77 王妃の喜び
はぁ……と、物憂げなため息がこぼれた。
いかにも憂鬱そうなその音に、ため息の主──王妃の機嫌伺いに来ていた王太子が苦笑する。
「母上、そんなにお疲れになられたのですか?」
王太子は手にしていたティーカップをテーブルの上に置くと、そんなに心配しなくてもと笑う。
「だって……老臣たちはうるさいし、それなのに侍女頭もタガートも反対するし……まったくどうしたらいいのか……」
それを聞いた王太子は不思議そうな顔をする。
「エリノア嬢の件ですよね? おや……タガートは反対なのですか」
「いいえ違うのよ。婚約に反対ということではなくて……つまり彼らは、エリノア嬢に侍女職を辞めさせることに反対なの」
「ほう」
王妃は長椅子の肘掛により掛かるようにして、もう一度ため息をついた。
彼女によれば、それは昨日、派閥内の臣下や高官、それにタガートらを集めての会議でのことらしい。
王妃は柔和なつくりの顔を精一杯固くして王太子に言う。
「議題は、“どうしたらブレアとエリノア嬢の婚約が実現するか”、よ」
「……ほう、」
母親の真面目くさった真剣な顔に、王太子は内心噴き出したかったがそれをこらえた。
「なるほど、なるほど……そうでしたか」
どうりで昨日は宮廷に人が足りなかったわけだと王太子。いるはずの大臣や官がいないのを彼は不思議に思っていたが、そうか、母が集めていたのかと納得した。
王妃は苦悩を浮かべている。
「老臣たちは、彼女をブレアの相手として議会に認めさせるために使用人はやめさせて早々に淑女教育をさせろと言うのだけれど、ダガートや侍女頭は彼女は絶対に職を辞めぬだろうって……私、それが生活のためなら支援は惜しまないと言ったのだけれど、そういう返すあてのない援助は嫌がるだろうって言うのよ。それに侍女頭はかわいそうだって。せっかく試験に受かって王族付き侍女になったのにって怒るのよあの人ったら……」
親しい間柄の侍女頭の言い分に王妃は口を尖らせているが、王太子は「まあそれはそうかもしれませんね」と頷いた。もう、どうしたらいいのと王妃。
そんな母を見て、王太子が微笑む。
「さすがはブレアの見染めたお嬢さんなだけはあるではありませんか。母上そう嘆かないで。しっかりしていらっしゃるのです、よいことではありませんか」
「だけど……私のお嫁さん(?)はいつになったら私のところに来てくれるの? タガートたちは彼女が苦労して働かざるを得なかったのは、私たち王家に責任があるから無理強いは絶対にダメだと譲らないし……」
「…………」
ため息まじりの母の言葉に、たえず朗らかだった王太子の顔が、一瞬憂いを見せた。
トワイン家の亡き家長が、彼らの派閥の切り崩しを狙ったビクトリアに陥れられたことは彼も知っている。
しかし、当時は側室妃の影に隠れ背後から突いてくるような攻撃は、当然王太子自身にも及んでいて。彼もあの頃は、王室内の覇権争いの渦中で日々薄氷を踏む思いで過ごしていた。──その裏で、犠牲になった者に救済の手が行き渡らなかったことには彼も責任を感じている。
王太子は母の手を取ると、少し悲しげに微笑んだ。
「……母上、ひとまずはエリノア嬢のために何ができるか考えませんか?」
なだめる王太子に、王妃は頷く。
「そうね……とりあえず王都の孤児院に個人的に寄付をして視察にも行こうかしら……もしかしたらエリノア嬢のような子どもたちが他にもいるかもしれないから……あぁぁ、でもどうしてこんな時に聖剣はなくなってしまったの!? おかげで事が少しも思うように進まないったら……もういっそ……私が直接エリノア嬢に直談判しに──」
と、言う母を、王太子は笑顔でバッサリと切る。
「ふふふ、ダメです母上。それは多分ブレアが一番嫌がることです」
「……そうよね……」
王妃はガックリと肩を落とす。彼女が裏でいろいろと動いているのを知ったブレアには、もうとうに彼女は『余計なことをしないように』と散々釘を刺されている。昨日のその会議も王太子が知らなかったくらいだ。ブレアにバレないようにこっそり開催されていたに違いない。
王太子は苦笑しながら母の背をさすった。
「元気を出してください母上。今はブレアも私も忙しいですが、聖剣が見つかればきっとこの話も動きますよ」
「太子……でもブレアの将来を思うと胃が痛いのです……もうこんな機会はないかもと思うと気が急いて……」
身体を折って訴える王妃に、王太子は笑いながらそうそうと言った。
「そういえば。昨日ブレアがエリノア嬢を招いて茶会を開いたそうですよ」
「っ!」
途端──うなだれて目の前のテーブルに手をついていた王妃の動きがピタリと止まる。
「………………ブレアが……?」
王妃はゆっくりと強張った顔をあげて。王太子はええと頷いた。
「一昨日からブレアがいやに仕事を前倒し前倒しで詰めこんでいるなとは思っていたんです。どうやら……それも茶会のためだったようですね」
「まあ……っ」
王太子の言葉を聞いた王妃の顔色がだんだん明るくなっていく。それで!? と、先を急かすように身を乗り出してくる母に、王太子はハリエットから聞いた話を聞かせてやった。
途中出て来たビクトリアの名に王妃は悲壮な顔をしたが……その側室妃をエリノアが追い払ったらしいという話をすると、彼女は勢いよく立ち上がって。ゴージャスなドレスの袖から伸びる両手を高らかに掲げ、拳を握って歓喜した。
「……っ! こんなに感動したのは……久しぶりだわ……! す、素敵、さすが私のお嫁さん……」
そんな母を冷静に見上げながら、王太子はニコニコ続ける。
「多事多忙のなか、ブレアがわざわざ時間を作って女性と会ったなんてこと初めてでしょう? だから私もあの子も不器用なりにエリノア嬢と仲を深めようとしているのだなと思って、なんだかいじらしくて」
「あの子が……女人と茶会……」
王妃は今度は感極まったように目元を手で押さえている。
茶を一緒に飲んだだけで何を大袈裟な……と思われるかもしれないが。これまで彼女が浮いた噂のない息子のために開いた茶会という名の見合いの席は数知れず。そのたびに、ブレアの関心のなさそうな、居心地の悪そうな顔を見続けて来ていた王妃は……よほどほっとしたらしかった。
ね? と王太子は母を安心させるような微笑みを浮かべる。
「ブレアも頑張っていますから、大丈夫ですよ母上」
「そうね! そうなのね!」
王太子に励まされた王妃は嬉しそうに息子の手を握りしめた。
──そしてその後。
いたく感激してしまったらしい王妃はとりあえず、自分も何かがしたくて堪らなくなったらしい。宣言通り、すぐさま孤児院に寄付をするよう指示しに走り、視察のスケジュールを立てに行ったとか。
──さらにその後。なぜか街で見知らぬ町人に声をかけられ感謝されることが増えたエリノアは、その訳が分からずひどく不思議そうにしていたという。
お読みいただきありがとうございます。
なんだか書いている割に完成に近づかない苦しい数日間でした(´∀`;)
ブクマ、評価等してくださった方、そして引き続き読んで下さっている方本当にありがとうございます。おかげで頑張れます ( -ω-)人 感謝です。




