1-13-4-23 masquerade 震える手
「え?何でもないよ。ちょっと、今朝のドタバタを想い出しただけ」
危ない、危ない。上手く誤魔化せただろうか?取って付けた様な言い訳に聞えなかっただろうか?昔の自分が今の自分を見たら驚愕するだろうなと思い、ふと、苦笑いしたのを見られてしまった。
昔の私を知らない彼には、ただ薄く微笑んでいるだけに見えるのだろうけど、それで良い。死神であった事を知られていないのに越したことはないんだから。
でも、何処であれ、歪んだ親切心で要らぬ告げ口をする輩は居る。だから、過去を知られている可能性は否定できない。けれど、彼に敢えて自分の過去を知っているのかと、問い質す勇気は私にはない。
愛があれば過去の事なんて関係ない。だから知られても大丈夫。そんな御伽草子は、ドラマや映画の中だけにしか存在しない。
人の世は、死神が平気な顔をして生きていける程甘くない。知られてしまえば、それで終わり。それが世の常。だから、私は素知らぬふりをし続ける。
私みたいな者が幸せを望むなんて、愚かしい程に儚い想いどころか、世の道理に反する。そんな事は、言われなくても分かっている。
でも私は、今の幸せを手放したくない。何時か彼に過去が露見し、血も涙もない死神め、良くも今まで騙していたなと彼に罵られる。
避けらる事の出来ないその未来まで、その時が来るまでで良いから、彼の横に居たい。愛してくれる人の傍に1秒でも長く居続けていたい。
「緊張しなくて大丈夫。沙羅の傍に居るから」
彼女は自分では気づいてはいない様だが、哀しそうな微笑みを浮かべている時は、何時もより強く私の腕や服を掴む。だから彼女の顔が見えていなくても、彼女が何かを思い出し哀しんでいるのだと私には分る。
彼女の過去が理由だとは思うし、その過去を知りたくないと言えば嘘になる。何か慰めの言葉をかけるべきだとも思う。けれど、朴念仁と揶揄される私にだって、聞いてはいけない事や、声を掛けるべきではない時は何か位は分る。
それに、もしその理由を聞きだしてしまったら、彼女が私の世界から消え去りそうに思える。だから、彼女が自分から言うまでは過去を聞こうとは思わない。
刹那的と言われるかもしれないけれど、今この一瞬を彼女と過ごせる幸せを楽しもうと思う。特に今日は、公衆の面前で彼女と堂々と腕を組んで歩けるのだから。
「そろそろ、会場の近くです」
彼の護衛だけと思われていた時も、半ばタレントの様な生活だった。けれど、彼の恋人だと世間にばれてから、生活は一変してしまった。今では一挙手一投足を見られる。やれ、あれを買っただの、何処にひとりで居ただの、彼以外の男性と歩いていただの。そんな情報を誰が知りたがるのかという事まで報道され、ネット上に書き込まれる様になった。
これが彼の言う芸能人の有名税というものなのかもしれないけれど、半ば芸能人化したとは言え、芸能人でも何でもない私からすれば、鬱陶しいだけ。でも下手な行動で炎上して彼に迷惑を掛ける訳にはいかないので、我慢しているし、今まで以上に人には優しく振る舞う様に行動に注意している。
そう言えば、昔の同僚達に、沙羅は心根が優しすぎると言わていた事を思い出した。彼等は一体私の何を見ていたのだろう。私が人に優しくするのは、心根が良いから優しい……からじゃないのにね。
神様なんてのはこの世に居ない。自分の実体験から、重々承知してる。だけど人に優しくしていれば、何時か将来、それとも来世では幸せになれるかもしれない。そう思って自分が出来る範囲で人に優しくしているだけ。
私の優しさは、自己中心的な欲望と打算で織りなされた代物。居る筈がない神様に、身勝手なお願いを叶えて貰うために人に優しくしているだけ。
何故そんな無意味な事をやるんだって?だって、そう思わなければやってられないから、そうでも思わなければ喚き散らしたくなるから。理不尽で、容赦の無い世界を壊したくなるから。
ARISが居なくても、世界の平和は保てる。銀河世界の中で生きていける。そんな世迷い事を言う頭がお花畑の奴の口に銃を突き入れて、お前の口を吹き飛ばしたらお前の妄言も消えるのかと罵りたくなるから。お前みたいな輩を守るために、まともな人間を止めたんじゃないと叫びたくなるから。
憂さ晴らしが目的の嫌味しか言わない奴、モラハラ、パワハラ当たり前の奴、自分の信条の為ならば他人がどうなろうと知った事の無い奴。金の為なら暴力や殺人を厭わない奴。脆弱で矮小な自分を誤魔化すための性犯罪者。裏切者に売国奴。
罪を悔い、罪を償うこともしないそんな奴等が、今日も、明日も笑って暮らせるなんてあんまりだ。こんな奴等のために、血だらけの世界で生きたんじゃないと喚き散らしたくなるから。
神様、そんな奴等の始末屋だった私は悪い子なのでしょうか?でも、今は人殺しもせずに良い子にしています。だからお願いします、ずっと等と贅沢は言いません。せめて、この一時だけでも、幸せな時間を下さい。
「次の次がうちの順番です」
福山マネージャが、私達の車がレッドカーペットの前にとまる順番を教えてくれる。何とも変な気分だ、世の中なにがどう転ぶのか分からない。今日の私は本業の歌手としてコンサート会場に来たのではなく、俳優としてこの会場に訪れている。
私が演じた運動音痴の法務官と、女優の白石摩耶が演じる軌道降下猟兵が織り成すサスペンス&ラブロマンスドラマ。それが何故か世界中で流行り、その映画もヒットしたので此処に来る事になった。ARISの全面協力と白石さんの魅力がその理由だと私は思っている。要するに私はオマケなのだ。
オマケとは言えレッドカーペットを歩く事になる。その時は誰かを帯同して良いと言われているので、当然、沙羅を連れてきた。これには理由がある。彼女を落ち着かせるためだ。
ドラマはラブロマンスでもあるので、当然の如くラブシーンもある。来月に公開されるシーズン3の撮影時は、台本を読んだ沙羅が、どのシリーズもラブシーンが無駄に多すぎると拗ねる事が多かった。まぁその意見は否定しない。私ほどラブシーンを演じる歌手はいないと思う。
更には私達の話し、傷病除隊した天涯孤独の元兵士。偶然に芸能人の護衛となった彼女と、芸能人の間で繰り広げられた嘘の様で本当の恋物語。それが、ラブコメ&ラブロマンス路線でドラマ化される。
主人公は私自身、沙羅の役は、あの白石さんが演じる。台本を読んだ沙羅が、またラブシーンてんこ盛り……芸能人の恋人の定めとは言え、少し憂鬱とブツブツ言っている。
そんなこんなで、私の彼女は沙羅だぞと世間と、沙羅自身に見せつけ、彼女の不安を解消する為にも彼女を帯同する。もっともそうでなくても、彼女を帯同するのに変わりはないが。
「沙羅、準備は良い?」
車の扉が開けば、彼と手を繋いでレッドカーペットを歩く。ひと昔前なら信じられない程の平穏な幸せな光景。でも、扉の向こうに行くのが怖い。彼とカメラの前に立つなんて何度も経験しているのに、手の震えが止まらない。
ここ最近、悪夢を良く見る。彼と車から降りると、外で待ち構えている報道陣や彼のファンたちから、鬼、悪魔、血濡れの死神と罵られる。毎夜ではないけれど、最近そんな悪夢に魘されることが多い。
魘されて目を覚ますと、彼が、心配そうに私を覗き込んでいる。彼は悪夢の中身を聞いてこない。大丈夫、僕が居ると言いながら優しく抱きしめてくれる。それが嬉しくもあり、辛い。
お前に始末される俺は、未来のお前だと言われた事がある。当時はその意味が分からなった。でも、今は分かる。狂ってしまった理由が分かる。
私は、薄情だ。組織の掟とはいえ、妹達を捨て去った。
私は、血も涙も無い鬼畜だ。恐怖に歪んだ表情で命乞いをする老若男女を、銃で、ナイフで、時には素手で、淡々と任務として物言わぬ骸にしてきた。
私は、冷酷非情だ。除隊して市井で藻掻く様に必死に暮らしていた仲間を、狂った理由よりも狂ってしまった事を理由に始末してきた。
今なら分かる。皆、新しい生活で出会った愛する人に過去を、両手どころか身体中が血に染まっている事を知られたくなかったのだろう。この恐怖に耐えられなかったのだろう。
彼との幸せな時間が増えるにつれて、恐怖が大きくなっていく。正直に言う、私は怖い。もの凄く怖い。涙が出そうなくらいに怖い。
差し出された手を握り返す自分の手が、身体が震えているのが分かる。何時から私は、こんなにも弱い存在になってしまったのだろう?
自業自得と言われれば、その通りだと思う。握り返した私の手が、数多の命を奪った血塗れの死神の手だと彼が知れば、彼は私の手を振り解き、そして私の元を去って行くだろう。
愛された記憶があれば、例え引き離されても、相手に愛想を尽かされても、その後の人生を生きてける。そんな事を言う人がいるけれど、そんなのはドラマの中の台詞。現実の世界では、真っ赤な嘘だと思う。
彼が私の元から去ってしまえば、私は正気を保てないだろう。そうなってしまう未来が怖い。見たくもない未来が忍び足でやってくる。それが怖くて仕方がない。
分不相応なこの幸せを失いたくない。他人に見られるのが、涙が出そうになるくらいに怖い。彼の背中の後ろにずっと隠れていたい。
車窓から見える降車位置から延びるレッドカーペットが、私が浴びてきた血の河に見える。お願いです神様。良い子にしていますから、叶うならば、彼に昔の悪行がバレていないと言って下さい。お願いです。
光り輝く世界に、私みたいな者の居場所が無いのは分かっています。けれど、だけど、お願いです、あと1日だけ、あと1時間だけでも彼の傍に居させて下さい。
「大丈夫、ずっと手を握っているから」
車の扉が開けば、いよいよレッドカーペットに降り立ち歩かなければならない。本当ならパーティドレス姿の彼女とレッドカーペットの上を歩きたかったが、何かあった時に身動きが取れなくなるからと、ピッタリしたドレスとパンプスは断固拒否された。だから、ハーフブーツが似合うゆったりしたドレスの様なワンピースで妥協した。まぁ、何時もの黒一色のパンツスーツ姿でないだけ良しとしよう。
握った彼女の手が震えている。身体も少し震えている。流石の彼女も、大勢の人達が出迎えるレッドカーペットを歩くのは緊張するらしい。
何時も何があっても堂々としている彼女が、余りの緊張のせいだろうか、涙目になった彼女が私の横で震えている。未だ車内だというのに、手を繋いだまま私の背中に隠れ様とする彼女が可愛く見える。




