86 リードの疑問
ドアベルのカランという軽い音に、店内で品物の補充をしていたブラッドリーが顔を上げる。
「いらっしゃ──……ああ、リードおかえり」
店に帰って来た青年にブラッドリーが声をかける。だが──返事はない。
「?」
一瞬、商品棚に視線を戻していたブラッドリーはそのことに気がついて、不思議そうにもう一度振り返った。
「……リード?」
声をかけるも、やはり返事はない。
青年はうつむき気味に黙りこみ、心ここにあらずという顔で空を見つめている。
その足取りは重く、普段ならくったくなく向けられるはずの爽やかな笑顔もない。
どうしたのだろうと思ったブラッドリーは、商品を置いて青年の顔を覗きこみにいく。しかし、リードは目の前にやってきたブラッドリーのことにすら気がついていないようだった。
「リード、大丈夫?」
もう一度至近距離から名を呼ぶと、今度は反応があった。ぼんやり立ち尽くしていた青年は、ハッとしたようにブラッドリーを見て。
──その彼が持っている箱の中をのぞいたブラッドリーは、箱の底が黒く焦げ付いているのに気がついた。少年はそこに微かな魔力の気配を感じ取るが……その小さな疑問はリードの慌てたような声にかき消される。
「あ、あれ? 俺いつの間に帰ってたんだ? ご──ごめんブラッド、ぼうっとしてた。今、何か言ったか?」
「……ううん、別に何も……どうしたの? 顔色が悪いけど大丈夫?」
じっと見上げて問うと、リードはそんな少年の目を見て一瞬困惑したような顔で口をつぐんだ。
そして何かグッと奥歯を噛んだあと、少年の名をかすれる声で呼ぶ。辛そうな声音にブラッドリーが眉をひそめる。
「……ブラッド……」
「何?」
リードは不安そうにブラッドリーを見ている。
「……その……エリノアなんだけど……」
「……姉さん?」
リードの声は沈んでいて重い。それを聞いた少年の胸には不安が過ぎった。まさか姉に何かあったのか……と、そんな少年の顔を見たリードが言葉を切った。
「あ、いや……違うんだ、そうじゃなくて、その…………」
そこまで言ってリードはその先をためらう。そして数秒の間沈黙した青年は──苦笑して、何かを振り払うように手を振った。
「いや──……ごめんブラッド、なんでもない」
「え……?」
リードは力なく笑う。
「そんなわけがないんだ。きっと俺の聞き間違いだな……」
「聞き間違いって? いったい何を聞き間違ったの?」
ブラッドリーは困惑したように問い返したが、リードは頭を振るばかりで歯切れが悪い。
「リード?」
心配になったブラッドリーの眉尻が下がる。が、苦笑したままのリードは一瞬天井に視線を泳がすと、「えっと」と言葉を濁して。
「いや……あ、そうだブラッド」
と、青年は、何かを思い出したように緊張顔のブラッドリーを見る。
「……何?」
「あのさ……ちょっと聞きたいんだけど……」
ここでも青年はやや逡巡する様子見せたが、今度はちゃんと疑問を口にする。
「その……グレンって…………人間なのか?」
リードの問いに、ブラッドリーがギョッと目を瞠る。
「……グレン……? ウチの……猫のグレンのこと……?」
念を押すように問い返すと、リードは真剣な顔で頷く。
「そう、そのグレン。……さっき──……グレンらしき猫が人に化けるところを見てさ……多分間違いなかったと思うんだけど……」
「…………」
リードの言葉に、ブラッドリーはリードに気がつかれない程度に歯噛みする。あの黒猫は何をやっているんだと苛立つが……
しかし、リードは真剣な顔でブラッドリーの答えを待っている。その真摯な瞳の色にブラッドリーが戸惑う。
リードの空色の瞳は、ブラッドリーが自分に嘘をつくなどとはカケラも思っていないというふうだ。
彼を大切に思っているブラッドリーは、どう説明したものかと内心で苦悩して──
と──……
不意に、その背後から、ふぇっふぇっ、と、しわがれた笑い声が上がった。
「──リード坊、それはおそらくコーネリアグレースの使い魔だったのだろうて」
「え……」
愉快そうな声に、二人がはっと振り返る。と、二人の他には誰もいなかったはずの店内に、いつの間にか年老いた男の姿があった。
「……メイナード?」
「あれ……メイナードさん?」
リードはプルプルと身を震わせながら立っているメイナードを見ると、すぐにその傍に駆けよって。おぼつかない様子の老人の身体を脇から支える。そんな青年に、老将はにっこりと微笑みかけた。
「これはこれは……リード坊ありがとう」
「メイナードさん久しぶり。体調崩したって聞いてたけどもういいの? ん? 使い魔……?」
メイナードを支えたままキョトンとするリードに──ブラッドリーがいったい何を言い出すんだとメイナードを睨む。が、メイナードは穏やかに微笑んだままリードに言った。
「あやつが魔法を使うことはもう知っておろう? 大方そのようなものだったのでは?」
「──あれが……使い魔……?」
メイナードの言葉にリードがぽかんと繰り返す。その呆然とした様子にブラッドリーはハラハラした。
他ならぬリードのことである。確かにグレンのことをそのまま魔物だと説明するわけにはいかないが、使い魔とは。
魔法が遠い存在となった昨今、町民たちにとってそれは物語の中でだけしか出会うことのない代物だ。そんな言い訳をリードが信じるのかと、珍しくブラッドリーが冷や汗をかいて──
が。
メイナードの言葉を聞いて、一瞬唖然と瞬きしていたリードは……突然言った。
「……す──ごいな!」
「!?」
唐突な賛辞にブラッドリーがギョッと顔をこわばらせている。リードは瞳をキラキラさせている。
「リ、リード?」
「そういえば確かに……その使い魔、エリノアを助けたんだ」
「え、助けた……?」
「なるほどそれでか……使い魔とか俺初めて見たよ、コーネリアさんってやっぱりすごいんだなぁ」
リードはしみじみと──どこかホッとしたような顔でそう言って……
しかし青年の素直な納得に反して、うろたえていた少年魔王はさらに戸惑った。
グレンがエリノアを助けたという言葉も引っかかる。が、彼がそれをリードに問う前に、青年が「あれ?」と首を傾げる。
「え? じゃあ俺が今まで見てたグレンは……?」
本物の猫? それとも存在しないのか? と、動物好きの彼に寂しそうに問われたブラッドリーは、うっと言葉に詰まり咄嗟に手を振ってしまう。
「……や、え、えっと……グレンはグレンで存在してるよ……その、猫として……?」
「へーじゃあコーネリアさんはグレンをモデルにして使い魔を作ったってこと?」
なるほどなぁとリード。すっかり感心しきりの青年に──
それを見たブラッドリーが、なぜか突然消沈してガックリと肩を落とす。
どうやら──魔王は純粋な反応を見せるリードに対し、自分が嘘を重ねたことが後ろめたいらしい。
あんな荒唐無稽な言い訳をリードが信じてくれたのは……ひとえに彼が己たちによせてくれている信頼によるものだとブラッドリーは分かっているのだ。
そうしてげっそりうなだれる君主を見て、老将メイナードがやれやれと困ったように苦笑を漏らしている。
──そんな二人をよそに……
リードはホッと安堵していた。──一応の──辻褄を与えられたことに対して。
彼はブラッドリーたちに気づかれないよう小さな声でつぶやく。
「……そっか……じゃあ、あの子供も……?」
そうなのかもしれないとリード。多分──あの子供もコーネリアグレースが魔法か何かを使ったんだろう。
──やはり、
……魔王と聞こえたのは──聞き間違いだったのだ。
「…………そうだな、きっとそうだ……」
リードはそうつぶやく。──心の中には釈然としない思いと不安がもやもやと渦巻いていた。だが、それを無理やりおさえこみ……
リードは普段通り、目の前で何故か肩を落とす弟分に向かって微笑みかけるのだった。
──その、頃……
ブラッドリーが消沈し、リードが不安を胸に抱きながらも微笑んだ頃。
コーネリアグレースやグレンたちと共に帰宅途中のエリノアは……のんきにも──にへっと幸せそうな顔をして、照れ照れと道を歩いていた。
その肩には、黒いマリモっ子たちがみっちりより添って乗っている。
モフッと頬にあたる毛の柔らかい感触に、エリノアは目尻をこれ以上ないくらいに下げきって。ひたすらに、ニコニコにまにま笑んでいる。
「気持ちいい……可愛い……嬉しい……マダリンちゃんのほっぺの毛、ふわふわね」
デレデレするエリノアに、子猫たちは冷淡な声。
「ゆうしゃ」
「それ」
「おしりよ」
お読みいただき有難うございます。
……尻で切ってすみません。
さて、本日コミカライズ版発売日です。ギリギリ……なんとかもう1話更新できました。ヨカッター…;
コミカライズ版かなり美麗です。ぜひイラスト化されたエリノアやブレア、グレンたちをご覧いただければと思います。よろしくお願いいたします( ´ ▽ ` )




