27 タワシのイライラ
その時、白い魔物ヴォルフガングはイライラしていた。
最近、妙にはりきっている娘。
その頑張りは時にからまわることも多く……見張り番としてはハラハラさせられることも多かった。
――そんなに物を持って……いやなんでそこでつまづく!? ああ物を落と……! もう、腕がぷるぷるしているではないか……!
……まるで子の仕事を陰ながら見守る母のようである。
もういっそ、王宮の使用人にでも化けて手伝う方が、己の精神安定的にもいい気すらして……
しかし、そこでヴォルフガングはハッと首を振る。
どうして魔界の武将ともあろう自分が、人の王のために労働しなければならないのだ。
そもそも娘は好んで仕事を抱え込んでいるように見える。
魔王の側近としても手伝うなんてありえない。ありえない……ありえない、が……
ちらりと窺うと、真っ赤な顔で重そうな荷物を運んでいるエリノア。……それを見ると胸の内で葛藤がもやつくヴォルフガング。
もどかしくて更にイライラした。
――と、そんな時にやって来たのが例の男だ。
「…………」
今日もまんまと大量の衣類を娘に押し付け去っていく人間騎士。
結局断りきれず、青い顔をして悪臭漂う衣類を拾い集める娘……
それを見たヴォルフガングのこめかみは、ピクピクと何度も何度も引きつるのであった……
「…………」
ぽかぽかと降りそそぐ日の光。
暖かい陽気に包まれた石造りの洗濯場。
その端のほうに陣取り――一瞬そののどかな光景に言葉をなくしたエリノア。
暖かく……暖かくとても素敵な光景なのだが……だが――なにぶん……臭い。……とても。
「…………」
エリノアの周りには幾つもの大きなタライが並んでいる。
そこには水がはられ、中には洗われるのを待つ大量の汚れ物たちが……
だというのに、こんなにも大量の洗濯をしようとするエリノアが、なぜこんなに洗濯場の端の方――つまり、水道口からも遠いところで作業をしなくてはならないのかというと……
それは、ひとえに臭いからである。
こんな悪臭を漂わせる作業を洗濯場のど真ん中でやろうものなら、他の使用人たちに多大なる迷惑をかけてしまう。
そういう理由で、エリノアはこんな使い勝手の悪い場所で泣く泣く作業をせざるを得なかったと言うわけで。
水道口から遠いせいで、水を用意するだけでもバケツを持ってそこを何往復もしなければならず……それだけでも地味に大変な労働なのであった。
「ぅ……く、臭いよう……」
エリノアは嘆く。
労働はいいのだ。働きたいと思っていたのだから。だが……この臭いがいただけない。
なんだか臭気が目にまで染みるような気がして、エリノアは潤んだ瞳をしぱしぱと開け閉めする。
手で目をこすりたいのだが……その手は現在タライにはった水の中で洗濯物を洗っているところ。揉めば揉むほど恐ろしい色の汚れが浮き上がってくる洗濯たち。手持ちの洗剤を何度も追加するのだが、全然泡が立たなくて……
とてもではないが、そんな汚れ物を触っている途中で目をこするなど。明らかな危険行為。絶対に無理……というか嫌である。
臭気対策で申し訳程度に白い布で覆った口元がぴぃっと嘆く。
「どうしてこんなに汚くしたまま放っておくの! 熟成させても汗汚れもシミも絶対綺麗になんかならないのに……こんなものが眠っていた騎士様方の隊舎が怖い! どんな腐界……考えただけで恐ろしい……ひぃ血痕!?」
隊服に残る黒々とした血の痕に気がついたエリノアが慄いている。と、隣から「ごめんなぁ」と声がする。
「あ、それ俺の隊服だわ。タンスの一番奥に突っこんどいたのにオリバーのやつよく見つけたなぁ。多分八年くらい前に賊に斬られた時の」
懐かしそうな髭の騎士にエリノアが絶句している。
「ぞ……賊に斬られたって…………よくそんな呑気な顔で懐かしめますね……え、ちょ……は、八年もの……!?」
「ははは。俺たちも別に汚くしようと思ってるわけじゃないんだがなぁ……」
「着替えて部屋に放り出したらなんか記憶から消えるんだよな…………魔法……?」
「…………そんな魔法開発した人がいたら私今すぐ石鹸投げつけに行きますね……」
真面目くさった顔で聞いてくる騎士に、エリノアは怒気はらむ真顔でつっこんだ。
……が、騎士二人はそれをげらげら陽気に笑い飛ばす。……エリノアはげっそりした。
この二名の騎士は、髭の方がトマス・ケルル。小柄ながら分厚い筋肉を備えたほうがザック・ウィリアムズといった。
あれから何度断ってもこの陽気さで、『まま、そう遠慮せずとも……』『万事我らに任されよ』……と……ぐいぐいぐいぐいついてくる。そのガタイのいい身体で押し切られると……チビのエリノアではとても退けられる代物ではなく……(物理的に)
ただ、水運びや、一応洗濯も手伝ってくれているのは有難かった。
しかし……そっとトマスの手元を見ると、がしっと大きな手に力一杯揉まれた隊服は、今にも引き千切れそうである。
「…………」
哀れな洗濯物を無言で見ていたエリノアは、諦めたようなため息をついて。騎士二人に丁寧な洗濯方法を教えてやることにしたのだった……
と、まあやや微妙に仕事が増えている気もするが、ひとまず護衛騎士たちが仕事の邪魔にはならなそうなことに安堵したエリノア。
が……
しかし、困ったことに。
この二人が来てからというもの、何故か小鳥ガングの機嫌がよろしくない。
いや、朝王宮についた時から既に機嫌は悪そうだったが、オリバーが現れて以降よりひどくなった。
窓の外から、木の上から……こちらを見守る彼の暗雲漂う気配にはもちろんエリノアも気がついてはいるのだが……
騎士たちの目の前でメルヘンにも小鳥に話しかけるわけにもいかず……理由を問えず、今に至る。
「……ねぇ……!」
エリノアは口元を覆っていた布を指で引き下げると、ひそめた声で傍の木の枝に止まっている白い小鳥に話しかけた。
押し掛け護衛騎士の二人は、洗いあがった洗濯物を干しに少し先の干場の方へ行っている。今のうちだと小鳥を見上げるも……小丸い羽毛の生き物は、むすっとした顔である。
「……ちょっと……なんでそんなに機嫌が悪いの? ああ……この八年ものの血痕、ぜんぜん落ちない……もうこれには強めの漂白薬を使うしかないわね……、……で……どうしたの?」
エリノアは、タライのそばに置いておいた瓶の中身を注意深い手つきで水の中にあけながら、ヴォルフガングを見る。
しかし小枝の途中にとまった小鳥は何も言わない。だが、その視線は離れた場所でえっちらおっちら慣れない手つきで竿に隊服を並べている騎士たちを睨んでいて……
それに気がついたエリノアが、もしかしてと言った。
「……ヴォルフガング、騎士様たちが気に入らないの……?」
途端、ピヨっと言いそうな顔で壮絶に睨まれて、エリノアが瞳を瞬かせる。
「お前は……俺というものがありながら……何故人間などが必要なのだ!」
「え……? お、俺というもの……?」
宝石の粒のような黒い瞳がエリノアをキッと睨む。なんだか悔しそうな表情である。
「俺は……陛下から直々にお前の護衛を頼まれているんだぞ!? なんなんだあいつらは! 急に出てきてでしゃばりおって……」
イガイガした顔のヴォルフガングに、「へ……?」と、エリノア。
それは訳すれば、「自分が手伝いたくてずっともやもやしていたというのに……」という、やや勝手な意味ではあるが、もちろんエリノアにはそのイライラの中身が分からない。
「そ、そんなこと私に言われても……ほら……私舞踏会でブレア様のお相手を務めたから……世間的には目立っちゃったのね……それで多分色々勘違いする人が出て来てしまって、ブレア様は心配してくださっているのよ、きっと」
結局……エリノアはブレアの謎行動をそういうことで結論付けた。
「お優しいのよブレア様は」
「…………」
エリノアはそう言って、薬を入れたタライを直接手では触らないように木の棒でかき回し始める。
が……
その照れ照れと嬉しさをにじませる顔を見て、ヴォルフガングは余計にムッとしたようだった。
「お前は……魔王の姉としての自覚はあるのか!? お前は我が陣営の所属だぞ!? 魔王の姉としてもうちょっと毅然としろ! なんだこの臭気漂う物体は……なぜそうやすやす押し付けられる!? 突き返して来い!」
「……へ?」
瞬間――突然憤慨した小鳥の身体がブワッと大きく膨らんだ。
魔物はみるみる巨大化し、柔らかそうな羽毛に覆われていた身体が……いつか見た、ヴォルフガングのタワシ態……大きなタワシの上に三角の耳が二つちょこんと乗っているようなアレ――へと変貌し。唖然としたエリノアは、身をすくませて驚いた。
「ちょ……」
――なぜ今タワシ!?
――いや……!
――こんなところでそんな姿になって人にでも見られたら……
――と、そのはずみで後退したエリノアの踵が――足元に並べてあったタライの一つにつまづく。
「!? わ!」
そのまま後ろ向きにタライに向かって倒れていくエリノアの姿に――
ヴォルフガングが、ハッと我に帰った。
「! エリノア!」
ヴォルフガングは慌ててエリノアに手を伸ばす……
お読みいただきありがとうございます。
…最後の文、本当は…
『タワシガングは慌ててエリノアに(短い)手を伸ばす。』
だったんですけど…
ふざけすぎかと思ってやめました。
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