1-13-4-27 masquerade 怖がらないで
「大丈夫です。何も問題はありません」
人質の情報を確認していた沙羅が、突然、呆然とした表情を浮かべるとモニターに歩み寄っていった。今にも泣きそうな顔をしながら、モニターの中のうつ伏せにさせられている人質、二人の女性を愛おしそうに触っている。
大丈夫か、知り合いなのかと聞いたが、彼女はその問には答えず。単に大丈夫だとしか言わない。何が大丈夫なものか、あれ程動揺した姿、目をきつく閉じ歯を食いしばり必死に耐える姿を見せておいて何を言うのか。
「否応なしに貴方が見る光景。この画面に映し出されるものこそが、貴方に黙っていた私が居た世界です」
何かを振り切った表情で、彼女が手慣れた様子で、装備を着用していく。そこにはポンコツ護衛と揶揄される彼女は居らず、ひとりの熟練兵が居る。
モニタ中の武装集団達と、後ろ手に縛られ、うつ伏せにされている人質を、何処か遠くを見る様な澄み切った眼差しで彼女が見ている。そこには優しい微笑みを浮かべる彼女は居らず、感情の一切を削ぎ落した様な無表情の兵士が居る。
「貴方を騙すつもりで黙っていたのではありません。それだけは、信じて下さい」
見たければ止めはしないけれど、無理に見る必要はない。見るに堪えなければ目を閉じ、耳を塞いでいてと彼女は言う。
自分達か、誰かが、迎えに入ってくるまで、絶対に自分達からこの部屋を出ないと約束してと、涙が今にも零れ落ちそうな眼で私を見つめながら彼女が言う。
彼女と一緒に出て行く、三浦中尉も彼女と同じような事を言っていた。残していく妹達に耳を塞ぎ、目を閉じていろと言っていた。そして、その時の彼の目も哀しそうだった。何故ふたり共、そんなに哀しい目をするのだろう。
私は兵士を演じた事はあるが、本物の兵士の経験はない。だから彼女の言う世界が何であるかを知らない。けれど私にも分かる事はある。あんな哀しそうな眼で見つめられながら言われれば、鈍い私にだって分かる。今から私は、彼女が必死に隠してきた世界。私に知られたくなかった世界を目撃するのだろう。そしてそれはきっと、禄でもない世界なのだろう。その程度は想像出来る。
「神様……お願いです。良い子にしますから……」
扉の横の貴方。これが見納めなのかな。あのね、もし心が通じるのであれば、お願いがあるの。決して私を見ないで。私がもう大丈夫と言うまで目を閉じていて。耳を塞いでいて。ごめんなさい。本当にごめんなさい。これが、私。
masquerade、仮面、仮装、仮装パーティー。人は皆、仮装をして生きている。私も同じ。私は仮装して生きていたの。masqueradeを取り払った私を見ないで。お願い、私の生きていた世界を見ないで。
ねぇ、私達の恋の話しがドラマになるのよね。ドラマのエンディングの台本は未だ読んでいないから分からないけれど、ハッピーエンドなのかな。ねぇ、現実の私達はどうなるんだろうね。冷酷無常の殺人兵器の彼女なんて嫌だよね。おかしいな……何で……目がぼやけるんだろう。
「さて、では、少し出かけてきます」
近所のコンビニに行く様な軽い口調で、戦闘服姿の彼女が、三浦中尉と共にこの部屋から出ていく。無力な私は扉の横で彼女達を見送る事しか出来ない。
ストールで鼻から下を隠した彼女が、扉を出る寸前、此方を見ずに扉の向こうを見つめたまま、今までありがとうと目を閉じながら囁いた。その時、一筋の涙が零れ落ちた様に見えたのは気のせいだろうか。
ありがとうと言った彼女の言葉が、今生の別れの様に聞こえたのは何故だろう。此方を振り返らずに手を振り出て行った彼女の指に光る蒼のコントラストが在る指輪Something Blue。私が沙羅の誕生日に贈った指輪が怪しく光って見えた。
「では三浦中尉、この麗しき世界を守りに行こうじゃないか」
考えてもどうにもならない事を、何時までも考えても仕方がない。世の中は成る様にしかならない。自分の行動の結果に依る因果からは逃げられない。自分が正義であると信じて行動した結果は、何がどうであれ受け止めなければならない。
少し前まで、幻想的なライトアップで彩られた吹き抜けの大水槽に感動していたのに。今の私は妙にすっきりとした気分で、少し屈んだ姿勢で銃を構えながら、テロリスト達を問答無用に射殺するために地下から1階に上ろうとしている。
今日は最悪だけれど、悪い事ばかりじゃない。武装集団の武器は恐らく闇マーケットで手に入れたのだろう、実体弾でエネルギー弾じゃない。仲間の中に武器の横流しをした裏切者は居なくて良かった。
もうひとつ良い事がある。流石に頭等に被弾したら如何しようもないけれど、実体弾ならボディーアーマーで何とかなる。
「相手が悪すぎる。テロリストは怒らせてはいけない者を怒らせたんだと思う」
少し前からファンサイトは大騒ぎになっている。タイムスケジュール的に彼と沙羅さんが未だホテルに滞在している可能性が大きいホテルが、地球解放同盟を名乗るテロリストに封鎖されたのだ。
憶測だけで、何の中身もない報道にイライラしながら、お願い無事でいてと祈っていたけれど、現実は厳しかった。彼と沙羅さんは、未だホテルの中に居るのが確認されたと事務所から発表があった。
但し、彼等がテロリスト達に拘束されているか否かは不明で、沙羅さんが一緒なので、テロリスト達に見つからない様に逃げ隠れしている可能性もあるらしい。
そんなやきもきした気分の中、突如地球解放同盟プレゼンツ、正義と悪のデスマッチのリアルタイム配信が始まった。
監視カメラ、テロリスト達や人質達のボディカメラに映し出された配信の中身はテレビや映画の様な綺麗な闘いじゃなくて、血みどろの情け無用の世界だった。誰かがファンサイトに書き込んでいた、これが捕虜を取らない殲滅戦、本当のデスマッチだと。ARISを怒らせてしまったのだと。
「容赦ないな……」
「これは……ご飯時じゃなくて助かった」
画面の中で、銃を構え、布で目の直ぐ下あたりから顔を覆った男女が、頭を下げて!頭を下げて!伏せて!伏せて!と叫びながら歩いている。
身を少し屈め、慣れた仕草で銃の向き替えながら、目につくテロリストを機械的に倒し、倒したテロリストが未だ動いていようがいまいが、頭に止めの一発撃ち込み、ナイフで首を掻き切りながら動き続ける。
時には彼等のボディカメラに命乞いをするテロリストが大写しなる。でも二人は躊躇なく止めを刺す。互いのボディカメラに映る布で覆った顔。彼等を良く知る者なら別かもしれないが、映し出された髪型と眼だけでは彼等が誰か特定できない。
ひとつ確かな事がある。人質達にとって、この男女が何処の誰であろうと関係ない。重要なのは、自分達をテロリストから解放してくれる救いの神という事だけ。
彼等が誰であろうと、部外者の私達がとやかく言う資格はない。私達は所詮は、野次馬なのだから。なのに世の中にはお節介な者が居る。自分の解析能力を自慢したいだけのお子様も多い。
「あの女性兵士、絶対にポンコツの沙羅だって!」
「違うと思う。確証も無しに沙羅さんと決めつけるはどうかと思う」
「守護女神、沙羅降臨」
「沙羅さんは、もっと小柄だよ」
ネットワークに依る集団解析で、あの瞳は沙羅さんの瞳だと言うものが後を絶たない。違う、あなた達は知らない。沙羅さんは優しい人なの。守るべき者を守ろうとする気持ちが、人より少し強いだけの人なの。
「あの声は沙羅だよ」
「似た声だけど、違うと思う」
雨後の筍の様に、あの声は彼女だと言い張る者が何人も居る。その度に、内心ではその通りだ、彼女は沙羅さんだと思いながらも、無駄な行いと知りつつも、私は全力で否定の書き込みをする。
「た・助けて」
何故に彼等は命乞いをするのだろう。己は身勝手な理由で人を襲っておきながら、いざ自分が狩られる立場になると、犯罪者は命乞いをしてくる。私は本当に彼等の考えが理解出来ない。本当に不思議で仕方がない。
「さ・誘われただけなんだ、俺は首謀者じゃない。命だけは助け」
命乞いをしてくる者は、大体同じ言い訳をしてくる。何故に、その様な言い訳を聞いてもらえると思っているのか不思議で仕方ない。
降伏した敵兵を殺すのはジュネーブ条約違反だと言われても、相手は兵士ではなくて犯罪者。命乞いをする権利なんて微塵もない。
仮に相手が兵士だったとしても、私には関係ない。私は今も昔も兵士じゃない。単なる暗殺者に助けを乞われても困る。首謀者だろうが、手下だろうが関係ない。暗殺者が守る相手を襲えば、殺されない訳がないでしょう。だから、ね、死んで。
「指輪も同じなので、ポンコツ沙羅だと思う」
「あんな指輪は何処にでもある」
「あの指輪は安い指輪、若い子なら誰でも持ってる」
画面の中の女性兵が誰なのか、沙羅さんだと言い張るグループとそれを否定するグループで激論が止まらない。
偶然なのか、皆同じ結論なのか、IDを見ると、彼の古手のファン程、沙羅さんじゃないと否定している。
正直に言えば、画面の中で、命乞いをするテロリストを有無を言わさず射殺した女性兵士が沙羅さんだと私は分かっている。眼の形だけではなく、薬指の指輪からも彼女が沙羅さんだと思っている。
私と同じ様に、沙羅さんではないと書き込みをしている人達も同じだと思う。あの指輪は、そこら辺りで売っている安物じゃない。それなりの値段がする。若い子が誰でも持っている様な代物じゃない。
彼女があの蒼い指輪を触りながら、私みたいな者が彼の傍に居て良いのか不安になると、少し前のインタビューで彼女が話していたのを皆思い出しているのかもしれない。だからなのか、何故なのかは、分からない。沙羅さんが身を捨ててまで彼を守ろうとする様に、私達は自分自身で出来る方法で彼女を守ろうとしている。
「フロア、クリア」
テロリストに襲われた建物の中を少し屈んだ姿勢で銃を構えた男女が、相互に庇い合いながらフロアの中を無言で進む。
彼女はテレビにも出ている。だから私は彼女の顔は知っているが、知人でも友人でもない。だから互いに相手の経歴も、使える相手かどうかも知らない。確かな事は、私は正規兵、彼女は除隊準備中。兵隊の二人は、愛する者をテロリストから守るために、仮初のバディとして互いに手を組んだ。
相手の事を熟知している様に、まるでダンスの様に補完し合う動き。何も言わなくても、視線とハンドサインだけで事足りる無言の意思疎通。殺害対象が重複しない阿吽の呼吸のターゲティング。アクション映画のワンシーンの様な、爽快感溢れる演舞の様な動き。
気持ち良い。今の気持ちを表せばその一言になる。不謹慎だし、常軌を逸している言葉なのは理解している。しかしだ、しかしそれしか思いつかない。
ああ……こんな事を思っているなんてセーフルームに置いてきた妹達に知られたら、ただでさえ殲滅戦で怖がらせているのに、追い打ちをかけてしまうな。
しかし彼女は凄い。あの動きは驚きだ。警護任務程度しかした事が無い昇進だけが早かったエリートのお嬢さんと思っていたけれど、彼女の動きは訓練の成果じゃない。あれは実戦を潜り抜けてきた古参兵の動きだ。それも正規戦じゃない、非正規戦だ。あんな顔なのに、彼女はどれだけの地獄を潜り抜けてきたんだ……。ま、そんな事はどうでも良い。難しい事は彼女と一緒にテロリストを全て倒してから考えよう。
「さて、やっと次は最後のフロアだ。気を抜くなよ」
雰囲気がそうだったとしか言いようがないけれど、対処してくれるだろうと思い動いた。三浦中尉もしっかりとテロリストを始末していたから、私の判断は間違えてはいなかったと思う。まぁ、仮に失敗して三浦中尉が死傷しても、私の関知するところではないけれど。
三浦中尉はまぁ……使えるかな。恐らく彼は特殊部隊所属だろう。ただし、死神ではないかな。いずれにしても現在進行形で非正規戦を行っている動き。これならば何の問題もなく、テロリストを殲滅出来る。
お姉ちゃん、貴女達が居るフロアにもう少しで行くから。怖がらないで。お姉ちゃんが、必ず助け出してあげるから。良い子だから、泣かないで待っててね。




