ! な……んですかそのお姿は!?」
「ひ!?」
相変わらず唐突な青年の叱咤にエリノアが身を竦め、ソルは信じられないという顔つきでエリノアを睨んでいる。
……慌てて駆けつけて来たエリノアは──裸にバスタオル一枚のままだった……
お読みいただきありがとうございます。
…エリノアがまたソルに叱られています。
…こういう寄り道ばっかりで楽しんでるからなかなか話が終わらないんですけど、書いてて楽しくて仕方ない…すみません(^^;)あー終わらせないと;
誤字報告ありがとうございましたm(_ _)mご協力大変助かります。
ブクマ、評価も感謝です。とても励まされています。




