69 ブレアとエリノアのお茶会④
大勢の使用人がサロン前の廊下でソルに詰め寄っていた。
「バークレム……そこをどきなさい! あなたはどなたの進路を妨げていると思っているの!」
一行の一番前に立つ侍女がヒステリーな声を上げ、その周りを固める者たちも憤慨した顔を並べている。
だがしかし、落ち着き払った様子でそこに立っていたソルは表情をピクリとも変えず、扉の前から一歩たりとも動こうとはしなかった。
ソルは少しだけ目を細め、肩を怒らせた侍女をひややかに見返している。
「進路? はて……お招きしていない方の進路はこの先にはないように思いますが」
「な、何ですって!?」
「ああそれと何度も申し上げておりますが、少しお静かに願えますか? ここは宮廷内です。政務の場であることをお忘れなく」
ソルに丁寧に頭を下げられたその侍女は、青年の無感情な物言いに顔を真っ赤にしている。
何を言っても青年はずっとこの調子なのである。初めはただ高圧的だっただけの侍女も痺れを切らしたのか、顔を引きつらせている。
ソルはソルらしくいつも通りなだけなのだが……慣れている者でも厄介だと思う彼の淡々とした頑固さに晒されて、侍女たちはすっかり頭に血をのぼらせている。
「ビクトリア様はわざわざタガート家の養女に会いにおみえになったのよ! なぜ書記官ごときがそれを阻むの!」
「なるほど左様でしたか……では改めて約束をお取りつけになられればよろしいのでは?」
「はぁ!?」
「現在エリノア嬢はブレア様とご歓談中です。ご予定では……もうすぐ閉会の時刻ですから、その後にでもご自由にお申し入れください」
ソルはポケットから銀色の懐中時計を取り出して、そう平然と言う。侍女たちは目を剥く。
「何を言っているの、あんたがそこを退いてビクトリア様にご入室いただけばいい話でしょう!?」
「それとこれとは別問題です。現在サロンはブレア様がご利用中です。わざわざであろうがなかろうが、お約束がないことには変わりがありませんから扉を開くわけには参りません。一言言わせて頂ければ、そちらは先触れの報でもお出しになるべきでしたね、こちらにも用意というものがございますから」
「っ! っ! ビクトリア様! 話になりません! この無礼者を何とかしてください!」
ソルに詰め寄っていた侍女は、青年の微動だにしない……しまいには説教まではじめそうな様子に音を上げて後ろを振り返る。
と、一行の中からごてごて着飾った婦人が一人、侍女たちに道を開けさせてさっそうと進み出て来た。
「あーら、さすがはブレアの配下。本当融通の利かない連中ばっかりで嫌になるわ。これではブレアの相手の娘もどれだけ偏屈なのか心配になってしまうわね。ま、あのタガートが養女にするくらいだから想像はつくというものだけど。せいぜい王妃を困らせてくれれば私も愉快だわ」
コロコロ嘲笑しながら現れた婦人──ビクトリアは、片方の口の端を持ち上げてソルを見ているが、その目は少しも笑っていない。
彼女はそのままの表情で、ソルの前に立つ。
「ねえ書記官? どきなさい、お前に用はないわ、お前はさっさとブレアに取り次げばいいの。私はタガートの養女に会いに来たの。いつまでこの私をこの殺風景な廊下に立たせておくつもりなのかしら? それがどれだけの無礼か分かっている?」
からかうような猫撫で声でビクトリアはそう問う。──が、ソルの表情は愉快なほどに変わらなかった。
青年は冷静な顔のまま、そうですかと頷いて、廊下の先を手のひらでうやうやしく示す。
「それではどうぞあちらの応接間へ。お待ちいただければ茶会が終わり次第お取次させていただきます」
と、ビクトリアと侍女たちがいっせいに眉をひそめる。
「ビクトリア様をお待たせするっていうの!?」
「当然です」
侍女たちはがやがやと憤り口々にソルを非難しているが、ソルはそしらぬ顔である。
いくらビクトリアが王の側室だとは言っても、正室の王子に対して礼儀を欠いていいはずがない。約束も何もないところに突然来たのだから、多少待つのは当然だ。
そう折れぬソルにはビクトリアも不機嫌そうな顔をする。
──と、そんな緊迫した空気の中、小さく口笛を吹いた者があった。
──オリバーだった。
それは賑やかしいビクトリアたちの声にかき消されて誰にも気づかれることはなかった。
騎士は、わずかに開けた戸の隙間から騒ぎの様子を窺っていたのだが……ソルのあまりの不変さと不落さに感心し──いや、呆れている。
「すげえなあいつ……ビクトリア様でもお構いなしかよ、こえー……」
どういう精神してんだとオリバー。
だがしかし、ソルのソルらしさはまあ置いておくとして……
オリバーは、ピリピリしたビクトリアたちの様子を見てどうしたものかと唸る。
次第に興奮しはじめた側室妃や侍女たちの声はだんだん高くなっていっていて、すでに奥にいるブレアたちの耳にも届いてしまっているだろう。これでは配下思いのブレアがこちらに来てしまうのは時間の問題だった。
ソルが融通の利かなさをフルで発揮して、いかに正論を盾にしようとも、ビクトリアに大きな権力があるのは間違いがない。悲しいかな、それはソルの正論をやすやす力ずくでねじ伏せる力を持っている。
ソルもそれは分かっているはずだが、
「……甘んじて受けるとか言いそうだよな……」
あの頑固者はきっとそれでもブレアとエリノアの初の茶会を守る気でいるのだ。おそらくソルがビクトリアに折れることはあるまい。そして、ビクトリアも自分に盾ついた書記官をただで済ますことはないだろう。
──それを、ブレアが黙って見過ごすはずがなかった。ブレアはとにかく身内想いだ。これはこじれるぞとオリバーは歯噛みする。
「やれやれ……なんでこうちょっかい出してくるかねぇ……」
ブレアがエリノアとうまく行くことは、第三王子派にとっては歓迎すべきことだろうに。それでもなお、どこから嗅ぎつけて来たのか、こうして邪魔をしにくる精神がオリバーには理解できなかった。
「めんどくせー……くそ……」
正直オリバーはビクトリアのことは嫌悪しているし苦手だが、ここは出てやらねばソルが哀れである。
放っておけば、ブレアの陣営一空気を読まない男ソルは、果てしなくビクトリアの怒りに油を注いでいきそうで恐ろしい。あんな偏屈な男、宮廷を首になったらブレア以外の誰が雇ってくれるんだよとオリバーは、仕方ない……と苦々しい顔で重いサロンの扉を押し……
が──
その瞬間、オリバーの傍をするりと何かがすり抜けて行った。
「ん?」
オリバーは、扉を押している自分の脇の下をくぐって行った、その……翻る柔らかい色の薄布の端をぽかんと目で追う。
それは扉を出ていくと、そこに立ち塞がっていたソルの背中越しに、彼を睨みつけているビクトリアに声をかける。
「ビクトリア様」
「!」
背後の気配にソルが驚いて振り返る。
「あ、ら……?」
今にも手に持っている扇を振り上げてソルを叩きそうだったビクトリアが……ギョッと、そこでお辞儀している娘に目を向けた。
周りの者たちもいっせいに黙り込み、声の主に視線を集中させながら……突然現れたその者がいったい誰なのかと探るような目をお互い見交わしている。
周囲のすべての者たちに、キョトンと見つめられた声の主は──顔上げると、にっこりとビクトリアを見上げる。
「お待たせして申し訳ありませんでした。エリノア・トワイン、ただ今御前に参上いたしました」
「…………」
それは、とても落ち着いた挨拶だった。
朗らかな声にビクトリアが思わず押し黙る。それは険悪だった廊下の雰囲気には少しも相応しくなかったが……気がつくと、つい言葉を失った人々を肩透かしさせるように、ポンッとその場の空気を変えてしまった。
しんとした中でエリノアは言う。
「わたくしをお呼びとか。なんなりとお申し付けください殿下」
「は……はぁ? 申し付けるって……」
思いがけず、真心のこもった目で見上げられて。
押しかけ困らせ、からかい嘲笑ってやろうという頭だけでここまで来たビクトリアが戸惑っている。
──しかし、そんな二人の後ろでは……
娘を脇の下から出してしまったオリバーと、ブレアとの時間を邪魔させないつもりで踏ん張っていたはずのソルが唖然として……目の前でビクトリアに頭を下げているエリノアを言葉もなく凝視していた。
オリバーは思った。
──ちょ……ちょっと待ておい!?
騎士は慌てる。ブレアがこの状況で、そう簡単にエリノアを横柄なビクトリアの前に出すわけがない。王子はどうして──と、振り返って──……
「ぅおぅっ!? !? !?」
後方を見ると……前室の奥のサロンへの扉が開かれていて、そこでうなだれたブレアが顔面を押さえてブルブルしている。顔が……真っ赤である。
「こ、わっ!? ブ、ブレア様!?」
いったい何があったんだ、いやあいつ何したと──オリバーは……王子に駆け寄ればいいのか、廊下でビクトリアに鼻息荒く、「ご用命はなんでしょうか!? わたくしめお茶を入れるのは得意でございますよ!?」と……じりじり迫っていく娘から目を離さないほうがいいのかを、ものすごく悩んだ。
「ちょ……なんなんだよ!?」
「…………」※ソル。困惑の暗黒顔。
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