1-13-4-16 masquerade キメラ
「あの、馬鹿野郎が……」
言い争っている新兵と少女の周りには人だかりができ、報道陣まで撮影を始めている。本当に勘弁してくれよ。俺が何をした……って、おい!お前、彼女の仕草を理解してないのか?!
うなじをかきあげ、指さす仕草は、身分を確認しろという意味なんだぞ?座学で習ったろうが?!
お前に雰囲気を感じ取れというのは無理だろうが、彼女の雰囲気は、お前なんて足元にも及ばない古参兵だ。そこを退け、この馬鹿!
「失礼しました、中佐」
「大丈夫、気にはしてません。貴方も苦労してるみたいですね」
人は見かけに依らない。良く言われることだが、今それを実感している。俺は今、寿命が10年は縮んだ。表示された彼女の所属は、保安省第20局。
組織の中であっても、喧嘩を売っていけない相手というのは存在する。保安省に友人が居るから知っている、彼女はそこの所属だ。
しかしこの状況なのに、うちの士官学校を出たばかりの指揮官様は、何の役にも立ってないな。
「彼女が中に入って行きましたね」
雰囲気が阻止線の兵隊と異なるので、下士官兵だろうか?沙羅さんのうなじに器具を当てていた兵士の顔が、強張ったのが見える。
何が表示されたのかは知らないけれど、兵士が沙羅さんに敬礼している。確か軍事組織等では、下位の者が上位の者より先に敬礼をした筈。となると、沙羅さんの方が、あの兵士より上官なのだろうか?
兵士に先導された彼女が、堂々とした動きで阻止線の中に入って行った。近くの装甲車で、その兵士から説明を受けながら、手渡されたショルダーハーネスと短銃を慣れた手つきで装備し、小銃を当たり前の様に受け取っている。
ところで、大型トラックが揺れている様に見えるのは、気のせいなのだろうか。
「間に合わない?」
「恐らく、間に合いません」
「下士官は私を含めて、5名。士官1名おりますが、士官学校を出たばかりです」
自分で説明しておいて何だが、状況は最悪だ。大体、士官学校を出たばかりの士官と、新兵の慣熟訓練を同時にやろうとした大隊本部が馬鹿野郎で、そんな部隊に阻止線を展開させている本部が馬鹿野郎で、報道陣を含めた群衆を阻止線から遠ざけられていない俺達が馬鹿野郎だ。
そして今、トラックが揺れ出している。要するに薬が切れて、荷台の生物兵器が目覚めたという事だ。勘弁しろよ、どんな生物兵器かも分ってないのに、調べる前に目覚めるなよ。
「覚悟を決めろ。何があっても抹殺する。一般人に被害が出る事は許されない。死んでも止めろ」
暇な人間は碌な事をしない。それを具現化したものが、此処から見える大型トラックの荷台に在る。技術の進歩と暇人が産み出した、世の中に在ってはいけない物。遺伝子操作に依るキメラ。
暇を持て余した富裕層が、地下闘技場で殺し合いをさせるために作り上げた生物兵器。それが荷台の中に居る。何故その様な物を作ろうと思うのだろう。そこまで暇なら、お前等自身で殺し合えば良いだろうに。
キメラを混雑しているイベント会場の近くで放出したら、一般人を守るために警察やARISが出動してくる。その鎮圧迄の時間と、一般人を含めた犠牲者の数を当てる。キメラ同士の地下闘技場での闘いに飽きた馬鹿が、そんな新たな馬鹿な賭けを思いついた。
不幸中の幸いは、馬鹿達がコップの中で争っていた事。馬鹿達の中に、中東だか何処だか、王子だか王女だかが混じっていた。そして彼等は絶賛権力闘争中。
相手を蹴落すために匿名の密告があった。密告が無かったら、前方に見える、イベント会場近くの大通りに駐車されていた大型トラックを見つけられなかった。
良かったのはそこ迄で、状況は最悪の一歩手前。一線級の部隊が見当違いのトラックを取り囲み調査していた結果、本命のこのトラックを見つけるのが遅れた。
此処には二線級の新兵部隊しか居らず。彼等は、この周辺から公開リハーサル目当ての観客を退避させられていない。なのに、荷台が盛大に揺れている。
一般人に髪の毛一筋の怪我でも負わせたら、末代までの恥だ。荷台から飛び出て来るであろうキメラは、如何なる犠牲を払おうとも阻止しなければならない。
だというのに、使えるのは下士官達だけ。新兵達は当然として、新米士官も役に立ちそうはない。人生はままならないと言うけれど、溜息が出そう。
キメラを倒すために、私も下士官達も戦死するかもしれない。それがお役目、一般人が死傷しなければ、それで良い。それに私達が戦死しても、仲間が必ず仇を討ってくれる。こんな馬鹿な賭けを考え出した愚か者達を草の根を分けて探し出し、私達が待っている地獄に送ってくれるだろう。
そういえば、私が戦死したら、誰が彼の食事を作るのだろう。彼はまた独り寂しく食事をする様になるのだろうか。そう思うと、少しだけ心が痛む。
薬の切れたキメラが何時飛び出してきてもおかしくないと分かった途端に、うちの新品指揮官は狼狽して役に立ちゃしない。この中佐が、偶然に此処に居合わせなかったら、どうなっていたか分からん。
可愛い見掛けで騙されそうになるが、流石保安省第20局。武装が小口径小銃しかないと説明した時も、眉を一瞬だけひそめただけ。原因と状況を説明しても顔色ひとつ変えやしない。
挙句に、自分を含めて、仮に誰かがキメラに捕まっても、捕まった者の救助よりキメラの抹殺を優先しろときたもんだ。馬鹿には分からないかもしれないが、決して中佐が冷酷だからじゃない。
誰かを救助をするために銃撃の手を緩めれば、キメラが我々の阻止線を突破し、後方の一般人を襲う可能性が上がる。そんな事は許されない。自分達の命を賭してでも一般人を守り、キメラを抹殺しろという事だ。
それに冷酷だったら、下士官の内、新婚、次に子供が小さい者の順で2名は訓練生と、その新米士官の面倒をみるために後方に残れ等と言わない。
本当に肝が据わってやがる。残り3名は誠に残念だが私と来い。そう言うと、渡された武装をチェックしながら、さも何でもない様にトラックの方に歩いて行く。
恐らく中佐は事務官じゃない、俺達と同じ様に地獄を見てきた実戦部隊出身だ。
車内からは阻止線の兵士が邪魔になって、沙羅さんの動きは本来見えないが、ライブ配信を始めたニュース画面で彼女の動きが見える。彼女が銃を構えながら、3名の兵士を引き連れてトラックの方に歩いて行く。
こんな時は、いち早く現場から離れる様にと、沙羅さんに教えられていたが、車道にも溢れ出した報道陣や野次馬達のお陰で、車を動かすことが出来ない。
彼女達がトラックの荷台まで10m程度まで近づいたとき、荷台の扉がっ引き裂かれる様に開いた。
両手の指先に太く長い爪を持つ、無毛で筋肉の塊の様な化物が、開いた扉から姿を現した。周りを見回した化物が彼女達を見て飛び出したが、その時には彼女達も発砲を始めていた。
映画なら発砲しても化物に痛打を与えられず、化物が突進してくる。でも、現実はそこまで甘くない。化物であろうと、生物である限り銃の前には無力だ。
例え小口径の銃であろうと、雨あられと撃ち込まれれば無事ではいられない。扉から飛び出た化物は、彼女達とトラックの中間地点で銃撃の嵐に負け、倒れた。
「安全を確認するまで、持ち場を離れるな!戻れ!」
これだから新兵は困る。化物が倒れたと思えば、トラックの近くにひとり移動してきた。確かに射殺した化物の死骸は、中々にグロテスクな状態になっていて、頭部は殆ど原型を留めていない。小口径とは言え、あれだけ撃ち込めば無茶苦茶にもなる。どう見ても死んでる様に見える。
しかし、これだけ頭部に撃ち込んだのだ、流石に死んでるだろう等と思ってはいけない。こいつはあれだけ銃撃を受けながら、トラックと私達の中間地点まで到達した。直ぐに近づくのは禁物だ。
あの野郎!倒れた化物を見て、まだトラックから離れて持ち場に戻ってねぇっ!
「た・助けて!」
危機と言うものは突然やってくる。但し今回の場合は、私の想定ミスもその原因であり、一方的に、助けを求めている彼の自業自得とは言えない。
想定ミスとは、荷台から2体目の化物が出てくるとは思わなった事。まさかあの狭い荷台に2体も載せているとは思わなかった。やはり現場から離れると危機感が薄れてしまうのかもしれない。
戦場に於いて死傷の半分は自身の不注意から来る、そして大概は、他人を巻き込む。脇腹を化物に掴まれ、私の方に投げつけられた新兵がそれにあたる。
彼がトラックの方に動いているのに気づかなかったのは、周辺監視を怠った私の失態。注意されたにも関わらず居てはいけない場所に居たのは彼の不注意。見事な直線軌道で飛んでくる彼が直撃するであろう私は被害者。
ところで、困った事がある。先程のキメラと異なり、目の前のキメラの表皮は、装甲の様な鱗。小口径エネルギー弾が、この鱗を余り撃ち抜けていない。
「この化物野郎!お前の相手はこっちだ、馬鹿野郎!」
馬鹿みたいな勢いで投げ飛ばされた新兵が、俺の左側に居た中佐を直撃した。直撃された中佐は、新兵と駐車してあった乗用車に挟まれる様に叩きつけられ、下半身に投げつけられた新兵が被さった状態で倒れ込んでいる。
新兵を投げつけた化物が中佐達の方にゆっくりと向かっている。中佐を引き摺り出し助け出す事は後回しだ。命令通り、化物の抹殺が優先される。そもそも中佐自身が、いいから化物を撃てと叫んでいる。
それに中佐も諦めていない。小銃は衝撃で飛ばされたが、下半身に乗った新兵を庇う様に抑え込みながら、自分達の方に向かって来る化物を短銃で撃っている。要は化物が中佐に到達する前に倒してしまえば良いのだ。
画面の中で彼女が兵士と共に車に叩きつけられた時は血の気が引き。車と自分に圧し掛かったに兵士に挟まれ身動きの取れない彼女に化物が移動していくのが映された時は、彼女に聞える訳もないのに、思わず沙羅逃げろ!と叫んでいた。
彼女が、太腿の上に倒れ込んだままの兵士を左手で庇う様にしながら、右手でショルダーハーネスの短銃を抜くと近づいてくる化物に向かって猛然と撃ちだす。
短銃の威力だけでは化物を倒す事が出来ない。恐らく罵りながら化物を撃つ彼女に、化物がどんどん近づいて行く。5m、4m、3m。死んでくれ!お願いだ死んでくれ!頼む彼女を殺さないでくれ。
周囲の兵隊の銃撃も加わり、彼女達から1・2mの所で漸く化物が倒れた時、手を握りしめ、息をするの忘れて画面を見ていたのに気づいた。




