70 ブレアとエリノアのお茶会⑤
──のちにエリノアは、その時のことをなんかよく分からない愛情パワーにやられてしまって……と後悔する。
グレンは、それをずばりすっぱりと切った。
『色ボケですね』
言い返せないエリノアに──それが青春ですとしめやかにまとめたのは、コーネリアグレースである……
──それは少しだけ時を巻き戻したサロン内でのこと。
オリバーを見送ったあと、青年は、申し訳なさそうに言った。
「すまないエリノア。今日はこれで……お開きにしたほうが良さそうだ……」
区切られた言葉の小さな間には、彼の気落ちした思いがひそんでいた。
側室妃ビクトリアは、普段国王や王妃といった明らかな目上の者以外に会おうという時、自分から相手の元へ出向くことはまずない。
それが……こうしてブレアを王宮に呼びつけるわけでもなく、わざわざ宮廷側のサロンに突然会いに現れたということは、彼女の目的が、このエリノアとの茶会にあるのだとは想像だに難くない。
王家の者が誰かを訪ねる際にあるはずの事前通達すらなかったことが、いかにも驚かせてやろう、困惑させてやろうという意図が透けて見えるようだった。
(……困ったお方だ……)
ブレアは心の中でため息をこぼす。
しかしそういうことならば、彼としてはエリノアをここに引き留めておく訳には行かなかった。扉越しに鈍い音声で聞こえてくるのは、はばからないトゲのある言葉だ。あの言葉の数々を、面と向かってエリノアに聞かせる気にはとてもなれなかった。
ブレアは名残惜しげな顔をして、エリノアを見る。
「すまない……」
その謝罪は、こうして逃げるように帰らせてしまうことに対してであり、父の妃からの暴言に対する言葉でもあった。あんな言葉を聞けば、エリノアもさぞ気を悪くしているだろうと彼は気を揉んだが……
そんな心配は無用だった。固い顔でこの埋め合わせは必ずすると言うブレアに、エリノアはとんでもないと首を振る。
「ブレア様十分です」
「だが……」
「はじめはとても驚きましたけど……と、とても良い時間を過ごさせていただきました」
嘆いたり騒いだり……いろいろとあった。でも、ブレアと二人、静かで穏やかなひと時があったのも確かだった。
自分が入れた茶を幸福そうに飲むブレアを眺めていた時間は満ち足りたものだった。
あの時間を思い出すと、それはほんの短い時間であったはずなのに、エリノアはとても幸せな気持ちになれた。
そう思い出しながら埋め合わせなど不要と言う娘の、照れっとふやけた顔を見て──ブレアは一瞬抱きしめたい衝動に駆られる。
が……
「…………くっ……」
ブレアは目を逸らし、難しい顔でそれを耐えた。※直視は危険だと思った。
現状、早くビクトリアをなんとかしなければならない。呆けている場合かと己を律するブレアに……
だが、エリノアはその難しい顔を見て悲壮な顔をする。
(……!? ブレア様が、ものすごくおつらそう……)
だが、エリノアは、今回はそれが自分のせいだとは思わなかった。
廊下からは今もブレアやエリノア、そしてソルを罵る声が聞こえている。あのギャンギャンと騒がしい口撃を置いて、自分のことで、しかも抱きしめたいとかいう願望でブレアが苦悩しているなどとは思わなかったわけだ。
エリノアはどうしようと胸の前で両手をうろうろさせている。
(は、早くビクトリア様をおとめしなければ……)
思うのだが、出て行ったオリバーも、そこに元々立っていたらしいソルも、ビクトリアやその身の回りの侍女たちとはかなり相性が悪いのではないだろうか。
オリバーは見るからにビクトリアが嫌いそうだし、ソルは正直、問題外。淡々とビクトリアを怒らせている様子が目に浮かぶようである。
そういう視点で言えば──女性には女性。
(……ビクトリア様をおなだめするのは私が一番適任なのでは……?)
悲しいかな、没落娘なエリノアは自分に口撃用サンドバック能力……つまり、他人から受ける嫌味や暴言に対する耐性が高い自覚がある。もちろんこれは弟……ブラッドリーが関わっていないということが前提なので、グレンには適用されない。
ともかく……エリノアは、自分ならビクトリアの嫌味を受け流せる自信があった。というか──絶対バークレム書記官より私のほうがマシだろうとはなはだしく思い……これはブレアに申し出てみなければと顔を上げたのだが──
そんな娘の手を、不意にブレアがとる。
「え……」
突然のことにギョッとして。赤い顔で見上げると、ブレアが彼女から目を逸らしたまま言った。
「……侍女たちに王宮まで送らせる。正面の入り口ではなく、露台の階段の方から庭に降りて行くといい」
ブレアはそうぽかんとしている娘に告げると、壁際で控えていた侍女たちを呼びよせた。
サロンの窓の外には広い露台がついていて、その中央には下へ降りる階段がついている。階段を下ると宮廷の庭に出られて、そうすれば、エリノアはビクトリアと顔を合わせることなく宮廷の敷地から出ることが出来る。
ブレアに誘導されたエリノアは、またその優しいあしらいにカッと頭に血が上る。が、ふと、あれと思う。
(あ、あれ……もしかして私……そうそうに逃されようとしている……?)
繋がれた手が恥ずかしすぎて顔面には汗が滴るし、頭はどこかクラクラするが……エリノアは、ブレアが自分をビクトリアに会わせぬよう、気遣っていることに気がついた。
侍女二人に託されたエリノアは、しかしこれでいいのかと焦る。ビクトリアは声高にエリノアに会わせろと言っている。ここで自分が逃げれば、ビクトリアは余計に怒るのではないのか。その後でブレアが彼女になんと言われるのかと想像すると……堪らない気持ちになった。
(ブ、ブレア様……)
エリノアが困惑したように青年を見ると、その視線に気がついた彼は娘を安心させるように笑んで──……
「…………」
それを見た瞬間──
エリノアの足が露台に出るガラス戸の前で止まった。
──いや──……
「──そんなわけには行きませんよ!」
「!?」
クワっと怒れるマングースのような顔で舞い戻ってきたエリノアに、ブレアも侍女たちも驚いたような顔をしている。
「エリノア……? どうした、ここは早く出たほうがいい」
彼女がビクトリアに捕まれば面と向かって嫌味を言われるに違いなかった。
たとえそれが目に見える傷ではなくとも、人の心という大切な場所に傷を負わせるということを、散々経験し思い知らされているブレアは、もう一度エリノアに帰るようにと促す。が……
エリノアは少しブレアにクラクラしたまま……どこか可哀想な子供でも見るような目で青年を見る。
「殿下……さてはお姉さんというものにお慣れでないんですね……?」
──その瞬間──室内にモヤッとした沈黙が訪れた。
ブレア以下サロンにいた面々は怪訝そうな顔で黙しており、エリノアだけが訳知り顔でうんうんと頷いていた。
「…………お…………」
言われていることがカケラも分からない彼は……神妙な顔でエリノアに問う。
「お姉さん……とは……?」
しかし『ブレアは自分を姉と思いたい説』をもはや事実として受け入れているエリノアは、相手がブラッドリーであるようなつもりで言った。
「あのですね、姉とは、すなわち弟を守るものなのですよ、殿下」
「……」※ブレア
「……」※侍女①
「……」※侍女②
言いながら、エリノアは“姉”と言う時に自分を指差し、“弟”と言う時にブレアを手のひらでそ……っと示した。
途端ブレアがしん……と、精神を静寂で満たす。……落ち着いたのではない。意味がわからなすぎて真っ白になったのだ。侍女二人も同様である。
エリノアは分かります分かりますと、全然分かってなさそうな顔で言う。
「殿下はお姉様がおられず、あまりお分かりにならなんですね。でも……せっかく“姉”と見込まれておいて、このわたくしめが殿下をおいて逃げるなんて……そんな馬鹿な話があるでしょうか!?」
「…………」
オリバーが聞いていたらおそらく馬鹿はお前だと思い切り頰でもつねり上げられただろう。誰が誰を姉と見込んだんだとヘッドロックされたかもしれない。が……残念なことに、サロン内には彼のようなツッコミ役が不在だった。ツッコミ経験が底辺レベルのブレアは困惑している。
「…………すまん……何を言えばいいのか分からん……」
侍女二人はだろうな、と思った。
しかしエリノアは勇ましい。
「ええ、ええ、いいんですよブレア様! 全然OKです! 分からない時にこそ姉に頼ればいいんです!」
「……私は…………お前の“弟”なのか……?」
「ええそう思っていただいて結構です。あ、もちろん姉弟序列で偉そうにしたいとかはありませんからご安心下さい。わたくしめ、弟をこよなく愛しておりますから、宝物ってことです」
「…………」
思いきって聞いてみたものの……エリノアに当然だという顔で返されて……ブレアが再び沈黙している。宝物と言われたのは若干嬉しかったが……弟と言われるとその微妙さが半端ない。だってそれは恋愛対象ではないではないか。……しかしエリノアは主張し続ける。
「ブレア様、姉というものは弟のためならなんでもできるんです(※エリノア主観)。自らが弟の盾になれていると思えれば困難もまた喜びです!」
可愛い弟のためならば、火の中水の中、目に入れても痛くありませんと高らかに言うエリノアに──周囲は唖然としているが……彼女がこう転んでしまったのには理由があった。
ブレアに恋していると気がついて。
でも、身分差という決定的なものがそこにあることを忘れなかったエリノア。
かといって、エリノアにとってはこれが初恋だ。これが恋かと気がついてそうそうにそれを諦めるというのはあまりにつらい。
……そこに──逃げ道を与えたのが、そういえば王子は私を“お姉さん”だと思ってくれているんだったわという閃きだった。
エリノアは、ピンときた。そういう形なら身分違いの自分も、ブレアを想っていてもいいのではないか。
きっと、ブレアだって王子という立場上、使用人に本気で好かれてしまったら困るに違いない。散々『王子に近づきすぎるな』と、うるさかったオリバーたちにも、もしエリノアがブレアを好きだなんてバレたら即刻王宮を追い出されてしまうかもしれない。
──でも、“姉”だったら。別にどうなるというものでもない。エリノアの経験上、“姉”は“弟”に無償の愛を注ぐものと決まっている。
これならば堂々と(?)ブレアに好意を持っていられると考えたエリノアは……嬉しそうで、少しだけ、悲しそうだった。
相手を手に入れたいなんて──思うべくもなかった。
そばにはいても、ブレアは遠い人である。
つらくもあったが──そこは頼られているという思いでカバーした。昔から貧困生活にあったエリノアには落ちこんで立ち止まるという選択肢はない。働かなければ食べられず、嫌なことも乗り越えるほかない。だから、今回も、どうにか進むしかないと思ったエリノアは、たくましい“姉”の顔でブレアにドンと胸を叩いて見せる。
「お任せくださいブレア様、“弟”を守るためならばわたくしめビクトリア様とダンスだってしてみせます!」
「……!? ……!?」
そう言って、思い切り気合が入った様子でサロンを出て行こうとする娘。一方──なぜかキッパリ“弟”認定されてしまったブレアはショックを受けている。
「……待てエリノア……どういうことだ……お、弟とは……」
求む、説明。そもそもそれは年齢的にも見た目(主に身長)的にも無理があるのでは……と、青年は意気揚々と出ていこうとするエリノアを止めようとする。が……そういえばと彼はハッとする。もしかして、先程自分が意味不明にも、エリノアを“姉上”などと呼んでしまったことがここに尾をひいているのだろうか……
「……!? エ、エリノア待て!」
「?」
説明させてくれと慌てたブレアの手に腕をつかまれて──引きよせられたエリノアが、キョトンとブレアを見上げる。二人の視線は重なって、ブレアとエリノアは見つめ合う──……
……が、ブレアが何か言う前に、エリノアは自分の腕をつかんだ青年の手に、己の手をそっと添えた。
「っう……」
ブレアが怯む。見上げてくるエリノアの顔は、“弟愛”に溢れ輝きまくっている。
「大丈夫……大丈夫ですよブレア様。お姉さんがきっと書記官様たちをお助けして、ビクトリア様との仲も取り持って差し上げますからね!」
「…………エ、エリノア……」
そこでブレアの困惑した顔を見たエリノアは──助けを求められているのだなときゅんとして──ブレアが困惑しているのは思い切りエリノアのせいだが──この“子”をビクトリア様から守らなければと。ブラッドリーにするように、うっかり心の中を保護欲まみれの使命感で満たしてしまった娘は、うっかりうっかり──……
──ブレアの頭をよしよしとなでてしまった。
「!?」
そして愛情深い顔で娘は──いや自称“姉”は言う。
「姉さんの愛は──海より深いからね! 大丈夫! 大丈夫よ!」
愛しげになでられたところに首に腕を回してギュッと優しく抱きしめられたブレアは──もうダメだったのか、顔を強張らせ、ガクッと身体をよろめかせた。
「行ってきます!」
エリノアは──そのうちにサッサかサロンを出て行った。
訳のわからない意気込みで、足取りはひどく軽い。なんだか足元がふわふわして、今ならビクトリアにもこの上なく優しくできそうだと思っていた。
……のちにその現場を見ていたグレンは、『なんか……空気がピンク色でしたねぇ……』『ある意味混乱状態に見えましたね。春色の』と、珍しく神妙な顔で分析したという。春色……とは当然、恋のことであろう。
聖剣テオティルは……『勇者の子供に一歩近づきましたねぇ』と、ひたすらのんきであったとか。
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切りどころに困ったので長くなりました。
ちょっとここらで章分けでもしようかなと思案中です。
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