34 ヴォルフガングは石投げ犯と間違えられた……
それでどうしたのと赤髪の義姉は心配そうに問う。視線はエリノアが怪我をしていないのか見回していて。テオティルが義妹を抱きしめているのがとても鬱陶しそうだった。
そして泥だらけの娘に怪我がないと知ると、ルーシーはホッとしたのか——グイッと瞳を吊り上げる。
「あんたねぇ……いったいなんなの、足も手もドロドロじゃない! 王宮の廊下をこんなに汚すなんて……心臓に悪い!」
「す、すみません……」
鬼顔のルーシーに肩を竦めながら——エリノアは恐る恐る後ろを振り返り……途端、頭を抱えた。
長い廊下の床には、中央に貴人が歩く場所を示す真紅の絨毯が敷かれている。使用人たちは絨毯のない端を歩く決まりなのだが……その端——大理石の床には、エリノアがつけただろう泥の足跡が点々と続いている。
「あああぁ……そうだった……」
「あああじゃないわよ……どういうこと?」
青ざめる娘は、背後の惨事に今気がついたらしい。
ガックリと頭を落としたエリノアは、それがですね……と、このような有様になった訳を語りはじめる……
「——私、さっきこの近くの庭園で木登りをしていて——」
「アホなの?」
すかさず義姉に鋭い突っ込みをうける。間髪入れない切り返しだった。
「う……」
鷹の目の令嬢は上から義妹を睨み下ろしている。
「王宮の庭園で木登りって……それで何よ!? 木から落ちて下の池に落ちたわけ!?」
ある程度的確なエリノアの行動予測をしてくる侮れない義姉。
「おや……エリノア様……池に落ちられたのですか?」
エリノアを背後から抱きしめているテオティルが心配そうに聞いてくる。が、エリノアは慌てて違うと手を振った。
「ち、ちが……何もわたくしめ登りたくて登った訳では……いえ、違います、本当です! 今日は池にハマってません!」
傍にいたオフィリアまでもが涙目のままエリノアを呆れ顔で見ていて。エリノアは尚更うろたえた。
このままでは自分はとんでもない跳ね返り侍女にされてしまう。王宮侍女なのに……そんな認識を王子の婚約者に持たれては一大事である。エリノアは慌てて自分のエプロンのポケットに手を突っ込んで、中から白いハンカチを引っ張り出した。
そして勝ち気そうな顔を呆れで満たした令嬢たちの前に、それを持ち上げる。
「な、何よ……?」
泥だらけの娘から、鼻先にぐいっと捧げられたハンカチに——オフィリアは不審そうな顔をした。
——と、娘の片手が折り畳まれていた上布をそっと持ち上げて——
そこにあったものを見たオフィリアが——あ! と、高く叫んだ。
「こ、これ——」
オフィリアは目を瞠って包まれていたものを手に取った。
それは、オフィリアの手のひらの上で眩く黄金色に輝いている。
「わ、私の…………指、輪……?」
令嬢は顔をこわばらせて息を吞む。先ほど自身の婚約者本人に、放り捨てられた指輪だ。認めたくはないが自分にも非がある事は分かっていて。——でも、あんなふうに投げ捨てられて——もう見つからぬのではないかと——
このまま王子に指輪と同じように切り捨てられるのではないかとオフィリアは恐ろしくて——……
……だが、指輪は再びオフィリアの手に戻った。
リングにはしっかりと王家の紋章が刻まれている。
確かにそれが自分のものであると知ると、オフィリアは言葉をなくした。それをもたらした娘に彼女は戸惑いと驚愕を浮かべた瞳を向ける。その娘にはいい感情がなかった。それどころかひどく侮辱した覚えすらあって……
と、その様子を隣から覗き込んでいたルーシーも目を丸くする。
「エリノア……オフィリアの婚約指輪じゃない……! どうしてあんたが……?」
二人の言葉を聞いたエリノアは、ホッとしたように笑顔になった。
「よかったぁ……やはりそうでしたか!」
嬉しそうなエリノアの顔を見ると、オフィリアは余計困惑する。が、エリノアが嬉しそうな顔をしたのは一瞬だけだった。彼女はすぐにハンカチをポケットに収めて、申し訳なさそうな顔をする。
「ええと、拾った経緯はまた今度でもよろしゅうございましょうか……申し訳ありませんが、わたくしめ廊下を掃除しなくては……」
王宮をこのまま汚したままにしておいては大ごとになってしまう。
エリノアは背後からテオティルにのし掛かられたまま……二人にペコリとお辞儀をして、すぐにくるりと身を翻した。
「……ぁ……」
「エリノア!」
エリノアはキョトンとしたテオティルを引っ張って廊下を駆け戻って行く。
唖然とするオフィリア。ルーシーも同様に驚いていたが、彼女は慌ててスカートの裾を掴むと、エリノアを追いかけて走って行った。
「…………」
残された令嬢は——
遠ざかっていく三名が廊下の向こうに消えると……呆然とした視線を己の手のひらの上に落とす。
「……」
黄金の指輪は、そこで静かに、清らかに輝いていた。
「……——それが——木登り中突然飛んできたんです。頭に」
廊下の床に膝をつけたエリノアは、右手で雑巾を前後左右にせわしなく行き来させながら、ルーシーにそう言った。
「飛んで……ああそうね、クラウス様が思い切り投げていらしたから……そう、あんたの頭に当たったの……」
傍でモップを動かしていたルーシーは、運がいいんだか悪いんだか、と苦笑を浮かべてそれを聞いている。
「最初はどこぞの厳しい魔物にでもさっさとしろと頭に石でも投げられたのかと思ったんですが……」
「……は? 魔物?」
「あ……い、いえ、その……し、仕事に厳しい悪魔のような——上役様? とか?」
不可解そうな顔をしたルーシーに、エリノアはしまったと慌てて手を振っている。
——オフィリアの前から去った後。とりあえず水場で自らの泥を綺麗に洗ったエリノアは……ルーシーたちと共に廊下の掃除を行なっていた。
もちろん——エリノアは使用人でもない令嬢ルーシーには、掃除なんか手伝わさせられないと断ったのだが……
体育会系な義姉に、『パパと武道の稽古をしている時の私の方がよっぽど泥だらけよ!』……と、やや強引に押し切られ、今に至る……
そんなわけで。エリノアが雑巾で泥汚れを落とし、ルーシーがそこをモップでふいていて……テオティルは水の満たされバケツを運びながら、ニコニコと二人の後をついて来ていた。
そうして作業しつつ、エリノアはルーシーにあの指輪——オフィリアがクラウスから贈られた婚約指輪を見つけた経緯について話をしていたという訳である。
そうそれで、とエリノアは話を続ける。
「木を降りようとしたら……」
お読みいただきありがとうございます。
長くなったので分割します。
あと遅くなりましたし、チェック後に連投します。年末…しんどいです!(°▽°;)




