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侍女なのに…聖剣を抜いてしまった!  作者: あきのみどり
三章 潜伏勇者編
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83 リードと黒猫 ②




 姿形から、それがエリノアたち姉弟が飼っている猫、グレンだということはすぐに分かった。


(…………グレンが…………人に、化けた……?)


 それは一瞬の出来事で。おそらく彼がエリノアに注視していなければ見逃したことだろう。

 たった一度──瞬きする間に、黒い毛並みが膨れ上がり、あるいは伸びて──

 あの、しなやかで華奢な少年の姿に変わったのだ。


 リードはぽかんと離れた屋根の上のエリノアたちを見た。

 まずは単純に驚いた。魔法が身近なものでなくなった昨今。町民の彼は、姿を変える生き物に出会ったのは初めてだ。呆然としたまま彼は思う。


(……グレンは……ただの猫じゃなかった、のか……? 魔法……魔法使い……?) 


 いや、だったらなんで猫のフリなんかしていたのだと。何故それがエリノアたちの飼い猫として家にいたんだと。不可解すぎて。リードはエリノアに『大丈夫だったのか』と声をかけることもできなかった。

 戸惑うリードの視線の先で、エリノアと少年は屋根の上で言葉を交わしている。会話はほとんど聞き取れない。だが、二人が親しげであることだけは分かった。

 リードは改めて少年を眺めて、やはり信じられないと思った。

 彼が猫から人に変化して見せたのも驚きだが、少年はとても小柄で。空中で軽々エリノアをつかんだ腕も、地を蹴った足も、肩も腰も……リードより確実に一回りは細い。……とても人ひとり抱えて民家の屋根まで跳び上がれるような身体つきには思えなかった。


 事態が飲みこめず、言葉もなく遠目に彼女たちを見つめていると……

 ふとリードは、エリノアたちの会話の中に幼い声が混じっていることに気がつく。しかし、屋根の上にそれらしい姿は見当たらない。

 不思議に思った青年が耳を澄ます。と、それは小さな、少女の声のように聞こえた。


「?」


 エリノアたちと彼の立っている場所とは距離が離れていたが、幼い声は高く、よく通り──……



 ……い、まおうさま……



 ──その声だけが……うっすらと耳に届いた。


 微かに拾い聞いた言葉に、リードが再びぽかんとした顔をする。


(……ま、おう…………魔王、様?)


 それは、とてもとても穏やかではない響きだ。

 リードの困惑が深くなる。

 何故、エリノアは……あんな屋根の上で、そんな物騒な──千年も前に倒されたようなものの話をしているのだろう。

 地面に視線を落とし、考えこんだリードは、いやと首を振る。

 きっと聞き間違いか何かだろう。と──


「あ──」


 一瞬、考えこんで視線を外した間に、エリノアと少年が屋根の向こう側に消えていってしまった。

 立ち去っていく影を見て、リードは慌ててそのあとを追おうとした。

 何もかもがよく分からなかったが──このままエリノアをあの少年と一緒にいかせるのは不安だった。


 が……


「!?」


 ふと──……駆け出そうとした背後から。冷気のようなものが忍びよってくるのを感じて──リードの足が止まる。 

 それは何か──とてつもなく大きな獣にでも狙いをつけられているような……そんな不穏な気配だった。

 思わず悪寒を感じたリードが素早く振り返ると──その目に飛び込んできたのは──


 箱の中の、小さな子猫。

 

 木箱のフチから顔を覗かせた子猫の青い双眸が……ひたりとリードを見つめていた。


 それを見たリードは……ああなんだとホッと胸をなで下ろす。

 何か危うい視線を感じた気がしたが──気のせいだったのかと。

 そして小さな子猫を見た彼は、一瞬戸惑う素振りを見せた。──どうやら──ここに子猫を残してエリノアを追うことはできないと思ったらしい。

 子猫は、発見された常連客の家で水と食べ物を与えてみたが、何も口にはしてくれなかった。しかしそろそろお腹をすかせているかもしれないし、喉も乾いているかもしれない。

 ……何かを優先して後回しにするにはあまりにか弱すぎる存在だ。そしてリードは、それを放ってエリノアを追えるような性格ではなかった。

 

「……」


 青年はため息を一つ。子猫のそばまで戻ると、待たせてごめんなと声をかけ、箱のそばにしゃがみこんだ。

 とにかく一度店に戻り、母にでも預けてからエリノアのことは様子を見に行こう。


(……大丈夫だ、そんなに険悪で切羽詰まった感じじゃなかった……大丈夫……)


 だからエリノアは大丈夫だと。リードはざわめく胸を抑えながら、不安な己をなだめながら小さな子猫の頭をなでようと手を伸ばし──


 ……た、その瞬間、


 子猫の口が奇妙に動く。


「……──わすれろ」

「え……?」


 唐突に聞こえた声に──リードがパチパチと目を瞬く。


「? ──……誰だ?」


 そばに誰かいるのかと青年は不思議そうに周囲を見回すが──空き地には、何者の姿もない……


「……気のせいか?」


 なんなんだと思いながら、彼は目の前の木箱を抱き上げようと手を伸ばし……

 と、もう一度、子猫の口がゆっくりと開く。


「──わすれろ」

「!」


 リードが唖然とした。

 あどけない、幼い声は、まさに彼の目の前にいる子猫から発っせられたものだった。


「お、前……」


 かすれる声をもらすと、幼い声が威嚇するように低くなる。


「まおうさまとあにうえのこと……さわぎたてたらゆるさない」


 今度こそはっきりと子猫が口を動かしてしゃべる様を見たリードは、目を見開いて顔をこわばらせた。その間にも、子猫は愛らしい顔で冷たい言葉を吐く。


「くちをとじていろ、よけいなことは、かんぐるな」

「……魔、王……?」


 目を瞠ったまま繰り返すと、一瞬子猫の瞳に危うい光が灯る。

 次の瞬間──そこには小さな子供が立っていた。

 切りそろえられた黒髪に、白い顔に真っ赤な唇。真っ黒な闇を織り込んだような色のワンピースを着ている。顔はとても愛らしいが、リードを見上げる青い瞳には感情というものがまるでない。それが異様に不気味だった。

 あまりに奇怪な佇まいに……対峙したリードは唖然として──

 そんな彼に、少女は少しだけ鮮明になった言葉で続ける。


「……たすけてくれたからいまは殺さない。けど……あたしたちのこといいふらしたら、その目とノドをつぶしてやる」


 言いながら、少女はリードの顔に手を伸ばす。向けられた指先に、リードは咄嗟にそれを避けようとした、が……何故だか身体が石になってしまったかのように動かなかった。

 幼い指が、身動きできないリードの下瞼にトンッと触れて──


「っ……!?」


 次の瞬間、少女の愛らしい顔が獣の顔に変わった。爪が異形の形に変化する。鋭く尖った爪で左目の下をじんわりと刺された青年は、目を見開いて少女の顔を食い入るように見つめた。これではまるで……とリード。

 ……これはまるで、女神の伝説に出て来るような……


「……魔、物……?」


 呆然としたリードがポツリともらすと、少女は冷たい顔のまま、リードの顔に触れた爪に力をこめた。


「かんぐるなっていってる。魔障をつけられたいの? 死ぬよ、おまえ」

「…………」 


 その冷たい目を見て、リードはふと町の噂の一つを思い出した。

 人々はまことしやかに噂している。聖剣が抜かれ、それは勇者と共に消えてしまったらしい。それは……


 ──魔王と魔物の仕業ではないかと。


 リードは言葉をなくして少女を見る。


 “魔物”


 まさか──この小さな子供がそうだというのか。──いや、聖剣消失に関わるものなのかは分からない。だが、彼女は人間ではない。明らかに。


(──なら──……)


 動揺した目が先ほどエリノアが立っていた屋根の上を見る。

 この少女とグレンの関係は? この少女が『勘繰るな』と言っているのは、どう考えても先ほどリードが目撃した黒猫のことであろう。──まさかグレンも魔物なのか。


 じゃあ──と、考えて、リードは己の心臓が次第に大きく脈打って行くのを感じた。


 じゃあ……彼らと一緒にいた……エリノアは──?


「……っ、」


 動揺したリードは急激な不安に襲われた。気がつくと、全身から冷や汗が噴き出していた。

 何もかもが理解の及ばない事柄のような気がして、ただ、エリノアがとんでもないことに巻き込まれているような気がして恐ろしかった。

 もし本当に少女とグレンが魔物なら、エリノアは何故魔物と行動を共にしているのか。もしや拐かされているのか、しかし何故……と、疑問を持った時──リードの脳裏に少女の声が蘇る。


『まおうさまとあにうえのこと……さわぎたてたらゆるさない』


 それを思い出した瞬間、リードは冷水を頭からぶちまけられたような衝撃を受けた。

 あの時、あの場には、エリノアとグレンしかいなかった。少女の言う『あにうえ』がグレンなら、『まおうさま』とはまさか──……


「っそんな、馬鹿な……!」


 リードは怒号を上げ、憤ったように少女を見据えた。──途端、ピクリとも動かなかった身体が弾けるように自由になった。

 ──だが。


 彼が視線を己の前に戻した時、そこは既にシンと静まり返っていた。


 ──少女の姿がない。


 リードは唖然と周囲を見回す。しかし──空き地は平穏そのものだ。


「…………」


 リードは呆然と立ち尽くす。頭がグラグラして、心臓の鼓動がどくどくと耳にまで届く。


 ……ふと……


 足元に残された木箱にぼんやり視線を落とすと……

 あの子猫がいた場所が、真っ黒に焼け焦げていた。






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