68 ブレアとエリノアのお茶会③
き……
き……?
き……!?
それは、
言葉数は多くはなく。奇もてらわない。
だが……ブレアに言われると……
エリノアには、なぜか奇跡の言葉のように思えた。
「…………」
唖然とぽっかり開く口。
赤い顔でのけぞって。思わず足が一歩後退しかけたが……そのエリノアの手を、ブレアは離さなかった。
(ふぁっ!?)
思わず小さく飛び上がると、おかしそうに静かに笑われた。ブレアはただ、何かの小動物みたいでかわいいなと思っていただけだが……エリノアにとってはそれがまた恥ずかしかった。
じっと見つめてくる(なんの動物に似ているんだろうと考えている)ブレアの目に耐えられなくなったエリノアは……見ていられなくて、ついうつむいてしまった。が、その手をブレアが軽く引く。
「!?」
一瞬どきりと慌てるエリノア。……が──顔を上げると微笑んだ顔。そのままブレアがエリノアを導いて行ったのは、サロンの奥。
天井まで高いガラス窓のそば、そなえられた明るく陽の日が降りそそぐ長椅子まで手を引かれて行ったエリノアは、促されて、おそるおそる柔らかな深い緑色の椅子へ腰を下ろした。目の前にはよく磨かれた飴色のテーブルがあって、そばには先ほどエリノアがお茶の支度をしていたカート。散らばった茶葉がそのままになっていて片付けなければと頭の隅で思うのだが……ブレアの丁寧なエスコートに胸がみょうに高鳴っていて、エリノアは長椅子の上から動くことができなかった。
「大丈夫か?」
「! ぅ、はい……」
気遣われるたびに胸に矢でも射られているような気がした。
ただただ、ブレアの仕草の一つ一つが眩しくて……痛烈にグッと来る。
それが胸なのか、胃なのかは分からなかったが、ものすごく痛い。そしてとにかく動悸がひどかった。
放心状態でサロンの長椅子に座っていたエリノア。
──目の前には、美味しそうなたくさんの菓子類(ハリエット作)と、いつの間にかエリノア自身が入れた茶が。それも先ほどまでは、ゆっくりと天井に向かって湯気をくゆらせていたのだが……それもじき消えそうな頃のことである。
斜め前の席にはブレア。
くつろいだ様子で座る彼は、時折口に茶を運んでいる。特にエリノアに会話を求めるでもない。ただ、穏やかに静かな時間を楽しんでいるようだった。
それでも不思議とほうって置かれているような感じはしなかった。柔らかな眼差しは、そこに居てくれればいいと言ってくれているようで。穏やかなブレアの顔はとても──綺麗に見えて……
その時エリノアは、唐突に、理解した。
──あ…………
──私、ブレア様が好きだわ……
それはストンと腑に落ちて──呆然とする。
その答えはあまりにも違和感なく心に収まってしまって──途端、エリノアは……
激しい恥ずかしさに襲われた。
(そっ……だっ……あ、あんなに色々ご迷惑をかけておきながら……!?)
頭はカーッと湯気が出そうに熱くなった。が、ブレアの前で犯した失態、数知れず……今日だって……と、思い出すと今度はサー……と血の気が引くような音がした。
──身の程が……そもそも身分が……
──いや──それ以前に聖剣持ち逃げ犯……
──腹毛をなでさせろとか……
──女装しろとか……
「………………」
エリノアの頭の中でカーン……と音が鳴る。終焉を告げるようなキレの良い音だった。
特に最後あたりに思い出した項目が吐血物である。
(……どうしよう……身の毛がよだつほどに無礼……恥ずかしい……)
エリノアは、何かを誤魔化すように、目の前ですでに冷め切っている茶を持ち上げて、グイッと一気に飲み干した。
自分がブレアを好きなのだと認識すると、数々の醜態がよけいに悔やまれて。あれを彼がどういう目で見たのだろうと思うと……額から流れ落ちた汗がカップの中に滴り落ちて行きそうである。
押し寄せる様々な感情にエリノアは苛まれ、手にしたカップはカタカタ小刻みに鳴っている。
「? どうかしたのか?」
娘の異変に気がついたブレアが不思議そうに問うてくる。が、エリノアは、これ以上の無礼はならぬと……何とか微笑んで。「いえ……」と、ぎこちなく笑った。
「ふ……ふふ」
ときめきと羞恥と、己への失望感が混ざり合って……もう笑うしかない。
「? ……大丈夫か?」
「ぎゃ!? 近い!」
怪奇的な笑みに不穏さを感じたのか……ブレアが席を立ってエリノアの顔を覗きこみに来る。と、気がついたエリノアが真っ赤な顔で両手を上げて叫び──その拍子にエリノアが持っていたティーカップとソーサーがポロリと手からこぼれ落ちる。
それをブレアがスッと受け止めて──幸い──中身はすでに飲み干されていた。
「…………」
「あ、す、すみませんっ」
慌てて頭を下げるエリノアだったが……そんな娘の前で、ブレアは巧みに拾い上げた茶器を見ながら……ふと考えるそぶりを見せた。
「……近いのはダメなのか?」
「ぇ? ……いや、その……」
まさかときめきすぎて死にそうだったとは言えない娘は、真っ赤な顔でブレアを見上げる。
「あの……」
「……すまん」
「え!?」
折り目正しい謝罪にエリノアが目を点にする。
ブレアの顔はどこかしゅんとしていて──それを見たエリノアは余計にうろたえたが……不意にハッとした。
──その顔……私に叱られた時のブラッドリーそっくりだわ!?
「⁉︎」
その時エリノアに大いなる天啓(※大いなる勘違い)が舞い降りる。
(──やっぱり──……ブレア様は私に……姉としての温もりを求めていらっしゃる──!?)
……再びオリバーが聞いたらヘッドロックで締め上げられそうな呆れた勘違いだが……
ある意味、姉愛に満ちたブラッドリーが叱られた時に見せる『姉さんに嫌われたくないな……』という表情に、此度のブレアの顔が似通っていても……まあ、不思議ではなかった。ブレアも当然そう思っているがゆえに。
そんな的外れな理解に、気がついてしまった自分の気持ちを重ねて戸惑うエリノアに、ブレアは気恥ずかしそうに言った。
「(やはりソルが言う通り欲求が……)すまん。無礼だった」
「!?」
何ですと、と、エリノアの顔が唖然とする。
(え? 無礼? ……えっと私は侍女でブレア様は王子様で……)
それなのに、王子が侍女に向かって無礼とはこれいかに。茶会に招いてもらっただけでもすでにかなり過分な扱いだ。『大丈夫か?』と様子をうかがってくれた彼の一体何が無礼なのか。ときめくばっかりなのだがと、エリノア。
戸惑い見上げると、視界に飛び込んでくるのはどこか悲し気なブレアの顔。それを見ると動揺が加速する。心臓はドキドキ鳴って、その振動で身体全体がガタガタ揺れていた。
ときめきと申し訳なさで頭がぐるぐるしてきたエリノアは、だんだん訳が分からなくなってきて──……勢いよく椅子を立った。
「ぶ──無礼くないです!」
「?」
そんなエリノアをブレアはキョトンと見上げる。
「無礼なんて、無礼なんて……わたくしめこそ無礼の塊で……せっかく殿下が“お姉さん”だと想ってくださっているのに……!」
「(……ん?)」
「身の程もわきまえずよこしまで……よこしまな無礼で……殿下に謝らせるなんて……本当に、本当に申し訳ありませんっ! わたくしめ、自分がこんなによこしまで身の程知らずだとは……!」
「!?」
エリノアの“お姉さん”発言が一瞬引っかかったブレアであったが……それを問う前に、娘がダッと涙しはじめてギョッとする。
「ど、どうし──」
と、ブレアが慌て、エリノアがあーと泣き。それを少し離れた扉前で密かに見守っていたオリバー含む使用人たちが、何とも不器用そうな二人のやりとりに生暖かい何かをぐっと堪えた時──
そこへ、バンッと何かを打つような激しい音が響いた。
「……!」
ハッとしたように、音がしたほう──出入り口の扉へ目をやるブレア。
それは扉でも蹴り開けたのかという音だった。しかし……サロンの扉は閉まっている。
──と、微かに言い争うような声がした。
──……しかし……
──……から……なさい……ってい……の……
ブレアが怪訝な顔をする。どうやら声は扉の向こうから聞こえてきている。
扉の向こうはサロンへの前室だ。そこに更にもう一枚扉があり、その向こうが宮廷の廊下となっていた。
騒ぎはそちらで起きているらしい。
そう察したブレアは上着の内側からハンカチを取り出すと、エリノアの涙をそっと拭いてから、それを娘の手に握らせた。
「……エリノア、すまないが少し様子を見てくる。ここで待っていてくれるか?」
「あ……」
見つめると、エリノアがブンブンと頭を上下に振って。その顔にありがとうと優しく微笑んだブレア──が、エリノアの傍を離れそうなそぶりを見せていることに気がついて──扉の前にいたオリバーが大慌てで手を振る。
「……あ! いいですブレア様、そのままで──俺が、俺が様子を見て来ますから!」
「……しかしあの声は……」
騒ぐ声に聞き覚えがあったブレアが難色を示す。が、オリバーはいーえ! と、譲らず、その背後にいるエリノアをビシッと指差した。
「殿下の今のお役目は……そのトンチンカン娘を落ち着かせてやることでしょう!? あっちは俺の手に負えなくなったらお呼びしますから! ね!?」
「…………(……トンチンカンな娘、だと……!?)」
騎士の言いようにやや反論のありそうな顔をしたブレアだったが、その間に騎士は素早くサロンを出ていった。
「……」
廊下の喧騒は続いている。
ブレアは不安そうなエリノアの顔を、案じるように見下ろした。




