1-13-4-22 masquerade 秘密の終わり
車窓越しに外を見ていた時、車窓に映り込んだ彼が一瞬だけ苦笑いが浮かべたと思えば、微かに首を振りながら、再び微笑む顔に戻った。貴方に苦笑いを浮かべさせた理由は何だろう。私が理由でなければ良いけれど。
「うわぁ……もの凄い人出。水槽フロアに入れるまで1時間待ちらしいよ」
少し暗くなった気持ちを悟られない様に、努めて明るく、何時もはふたりだけの時にしか使わない口調で話しかけてみた。ばれてないよね、こんな楽しい日に私の暗い気持ちで、彼まで暗い気持ちになったら申し訳なさすぎる。
顔をまじまじと見られて悟られる前に再び車窓から外を伺えば、昨年も彼と此処には来たけれど、本当に今年は人出が多い。これは護衛に苦労するかも……と思ってから思い出した、今日の私は護衛じゃない、彼の同伴者だった。だから服装は、何時ものパンツスーツではなくて、ワンピース姿。
ワンピース姿なのは、身から出た錆の結果。最近の私は、昔と比べると気が緩んでいると思う。本当にあの時は、失敗した。その結果、今日は彼の同伴者として車に乗っている。
本当はツービースとしたかったのだけれど、彼と福山マネージャや、会社の人達の延々と続く説得に負けて、ゆったりとしたデザインのワンピースとハーフブーツで妥協した。最初にみんなが私に着せたがった身体のラインを強調する様なデザインのドレスとハイヒール姿よりマシだと思わないと。
だけど、このストールというのが何とも落ち着かない。それにバックも小さい。最近はみんなが煩いので、バックパックだけではなくショルダーバッグも使う様にしている。そのショルダーバッグと比較しても、こんな小さいバックでどうしろと言うのか。ナイフひとつ、特殊警棒のひとつも隠せやしない。それがファッションと言うものらしいけれど、何とも心細い。
「うぇぇぇぇっ!?」
あの時の、私と彼の姿を見た女優の白石摩耶さんの声にならない驚きの叫びとあの表情は、今でも覚えている。人は驚くと、本当に目を見開くんだって思った。
会社の中では公然の秘密だったらしいけれど、対外的には、ばれている様で、ばれていなかった彼との関係は、彼と白石さんが番宣で出演したバラエティー番組のロケ中にばれてしまった。
気が緩んでいたんだと思う。決して、ばれたくて態とした訳じゃない。休憩が終わり、さぁロケ再開と歩き出した時に、手を握ってきた彼の手を握り返し、彼と並んで歩き出しただけ。
余りに自然に歩いていたために誰も気づいていなかったけれど、彼に何か言おうと振り返った白石さんが、私達の姿を見て声にならない叫びをあげた事で、共演者やスタッフ達も私達が手を繋ぎ並んで歩く姿に気づいた。
共演者達に指摘されるまで、私達は最初、なぜ皆が驚いているのか分からなかった。私達が手を繋いでいること。それも指を絡めて手を繋ぐ、所謂恋人繋ぎをしたまま歩いている事に気づいてなかった。
さも当然の様に手を繋いだまま、不思議そうに皆を見つめる姿。状況に気づいた私が手を振り払おうとするのに、彼がガッシリと手を繋いで離さずドタバタする姿。手を放すのを諦めた私が、彼にどうしようと聞いている姿。がっつり放映されてしまい、私達の関係は世間様に知られてしまった。
彼は、付き合い始めて2年近く経過していた頃なので、丁度良い時期だったと言う。今思えば、あれは彼が私に仕掛けた罠だったのかもしれない。考えたら、何かちょっと腹が立ってきた。
「どうした沙羅?何かあった?」
「ううん、そっちこそ何かあった?」
一瞬だけ沙羅の目が剣呑になった。私は何かしただろうか?
少し前までは、この手の催し物が嫌いだった。嫌いだが仕事として我慢して出席していた。なのに今日は楽しみにしている。そろそろ許可車以外が侵入出来ない制限区域ですと福山マネージャが言った時に、思わず自分の豹変ぶりに苦笑いを零したのを彼女に見られてしまった。何もないよ沙羅、少し昔を思い出しただけだよ。
先月迄は売れっ子だったのに、突然に飽きられて売れなくなる。一寸先は闇なこの世界。実力があっても、自分の専門分野だけで生き抜いていける甘い世界じゃない。顔を売り人脈を維持する機会があれば、逃してはいけない。
苦手なバラエティー番組にだって出演する。出たくもないパーティで笑顔を振りまき、撮られてくもないツーショットの記念撮影に微笑み応じる。
売れれば我儘言い放題で、そんな催し物なんて行かなくて大丈夫じゃないかと思う人も多いだろう。確かにそんな奴も居る。居るけれど、直ぐに居なくなる。一般社会の事は良く知らないけれど、芸能界だって一般社会と同じ様に甘い世界じゃない。人脈は大事だし、常識ある行動が求められる。
ドラマや映画で見る、深夜早朝の収録や長い待機でマネージャーやスタッフ達に当たり散らすなんてのは言語道断。この世界にも、しがらみや義理人情も在れば、妬み僻みに裏切りや蹴落としも当たり前の様に在る。増長している馬鹿は、何処からかリークされたスキャンダル塗れになり消えていく。
世間の人が思う以上に、芸能界は泥臭い。華やかで気楽な世界に見える私達もそれなりにしんどい。誰もが一般社会と同じ様に身や心を削り生き抜いている。苦労ばかりの人生の中に現れるひと時の幸せ、その為にみんな頑張って生きている。
人は何て都合の良い生き物なんだろう。今迄はこれも仕事だと我慢していたのに、今日は楽しみで仕方が無い。思えば、あの番組で沙羅との関係が世間に知れ渡ったのは良い機会だった。
会場に近づくにつれて車窓から見える車は警備車両か許可車、または一時許可を受けた搬入車両になり、一般車両が居なくなっていく。あのキメラ事件が尾を引いているのか、それとも彼等の関係者も出演するための面子の問題なのか、警備の都合上、会場に乗り入れできる車輛は限定されている。
警備や医療関係の車輛、報道機関は1社4台まで、出演者は、出演者ひとりにつき1台まで、または無料の巡回バスのみ。その他の理由は、例え車椅子だろうが、一切考慮されない。それ用の特殊巡回バスに乗車し移動するか、徒歩で移動するしかない。更には新規開発地区のイベントも重なる。
巡回バスのシステムは致し方ないにしても、この人出では各施設の警備関係者やスタッフ達は大変だろう。沙羅も言っていたが、私もプレオープニングセレモニーの出演者側として出席する新規開発地区のホテルが持つ大水槽フロアへの入場は約1時間待ちらしい。もう、関係者は繁忙で泣きそうだろうなぁ……。
5階の店舗フロアの天井部分まで吹き抜けになっているが、その部分が水槽という点を除けば、ホテルとしては、構造的には奇をてらった物ではない
今までの技術では不可能だったが、恒星間航行技術の導入により透明な金属がどうのこうの、作れる様になったから作った。気持ちは分からないでもないが、良くもまぁあんな構造にしたものだと思う。
屋内回廊の向こう側は吹き抜けではなくて、巨大な水槽。確かに一度は見てみたいと思うのは無理はない。ホテル側もそれを見込んでのイベントなのだろうが、あのホテルは良いデートスポットになるだろう。プレゼン資料だけで実物は未だ見た事がないが、沙羅も楽しみにしている。
「今回は何時にも増して変な人達が多いですね……」
世界的に報道されるこの催しは、音楽、映画、ドラマを問わず、各芸能会社の宣伝の場でもある。当然の様に報道機関も多いし、一発当てようとしている有象無象の配信者達も居る。そして、そんな彼等の耳目を集め、己が主張を世間に広めようとする招かれざる者達、要するに変な奴等も現れる。
例えば福山マネージャが呆れた目で見つめている、会場に繋がる大通りの歩道で、ARISは地球から出ていけとプラカードを上げながら大声で騒いでいるあの集団もそうだ。
VOAに対抗できるのはARISだけだというのに、それが不要だと言う。何が彼等をそこまで無知蒙昧にさせているのだろう。
思想、良心の自由は法で守られた権利だから、彼等が世間に被害を与えない限りは、その信条に口を挟む気はない。だからと言って彼等の意見は理解出来ない。
受け入れ難い現実に耐え、砂を噛む様にして生きるのが人生だと言うのに、受入れ難い現実から目を逸らし、自分達の行いが絶対正義だと酔しれている幸せな人達。馬鹿に付ける薬は無いと言うが、あの手の人達の事を言うのだろう。
「また、香ばしいのが居ますね……」
あと少しで車両制限警戒区域という場所で、別の集団が騒いでいた。曰く、政府は列強と対立せず、武装を放棄して平和共存を目指すべきだらしい。今日は変な集団の大盤振る舞いだ。
仮に武装を放棄したら、その瞬間に列強に攻め込まれて人類は隷属種に転げ落ちる。彼等にそれを指摘しても無駄だ。列強が冷酷非道なのは、政府の欺瞞情報で、列強の本来の姿は友愛に満ちた善人だと反論されるだけだ。
世の中、そんなに甘くない。地球の歴史で、技術が遅れた文明が、技術が進んだ文明にどう扱われたかを考えてみれば分る。奴隷制を維持している列強種族が幅を利かせている銀河で、この小さな地球の中と同じ事が起きても不思議じゃない。
列強に比べて遅れている地球に武力が無ければどんな未来になるのか、そんな単純な事も彼等には分からないらしい。福山マネージャが彼等に呆れた言い方をしてしまうのも分からないでもない。
「大丈夫。あんなの気にしていないから」
彼等を見ていた彼女の目が妙に冷たく見えたので大丈夫かと聞けば、彼女は微笑みながら大丈夫と言う。何が大丈夫だ、無理して微笑んいるじゃないか。気にしているじゃないかと、指摘する気はない。
彼女はこんな時は、嘘をつくのが下手になった。みんなはその違いが分からないというが、私は感情を見せない様にしていた彼女が感情を見せているのが分かる。
その事については喜ばしい事だけれども、その感情を見せた理由が、あんな馬鹿みたいな奴等のせいだというのは気に入らない。
まぁ良い。あんな奴等の事はもう忘れよう。今日は何時もの護衛としての黒一色のパンツスーツではなく、私の恋人としての沙羅とカメラの前に立てる。




