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侍女なのに…聖剣を抜いてしまった!  作者: あきのみどり
三章 潜伏勇者編
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28 その娘のまわり、人外ばかり。


「! エリノア!」


 伸ばされた手。

 タワシのボサボサな毛並みからヌッと現れた短い手。

 その、明らかな異形を視界に捉えたエリノアは――

 瞬間的に、躊躇する様子を見せた。


「!?」


 握り返されなかった手にヴォルフガングが驚いている。


 ――いまさら……


 いまさらお前が魔物(この)姿に怖れを抱くのか――


 思いがけず苦々しい感情がヴォルフガングの胸に広がって……


 しかし、


「くっ……」


 それでも彼は娘を守れという君主の命令を成し遂げなければならなかった。

 魔物は元来持つ俊敏さを駆使し、エリノアの肩に腕を伸ばし――……


 ……次の瞬間、大きな水音が響き渡る。

 



 ……全身に汚水を被ることを覚悟して。

 ぎゅっと目を閉じていたエリノアは――……


「……あれ?」


 不思議そうにぱちりと目を開けた。

 転倒の衝撃はあったのに、いつまでも予想した冷たい感触がやって来ない。

 なぜだろうと思いゆっくりと顔を上げた……途端。


「……お前……」

「う……」


 ずしっと圧し掛かるように聞こえてきた重い声。エリノアはギクリと肩を揺らす。

 ……なんかこのパターン前もあったぞと、どこかで思いつつ……おそるおそる見上げたそこには、頭上から彼女を睨み下ろす男の姿。


「ひっ」


 男は顔に垂らした白髪の隙間から、氷のように冷たい瞳でエリノアを刺していた。その威圧感たるや半端ない。


「貴様……俺の手を拒んだな……」


 その背後に渦巻く怒りにエリノアが引きつっている。

 最近、うさぎやら小鳥やら何かとメルヘンな彼の姿ばかり見ていたものだから、なんだか余計に圧を感じた。


「ヴォルフガング……」

「大人しくつまみあげられていればいいものを……おかげで無様なことになってしまったではないか……」

「あ……」


 気がつくと、エリノアとヴォルフガングの立ち位置が変わっていて。

 娘は人の身体に変化したヴォルフガングの膝の上に抱きつく形で倒れこんでいた。……当然腰に縋られたヴォルフガングも共倒れである。


「ご、ごめんなさい……」


 もともと驚かせたのはヴォルフガングだが、おそらくエリノアが大人しく彼の手をつかんでいれば、こうはならなかったはずだ。

 エリノアは申し訳なさそうな顔で褐色の肌の男を見上げる。と、男は、舌打ちし、片腕でぽいっとエリノアを横に放り出した。

 

「わ……っ、とと……あ、れ!?」


 石畳の上に転がされたエリノアは一瞬目を白黒させ……ハッとする。振り返ると自分を水難から救った男は、自分が落下予定だったタライの中に腰を落としてしまっている。

 狭そうに足をはみ出させ、胡坐をかく形でタライの水の中に座り。男は苛立たしげなため息をこぼしながら、己の変化した身体を見下ろしていた。


「…………」


 ――それは咄嗟であり、予想外の変化だった。


 意識してヴォルフガングがコントロールしたものではない。

 おそらく――そこにいる娘の、己の魔獣姿に戸惑う目を見たせいだ。

 それに気がついて、心の中には微妙な口惜しさが漂った。苛立ちを隠すように、ヴォルフガングはエリノアを睨みつける。


「……貴様は所詮人間だ……魔物の俺を嫌悪するのは仕方ない……が、そのせいで陛下の命令が守れなかったら――……」


 どうしてくれる……!? と、娘を威圧しかけたヴォルフガングは……

 次の瞬間、びくっと身体を震わせた。


 放り出された姿勢のままこちらを見ていたエリノアの顔が……みるみるうちに青くなって。目も口も……めいっぱいに大きくなっている。


「な……なんだ!? ど……どこか怪我でも……」


 したのかと慌てるヴォルフガングに、エリノアが鋭く叫ぶ。


「お尻!」

「は……? し、しり……?」


 エリノアの台詞に、ヴォルフガングが唖然としている。と、その間にエリノアは、鬼顔でヴォルフガングの元まで飛んで来て。ぽかんとしている男の腕をがしっと鷲づかむ。


「!? !?」

「助けてくれて有難う、でも……早く立って! お、おしりが! だからそのタライはさっき薬を入れたんだってば!」

「……薬……?」


 エリノアはヴォルフガングの腰が沈む大きなタライを指差している。

 それは、騎士の隊服に残された八年ものの血痕を綺麗にしようと入れた染み抜き用の強い薬剤で。人体にはあまり良いものではないと、エリノアは慌ててヴォルフガングを引っ張り上げようとしている。

 ……が、大柄な魔物はびくともしない。

 というか、立つ気がない。


(…………)


 ヴォルフガングは無言でエリノアを見ている。

 娘は慌てているが……魔物の彼にとっては、人が作った薬など。どうと言うこともなかった。

 そもそも身体の作りが人とは違う。それがもし猛毒であったとしても効くはずもなく……


 しかし何も知らない娘は一生懸命ヴォルフガングの腕を引いている。

 それを見たヴォルフガングは、ふと思った。


 ……こいつは……いつでも必死だなぁ、と。


 何より呆れが大きかったが、わずかに感心するような気持ちもあった。

 出会った当初からそうだった。ビクビクするわりに、魔物である自分たちの前にも果敢に飛び出して来る。先ほどは自分に怯えていたようにみえたが……こうして助けようともする。


(……よく分からんやつだ……)


 度胸があるんだかないんだか。ヴォルフガングはため息をついて、己の腕を引く娘の真っ赤な顔を見た。……大した力ではない。しかし、おそらくこれがこの娘の渾身の力なのだろう。

 そう感じた瞬間、ふっと、仕方のない奴だという諦めの感情が生まれた。


「……ちっ……」

「!」


 タライの中に不機嫌そうに座り込んでいた魔物は、舌打ちし、いかにも不本意そうな顔で立ち上がる。

 と、彼を立ち上がらせようとしていたエリノアが、すかさずヴォルフガングの背後に回り、濡れた彼の服を見て悲壮な顔をした。


「ちょ、ど、どうしよう……! 洗い流さないと……」


 エリノアの服にも薬の入った水はかかったが、身体に達するほどではない。それに比べ、ヴォルフガングは特に下半身がすぶ濡れである。

 やれやれとヴォルフガング。


「……馬鹿者慌てるな。俺は魔物だぞ。人の作りだした薬など――……」


 しかしエリノアは反論する。


「何言ってるの、そんなこと分からないでしょう!?」

「な、何?」

「あなた千年くらい魔界にいてこちらには来てなかったんでしょう!? 人の文明の進歩は目覚しいの。千年も前の薬と今の薬が同じわけがないじゃない……今では魔物だって私達の薬で肌荒れくらいするかもしれないわよ!?」

「…………し、しんぽ……?」


 生粋の心配性姉属性のエリノアの主張に、煙に巻かれたような顔をする魔物。


「とにかく今すぐ洗い流さないと……み、水は……」


 エリノアは慌てて足元のタライを見渡している。が……そこにある水はすでに泥のような色の水ばかり。

 ならばと遠い水道口を見たエリノア。「ちょっと待っててよ? 絶対いてよ?」と不安そうにヴォルフガングに言い残し、慌ててバケツを握って駆け出した――……


 ……のだが。


「み、ぶっ!?」

「!?」


 ……ぼよんと間抜けな音がした。


 エリノアは転がるように駆け出そうとしたのだが……地を蹴った瞬間に、突然何かに阻まれるように顔面を打つ。


「う……」


 勢い余って弾かれたエリノアがバケツを持ったまま後ろにひっくりかえり……それを受け止めたヴォルフガングが唖然としている。


「お、前は……」


 しかしヴォルフガングが驚いたのは、エリノアのコントのような動きに……という訳では無さそうだった。黒い瞳はエリノアがぶつかった“何か”を見ている。


「ちょ、な、何?」


 転んだエリノアが身を起こし、遅れて視線を上げる。と……


 その目に――


 日に照らされた銀糸がさらりと流れ落ち、きらきらと煌めくのが映った。


「……ぇ……」


 エリノアは、瞳と口をぽかんと丸くする。

 と、“彼”が言った。


「おや――水がご入り用ですか?」


 場違いにのんびりとした声はとても涼やかで――平然としている。

 未だ思考のピントが合わないエリノアに、“彼”はゆったりと微笑みかける。


「では聖水でも出しましょう、主様」

「!」


 途端、エリノアの口から「ひぃ!?」と、絞り出すような声が出て。

 驚愕した顔に、“彼”がきょとんと首をかしげている。


「エリノア様?」


 それは……


 ここ、王宮には絶対に居てはいけないはずの存在。


 相変わらず燦爛として美しいのに、生気というものを感じさせない表情で佇む、人の姿をした人ならざるもの。


 ――聖剣、テオティルの姿であった……





お読みいただきありがとうございます。


ほだされ気味のヴォルフガング。

書き手も…エリノアいつも騒がしいなぁと思っているんですよ?

でもね…エリノアは“最強”勇者でもなんでもないのでいっぱいいっぱいなんですよ…(;´∀`)普通の心配性姉なのです。


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