65 天使の正体
娘の姿から元に戻った主君にグレンが、陛下ったらぁと愉快そうに笑う。
「何もそんなものにお化けにならなくても。周りの奴らみんな気絶でもさせて、堂々と姉上を愛でに行けばいいじゃないですかぁ♪」
するとブラッドリーは、まるで虫けらを見るような目で足元のグレンを見る。
「そんなことをしたら姉さんがかわいそうだろ……僕は着飾った姉さんを見に来ただけだ。騒動を起こすつもりはない」
「いやいやいや……だからってぇ、まさか気高き陛下がメイドに変化するなんて考えもしませんでした! ま、私は眼福でしたけど。あんなひらひらしたもの着た乙女の中身が陛下だと思うと……きゅんきゅんして、はぁはぁです、えへ♪」
主君の冷たい目にも負けず、グレンはゴロゴロ喉を鳴らしながら、いたって幸せそうにブラッドリーの足に身をすりつけている。そんな配下にブラッドリーはいやそうに眉間にシワをよせ、素っ気ない。
「……目的に沿った効率の良い方法を選んだだけだ」
「目的って……姉上を誰よりも先に褒めたいってやつですか……」
あははとグレン。
まあその戦法でいけば、確かに誰よりも先にエリノアに感想が伝えることが可能だろう。普通……まともな男は女人の支度部屋に侵入などしないのだから。
「はー……陛下は本当に姉上のこととなると手段を選びませんねぇ……姉上もまさかせっせと髪を梳いてくれていたのが自分の弟だったなんて思いもしなかったでしょうねぇ」
「……別にいいだろ、僕が姉さんの髪を梳くのは今日にはじまったことじゃない、家でも毎日してることだ」
何が悪いんだとブラッドリー。
「これまで散々世話をかけてきたんだから、これからは僕が姉さんのお世話をしたいんだ。髪だって梳きたいし、寝癖も整えたいし、なんなら洗ってあげたいくらいだし乾かしてあげたい。靴だって履かせてあげたいしお化粧も──……」
暗い顔でつぶやかれる願望は加速して行くばかりで止まりそうにない。
延々続くブラッドリーの言葉を傍で聞いているグレンは心底愉快そうに笑う。ブラッドリーが邪悪な顔をすればするだけ喜んでしまうのがこの黒猫である。魔王が欲望を吐き出すことは彼にとってはとても心地良い……が……
主君の言葉はいささか所帯染みている気もする。
(うーん……陛下がもっと精神的に病んで下さると一気に闇の力が強くなりそうなんだけどなぁ……)
グレンは、なんとかならないかなと悪知恵を働かせながら、ぶつぶつ続けるブラッドリーを眺めている。
「──……だから最終的には僕一人の稼ぎで姉さんを養ってゆっくりしてもらいたいし、リードが今すぐお嫁にくれって言ってもすぐには困るっていうか……数年……いや十数年くらいはそういう期間を設けてからじゃないといくらリードでもお嫁にはあげられない……ああでもその間に他の男に取られるくらいなら──……」
「……まあまあ陛下、姉上完全扶養計画も先走り気味の嫁入りの心配も後でお考えいただくとして……本日の件はどうなさるんですか? まさか……姉上とブレアの茶会……放っておかれるので?」
「……」
グレンが言うと、ブラッドリーはピタリと黙する。その顔は、考えるのもいやだと言いたげに歪んでいるが……
しかし、彼は邪魔しに行くとは言わなかった。ムッとした顔のまま、何かを堪えるように言う。
「……せっかく姉さんが着飾ったのに、他のやつには見せたくないから無理に阻止ってのは……少し傲慢だろ」
その言葉に、グレンが驚いて目を丸くする。
「傲慢? 魔王が傲慢で何がおかしいというのですか?」
それが魔王というものではないのかとグレン。だが、ブラッドリーは頷かなかった。
「子供じみていることはしたくない。姉さんもなんだか張り切っていたし……」
サロンへ入って行ったエリノアはとても意気込んだ顔をしていた。その出鼻を挫くような真似を己がするのはいかがなものかとブラッドリー。
そんな主君にグレンはぽかんとしている。
「はぁ……」
あんなに手段を選ばずここまで潜入しに来たはずなのにと、主君のためらいが理解できないらしい。
ブラッドリーは一瞬サロンの方向へ心配そうな視線を向けて……何かを振り切るようにして、反対方向に向かって歩き始める。その後を、グレンが慌てて追って行く。
ブラッドリーは──姉の一生懸命なところがとても好きだ。
しかし……そこには大きな負い目も感じている。
病床にあった頃から、エリノアの懸命な労働や看病によって生かされてきたブラッドリーは、頑張っている姉の邪魔を己がしてはいけないのだという思いが強い。いや、魔王である自分を取り戻す以前は心身ともに辛かったゆえにそれどころではなかった。だが……健康体を手に入れ、様々な出来事を経て、徐々にその思いが強くなってきた。
大好きな姉が他の男と二人きりで茶を飲んでいるなんて面白くないに決まっている。……その思いに囚われて、暴走しそうなことだってある。
だが……同時に、自分から解放された姉がのびのびと彼女の人生を謳歌できるようにはなればいいとも思っているのだ。
少年魔王はため息をつく。
堂々巡りだった。姉には幸せになってほしい。が……まだ誰よりもそばにいてほしい。
彼の中にも、様々な葛藤や感情の矛盾が渦巻いていた。大きな力を持っているからこそ、我儘に振舞うことを我慢することは辛くもある。
と……そんな主君に……
黒猫のグレンはブラッドリーについて歩きながら、やれやれとため息をこぼす。
「では……このままお帰りになるんですね?」
「……ああ」
「左様ですかぁ……ま、仰せのとおりに。はぁ……でもなぁ……」
「?」
「激カワな姉上を見たブレアが、茶会で、ど・ん・な! 不埒な真似をするか分かりませんけどぉ、陛下は頑張りたい症候群の姉上のために、ブレアは捨て置くと……」
グレンはわざとらしい調子でそう言い、それを聞いて……
行きかけたブラッドリーの足がビタリと止まる。
「……」
「お茶会なんてハイソなイベントでおろおろしている姉上も見ものだったのにぃ、お茶をひっくり返しますかねぇ、ビクビクし過ぎて高価な茶碗を割ってショックで倒れたりしないかなぁ〜」
「……」
「あ、それに、よそ行きの姉上可愛かったですよねぇ、メイドさんたちに上手にお化粧してもらっちゃって」
「……」
「でも残念、姉上のメイク技術じゃ、もうあれは再現不可能だろうし……金輪際もうあんな可愛い姉上様にはお目にかかれないかもなんですねぇ、今日限定なんてぇ、寂しいなぁ」
「…………」
あー残念残念ー……と、これ見よがしに言う黒猫にブラッドリーは……
「………………」
一瞬の葛藤ののち、唐突に──無言でくるりと身を反転させた。
そしてそのまま今来た道を戻り始めた主君に、それを見た黒猫がニマニマルンルン後を追いかける。
「あっれぇ? 陛下ぁどこに行かれるんですかぁ? お帰りになるんじゃなかったんですか?」
「…………やっぱりもう一度潜入する……」
いいように動かされていると分かってはいるが……不安に駆られ、レア姉に釣られ……
まんまと黒猫に乗せられてしまうブラッドリーだった。




