79 毛だまの失踪
ルーシーは家の掃除を手伝うと言ってくれた。が──……不本意にも、今ここエリノアの自宅は魔物の巣窟も同然である。
家の惨状を考えるとテキパキしたルーシーがいてくれればとても助かるが、あのコントロールの効かないピンボール子猫たちがいずれここに戻ってくるだろうことを考えると──とてもルーシーに手伝ってくれとは言えないエリノアであった……
そうしてエリノアがルーシーの申し出を丁重に辞退すると、彼女は気にした様子もなく、「そう?」「じゃあ私もジヴ様のお顔を見に行こうっと♪」と、足取り軽やかに去っていった。幸せそうで何より。そんな義理の姉をエリノアは手を振り振り見送って。そして玄関の扉を閉めようとした時──その隙間から、サッとすべりこんで来るものがあった。
「ん?」
「姉上ぇぇ」
「え……グレン?」
足に何かが当たった気がして。目線を落とそうとしたエリノアの腕にピョンッと飛びこんで来たのはグレンだった。エリノアが何事だと目を瞬く。
「もう嫌だ! お願いします姉上! 妹たちを退治してください!」
「…………あんたねぇ……」
ワッと泣き始めた黒猫にエリノアは呆れたような顔をする。
「それ、私が絶対しないって分かっていて言ってるでしょ……」
エリノアは自分の腕と身体の隙間に頭を埋めるようにして嘆いているグレンの後頭部を見下ろす。出かけて行った時よりもさらにボサボサになった頭が、外で何があったのかを物語っていた。
「あいつら完全に私をおもちゃ扱いしてます! 母上は私がちょっと妹たちを突き飛ばすと烈火の如く怒るくせに、私が妹たちにかじられていても知らん顔するんです! あらー仲がいいわねぇとか言って……不公平です!」
「あー……まあ、兄と妹じゃ力の差もあるしねぇ……よしよし大変だったね」
憤慨するグレンにエリノアは、「兄なんだから我慢したら?」とは言わなかった。察するに、グレンは既に十分妹たちに我慢している。エリノアが見ていた限りでは、グレンは昨日から妹たちにゴスッゴスにやられていたが……一度もちびっ子たちに手をあげていない。
「まったくです!」と、キィキィ叫ぶ黒猫の後頭部には……三ヶ所毛をむしられたようなあとが残されている。妹たちにやられたのだろうなと思いながら、エリノアはグレンの背中をゆっくりとなでた。
グレンはグレンで苦労しているらしい。
「それで……コーネリアさんとマリーちゃんたちはどうしたの?」
一緒だったのではと問うと、グレンは、三匹は母がカゴに入れて連れて出かけたと言う。
「え……カゴ? それって大丈夫なの……?」
エリノアの脳裏には、婦人がカゴに子猫たちを放りこみ、ウキウキ町を闊歩している様子が思い浮かぶ。なんとなく不吉な予感がして更に行き先を問うと、グレンは顔を埋めたまま投げやりに、さぁ!? と言った。
「ここで暮らすためのルールを教えこまなければと言っていましたから、一緒に町に人間見学にでも行ったんでしょ!」
「人間見学……」
その言葉にはやや微妙な思いがするが、まあいいかとエリノア。そちらはコーネリアグレースに任せておけば大丈夫だろう。とにかく今は散らかった家の中を整頓しなおさなければ。
そう思ったエリノアは、黒猫をなだめながら荒れた居間へと戻って行った。
のだが……
それから一時間も経たぬという頃。家も半分くらいは片付いて、エリノアが見事に裂けたカーテンを繕っていた時のことだ。膝の上にはすっかりいじけてしまったグレンが不貞寝をしている。テオティルはテーブルの反対側に座ってエリノアが動かす針を興味深そうに眺めていた。
そこへ──不意にギィィィ……と、どこかホラーな音が鳴り響く。
蝶番の軋む音にエリノアがぎくりと顔を上げると……戸口に誰かがノスッとたたずんでいる。
「……やられましたわ……」
「へ……?」
戸口を塞ぐようにして立っていたのはコーネリアグレースだった。
女豹婦人は沈痛の面持ちでため息をこぼしている。
「コーネリアさん? どうかされたんですか?」
普段とどこか違う彼女の様子を不思議に思ったエリノアは、繕い物をテーブルに置き、膝の上のグレンを腕に抱き直して彼女の傍へ行く。
すると、婦人は無言で腕に通していたカゴをエリノアに差し出した。
「え……?」
カゴの中には黒いもこもこが三つ。
「マリーちゃんたちが……どうかしたんですか……?」
言いながらカゴを覗きこむが、子猫たちはピクリとも動かない。
「?」
寝ているのだろうかと不思議に思って見ていると、無言のコーネリアグレースがそのうちの一つに手を伸ばし──唐突に──ムンズっと力一杯鷲掴みにする。
「え!?」
その躊躇ない握り方にエリノアが思わず叫ぶ。力のこめかたが子供に触れるのに相応しくなかった。
まるで握り潰さんとするような母の手にエリノアは驚いて──
が──
「……あ、あれ? これって……」
気がついて、エリノアは目を丸くした。
マリーたちかと思っていた黒いモコモコの毛玉ボールは……婦人の手の中であっけなくクシャッと潰れてしまった。どうやら、ただの毛玉の塊だったようだ。
エリノアは、ホッとして。しかし、ん? と不思議そうに頭を傾ける。
「え? マリーちゃんとマールちゃんとマダリンちゃんは……?」
その問いにコーネリアグレースが厳しい顔で答える。
「いません。これはあの子たちが作った偽物です」
「へ?」
ぽかんとエリノアが見上げると、コーネリアグレースがギリギリと奥歯を噛んでいる。
「いつの間にかすり替わっていました……あの子たちったら……!」
「え……? え? ど、どういうことですか……?」
恐怖の鬼顔で怒っているコーネリアグレースに恐る恐る問うと、腕の中のグレンが、あははと空虚な響きで笑った。
「あーあ、あいつら脱走したんですか?」
「だ、脱走!? あ、迷子⁉︎」
グレンの言葉にエリノアがギョッとする。その横で、コーネリアグレースはコメカミに浮き出た血管を押さえながらため息をこぼす。
「はー……ちょっと離れているうちにこんな悪知恵までつけて……」
彼女の話では、この黒い毛玉はマリーたちの体毛と魔力の塊で出来ていて、彼女もここに帰ってくるまで気がつかなかったと言う。
「なんだか途中から妙に大人しいとは思っていたんですが……」
「や、は、早く見つけに行かないと……あの子たちが怪我でもしたら……!」
しかし、青くなるエリノアをグレンが笑う。
「大丈夫ですよ姉上、あのチビたちも一応魔物ですからそうそう怪我なんてしません。ま、町民に何か被害が出るかもしれませんがね。放っておけばそのうち帰ってきますよ」
「グレン! このお馬鹿! あの子たちだって魔障くらいばらまけるのよ! 人間に被害が出たらブラッドリー様の平穏な暮らしが脅かされるでしょう! ああ、申し訳ありませんが……エリノア様探すの手伝っていただけますか? 多分そう遠くまでは行っていないと思うのですが……」
「も、もちろんです!」
魔障と聞いて、以前グレンが騎士オリバーにつけた魔障を思い出したエリノアは真っ青な顔をして婦人の頼みに頷く。そして嫌がるグレンを腕から床に下ろし、娘はあっという間に家を飛び出して行った。
そのあとを、コーネリアグレースが追いかけて行く。が、婦人は「エリノア様?」と、キョトンとしている聖剣テオティルに留守番をするように念を押すのを忘れなかった。
「お留守番……」
残されたテオティルは、寂しそうな顔でエリノアが出て行った扉を見ていたが……不意に、その目が同じく居間に残っていたグレンを所在なさげに見る。と、黒猫は聖剣と目が合った瞬間背中の毛をビビッと逆立たせて。嫌そうな顔で舌打ちを鳴らす。
妹たちはものすごく面倒だが、この聖剣と二人で家に残されるのはもっと嫌だった。
「ぅー……っ、もう! これだからあいつらと一緒にいるのは嫌なんだよバカっ!」
せっかく姉上の膝でくつろいでたのにぃ! と、プンスカ文句を言いながら……
兄猫はエリノアたちを追って駆けて行った。
お読みいただき有難うございます。
まりもっ子たち失踪。
ブクマ、評価等有難うございました。楽しんでいただけると嬉しいです。




