53 抜け目なし。ハリエット。
さて、こちらは宮廷のブレアの執務室。
奥の机で仕事をしている青年は、一見まったく冷静な様子にしか見えないが……灰褐色の瞳が何度も何度も見ているのは……壁際に置いてある立派な振り子式のホールクロックだった。
青年は幾度もその時計の針を見ては、仕事に戻り、また……を繰り返している。
見かねたソルが彼に声を掛ける。
「……ブレア様、お約束の時間まではあと一時間ほどがございますから大丈夫でございますよ」
「いや……まあ、分かっているんだが……どうにも落ち着かん……」
「左様ですか……」
気遣うようなソルに、ブレアは苦笑しため息をこぼした。
「いかんな……浮き足立っていてすまない」
「いえいえ大丈夫ですブレア様。それに、本日の茶会の準備も万全ですから」
ソルが励ますように拳を握る。生真面目な書記官の顔には、何故か並々ならぬ気合が充実していた。
彼は己の胸に手を当てて恭しい様子で言う。
「不肖、ソル・バークレム……昨日の失策を償うべく、エリノア嬢のことをいろいろと調査してまいりました」
「な、何……?」
そう意気込む男ソルは……昨日エリノアと対決したその日のうちに、エリノアの職場である王宮へ走り、侍女頭や彼女の同僚たちから娘の嗜好などについて調べを入れていた。
それをたった今聞かされたブレアが彼の前で目を丸くしているが、いそいそと懐から小さなメモを取り出したソルはつらつらとそれを読み上げている。
「侍女頭や同僚たちによりますと……」
貧乏暮らしの長いエリノアは、あまり菓子類は嗜まず、特に贅沢品に対する拒否感が強いらしい。
しかも……ソルが尋ねた侍女頭は言った。
『何度か王宮の祭事で侍女たちにも豪華な祝膳が振る舞われたことがあったんですけど……あの子はいつもそれを家に持って帰るんです。多分弟の為ね。あの子自身が口にしているところは一度も見たことがありませんわ』
「……」
それをソルから聞いたブレアは複雑な気持ちになった。
なんと弟想いな姉だろうかとしみじみ感動したが、反面、弟が羨ましいと思った。そしてつい呟きが漏れる。
「……エリノアの生活は、すべてその弟を中心に回っているのだな……」
「そういうことのようですね。……まあ、そういうわけで、此度茶会に招いても、出した茶うけなどをトワイン嬢が弟君用にお持ち帰りされてもなんですので……土産用の茶菓子も予備の予備まで手配済みです。豪華なものは苦手と言うことですので、素朴な菓子を。確実に召し上がっていただけるよう、菓子製作はハリエット王女に依頼させていただきました」
と、ソルが真面目に言った途端、ブレアがギョッと目を剥く。
「ハ、ハリエット王女……だと!?」
しかしソルは冷静な顔で頷く。
「はい。トワイン嬢は最近ハリエット王女に心酔されているとか……王女の手製なら自らお召し上がりになることを断ることはないでしょう。将軍のご令嬢、ルーシー様とも迷ったのですが……ルーシー嬢は菓子作りが不得意だそうで……」
「そ……そんなことの為に王女の手を煩わせたのか!?」
出てきた兄、王太子の婚約者の名にブレアは慌てるが……ソルはいえいえと首を振る。
「大丈夫ですブレア様。菓子製作はハリエット王女からのお申し出です」
「な、何……?」
「私が王宮でトワイン嬢を調査しているのを何故かご存じで……おそらくどこぞで王女の息のかかった者(密偵)でも見ていたのだろうと私は踏んでいるのですが……王太子殿下も忙しくて暇だから是非と。断ったほうが恐ろしいことになりそうだったのでお願いするに至りました」
「…………」
「『茶会後のガールズトークが楽しみだわ。ブレア様にまたエリノアさんをお借りしますと伝えてね♡』……だ、そうです」
「………………」
無表情でハリエットの台詞を伝えてくるソルの言葉には──
赤い顔を手で押さえ、無言になるしかないブレアであった……
そうしてブレアが沈痛の面持ちでソルの言葉を聞いていると……
不意に、執務机の傍にソルとは別の書記官がおずおずとやって来た。
「あの……お話中申し訳ありません。ブレア様……各地の領主たちから調査報告書が届いておるのですが……ご確認いただいてもよろしいでしょうか……」
おっかなびっくりそう言った彼は、離れた場所にある応接用の広いテーブルの上を指し示す。
そこには王国内の地図が広げられていて、高官たちが微妙そうな顔をこちらに向けて待っていた。
どうやらブレアの机や傍の作業台の上はすでに資料類で溢れていてもうスペースがないから、あちらまで見に来て欲しいということらしかった。
そう告げる書記官の顔には、王子たちのボーイズトーク(?)を邪魔したくはないが……と、いう葛藤が滲んでいて。多分、あちらで待つ高官たちに『お前ちょっと行ってこい』的に押し出されて来たに違いなかった。
それを悟ったブレアは無性に気恥ずかしくなった。咳払いを一つ。分かったと言って立ち上がり、もう一度だけ時計に目をやった。
エリノアに指定した時間まではまだ時間はある。
それまでに仕事をいくつかこなせば少しは気も落ち着くだろう。……そう胸のうちで思って。ブレアは高官たちが待つテーブルの方へと足を向けた。
──その時だった。
バンっ! と大きな音がした。激しい音に、ブレアと執務室内にいた数名の官たちがいっせいに顔を上げる。
と、木を叩きつけるような音と共に──威勢よく執務室の扉が開いて。
現れたのは──
熊のような大男。──オリバーだ。
どうやら飴色の戸を蹴り開けたらしい大男は──皆がその腕に収まっていた“何か”が何なのかを認識する前に、面倒そうに──その“何か”を抱く腕をグッと引き──……
「!?」
その動作を見て。誰よりも早くその意図と、“何か”の正体に気がついたブレアはギョッと目を見開いた。
──次の瞬間空に放り出され、ひらめく白と黒。
その光景に──記憶の中の何かが重なった。
「っ!」
瞬間、咄嗟にブレアは叫んでいた。
「────姉上っ!」
お読みいただき有難うございます。
…やっとすぎますね( ´ ▽ ` ;)
そして、かの王女はたくさんスパイを放っているものと思われます!




