1-13-4-15 masquerade インプラント
芸能人の護衛というのは、簡単な様に見えて難しい。単純な護衛であれば、対象の前を歩き、許可なく寄って来る者を、場合によっては打ち据えてでも、近づけなければ良い。しかし芸能人は映されてこそ商売が成り立つ。時には前方からの脅威に対応するのが困難であっても、横に並んで移動しなければならない時もある。
前方からの脅威に即応するため、横を歩く時は可能な限り密着する。そうなると必然的に、彼と並び撮影されてしまう可能性が大きくなる。
この事については、不思議な事に報道側から文句を言われことも、邪険に扱われたことはない。但し、ファンの子達からの射貫く様な視線は増えるばかり。
ランダムな休息時間を除き、仕事、プライベートを問わず私の外出時は、沙羅さんは基本的に私の傍から離れない。彼女が必ず私の傍に居る姿に周囲が気づくまで、そこまで時間は掛からなかった。
他の芸能人と比較すると、砂漠と揶揄される程に色恋沙汰の話しが無いと言われた私が、最近10代後半の少女と連れ立って動く様になっている。
その姿は、傍目には私が恋人連れ回し、周囲にアピールしている様に見えたのかもしれない。私を良く知る芸能記者を除いて、周囲は騒然となった。
私を良く知る芸能記者達は、あの微妙な距離感と遠慮の仕草は、彼女は恋人ではなく、別の何かと看破していた。但し、その何かが分からなくて困惑していた。
同じ事務所の新人女優を宣伝のために連れ歩いているにしては、彼女は何時も生真面目な顔で笑顔を見せない。となれば、場慣れしていない研修生か何かかと思ったが、その割には私との距離感が近すぎる。それに事務所に聞いても、彼女は新人女優でも研修生でもないと言う。
そういえば彼女が私の傍で取る行動が、新人マネージャの様に見えなくもない。彼女は新人マネージャではないかと会社に探りを入れても、そんな新人マネージャは居ないと言われる。
となれば、彼女は一般人となる。業界関係者ならまだしも、業界関係者ではない一般人に突撃取材を行う訳にもいかない。結局、彼等は一周周って、彼女は誰だと私に直接聞きに来た。
人は、例え真実であっても、自身が信じたい内容でなければ認めない。但し、目の前で起きた事象は不承不承であっても納得してくれる。
怪我をさせるかもしれないと、彼女はカメラ前でのデモンストレーションに非常に難色を示し、固辞していた。そのために彼女は護衛ではなく、やはり私の恋人ではないのかと彼女を疑う眼差しが濃かった。
しかし、周囲からの無言の圧力と、勇敢なる某局ADの協力を得て、彼女が見事な体さばきや、寸止めの肘打ち等で暴漢役の彼を制圧すると、どよめきと共に、彼女は本当に護衛であると納得はしてくれた。
尤も、デモンストレーション後に、多数のカメラを向けられた彼女を背に庇う様にしてしまったからか、護衛として社長に押し付けられたけれど好みのタイプだったの受け入れたのかとか、自分より小柄な彼女に守ってもらうとは男としてどうなのかとか、朴念仁としてもそれは酷すぎるとか、そんな事だから彼女が出来ないとか、散々な言われ様を放送されてしまった。
「沙羅さんのせいじゃないだろうに」
複数のアーティスト達と合同で行うイベント、イベントでのミニコンサートの公開リハーサルに移動中にエゴサーチをしてしまった。
自分の新アルバムは、どんな風に捉えられているのだろう。気にするなと言われても、気になるのが人というもの。好意的ばかりではない、碌でもない書き込みも見てしまうのに、エゴサーチしてしまうのも人ならどうしようもない事だと思う。
そこまで酷い批判はないと読み進めていると、沙羅さんに対する批判的なコメントを見つけてしまった。
彼女はの世間への知られ方が独特であったためか、狸親父が画策した結果か、私の護衛であるのに、半分芸能人の様な扱いを受けている。私の傍で仕事をする彼女が映り込んだとしても、遠慮会釈なく画像を使われている。
露出が増えれば、好意的な人達も増えるが、妬み、僻み、憂さ晴らしを理由にしたバッシング行う者達も増える。とはいえ一過性のもので、最近はそんなコメントも見なくなっていた。
彼女は公式には傷病除隊の予備役で、それを私達が護衛として雇用した事になっている。その事について未だに性懲りもなく批判的なコメントを書く人に変な関心を覚えつつも、不愉快な気分になり、思わずぼやいてしまった。
そんな私の小声のぼやきを聞いた彼女は、貴方の護衛をする際に、謂れのないバッシングを受けるのは覚悟していましたから気にしないで下さいと微笑む。
バッシングというのは、耐性が在る程度ある芸能人であっても辛いのに、堪えた素振りもない、沙羅さんのメンタルはどれだけ強いのだろうか。
「交通規制?!」
バッシングを見つけた嫌な気持ちを振り払うために、今日の夕飯は何がいいだの、じゃぁ帰る途中に買い物をしないといけませんねとか、他愛ない雑談をしながらイベント会場の近くまで来たところで、いきなり交通規制で停止させられた。
何事かと良く見てみれば、車の目の前には阻止線を張られ。何人もの兵隊が阻止線を背中にして並び、阻止線の向こう側の交差点手前には装甲車が何台も止まっている。私達の車は身動きが取れなくなっていた。
装甲車の隙間から交差点の向こうに停車している大型トラックが見える。遠巻きに報道陣が、そのトラックを撮影している。爆弾事件か何かなのだろうか。
歩道を見れば、事前の誘導もなく交通規制が張られた事で、歌手や俳優のファンの子達が車道側に溢出てきて混乱状態が拡大していっている。何人かが誘導しようとしている様にも見えるが、誘導は上手くいっていないみたいだ。
「降りて確認してきます」
護衛の任務を少しばかり放棄する事になるけれど、事故が起きて後悔するよりはマシ。彼も周囲の状況は拙いと思っていたのか、状況の把握と、場合によっては助言をしてくるという私の申し出を快く承諾してくれた。
一般社会への適応訓練中の者の階級は、実戦部隊の時と同じ。私の場合は中佐。そこそこの階級なので、無下にはされないだろう。
階級章や認識票は持っていない。だけど私は適応訓練中の者だけが持つインプラントの身分証明書がある。うなじの上の部分、頭髪で隠れた部分に黒子の様な沁み、その部分に身分証明用のインプラントが埋め込まれている。
装甲車の横に指揮官が見えるけれど、右往左往している動きを見ると、士官学校を出たばかりを新品。小口径小銃しか持っていない兵装とぎこちない動きの兵をみると、恐らく新兵。そんな彼等の部隊を展開させているとは、緊急事態なのだろうか。そうでなければ、本部は無茶苦茶をする。これでは群衆に二次災害が起きる。
若干不安だけれど、流石に新兵でも、うなじをかき上げ、首の後ろを指さす事が身分確認の仕草を意味している位は習っている筈。
しかし、群衆の誘導すらまともにできないのかこの部隊は。
「この先は立入禁止です。早く車を移動させて下さい」
「だから、確認しろと言っているだろう!」
「訳の分からない仕草をしていないで、下がってください!」
うちの部隊の不手際を原因として、交通規制の結果、周囲一帯は歩道はおろか車道まで人が溢れ出し、目も当てられない状況になってきている。
近くのイベント会場で、人気歌手?俳優?の公開リハーサルがあるとかで、そのファンだろうか、若い男女が多い。それが理由か否かは知らないが、遠慮会釈なく文句を言ってくる。
古参の奴等なら軽くいなして終わるが、うちの部隊は下士官以外は、指揮官も含め新兵しかいない。的外れな命令ばかり出す新品士官に、堪え性のない新兵達が、あちらこちらで若い男女達と言い合いをしている。
この場所に最も近かったのが展開訓練中の俺達だったのは分るが、早く古参の部隊を展開してくれ。直ぐに来るといった警察はまだか?!
「だから!下がれって言ってるだろうが!」
「馬鹿なのか、お前は?もしかして新兵じゃなくて、訓練兵か?!」
沙羅さんとは、まだそこまで長い付き合いではない。しかし狸親父発案のルームシェア(同居じゃない!)のお陰で、四六時中一緒に居る。福山マネージャには区別がつかないみたいだが、私には彼女の無表情にも種類があるのが分かる。
車の前にいた兵士に話しかけた時の沙羅さんは、穏やかだった。しかし、その兵隊と話すにつれて不機嫌モードになり、今は怒っている。
「何が馬鹿だ!それに訓練兵じゃねぇ!」
「やかましい!その糞ったれな口を閉じて、指揮官か、専任を呼んで来い!」
交通規制の理由が分からず阻止線に使づいていた報道陣や一般人が、兵士と言い争いをしている沙羅さんに気付くのに、然程、時間は掛からなかった。
普段は表情を一切変えないクールな彼女が、眉間に皺を寄せて兵士と言い争っている。滅多に見られない彼女の姿を報道陣や周囲の一般人が見逃す訳がない。
そして彼女が居るという事は、私が居るという事。スモークガラスのこの車を、疑わしそうに見る報道陣やファンの子もちらほら出てきた。外から車の中は見えないと分かっていても、落ち着かない気分だ。斜め前に座る福山マネージャは、胃の辺りを押さえている。
最近はファンサイトに、何た楽しいのか、彼等の琴線に触れたのかわからないか、沙羅さん観察日記なるのまで出来てる。その沙羅さんが暴言を吐く姿が撮影されている。下手すれば炎上案件だ。そりゃ、胃も痛くなるよ。
だから沙羅さん、もう少し優しい口調にしてもらえると、此処で胃の辺りを押さえている福山マネージャも助かるんですけどね?




