33 怒れる拳と、鎮火の泥
「……その……無駄に目に刺さる美形は……うちの(義妹の)身内なんだけど……? なーんであんたたちと一緒にいるのかしらぁ……?」
怪しむような顔でクラウスの住い前の廊下で立ち止まったルーシー。
その目に睨まれたオフィリアは、身をすくめて――しかし、こちらも威勢だけは負けてはいない。
「う、うるさいわね! あんたに関係な……ぇ……!? この男……あなたの家の者なの!?」
オフィリアはぎょっと、隣に座るテオティルを仰ぎ見る。テオは……
「……」
ひとまず空気を読んで黙っておくことにした。
ルーシーは、オフィリアを上から睨んだままずずいと――エリノアが見ていたらキレそうなチンピラ顔で――彼女たちの方に近づいて行く。
「だったらなんなのよ? なんか文句あるの?」
「ちょ……」
そのしかめた眼光の威圧感たるや……ひるんだオフィリアは、堪らず隣にいたテオティルの背の後ろに身を隠す。しかし、ここで引き下がるのはルーシーに負けるようで嫌だった。
「あ、あんたたちみたいな筋肉一家にこんな美しい男が相応しい訳ないでしょ!」
「はぁ?」
ルーシーは呆れたようにため息をつく。
「……全く……美しいものを見るとすぐ手を出そうとするんだから……ほら! さっさとその色惚けした手を離しなさい! あんたも立つ! とっとと家に帰るわよ!」
ルーシーは叱咤を飛ばし、令嬢たちを解散させようとした。
と――おやおやと……誰かが言った。
それは、表面的には穏やかな……だが、嘲りを含んだ声だった。
声は続ける。
「随分、楽しそうだね――オフィリア」
「!?」
その声に、場にいたテオティル以外の者がギクリと身を震わせる。
全員がほぼ一斉に振り返り、そして、そこにいた青年を見て――その不穏な笑顔に、オフィリアの顔がさっと血の気を失った。
「とても賑やかだったから様子を見に来たんだが……まさか君だったとは……」
青年の笑い声を聞いて、テオティルに見とれて廊下に立ち止まっていた使用人たちが急いで立ち去っていく。
クラウスの棘のある視線は、テオティルとその背中に寄り添う形で座っているオフィリアに注がれていた。
「ク、クラウス様……」
オフィリアは動揺した様子でテオティルから手を離すと、長椅子から立ち上がってかしこまる。他の令嬢たちも慌ててそれに習い、強張った顔を床に向けた。
そんな中、一人だけ堂々としていたルーシーがクラウスに向かって視線と身を沈める。
「これは殿下、ご挨拶いたします。ご機嫌いかがですか?」
けして良くはなさそうだと思いながらも……ルーシーが王子に折り目正しく淑女の礼をとると、彼はそんなルーシーをチラリと見て鼻を鳴らし……すぐに視線を外す。
「タガートの娘か……オフィリア……君ともあろうものが、こんな跳ね返りと一緒になって一体何を? 下品にも男を取り合っていたように見えたけど?」
「……い、いえそんな……」
きつい口調にオフィリアが動揺している。(ルーシーお辞儀をしたまま王子に聞こえぬよう舌打ち)
クラウスは不快そうな視線を、じっと己を見ているテオティルの頭の先からつま先までに走らせて。その際立つ容貌へか、あからさまに苛立つような顔をした。そしてやはりオフィリアと同様、テオティルの服装を値踏んで吐き捨てる。
「なんだこの身分の低そうな男は……オフィリア、まさか君がここに連れて来たのか?」
「そ、そうではありません!」
「卑しい身分の者を囲んで喜んでいるなど嘆かわしい……君はもしかして私の婚約者としての自覚がないのかな? 君が何をしていようがどうでもいいが、お願いだから王室の品位を落とすようなことだけは控えてくれよ、その座を追われたくなかったら」
王子の吐き捨てた言葉に、オフィリアが傷ついた顔をする。それを見た公爵家の従者が、主人を案じるようにオフィリアに寄り添って。堪らず王子に悔しそうな視線を向ける。……と、クラウスはそれを見逃さなかった。
「なんだその目は……?」
クラウスの冷淡な目が従者を刺し、鼻を鳴らす。
「主人が叱咤されて悔しいのか? は! 主人思いな僕だな……」
クラウスは小馬鹿にしたように嘲笑いながら、いいだろうと愉快そうに言った。
「ならばその忠心、どれほどのものか見せてもらおうか」
「!? クラウス様!?」
次の瞬間、オフィリアの戸惑ったような悲鳴が上がった。
クラウスが、驚くオフィリアの指から、そこにはめられていた黄金の指輪を抜き去ったのだ。
クラウスはその指輪を手ににやりと笑う。と、彼は傍の窓を己の侍従に開けさせて、唐突に――
――外に向かって指輪を力一杯に、投げ捨てた。
「な……っ、王子!?」
再び悲鳴が上がり、真っ青になったオフィリアが呆然としている。オフィリアの従者は慌てて窓辺に走り寄ったが――小さなリングは広い庭園に消えて、どこに落ちたのかすらも分からなかった。
「な、なんてことを……」
クラウスは笑いながら立ち尽くす人々を見ている。
「さぁて大変だ。君が私の婚約者であるという証の指輪が何処かへ行ってしまった。確か、あれは私の母上が特別に豪華にあつらえさせたものだったよね?」
「ク、クラウス様……お、お許し下さいっ」
オフィリアはへなへなと絨毯張りの廊下に膝を落とした。
クラウスの言うとおり、今投げ捨てられた指輪はオフィリアがクラウスの婚約者に確定した時に贈られた大切な金の指輪で。彼女の“王族の婚約者”としての身分を証明するものでもある。
指輪には王家の印が刻まれているだけでなく、派手好きな側室妃の求めで特別に大きくて高価な宝石があしらわれていて……もしそれを失くしたなんて事になれば、側室妃は烈火のように怒るだろう。
しかも、それを投げ捨てたのが彼女の息子だと抗議してもきっと無駄なのである。側室妃は溺愛する息子の非を認めないだろうし……もしくは、そんな暴挙に走らせるほどに王子を怒らせたのかと、逆に叱責を受けるのが関の山だった。
それが分かっているオフィリアは、ついに床の上で泣き出して……
しかしそんな彼女をクラウスは蔑むようにせせら笑いながら、そばで呆然としている従者に言った。
「ほら、さっさと探してこいよ。主人に忠誠を誓っているんだろう? あの指輪をなくしたなんてことになれば、オフィリアも公爵家はただではすまないぞ」
「!」
オフィリアの従者は青い顔で転がるようにして廊下を走って行った。
その慌てぶりを一頻り笑ったクラウスは、崩れ落ちたオフィリアを冷たい顔で一瞥すると、鼻を鳴らしてさっさと何処かへ行ってしまった。
――残されたオフィリアは、絨毯の上で嗚咽を漏らして泣いている。
……が、いつの間にか、彼女の傍にいたはずの取り巻き令嬢たちの姿がない。
どうやら――
王子の不興を買ったオフィリアに巻き込まれるのは御免だと、彼女たちも立ち去ってしまったらしい。
そうして一人涙するオフィリア。
その耳に――ふいに、舌打ちが聞こえた。
……令嬢は弾かれたように赤い目を上げ――
……た、途端、ギョッとする。
舌打ちの主。そこに腕組みして仁王立ちしてた娘ルーシーは……
強烈な鬼顔でギリギリと歯軋りしている。
その口から、不意に低い言葉が漏れる。
「……やっぱり……王子ってのは……」
「え……」
睨むような顔でオフィリアを真正面から見て、ルーシー。
「流石に……殴ったらまずいわよね……?」
「は……?」
「ダメ、よね……ダメ……かしら……? 案外……行けるんじゃない……?」
恐ろしい幽鬼のような顔で問われたオフィリアは唖然とする。
「ちょ……っ!?」
ルーシーの瞳がだんだんだんだん仄暗い色となり……その拳が、ぐ……っと、怒りすぎで青ざめた顔の前で握られたのを見て――オフィリアが慌てて立ち上がった。涙も引っ込む恐ろしさである。
「ば、馬鹿じゃないの!? ダメに決まってるでしょう! 何考えてるのよあなた!」
「だって死ぬほどむかつくわ。なんなのあいつ……一度と言わず、百回くらいボコボコにしてやりたい……」
「ばっ……」
怒り心頭という顔で王子のあとを追おうとするルーシーに、オフィリアは必死に取りすがる。
「や、やめなさいルーシー・タガート! そんなことしたら……一族皆処刑されるわよ! ちょ、やめなさいったら!!」
なんて馬鹿力なの!? と、オフィリアはまた別な意味で青ざめて……
従者も不在でどうしたらいいんだと助けを求めるように周囲を見回した時――
「――あれ? そこの恐怖の鬼顔お嬢様は……もしかしなくても我が姉上様では……」
戸惑ったような声がした。
「え?」
「……あら、エリノ、ア……?」
かけられた声にやや正気に戻ったらしい猛獣令嬢が振り返って。途端ルーシーの殺気に満ちていた瞳がギョッとする。
「ちょ、何その格好……っ!? エリノア!?」
ルーシーは、オフィリアの手を振りほどくと慌ててエリノアに駆け寄った。
見ればエリノアは泥だらけで……特に手と膝から下が酷い。
彼女が動くとまだ茶色い滴が下にしたたり落ちて行く。絨毯には泥の汚れが落ちていて、彼女が歩いてきたらしい道筋がはっきりと分かる。泥のついた顔で、へ? と瞳を瞬かせるエリノアの肩をルーシーはつかんだ。
「な、何があったの!?」
王宮侍女である義妹がこんな恰好で、しかも、王宮の廊下を汚してまでここに来ているということが、ただ事ではないと思えた。ルーシーは不安そうな顔でエリノアを見ている。
そんな令嬢の後ろでは、彼女をひきとめようとしていたオフィリアがとりあえずルーシーの殺気が消えたことにホッと胸を撫で下ろしている。と――
「エリノア様!」
誰かがその横を風のように通り抜けた。
「え……?」
――テオティルだった。
オフィリアは唖然として……目と口をぽかんと開く。
その、先ほどまでは自分たちがいくら話しかけようともニコリともしなかった青年が――侍女に向かって心から嬉しそうに微笑みかけている。
青年は、ルーシーの手からエリノアを取り上げると、泥も気にせずに彼女を優しく抱え上げた。そうして激しく頬擦りをする青年に、侍女はげっそりした顔で言っている。
「テ、テオ……な、なんでよりによってクラウス王子の住いに……」
お読みいただきありがとうございます。
ルーシーが…危ない。(色んな意味で)




