62 魔王の力の使い道。
──グレンは揉め事が大好きだった。
主君であるブラッドリーの魔力のリミッターを怒りで外し、魔界側でこちらに来たくて来たくて仕方がないと待ち焦がれる同胞たちを呼びよせるという目的も……あるにはあるが……
それを置いても、グレンは揉め事を外野から眺めるのが大好きである。
この日、忠犬ヴォルフガングは体調不良。
グレンはその理由は知らなかったが(興味もない)、彼の不調により、グレンは再びブラッドリーからエリノアの警護を任されることとなった。
はじめは気乗りがしなかった。最近、エリノアには聖剣テオティルが金魚の糞のようについている。それがとても鬱陶しくてたまらないのだが……
だがしかし、エリノアのストーキングをはじめると……グレンはその気乗りのしなさをすぐに忘れてしまった。
「…………ブホッ」
黒猫が物陰で噴いている。
そして無言で悶え苦しみはじめた。いや──声こそ出さないが……どうやら笑い転げているらしい。
どうして彼がこのような有様かというと……
また、エリノアが自分とブレアを勝手に取り違えたのを目撃した為だった。
「な、なんて懲りない勇者なんだろ……! ぅ、迂闊が過ぎる……女神もよくあれを勇者にしたな……!」
女神とは余程のんきな生き物らしいと、グレン。
「姉上もあれを本気で真面目にやってるから信じられないよ……こ、子猫ちゃんって……」
大声で笑いたくて笑いたくて……しかし宮廷で潜んでいる現状それが出来ず。グレンはヒゲの辺りがムズムズして堪らなかった。
ブレアにもそうだが、そもそもあれがグレンであったとしても、よくもまあ魔物な自分に「子猫ちゃん」なんて言おうと思ったものだ。グレンは呆れを通り越し感心してしまう。
「天性のうっかり者だなぁ……面白くて困る……」
はー……と、深いため息をこぼすグレン。
あのブレア──エリノアががっしり手を繋いで執務室から連れ出したブレアが、グレンでないと悟った時の、エリノアの顔は特に必見だった。すーっと顔色が白くなって行って。喜劇のように倒れゆく様は、まるで抜けかけたエリノアのマヌケな魂が目に見えるかのようだった。
グレンはクスクス笑う。
「あとで絶対、聖剣野郎とブレアが接触したことも教えてやろうっと♪」
エリノアは、今はまだそのことを知らないが、知ればきっと飛び上がって驚くことだろう。その時が楽しみでならないグレンは、ウキウキしながら──部屋の隅に置かれたテーブルのクロスの下から室内を覗く。
視線の先では──エリノアが、真面目な顔をしたハリエットの侍女たちに、あれよあれよと言う間に、身につけているメイド服を脱がされて行く。
娘は時折「ぅ、あ、あの……」と、呻くように声を漏らしているが──どう見てもあの顔は状況に頭がついて行けていない。
そんな彼女の前には一人掛けのソファが置いてあって、そこにゆったりと腰を下ろした王女は、茶を楽しみながらエリノアをニコニコと眺めている。
グレンは翻弄されているエリノアをニヤニヤと見ていたが──不意に、そうだったと頭を振る。
「おっと、メイドに脱がされて下着姿の姉上にニヤけてる場合じゃなかった……仕事仕事」
そう言って、グレンはペロリと赤い舌を口の端に覗かせて床を見下ろす。と、それと同時に絨毯張りの床に、小さいが複雑な、転送魔法の陣が現れる。
「さぁてと……それじゃあ姉上にはもう一騒ぎ楽しませてもらおっかな♪」
転送魔法でグレンが向かったのは、トワイン姉弟の自宅だった。
そこにちょうど昼食のためにモンターク商店から一時的に戻って来ていたブラッドリーがいた。
「…………姉さんが……?」
報告を聞くと、ブラッドリーの目が一気に険しくなる。
その目を見上げるグレンは、嬉々としてブラッドリーの足にまとわりついた。
「そうなんですよぅ、しかもブレアと二人きりだって言うんですぅ♪」
「…………」
第二王子の名を聞いて、ブラッドリーは更にムッとした顔をしたが……その目は怪訝そうに黒猫を見下ろす。
「……姉さんは確か給仕に呼ばれたと言っていたはずだけど……その話……本当なの?」
ブラッドリーは、今日エリノアがブレアの茶会に呼ばれたと言う話は既に聞いていた。いつもはブレアの私的な場所で働くエリノアは、執務室なんて緊張するわと言っていて……
信用ならない黒猫の言葉に、ブラッドリーは疑わしげな顔している。
すると、黒猫は「ヤだなぁ」と、媚を売るような顔でゴロゴロと喉を鳴らし、尚のことブラッドリーの足にすり寄っていく。
「私が陛下に嘘つくわけないじゃないですかぁ。どうやら給仕とかいう話は、姉上様のいつものうっかりな勘違いだったみたいなんですよぉ」
「…………」
姉のうっかりと言われて。ブラッドリーが黙り込む。確かに姉はうっかり者だ。それで失敗していることも多々である。そうしてどうやら茶会の話が本当だと察したらしいブラッドリーは、苦々しい顔で舌打ちする。
「……ブレア……またあの男なのか……」
余談だが。シスコンのブラッドリーの頭には、「ブレアはエリノアが好きなのか?」という最初の前提となりそうな疑問が既にない。
何故ならば、ブラッドリーにとってそれは愚問に値するからだ。
この、少々拗らせた弟にとってエリノアは、誰がなんと言うおうと、人類一優しく、愛らしく、器量良しなのだ。
誰がいつエリノアを好きになってもおかしくはなく、ブレアも当然そうであると思っている。
なんともまあ偏った認識ではあるが……この、ブレアを今消しても悪い虫は数多湧いてくるだろうというブラッドリーの認識が、多少はブレアの身を守っているとも言える。その理論からすると、エリノアに近づいて来る虫は次々湧いてくるはずで、ブレアを消しても無駄なのだ。
そういう訳で……ますますシスコンが悪化して来たらしいブラッドリーは、実感のこもった声をもらす。
「……ああ、もういっそ姉さんとリードだけ連れて魔界に帰りたい……」
三人だけで暮らせたら幸せなのに……とつぶやくと、黒猫があははと半笑いでつっこんでくる。
「陛下、それだと多分リード死にます、魔界には濃い瘴気がありますし。姉上はどうだか分かりませんけど」
「…………」
指摘にムッとして。無言で睨むと黒猫は尾をくねらせて、えへっと笑う。
「やだー陛下ったら素敵なお顔♪」
「…………」
「それでぇ、どうなさいますか? 茶会、邪魔しに行きます? 現在姉上はハリエットとかいう隣国の王女に身ぐるみ剥がれた上めかしこまされておりますが……」
黒猫はワクワクした様子で主君を見上げる。
ブラッドリーはどうするだろうか、ブレアとエリノアがイチャイチャしようものならきっとまた激怒するはず──と。
期待に瞳を丸くして……
が……
ブラッドリーはしばし何やら考えるそぶりを見せた。そして沈黙の後、彼は、低い声でつぶやいた。
「………………ブレアは……」
「はい!」
「──無視しよう」
「…………は……?」
主君の言葉にグレンがぽかんとする。
グレンの期待をよそに、ブラッドリーはふんと鼻を鳴らし、切り捨てるように続ける。
「あいつは姉さんの視界にも入れたくないけど……仕事相手なんだしある程度は仕方ない。茶を飲む程度なら……まぁ……許可してもいい。せいぜい姉さんに高級な茶と茶菓子でも貢いでくれればいいよ」
「……えー……」
主君は「もちろんブレアが姉さんに何かしたら消すけど」とは付け加えたものの。あまりに期待外れな言葉に、グレンがそんなぁという顔をする。が、ブラッドリーは……それよりもだ、と黒猫を視線で射る。
「っ!」
そのあまりに真剣な眼差しに、驚いたグレンは思わずヒクッとシャックリをして──
身をこわばらせ、恐々と主君の言葉を待っている、と……
ブラッドリーは厳かに言った。
「僕は──……着飾った姉さんが見たい」
「──ぇ、」
ど真剣な魔王の顔に……グレンが、ガーンと言葉をなくす。
「………………へ、陛下……? え……そんな厳かな顔で? なんかめちゃシスコンなお言葉が聞こえた気がしたんですが……」
「(無視)害虫野郎なんてどうでもいい。そんなことより……姉さんは普段全然着飾ったりしないし……ものすごくレアなんだよ。王女が監修するなら……多分化粧もするよね……!?」
「え? ぇえとぉ……」
戸惑う黒猫を尻目に、ブラッドリーは暗い顔でガリッと己の爪を噛む。
「エリノア姉さんが可愛い格好するなら、今回は絶対に僕が最初に見たい……この間の舞踏会の時はあのルーシーの方が先だったんだ……! しかも色々あったから姉さんを十分誉めてあげられなかった! それが僕は死ぬほど悔しくて……だから今回は、絶対にブレアより後は嫌だ。僕が最初に見て、最初に姉さんに可愛いよって言いたい……ブレアが僕より上手い褒め言葉を先に言ったりしたら絞め殺したくなる……」
「………………」
言って、主人はフッと笑った。グレンは……彼の声音のおどろおどろしさにゾッと身を凍らせたままで。
そんな黒猫にブラッドリーは微笑みながら言った。
「ふふふ……グレン、僕、魔力があってよかったよ」
「…………」
大抵のことならなんでも出来るもんね……と、笑う彼の足元には……赤黒い邪悪な色の転送魔法用の陣がじわじわと広がって行って……
グレンは悟った。魔王はどうやら……
その偉大な力を、ややしょうもないことに使おうとしている。
「………………」
あんぐりとする黒猫の頭には──ふとましい母の慈悲深い顔が思い浮かぶ。
──いいのです……いいのですグレン……
──どうでもいいから……御命令に従いなさい……
それが平和というものです……と、訳知り顔の母は、生暖かく微笑んでいた……
……本当に平和なんだろうか……




