1-13-4-14 masquerade 対面に座る彼女
激闘開始30分で、TV局とのWebミーティングがあると言って福山マネージャは戦線離脱。予想外の裏切により、孤軍となるも、徹底抗戦を続けているが、私の劣勢は変わらない。
その根源が異なる強固な彼等の意図、片方は、単に面白がっているだけの狸親父、残る片方は危機感というものが欠如している非常識な彼女。この彼等の意図を覆す事は出来ていない。
遅滞防御、私に残された抗戦手段はこれしか残っていない。女性は引越し荷物も多い筈だ。ならば引越し準備には相応の期間が必要になる。この準備期間を利用するのだ。彼女の引越し準備完了時期と私の受け入れ可能なオフの日が合致しなければ、受入れ日が確定しない。
受入れ協議の永続化により、なし崩し的に、彼女の引越しを有耶無耶にして葬り去る。この危機を回避するためには、これしかない。
「不幸中の幸いは、ゴミ屋敷ではない事だな」
今日から2日間は、指折り数えた、久々に纏まったオフ。なのに今日は、沙羅さんが引越してくる。
貴女の引越し準備もあるだろうから、私の家への引越しは2週間後でどうかと述べたのだが、スーツケースひとつに入る荷物しか持っていないので、即日移動可能と言われ、昨日の遅滞防御戦術は軽く粉砕された。
この2日間は、彼女の引越し片付け等で、潰されるだろう。何処かに、この2日間の代替日を捻じ込ませないと。
「では、私は事務所に用事があるので戻ります」
一度裏切った者は、再び裏切る。何処かで聞いたその言葉通りに、今日も裏切者の福山マネージャは沙羅さんと6個の大型スーツケースを私の家に運び入れると、何時ものワンボックスで逃げ帰る様に事務所に戻って行った。
スーツケースひとつと言っても、本当はスーツケースにあれやこれやの鞄を下げて引越ししてくると思っていた。だから彼女が大型スーツケース6個で我家に現れた時は、何がスーツケース1個だよ、大型スーツケースが6個もあるじゃないか!騙された!と思った。
けれど、彼女本来の荷物は本当にスーツケースひとつだけで、残りの5つは我家の周囲を監視するために設置する機器や、警護用の備品だった。
そのたったひとつの彼女のスーツケースも、中身は保安省の制服、少しの私服とスポーツタイプの下着類、スニーカーに編み上げの半ブーツ。たったそれだけしか入っていなかった。
勘違いされる前に言っておく、別に彼女のスーツケースを勝手に開けて調べてはいない。彼女が私の前でスーツケースを開けただけだ。
彼女が使う部屋に案内したら、監視機器を設置したいので、自分の荷物を今仕舞って良いかと聞かれた。構わないと答えた途端、彼女は、私がそこに居るのにスーツケースを開け、衣類を仕舞いだした。その時にスーツケースの中身を知っただけだ。
彼女の名誉のために言っておくと、彼女にも羞恥心はある。但し彼女は着用していない下着類、例えばチェストの中にしまってあるとか、干してある下着を見られても動揺しない。何故着用していない下着を見られて恥ずかしいと感じるのかを理解していない。
昼夜を問わない連勤ともなると、寝る時間を稼ぐために部隊では全員一緒に業務用レベルの大型洗濯乾燥機機で洗濯して乾燥させるので、着用していない下着を見られるのは日常茶飯事。だから気にしなくなったのかもしれませんねと、私の目の前で下着を仕舞いながら彼女は言う。
思えばこの日が、その後、私を悩ませ続け、本能との長い闘いを始めた理由、沙羅さんの少しずれた羞恥心との出会いだった。
技術の進歩が素晴らしいのか、沙羅さんの手際が良いのか、デッドスペースになっていた階段下の空間は、少し男心を擽る秘密基地の様な監視機器をモニタする空間に変貌した。
余りに格好良いので公式に投稿した。最初は、監視の精度が分かってしまうので投稿は駄目と言われたが、モニタ画面が映らない角度で承諾を得て投稿出来た。
部屋の灯りを落とし、モニタの部分が浮上がる様に撮影している私をみて、沙羅さんが、この手の写真の何が良いのか分からないと言う。説明しても理解は難しいかもしれないが、これが万人の男性が少なからず隠し持っている少年の心だと理解してくれると、少しありがたい。
私の本業は歌手だ。最近は俳優としての仕事も多いが、本業は歌手だと思っている。売れる売れていないで区別するならば、売れている芸能人だと思う。
売れてからの生活は、それは派手になったのだろうと思われる事が多い。確かにこの家だけをみれば、そう思われも仕方が無い。残念だが、これは自分への投資というか、保険。芸能人なんて何時売れなくなるか分からない。お金があるうちに資産を残しておこうとしただけだ。
この家と反比例して、私の私生活は大人しいものだと思う。遊ばない訳ではないが、知人との付き合いで遊ぶ程度、基本的には羽目を外して夜遊び、女遊びをする事はない。パーソナルスペースに入り込まれるのが苦手なだけだ。だから女性が傍につく高級クラブ等で受ける接待は、苦痛でしかない。
社長曰く、何故この朴念仁がラブソングを書けるのか、世界の七不思議。うるせぇ!狸が人の社会で会社社長やってる方が不思議だ、この狸爺。
芸能記者にすれば、ネタを見つけ様にもネタがない困った取材対象。余りに面白味がないので、ネタに困った芸能記者達が、ネタがないかと直接事務所に聴きに来る始末。
それを見た社長や社員達が、記者さん達に提供できる何か軽く女性問題でもないのかと聞いてくる。スキャンダルが起きたら困るだろう?何を言ってるんだ。
「という事で、彼女は私の護衛の沙羅さんです。詳しくは社長にお聞き下さい」
ぬか喜びであったことが分かり肩を落とし、萎れた姿の記者さんには悪いけれど、誤解は訂正しておかないといけない。
夕方に沙羅さんと私が連れ立って敷地内で監視装置のチェックをしているところを撮影した芸能記者は、一時は、大スクープだと非常に喜んだんだろうな。
確かに角度によっては、顔を近づけながら戸建ての庭を歩く私達は、外を大手を振って歩けない芸能人とその彼女が、敷地内だけでも一緒に散歩していた涙ぐましい姿に見えなくもなかったろう。実際はタブレットの中身をふたりで確認しながら歩いていただけ。
沙羅さんが、監視機器チェック用のタブレットを見せながら説明した時の、彼の残念そうな顔が忘れられない。
次の機会まで頑張ってというか、うちの近所の別の芸能人の家を張り込んだ方がスクープが取れるとは思うんだけどね。芸能人仲間を売る気はないから、教えはしないけどね。
勿論、この事は社長と福山マネージャに直ぐに連絡した。狸親父は、そのまま誤解させていた方が、実害の無いスキャンダルになって美味しかったのに、何故、完璧に訂正するのだ、空気の読めない奴だと、ふざけた事を言われた。来週、事務所に行ったら絞め落とすことにしよう。
「お口に会えば宜しいのですが」
スムーズにいった誤解の訂正とはいえ、対応にはそれなりの時間がかかる。沙羅さんも引越し等で疲れているから、外食に連れて行こうかと思っていたのだが、説明を終え、記者さんが帰った時には、外食に行くには微妙な時間になっていた。
正直に言えば、最近の私は食事はエネルギーの摂取であり、楽しいと思っていない。売れて、仕事が増えて、ファンも増え、有名になった。一発屋で終わらず、継続的に仕事も得て、お金も持っている。高級店にも気兼ねなく行けて、食事に一緒に行く者も選り取り見取りと思われるだろうが、そこまで人生は甘くない。
外食すれば、一挙手一投足を覗い見られ、落ち着いて食べられない。誰かを誘おうにも、相手に依っては要らぬ勘ぐりをされて、おちおち誘う事すら出来ない。
じゃぁ自宅で食べれば良いじゃないかと言われても、自炊をする気力もないし、私はそこまで料理は上手くない。つい最近、それは確認済だ。
一応は食材は冷蔵庫にはある。今日も冷蔵庫に食材は有るには有るが、これもどうせ腐らせてしまうだろう。福山マネージャは余り良い顔をしないが、食材を冷蔵庫に入れてもらうのを止めてもらおう。テイクアウトやデリバリーに頼れば、ひとりで簡単に済ませるには不自由は無いのだから。
時間も微妙なので、今度ちゃんとした場所に行くとして、今日の所は申し訳ありませんが、引越し祝いの食事はデリバリーで済ませましょう。そう提案したら、沙羅さんが冷蔵庫の材料で食事を作ってくれた。
これが美味しい。普通の家庭料理なのだけど、私の好みに会っている。冷蔵庫の中の食材は自由に使って構わないし、足りなければ追加の食費を渡すので作ってくれないかと頼んでみると、こんな物で良ければ、時間があえば何時でも作ってくれるという。
後で考えてみれば、私は殆ど初対面の女性に、何という事を頼んだのだろうか。そして彼女は良くもまぁ承諾してくれたものだ。
そう言えば、相手に気兼ねせずに誰かと一緒に食事をしたのは何日ぶりだろう。殆ど初対面のふたりの余り会話のない食事だったが、私の対面に座った沙羅さんとの食事は、不思議と落ち着いて、ゆったりとした気分になれた。
食事の後に片付けを始め、独楽鼠の様に動き回る沙羅さんを見て、いきなり我家に入り込んできた異物の筈なのに、同じ空間に沙羅さんが居る事に違和感を覚えていない自分に驚いた。
自分の歌では一目惚れの歌詞を書きながら、いい大人が一目惚れ等する訳がないと思っていた。後になって思い返してみれば、私は彼女に会ったその時に一目惚れしていたのだろう。現実は説明できない事の連続。要するにそう言うことだ。




