46 王妃の脅しと、真面目天然たちの恋愛談義
――同時刻。ブレアの執務室。
城下の様子を尋ねたブレアに、官は懸念するような顔でそれがと言った。
髪をきっちりと後ろになでつけた、やや神経質そうな顔の男だった。
「実は……今城下では、王子様方のどなたかが聖剣を抜いたのだという噂が広まっておりまして……」
その報告に、聞きながら別の政務をこなしていたブレアの手が止まる。
「……我ら兄弟が……?」
「はい……おそらく国民たちの希望もこめられておるのでしょう」
そう言われたブレアは考える素振りを見せた。
分からないでもない話だと思った。自分もずっと、実兄である王太子が聖剣を抜いてくれればと願っていた。
「ふむ……」
「“王子の誰かが聖剣を抜いたが、なんらかの理由で国がそれを伏せている”と……それを真実と信じ切っている国民も少なくはないようです」
「……ほう」
「それとこれもどこから漏れたのか……城下ではすでに、最初に箝口令の指示を出したのがブレア様であるということまでもが知れ渡っておりまして……そこからまた様々な憶測が飛んでいるようですね……」
歯切れの悪い男の言葉に、なるほど、とブレアは息をつく。
「つまり、私が皆の口を封じたということは、私にとって都合の悪い王子が聖剣の勇者となったのでは、と……そういうことだな」
やれやれとブレアは苦笑する。
「もともと私は巷によい噂がない。そういう卑怯な真似をやりかねないと思う者も多いのだろう」
「そのようなことは……」
無表情だった官が、この時ばかりはブレアを気遣うような顔をした。ブレアはそんな男に手を振ってみせる。
「いや、まあそれはどうでもいい。噂は噂だ。しかし……出元が気になるな」
「それについては現在調査中です」
男の返答にブレアはそうかと頷いた。
官は報告書をめくりながらため息をつく。
「噂は日増しに増えていくようですね……」
「だがそのような情報の中にも、聖剣に通ずるなにがしの真実が隠れているかもしれぬ。引き続きよろしく頼む」
「はい心得ております。…………ところで……」
「? どうした」
一度机の上の書類に目を落としたブレアが、男の声にもう一度顔を上げる。と……官はジロリと冷たい視線を背後に投げていた。
「……何やら……外野がうるさいようですが……」
「…………」
指摘にブレアは黙り込む。……背中が斜めを向いた。頭痛を耐えるような顔をする。
広い執務室の端のほう。応接用に置いてあるテーブルセット。そこには、オリバーと……その彼に詰め寄る老人たちの姿が。
老人たちは着ているものも立派で、身分も高そうな……この国の大臣や高官たちである。
何やら揉めている様子のオリバーと大臣たちに、ブレアに負けず劣らず生真面目な男、ソル・バークレムは不審そうな目線を向けている。
「……大臣様方は……あやつを捕まえていったい何をしておいでなのですか……?」
「…………放っておけ……」
騒ぎの理由にある程度察しがついているらしいブレアは——げっそりと手を振った。
「あの……離して下さいませんか大臣……」
オリバーがうんざりした口調で言うも……彼の腕をガッチリ捕まえた老人たちは高圧的な顔で彼を睨む。
「黙れオリバー。それより見ろ……ブレア様が疲れた顔をなさっているぞ……本当に……大丈夫なのか!?」
「…………」
こそこそ問うてくる大臣たちに、オリバーは――それは絶対あんた方のせいですから……と言いたいのをものすごく我慢した。そんなこととは知らず、大臣たちは固唾を吞んでブレアを見守っている……
「あれは話しかけにいっても大丈夫なのか……? ご承認いただかなければならない書類がいくつもあるのだが……タイミングがつかめん……」
「……普通に行ってくればいいじゃないですか。ソルも普通に王子と会話してるでしょう!?」
すると大臣が目を吊り上げる。
「馬鹿者! あの空気を読まん若造と一緒にするな! お前も見ただろう!? バークレムが話しかける前のブレア様の顔……お、おぉおお……思い出すだけで老体に震えがくる……」
「……」
確かに、今ブレアの傍にいる官バークレムが王子に話しかける前のブレアの顔はひどかった。
普段から職務中のブレアの顔は厳格だが、それを通り越して、まるで地獄にでも攻め込もうかというほどにいかめしくて……それで大臣たちも少々腰が引けているらしい。そうして執務室を訪れたはいいが勇気の出ない大臣や高官がオリバーのところに溜まって行って……現在に至る。
「ブ、ブレア様があのように感情を露わにされるとは……もしや……タガートの養女とはうまくいっていないということか!?」
オリバー!? と、詰め寄られた騎士は眉のあたりにシワを寄せている。
「知りませんよ……なんか娘の夢を見たとか見ないとかで……」
「夢!? そんな訳がなかろう! あれが女人を思う目か!?」
「はぁ……なんかまた苦悩しておいでなんじゃないですか?」
「苦悩……? ではやはりうまく行っておらぬのではないか! お前は……側近としてなっとらん! 怠慢だぞ! なんとかせい!」
「……そんなこと俺に言われても……」
必死すぎる老人たちに責め立てられたオリバーは困り果ててため息をつく。
しかし大臣たちが騒ぐのにも理由があるのだ。
――それは、本日朝一のこと。オリバーたちブレアの側近は、王妃のもとに召集された。
指定された王妃のサロンへ行ってみると、そこにはオリバーたち以外にも様々な顔ぶれが集められていた。
中にはブレアに近しい官や大臣たちの姿まであって……
いったい何事かと戸惑う男たちに、彼らを迎えた王妃は厳かに言ったのだ。
『皆、聖剣探しで忘れているようだから一言いっておかなければと思って。ふふふ』
遠回しでもったいぶった言い方には、集められた者たちに緊張が走る。
王妃は笑っているが……己たちは絶対に笑ってはいけないのだという空気がサロン中に充満していた。
そんな中……オリバーたちを威圧するように立ち並ぶ侍女たちの中央で、豪奢な長椅子に腰を下ろし、微笑みながら王妃は彼らに言った。
『もちろん聖剣は大事よ。……だけどね、あなたたち——ブレアのことを忘れているのではなくて? ブレアの、婚約の件を!』
彼女がそう言った瞬間、一瞬皆が、は? と、ポカンとしかけたが――王妃はそんないとまを誰にも与えはしなかった。うふふと笑う王妃の顔は女神さながらに美しかったが、目は少しも笑ってはいないことに誰しもが気がついていた。
『――いいこと? 聖剣の捜索が忙しいのは分かっていますが、このことを、けっして蔑ろにしてはいけませんからね……?』
いいですね!? と――そうして……王妃に改めて念押しされた――大臣や高官たちは、こうして必死にならざるを得なかったという訳なのである。
「オリバー……貴様もしっかりやらねば後々恐ろしいことになるぞ!?」
「いや、それは分かっていますけどね……」
げっそりしているオリバーにも、王妃の気持ちは分かっている。
彼女は長年息子の婚約者選びに悩まされ、それがうまくいかず、側室妃たちにも嘲笑われて悔しい思いを重ねてきている。ゆえに、この度の聖剣騒動のせいで、せっかく息子が見せた光明をみすみす逃してしまうのではないかと心底案じているのだろう。
でも……とオリバーは顔を歪めた。
「……でも……変に横やり入れることのほうが不安なんスよ……! あんな恋愛初心者たち相手に、いきなり妃だ婚約だって突きつけたって……」
うまく行きっこないと主張するオリバーに大臣たちは厳しい。
「愚か者! そこをなんとかうまく調整するのがお前の役目だろうが!」
「王室の繁栄は磐石な治世にもつながるのだぞ!」
「有力な候補者が現れたのなら今後は早め早めに……そうだ、お二人のためにもう一度舞踏会でも開いてみては……?」
「ダメじゃ、聖剣が見つかるまではそのような余裕があろうはずが……」
「えぇい! なんたることだ……聖剣め!」
「………………」※オリバー
……そんな男たちの騒ぎを遠くに聞きながら……ブレアは疲労をにじませてため息をついた。
そして彼は、オリバーたちの騒ぎを無視して傍で作業している男——彼の補佐をしているソル・バークレムに低い声をかける。
「ソル……私は変なのか……?」
……オリバーが聞いていたら、ずっこけそうな問いであった。
しかし、男は真剣だ。
「変? あそこで騒いでおられる大臣様方ではなく? ブレア様がですか?」
心底心外そうに片眉を持ち上げて振り返った男に……ブレアは静かにかいつまんだ事情を話す。
「……たかだか夢ごときにこうも振り回されている己は滑稽だと分かっている。だが……そう分かっていても、気がつくとつい思い出していて……まったく理性の及ばぬ領域に立たされているようで不可解なのだ……」
そう訴える青年に、身を正してそれを聞いていたバークレムは、質問よろしいですかと小さく手を上げる。
「具体的にはどのようなことを思い出されておられるのですか?」
「……そうだな…………娘の寝顔……正確には、眠そうに潤んだ瞳、耳元で聞いた寝息、抱かれた腕の感触……それに香り……我が夢ながら……驚異的な再現力だったように思う」
苦悩するような顔の王子に、ソル・バークレムは――……
平然と頷く。
「なるほど……左様でしたか。それはつまり、相当な思慕であらせられるということでございますね」
……何やらおかしな調子になってきた。思慕……などという言葉は出てきたが……男二人の様子は、とても恋愛の話をしているふうには見えない。
まるきり政治の話でもしているかのような調子で二人は議論を交わしていく。
考えてもみろとブレア。
「ここまで思いつめられたら……相手は気味が悪いのでは? 無断で夢に見るなど……」
「お言葉ですがブレア様、夢とは普通無断で見るものです」
「それはそうだが……できれば彼女の気分を害するような行為は慎みたい。どうすればよいだろうか……」
問われたバークレムは冷静な顔でブレアに答える。
「そうですね……深層心理が反映されるという夢を操るということは、かなり難しいことだと思います。かといって、夢を避けるために眠らないというわけにもまいりません。これ以上睡眠時間を削るとブレア様の作業効率が落ちますし……私の見立てでは殿下が恋愛状態に陥って以降、すでに通常の数割程度、効率が悪くなっています」
「…………すまん」
「いえ、十分ご自身で補填しておいでだと思います。……思うのですが……そのように気にかかるようでしたら、いっそ一度ゆっくりお会いになる機会をつくられては?」
「機会……? しかし……」
時間に余裕がないとため息をつくブレアに、バークレムはつらつらと言葉を並べていく。
「確かに今は聖剣捜索で忙しいですが、適度な余暇を入れたほうが、効率が上がることもございます。逢瀬への欲求が高まりすぎて気が乱れるとおっしゃるならば、一度休まれて令嬢とどこかにお出かけになるとか……欲求が満たされれば多少は感情も落ち着くのでは? みだりに夢に見てしまうようなこともなくなるかと」
「……なるほど……私は欲求が高まりすぎているのか」
そういう視点はなかったと腕を組んで感心した様子のブレア。そんな彼に、バークレムは「改善策を検討いたしましょう」と真顔で言う。
「お相手にも協力を要請するといいと思います。ブレア様の窮状を詳細にお聞かせいただければ私が要点をまとめてご令嬢に書状を用意いたします」
そして男は……紙とペンを手に取ると、真剣な顔でブレアの前に立ち、「さあどうぞ」と、彼の言葉を待っている……
「……」
「……」
そのやりとりを――盗み聞いていたオリバーと大臣たちは無言で顔を見合わせていた。
「……あの…………真面目天然たち止めなくて大丈夫ですか……? クソ真面目な顔で欲求とか逢瀬とか……恥ずかしくて聞いてられないんですが……あれ多分本気ですよ……?」
「うぅむ……王妃様が心配なさるはずじゃ……ブレア様があそこまでとは……」
大臣は頭を抱えて唸っている。
彼らの視線の先で、バークレムはブレアの言葉に頷きながら、何事かを熱心に書き取っている。……内容が怖いとオリバーは思った。
「ソルの奴……手紙を書くとか言ってますけど……あいつがそんなもん書いたら役所の督促状みたいになりますよ……!? そんなもん送りつけて大丈夫っすか!?」
「いや……しかし、余暇と娘との外出の誘い……方向性としては間違っていないような気も……」
「本当に……!?」
大丈夫なんですか……!? と……オリバーは大臣の肩を大きく揺さぶり動かした……
リードターン……のはずが一回ブレア挟みました!m(_ _)mちょろちょろ聖剣捜索の話も入れときたくて。
ややこしい捜索の話をライトにしたくて……結局ブレアの変な話に……




