37 奇妙な三人組と。
その時間、廊下に立っていた衛兵たちは。
彼らの前を横切るようにして、廊下掃除をしている奇妙な三人組を怪訝な目で追っていた。
三人組は……王宮侍女と。令嬢ふうの気の強そうな娘。そしてもう一人、まるで正殿に飾られた絵画の中からでも抜け出てきたような美貌の男で構成されていた。
……まあ、先頭をちょこまかと床を拭いて回っている王宮侍女はいいとしよう、と若い衛兵A。
問題は残りの二名。
そのうち令嬢ふうの娘には彼らも身元に心当たりがあった。彼女は将軍タガートの愛娘である。
しかしだ。彼女の名は、本日の王妃の来客予定表に名前があった気もするのだが……それがどうしてこんなところでぶつぶつ文句をこぼしながら掃除をしているのかが彼らにはまったく分からない。
理由を問いたくても令嬢は現在とても機嫌が悪そうで、やや乱雑に、大胆にモップを振るっていて……正直あまり近寄りたい雰囲気ではなかった。
……そんな令嬢の穏やかでない様子にもかかわらず、美貌の男はひたすらニコニコと廊下を拭いている。……いや、男は時折座り込んだ廊下の途中で、そこに据えてある石像や飾り物の刀剣に向かって何かを話しかけていた。
「貴殿はどこの山から切り出されておいでになった?」「ほう、あの名峰から……」「廊下に飾られているだけでは退屈では……? 私も長いこと野ざらしで……」……と、……どう見てもそこに人間はいないのだが……
それらを目撃した衛兵たちは顔を見合わせて困惑した。
なんだあれは。いろんな意味で両者共が怖いではないか。そして結局彼らはいったい何故この第三王子の居所まわりをうろついているのだろうか。いややっていることは掃除だけど、と。若い衛兵AとBは困り果てた顔を見合わせて……
——そんなこととはつゆ知らず。
廊下を懸命に拭き掃除していた侍女ことエリノアは、庭園に続く出入り口の枠をきれいに拭き上げてから——弾かれたように顔を上げた。
「よ……かったぁ……! 終わったぁ……っ」
ホッとした顔には汗がにじんでいる。
エリノアがそう言うのと同時に廊下の端にモップをかけていたルーシーもやれやれと肩を回す。
「こっちもよ。じゃあ道具を片付けてさっさととんずらしましょ。ほら、あんたも行くわよ」
令嬢は、片手でくるりと持ち上げたモップを颯爽と肩に担いでテオティルに向かって顎をしゃくる。……彼女は本日も可憐なワンピースとヒールの靴を身につけているが……何故だかそんな雄々しい仕草がとてもさまになっている……
立ち上がったエリノアはテオティルのそばまで行って、彼に手を差し出した。
「テオ、行こう?」
「? 終わったのですか?」
「ええ本当にありがとう、とても助かったわ」
エリノアがそう言うと、テオティルは表情を輝かせて立ち上がりその手を握る。無邪気な顔の聖剣に、エリノアも嬉しそうに笑う。と、その背をルーシーが押した。
「何やってるの、じゃれあってないでさっさと帰りましょ。いつまでもここにいたらクラウス様がお戻りになってしまうわ。見咎められたらまた厄介よ」
令嬢の言うことはもっともである。とにかく急いでここから離れようと、エリノアがテオティルの手を引いて歩き出すと、その後ろにルーシーが続く。そうして少し歩くと、娘はホッとしたのか振り返って二人に微笑みかけた。
「二人とも本当にごめんね……でもありがとう、おかげで一人でやるよりとっても早く終わったわ」
直前、散々な洗濯物と戦い、そのあとは木登りで体力を削られていた。自分だけでは掃除は夜中までかかったかもしれないとエリノア。
安心しきった表情で、後ろを見ながら礼を言う娘の顔に、テオティルも、そして素直ではないルーシーもやや照れ照れと嬉しそうである。
「もうすぐ終業時間だし、家に帰ったらお礼に何かおいしいものを作るわ。大したものはないけどルーシー姉さんもよかったら——」
——と、エリノアがそう言った時。
三人の足は廊下の角に差し掛かった。
すると不意に、エリノアを見ていた二人……ルーシーとテオティルの足がピタリと止まる。
「あ」
「?」
「……え?」
二人を見上げていたエリノアも、手を繋いでいたテオティルが立ち止まるものだから……身体がカクンと引き止められて。なんだろうと不思議そうに二人を見ると。二人共、エリノアの向こう——進行方向をぽかんと見つめている。
「ルーシー姉さん? テオ? どうし——っ!?」
二人の視線を辿って。前方へ振り向いたエリノアが、ギクリと身体をこわばらせる。格式高い王宮の廊下が見えるはずの目に——金色と黒の何かが飛び込んで来た。しかも振り返った鼻先をかするような近さに。
あまりの近さにギョッとして。慌てて飛び退いて距離を少し取ると……金色の物体は黒い衣服の端に施された縁取りの部分であったのだということが分かった。
どうやら、誰かがそこに立っていて、角を曲がった途端、ぶつかりそうになったらしい。その人物の顔を見上げて——
「え……? あっ!」
「…………」
驚くエリノアを、ルーシーとテオティルはなぜだか共に無言で見下ろしている。
そしてエリノアが見たものは……
「ブ……レアさ、ま……?」
腕を組み、じっと佇んでいた主人の顔を認識したエリノアが瞳を瞬いている。一瞬、何故ここにと違和感を感じたエリノアはポカンとして……
しかし次の瞬間、あろうことか、前方不注意で己の主たる王子にぶつかりそうになったのだと気がつくと、ハッとした娘は慌てて「も、申し訳ありません!」と、頭を下げた。
……が……
「……?(あ、あれ?)」
待てども暮らせども主人からはなんの反応も返ってこない。
不思議に思ったエリノアは恐る恐る顔を上げる、と……
ブレアの静かな視線は、ある一点……エリノアの手に落ちていた。彼の視線はそこに縫い止められたまま。そのまま引き結ばれた口は開く気配がない。
「…………」
「え……あの……」
その沈黙にエリノアは戸惑った。
彼は普段から無表情でいることが多いが……何故か今日はその背の後ろに不穏な気配を感じる気がした。物言わぬ視線もどこか普段とは違うような気もして……分かりにくい主人の様子にエリノアが困り果てている。
……その時ブレアはなんとも言い難い感情に言葉をなくして立っていた。
サロモンセン家の従者の話から、すぐさまエリノアのおおよその居場所を悟ったブレア。
クラウスの居住区のそばに彼女がいるということだけでもう既に不安だが、池に入ったという話も気になっていた。
そうして不安なまま駆けつけたわけだが……
そこで目に飛び込んで来た光景に……彼は今、戸惑い、苦々しさ、腹立たしさと……何やら不穏な感情に縛られて、身動きが出来なくなっていた……
けれども彼は。それをすぐさま表に出すような人間ではなかったわけだ。
どうしたのだろうと不思議そうに、不安そうにこちらを見上げてくるエリノアを無言で見下ろしながら……
どこかで己の様子を客観的な視点でとらえ、生来の辛抱強さでそれを堰き止めた。
業火が燃え盛るようにして突発的に心を蝕んだものは、先日城下でエリノアの“兄貴分”に出会った時のものとよく似ている。
それはおそらく野放しにしてはならないものだ。——そう冷静に思うのだが……
「…………」
その“男”を見ると、ブレアの灰褐色の瞳の奥に憤るような色がちらつく。
先日、あれだけ己が触れるのに躊躇し、悩んだ白い華奢な手を……その“男”はなんのためらいもなく、さも当たり前と言う顔で握っている。ブレアが鋭い視線を送っても、平然とした顔で……
それを見ていると……ブレアは胸の内にとても冷静ではいられない何かを感じてしまうのだった。
あけましておめでとうございます。
少し手間取りましたが、なんとか(次話も)仕上がりました。
しかし都合により、チェックはまた後ほど。




