14 ヴォルフガングとグレン
エリノアに「ごめん」と呟いたあと、ブラッドリーは眠りに落ちていった。
眠りの中に引きこまれるように瞼を閉じながらも、うわ言のように、姉に手を出すなと獣たちに釘をさすことは忘れなかった。エリノアは複雑な思いでそれを見ていた。
……が、獣たちの方は些か様子が違う。
彼らは、ブラッドリーが完全に眠りに落ちたのを確認すると、いそいそと寝台の両端に近よって、眠った少年の顔を覗きこむ。
「…………お眠りになったか……?」
「おぉおお……陛下ときたら、……なんと可愛らしいお姿にぃぃ……!」
黒豹が頬を両手で挟んでうっとり言うと、白犬が感慨深げに頷く。
「あの様に勇ましきお姿だったお方がなぁ……」
「良いではないか! お力は健在のようだし、この姿も非常に愛らしくて私はよいと思うぞ」
しみじみしている巨体の白犬と、うきうきしている黒豹。──はっきり言って、それは異様な光景だった。
しばしその様子を……眉間にシワをよせたまま引き気味に見ていたエリノアは、不意に、ハッと我に返る。
「……っ!? そうだ、あんた達早く外に出て! ブラッドは喘息持ちなんだったら! 毛が身体に障る!!」
エリノアは慌てて白黒の魔物二人を、手で部屋から押し出そうとした。が、大柄な二人は非常に重かった。ビクともしない二人にエリノアが慄いている。
「ちょっとおっ!? 居座るつもりなの!?」
「…………」
すると、のっしりした白い方が、まるでその通りだと言わんばかりにその場にどすんと腰を下ろす。
「っ!? 嫌がらせ!? 嫌がらせか!?」
途端……空気中に舞い上がった白い毛を見て、エリノアが怒りにワナワナ肩を震わせる。
が、白い魔物は平然とエリノアに横目を向けた。
「……お前は馬鹿なのか? 魔王様は記憶と共に本来のお力の一端を取り戻された。魔の加護のあるお身体が、そのようなものに侵されるわけがなかろう。それと、私は陛下の傍を離れる気はない」
「ま、魔!? 今なんつった!?」
白犬のしらっとした言葉にエリノアが愕然としている。白犬は腕組みしたままのっしり腰を下ろして動く気はなさそうだ。
と──、いつの間にかエリノアの手を離れていた黒い方が、白犬の背を押して部屋から出そうとしているエリノアのほうによって来た。その足取りは異様に軽く、足音もしない。
「姉君、これはいかがなさるのかな?」
いかにも要領が良さそうな顔で近づいて来た黒豹の片手には、四角い盆が。その上にはシチューのよそわれた器とスプーン、パンが乗っている。
「あれ!? リードのシチュー……は、そうだった……」
混乱していてすっかり忘れてしまっていたが、エリノアはつい先程、彼らに驚いた拍子にそれを放り出してしまったのだった。
あんなふうに放り出したのでは、きっとせっかくの料理も無駄になってしまっただろう、そう悲しくなったエリノアだったが……
しかし、黒豹が渡してくれた盆の上では……リードお手製のシチューとパンが何事もなかったようにそこに鎮座していた。既に料理は温もりを失ってはいるようだったが、特に乱れた気配もなく静かな様子でそこに並んでいる。
エリノアが驚くと、黒いほうが「陛下にかかってご尊顔を汚しでもしたら大事ですから。受け止めておきました」と、愛想よく言う。それにしたってあまりにも乱れてなさ過ぎだろうとエリノアは思ったのだが。エリノアがどうして、と問う前に、黒豹が口を開く。
「姉君様、我が名はグレンです、お見知りおきを」
「え? は、はぁ……」
過剰なほどにうやうやしい様子に、エリノアが盆を手に戸惑っている。それでもなんとか「これ、ありがとう……」と返すと、黒豹はにっこりとエリノアに微笑んでみせた。それから、からかうような目を白い魔物に向ける。
「おい、ヴォルフガング、“お前”は、まずいよ。曲がりなりにも陛下の姉君だ、丁重に扱わなければまた陛下の怒りを買うよ。陛下がお怒りになるのは喜ばしいことでもあるが、私達自身が消滅させられてしまえばせっかく陛下にお会いできた意味がない」
グレンの言葉に、床にのっしり腰を下ろしたままだった白──ヴォルフガングと呼ばれた魔物が舌打ちをした。
彼は憮然とエリノアを睨み、ぼやく。
「こんな間抜け面が陛下のお傍にいるとは……配下は幾らでもあちらにいるというのに。陛下も陛下だ。何故このような者をご寵愛なさる」
「だから私姉だっつってんでしょ!?」
エリノア、イラッとして目を吊り上げる。と、グレンがまあまあと二人を宥める。
「ヴォルフガング、口を慎め。忘れたか、我らは姉君のお陰でこちらに来ることができたのだぞ」
その言葉にエリノアが、眉間にシワをよせる。
「ど、どういう意味? それに、さっき言ってた魔王って……」
どうしても冗談にしか思えなくてエリノアは言葉を切る。しかし──その脳裏には、先程の弟の怪しい様子が思い出されると、まさかという思いでそれ以上言葉が出なかった。
と、グレンが愛想のいい笑顔を浮かべたままエリノアに答える。
「貴女の弟君は、我らが魔物の王、ダスディン王の転生体です」
「……てん、生体……?」
「ええ、つい千年ほど前、忌まわしき女神と通じたこの国の王の祖に退けられた……」
「…………え?」
グレンは笑みを崩さなかったが……その表情と声音には、どこか剣吞な響きが滲んでいる。
エリノアがぽかんと口を開く。明らかに、それはエリノアの理解の範疇を超えた話であった……
と、面倒くさそうなヴォルフガングが言った。
「陛下が深い負の感情を抱えると、お力が強まり魔界を引きよせる。……そこに道ができるのだ」
「左様、ゆえに虎視眈々と陛下のお傍に戻るのを狙っていた我らは、こたび通じた道を抜けてこちらに参りました!」
ヤッホー! と黒豹のノリは軽い。
二人の言葉にエリノアが「ちょっと待って!」と、慌てて手を振った。
「負の感情!? それが私のお陰って……わ、私何かした!?」
エリノアが不安げに寝台の上で眠るブラッドリーの顔を見た。するとヴォルフガングが目を細め、呆れたと言わんばかりの顔でエリノアを見る。
「分からぬのか、間抜けよ。お前、さっき陛下の前で男の話をしただろう」
「へ? お、とこ……?」
ヴォルフガングに柄悪く睨まれたエリノアは、何のことだろうと記憶を探る。
一瞬、リードのことかと思ってから……この魔物たちが現れる直前、今日王宮で会った第二王子の話を弟にしたことを思い出した。
確か、わき腹をくすぐられた話なんかを──
「え……? でも、それが何か……?」
戸惑うエリノアに、ヴォルフガングはため息をつき、グレンはにこにこしている。
「陛下は相当に不快な思いをされたようだな……一度に二匹も魔物が潜れる穴ができるとは」
「ふ、不快……?」
あの話の何が弟に嫌な思いをさせるのだろうと戸惑っていると、グレンがしたり顔で「まあ、嫉妬でしょうねぇ」とうんうんと頷いている。
「はぁ……?」
エリノアがその言葉にぽかんとする。
「我らを絞め殺さんとする陛下の殺気も素晴らしかったですし、どうやら……相当に姉君を溺愛しておいでのようだ」
「溺愛……」
エリノアが吞みこめぬまま目を丸くしていると……その手をグレンが黒い毛並みに覆われた手でしかっと握った。
その期待の篭った瞳にエリノアは気圧される。背後では……ヴォルフガングが一層呆れていた。
「な、何よ……?」
「ふふふ……あのご様子ではまた魔界との境に道ができる日も近いでしょう! なんせ姉君も、どうやら色事に迷いやすいイイ感じのお年頃! 是非是非……貴女様には、これからも陛下の嫉妬心と怒りを大いにかき立てていただきたい! もういっそ……色狂いにでもなられてはどうか? 乱れるお手伝い、このグレン、惜しみませんぞ!!」
「は、ぁっ!?」
あまりの言われように、エリノアが凶悪な顔で「なんだって!?」と耳を疑っている。
だが──目の前の黒豹の魔物は……
次に出てくるのは淫魔だといいなぁ~とか言いながら……エリノアの前でウキウキしはじめ……
エリノアは思った。
……こいつ、本当に悪魔だ……




