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侍女なのに…聖剣を抜いてしまった!  作者: あきのみどり
三章 潜伏勇者編
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31 憂いの聖剣と、女たち

 その暗い部屋で聖剣は、つと――その机の上に置かれた物体を眺めていた。

 長方形の皮張りの箱。厚さは手の平ほど。右から左までの長さは大人が両手を広げた程度のものだった。


「…………」


 室内にはその箱以外にも雑多なものが所狭しと積まれている。

 しかし。テオティルの瞳は、その箱だけを瞬きもせずに見つめている。


 ――ふと、物も言わず、身じろぎもせず佇んでいたテオティルの手がすっと持ち上げられた。

 無感情な瞳のまま、つぶやく。


「……淀み……」


 伸ばされた指先が、そっと箱に――……


「――誰かいるのか!?」


 ――触れる寸前。


 部屋の扉が開け放たれた。

 鋭い声が響き渡り、次の瞬間部屋にはくすんだ金の髪の男が踏み込んで来ていた。男の手には抜き身の剣が握られている。


 だが。


 室内を見渡した男は――怪訝に眉を持ち上げた。


「……気の、せいか……?」


 その口からは怪しむような声が漏らされる。

 見回しても暗い室内はしんと静まっていて、そこには何者の姿も見られなかった。


 しかしそれでもなお怪訝そうに顔をしかめた男は片眉を持ち上げて。警戒した瞳のまま、他のものには目もくれず、机の上に安置してあった皮張りの箱の前に進みよる。

 男は箱に触れ、その鍵がしっかりとかけられたままであることを確認すると、苛だったように舌打ちをした。そこへ、慌しい足音が近づいてくる。


「クラウス様、いかがなさいましたか!?」


 誰かが部屋に駆け込んで来た。――クラウスの侍従だ。

 侍従はクラウスが剣を手にしているのを見ると、一瞬怯えたような顔をした。そんな男の青い顔に、クラウスはふんと鼻を鳴らして、手にしていた剣を男の足元に力いっぱい放りやる。


「ひっ」


 鋭い切っ先は敷かれた絨毯を裂くようにして床に突き刺さった。危うく足を切る寸前だった侍従は短く悲鳴を上げ――そこへ間髪いれず、厳しい叱責が叩きつけられた。


「ずっと見張っていろと言っただろう!? なぜ誰もいなかった!?」


 クラウスの顔は怒りに紅潮し、目はつり上がっている。睨まれた侍従は慌てて床に身を投げ出すと、こうべを下げた。


「も、申し訳ありません……急にオフィリア様がおいでになられてお騒ぎになるので……ここは隠し扉の奥ですし大丈夫かと――」

「黙れ! 言い訳をするつもりか! もし“あれ”に何かあれば、お前たち皆無事ではないぞ!」


 床に額を擦りつけるようにして震える侍従に、クラウスは容赦のない言葉を投げつける。その激高には、駆けつけた他の使用人たちまでもが身を竦ませている。皆……己の主人の気性をよく知っているのだ。


 クラウスは、平伏した侍従の耳を踏みつける勢いでその頭の間際に立ち、上からねめつけるような目で男を刺す。


「いいか……? くれぐれも、この部屋の警護は怠るな……事を起こす前に露見すれば、これまでの苦労が無駄になるだけではすまない……私も、私に多くを与えられてきたお前達も皆一巻の終わりだからな……」


 暗い双眸に――侍従は申し訳ありませんと震える声を何度も絞り出すほかなすすべはなかった……





「……哀れな……」


 不意に、薄い唇がポツリと言った。


 ――この国の第三王子の住まいの前に立ったテオティルは、何もかもを見たかのような瞳で、そのエントランスの奥――たった今まで自分がいた部屋の方角を見つめていた。

 夏の果実のような色の瞳は冷え切っている。


 先の魔王を勇者が封じて以降、千年女神の技を目の当たりにすることなく過ごしてきた人の世界。

 テオティルは、その入り口の奥にぼんやりと見える……人には見えぬ、人の思念の集合体の悪しき色にため息をつく。


「……人があのような業の塊を生むとは……女神が仰せのとおり、世は変わった。……今や信仰は薄れつつあるのか……」


 ポツリとそう漏らす。

 もはや、ただ魔王を滅すれば人を救えるという時は過ぎ去ったのだろう。


 聖剣は、考え込むように身じろぎもせず、つい今しがた自分が見たものについて思いを馳せていた。


 ――と、そこへ――

 彼の見つめるエントランスの奥から、バタバタと慌ただしく誰かが出てくる。

 きらびやかなドレスの裾の中で足をこれでもかと踏みつけて――苛立ちを床に叩きつけるようにして。その主は不機嫌を隠すこともなく周囲に喚き散らした。


「なんなのよ……! せっかく私が足を運んで来たっていうのに……!」

「お、お待ちくださいオフィリア様!」

「オフィリア様!」


 取り巻きと従者を引き連れ不機嫌そうに出てきたのは……クラウスの婚約者、公爵家令嬢のオフィリア・サロモンセンだった。

 綺麗に整えられた柳眉を苛立たしげに歪め、頰を膨らませ面白くなさそうに歩いてくる。


「クラウス様ったら! 最近私をないがしろにしすぎではなくて!? 茶会にも来てくださらなかったし、ビクトリア様との茶会の時にも同席してくださらなかったわ! 一人でビクトリア様にお会いするのがどれだけ大変なのか、ちっとも分かっていらっしゃらないんだから!」

「お、お嬢様どうかもう少し声を落として……」


 お付きの従者も取り巻きも、オフィリアの不平がクラウスの身内の者に聞かれやしないかと肝を冷やしている。宥めようと伸ばされた令嬢の手を、オフィリアは払いのけた。


「うるさいわね! そんなの私の勝手で――……」


 ――と――……

 そんなオフィリアの目が、ある者を捉えてぴたりと止まる。

 廊下の隅に立ち、彼女たちのほう――正確には、クラウスの住いの奥を見つめ、静かに佇むテオティルの姿である。


「あ、ら……」


 途端、オフィリアの顔から険がとれる。

 ――真っ直ぐ清らかに輝く銀の髪。目鼻立ちは際立つように整っていて、鮮やかなオレンジ色の瞳には睫毛が物憂げな影を作っている。

 そんなテオティルの姿を、とても視線を素通りさせることの出来なかったオフィリアの口から、感嘆のため息が漏れる。

 見たこともない美貌だった。

 ただそうして立っているのを見ているだけで、オフィリアの胸には最高の美術品でも目にしたかのような感動が湧き上がる。常日頃――他の令嬢たちと競うようにして美しいものをかき集めてきたオフィリアだからこそ、余計にその美しさを見過ごすことができなかった。


「な、なんて綺麗な男なの……」


 オフィリアは自分が怒っていたことも忘れてそうつぶやいた。

 同様に、取り巻きの令嬢や従者の口からもうっとりしたような息がこぼれ落ちて――いや、それどころか……

 気がつけば、周囲には彼女たちと同じように青年に魅せられたように立ち止まる者が大勢いた。兵に、官に、使用人たちに……中にはクラウスに挨拶に来たのか、見知った顔の貴族の姿もあった。

 徐々に増えていく人垣に気がついたオフィリアは……ふと、あることを思いついた。そのうす薔薇色の唇がにんまりと持ち上がる。


「……いいじゃないの……」


 オフィリアは思った。この、青年に見とれ、魂の抜かれたような顔をしている者たちの前で、あの美しい男を独占してやったらさぞ気分がいいことだろう。

 周囲から己に集まる羨望の眼差しを想像した令嬢はうっとりと目を細める。それは王子に冷たくされた憂さ晴らしにももってこいだと思えて。

 男がどういう者なのかは分からないが、身なりはそう高価そうではなかった。せいぜい町民といった風体で……とても公爵家の娘で、王子の婚約者である自分に逆らえる身分ではないだろう。……そう値踏んだオフィリアは……


「ふふ……行くわよ。ちょっと遊んであげましょう」

「あ!? お、お嬢様!?」


 不敵に笑った令嬢は、手にしていた扇をさっと顔の前で開くと――つかつかと、テオティルの方へと歩みよって行くのだった……






 ――同じ頃の洗濯場。 


「……大丈夫……大丈夫……大丈夫よ……」


 と……強張った青い顔で繰り返す娘は、どう見ても大丈夫ではない。

 聖剣テオティルを見失って。動揺したエリノアは引きつった顔でグッと拳を握る。


「ひ、ひとまず……騎士様たちを全力ダッシュで撒いて……迷子……まいごの届けを……」

「落ち着け……あの鍛えられた肉体の男たちをお前が撒ける訳がないだろう……」


 冷静な顔で突っ込むヴォルフガング。

「じゃあお手洗いに行くって言って撒くわ! 換気窓から……換気窓によじのぼって――」と、顔面滝汗で逃亡策を練りはじめた娘に……

 男はため息をつき、エリノアの顔を覗きこむと……宥めるように肩に手を乗せる。


「いいからちょっと落ち着け。心配するな、忌々しいが……あの者ならば必ずお前の元に戻ってくる」

「だ、だ、だけど……あんな幼児みたいな子……放って置けない……穴に落ちて怪我したりしたらどうしたらいいの!? さが、探しに行かないと……」


 いや、そそっかしいお前じゃないんだからそうそう穴などに落ちる訳あるかと思ったヴォルフガングではあったが……それはそっと心に秘めて、大丈夫だ、と娘の目を見る。


「お前が行けば、護衛騎士も必ずついてくる。どう言って捜索するつもりだ? 聖剣を探すなんて言うわけにもいかん。変に徘徊すれば、怪しまれるだろう。……いいからお前はいつも通りの仕事をしていろ、俺が鳥に化けて探しに行く」


 ヴォルフガングはそう言いながら、のしっと大きな手をエリノアの頭に乗せ……よしよしと髪を撫でる。


「でも――……」

「大丈夫だ。待っていろ」


 エリノアは戸惑ったが――男の頼もしい言葉と視線に……

 一瞬ぐっと何かを吞みこむようにしてから、ゆっくりと、頷いた。


「――わ、分かった――」


 ありがとうヴォルフガング――と……

 エリノアが顔を上げて続けようとした、時だった。


「――あ! エリノア! いた! ちょ、大変よ!!」


 唐突に、洗濯場へ誰かが飛び込んで来た。


「え――ぐっ!?」


 大きな声にエリノアが振り返ろうとした瞬間、猛烈な勢いで駆けて来たその婦人――エリノアと同じ制服を着た侍女は、エリノアの襟元をがしっと引っ掴み――そのままUターンして、今来た道を駆け戻りはじめた。


「!? !? せ、先輩!?」

「来るのよエリノア!」

「へ、あ、わっ……ぁああああっ!?」


 エリノアは、そのまま先輩侍女にずるずる引きずられて行く。


「せ、せんぱい、く、苦しっ……ヴォ、ヴォルフガングっ……お、お願いよぉおお!?」

「…………」


 おねがいだからねぇええええ!? と、連れ去られる間際に叫ぶエリノア。に、思わず無言のヴォルフガング。

 遠くでそれに気がついた騎士たちも慌てている。


「な、なんだあれ……なんだあれ、ブレア様の侍女……!?」

「こ、こわ……見たかあの顔……嫁さんが怒った時の顔とそっくりだった……何事だ……?」

「お、おい、それよりも追いかけるぞ!」

「あ、ああ……」


 二人はどすどすと、先輩侍女と引きずられるエリノアを追いかけて行った。

 そして残されたヴォルフガングは…… 


「…………いや、あれは……大丈夫か……」


 突然の出来事に一瞬唖然としていたヴォルフガングだが……あの光景は、エリノアの王宮勤め中には割りとよく見かける光景である。

 それよりも聖剣を探そう……と、魔物は小鳥に姿を変えるのだった。






お読みいただきありがとうございます。

楽しんでいただけると嬉しいです。

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