47 その時勇者は魔物の献身に涙する
ソル・バークレムがせっせとエリノア宛の書状を書きまとめていた時より少し前……
城下のトワイン家。
エリノア――絶叫。
「!?」
それを聞いて――開かれた窓の前で、おはようと上げた手の形のまま驚いているのは、リードだった。
頼まれていた日用品の配達に来た彼は、己の顔を見た途端ありったけの声を出して叫んだらしい娘の顔を見て……呆然とした。
「ノ……ノア……? どうした……?」
何があったんだと家の中のエリノアに声をかけると、娘は窓枠の向こうから、引きつった顔をぎこちなくリードに向ける。
そのままジリジリと後退られては……リードのほうでも戸惑って当然だ。なんだか拒絶されているようで……地味にショックだった。わずかにリードの顔が曇る。
「……ノア?」
「……ぅ、あ、あの……あのですね?」
傷ついたような顔をする青年にエリノアも焦る。しかし――手には聖剣が……
「あの、あの……違うんです、あの……」
あからさまに怪しい敬語を繰り返すエリノア 。
「?」
リードは怪訝そうな顔をして彼女を見る。エリノアは、よくよく見ると――何か細長い代物を後ろ手にしてガタガタしている。蒼白の顔面は吹き出した汗であっという間に湿地帯と化していて、どう見ても怪しいことこのうえないが……どうやら、リードに対して拒否反応を示している――というふうでもなかった。
「いったい何に怯えて……? ……あ……」
不思議そうにしていたリードは――思い当たったような顔をする。
青年は持っていた荷物を慌てて地面に下ろすと、窓から家の中を覗きこむ。
「……もしかして……虫か!? なんか大きいのが入って来たのか!?」
「……え」
昔からエリノアが虫が苦手だと知っているリードは(※子供の頃カマキリで怯えさせた前科あり)「俺が退治するから待ってろ!」……と、懸命な顔で床を見回している。
それを見たエリノアは……
(! い、今……今だわ……!)
リードの意識が己から外れたことにハッとした。この間にどこかに聖剣を隠せないだろうか。
慌てて部屋の中を見回して……しかし――部屋の中には、こんな立派な剣を放りこんでしまえそうなところがなかった。しかも、物が物で――……いつ“彼”が人間態に戻るかも分からないことを考えると――棚の後ろの隙間――剣くらいなら滑りこまさせられそうな細いところ――に突っこんでみる……とかいう方法では、あまりにも不安がある。
困ったエリノアは、やはり別の部屋にでも隠しに行くほうが安全だと判断し……未だ、居もしない虫を一生懸命捜してくれているリードの様子を見ながら――じりじりと、廊下への扉のほうへ後退って――……
……いたのだが。
「ん……?」
と、そこでエリノアは、扉の向こうから何やらドドド……という地響きが近づいてくるのに気がついた。
次の瞬間――バターン! と、居間の扉が勢いよく開け放たれて……
「――ひっ!?」
「?」
緊張していたところに盛大な音がしてギョッとするエリノア。
同じく音に気がついて顔を上げるリード。
現れたのは――……
扉を体当たりで突破してきたらしい白い獣……
「どう――っ!? っっ――!?」
――おそらく……“彼”は『どうした!?』と、言いたかったのだろう。
しかし勢いよく飛びこんで来た“彼”――こと、犬姿のヴォルフガングは――
すぐにエリノアの血の気の引いた驚愕顔に気がついて――更にそこにリードの顔があることにも気がついた。
「(し、しまっ……!?)」
た、と思ったらしい慌てた白犬は、次の瞬間――……
「わ……………………わん!!」
――かなり苦しい感じで……犬のフリをすることを決めこんだ。
その……あまりにも強引なごまかしように……もはやエリノアの顔色は蒼白ではきかなくなっていた。
目の前にはリード。
ブルブルする手には聖剣、飛びこんできたのは魔物……
おまけに聖剣にはトンチンカンな精神が搭載されていて、この状況下でも空気を読まない彼はいつ人型に戻るかも分からないときている……
娘の丸い顔は今にも心臓が止まりそうな、気絶しそうな顔をしている。
聖剣と魔物の存在発覚の危機に身を竦ませたエリノアは――心の中で、心底リードの鈍感力を願ったが……
しかし、流石のリードも、今耳にした犬の声には何か不審な気配を感じ取ったらしかった。
「あ、れ……? なあ今……ヴォルフ……変な鳴き声しなかった?」
怪訝そうなリードに食い入るように見つめられて……スサッと視線をそらすヴォルフガング。しかし――その目をそらした先に立っていた娘が、青い顔で背後に隠している物体に気がつくと……魔物がギョッと目を剥いた。
「!? (お……お前は……何を……何をしているんだ!?)」
「(た……助けてヴォルフガングぅぅうっ!!)」
――勇者と魔物の間に声なき会話が成立する。
哀れなほどに必死な形相のエリノア。
震える背に回された後ろ手の甲は燦然と輝き、その手に握られた一振りも同じく清廉な光をまとっている。
それらとリードとを驚愕の眼差しで見比べたヴォルフガング。
娘の小柄な背からは、隠し切れていない聖剣がチラチラと見えている。
今は青年も自分のほうを見ていてエリノアに注意を向けてはいないが……それがエリノアに移り、少しでも彼女の背後を覗きこもうものならひとたまりもない。
もしリードが聖剣の姿を詳しく知っていたとしたら、きっとすぐにでもそれがなんなのかバレてしまうだろう。
――いったい何をやっているんだこの阿呆は……!?
……そうは思うのだが……
己を見るエリノアの蒼白の顔を見て。額に浮かぶ玉のような汗を見て……
「なあ、ノア――」――と、リードがエリノアを振り返りそうな気配を察して…………
(………………くっ……お、おのれ勇者めぇえええっっっ!!)
ヴォルフガングは、気が遠くなるような目眩と怒りを同時に感じて――
次の瞬間、彼は苦渋の決断をした。
「……わ…………わぉーん!!」
「!? ヴォルフガング!?」
突然のことだった。
後ろ足で床を蹴ったヴォルフガングに、エリノアがえっと、目を瞠る。
――魔将は……娘のためにプライドを捨てた……
「……わ……!?」
どこか媚びた響きの声で鳴き、ヴォルフガングはビヨーン! と窓枠を越え、青年に向かって跳んでいった。
いきなり大型犬に飛びかかってこられたリードが目を丸くしている。彼は白犬の巨体を受け止めて――そのまま仲良く地面へとひっくり返っていった。
「ヴォルフ……! リード!?」
驚いたエリノアは、聖剣を後ろ手に隠したまま窓に駆けよって。
と――
リードはヴォルフガングのモフモフの身体の下敷きになり、地面に倒れこんでいた。
唖然としているエリノアの視線に気がつくと、半身を起こして笑い「大丈夫大丈夫」と手を振って。彼はそのまま己の身体の上にいるヴォルフガングの大きな耳の後ろをワシワシと撫でる。
「どうしたんだよヴォルフ、今日はすごく熱烈な歓迎だな? 甘えてるのか?」
普段は素っ気ない態度の白犬の突進に……リードはなんだかとても嬉しそうである。
ヴォルフガングはワンワンと誤魔化すように吠えていて。青年からエリノアが見えないよう、彼の視界を己の顔で塞ぎながら……必死にリードに鼻先を近づけ、懸命にしっぽを振って犬のフリをしている後ろ姿に……エリノアが泣いている。
「(ぅ……ヴォルフガング……ご、ごめん! ホントごめん! あ、ありがとう……っ!)」
「(いいから……っ! いいからさっさと……聖剣をどっかに隠して来い!!)」※殺気
エリノアは……ヴォルフガングの献身の気持ちをくみ――その隙に、すみやかに聖剣を持って居間を出た。
「!?」
――と、扉を出てすぐに、ヌッと、平べったいチリ取りとホウキを差し出したコーネリアグレースの姿が……
「コ、コーネリアさん!」
「分かっております。テオ坊はあたくしが、こっ……てりっ叱っておきますから。今は……あの哀れな忠犬を助けてやって下さいまし……」
婦人の凪いだ表情には大いなる哀れみが滲んでいる。エリノアは猛然と頭を縦に振る。
「は、はい! お願いします!!」
エリノアはコーネリアグレースにテオティルを託す(コーネリア、聖剣をチリ取りに乗せホウキで挟む。※素手では触りたくない)と、慌てて家の外の二人のもとへ飛び出して行った。
「ヴォルフガング! ヴォ………」
と……
その光景を見て……罪悪感に胸を刺されたエリノアは、あああと呻いて顔を両手で覆った……
「よーしよしよし……どうしたんだよヴォルフ、今日はいやに甘えん坊だなぁ〜」
「わ、わぉ〜ん!」
――動物好きなリードの嬉しそうな声。
その彼の前で。地面の上に身を投げ出し、あられもない格好で腹を撫でられるヴォルフガングの顔の必死なこと……
……迫真の演技が涙を誘う。
「…………ヴォ、ヴォルフガング……」
ごめんんんっっっ!
……と、路上で涙するエリノア。
せめてこれが、グレンにだけは、絶対に目撃されないようにと慌てて二人に駆け寄って行くエリノアの頭には――
とてもではないが、先日リードに告白されただのなんだのと……思い出している余裕はなかった……
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