1-13-4-13 masquerade 無駄な抵抗
今の私は反射能力と治癒能力は普通人よりも高いけれど、以前の完全調整体の様な超人的な身体能力を持たない。目覚めてから半年も経つのに、堂々と陽の光の下を歩ける今の生活に未だ慣れる事ができない。
これが以前と同じ様な完全調整体であったら、未だ違和感を覚えていないのかもしれない。本当に面倒だけれど、何時まで続けられるか分からないけれど、何が真実であれ、私がこの脆弱な身体で生き続けなければならない事は変わらない。
そう言えば、調整体を無敵だと誤解している人は多い。完全調整体は人の数倍の反射能力、超人的な身体能力と人外並みの治癒能力を除けば、普通の人間と同じ。
普通の人の様に視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感はある。だから暑さ寒さも感じれば、痛みも感じる。下手に出血すれば死ぬ。
痛覚遮断等を行わないのには理由がある。痛みや出血があるからこそ、人は負傷を恐れる。恐れが在るからこそ、人は慎重になる。
映画やドラマで見られる恐れを知らない兵士なんて、戦場では迷惑この上ない存在でしかない。唯我独尊の無鉄砲な兵士は、仲間を危機に晒す危険物でしかない。
別の誤解として、調整体が産む子供は調整体になるというのがある。誠にもって残念ながら、世の中そんなに上手くいかない。調整体同士であれ、調整体と非調整体の普通人との間であれ、生まれる子供は普通人になる。そんなにポンポン超人が産まれるのなら、新兵募集で苦労はしない。
「あの子もそうかな?」
「多分、紋章が黒に銀糸じゃなくて赤だから、あれは衣装だと思う」
新しい身体について、文句がない訳じゃない。急速クローニングに伴う技術的な問題、致命的な欠陥が確実に生じない生成限度が理由なのは理解している。けれどその結果、どう贔屓目に見ても、外見年齢が10代後半にしか見えない。
時と場所に依っては、周囲の人達に見つめられる事も多くなった。新しい人生を送るためのの対価として慣れるしかないのは分っていても、本当に面倒くさい。
「こちらがゲスト用の入館証です」
端末で会話していた医師に指摘されて知ったけれど、見つめられる原因の半分は自分にあるのは理解している。家族を捨てて新しい人生を得た罪悪感からなのか、知人はおろか家族や友人も居ない独り暮らしのせいなのか、感情を表す事が苦手になっていた。
道理で、街を歩くと周囲の人達から見つめられたり、何やらひそひそと話しながら見られる事が多い訳ね。恐らく表情の無い私が、不気味なのだろう。
悩んだからといって表情が戻ってくる訳でもないし、見つめられるのにも慣れた。とは言え、このビルの周囲での見つめられ方は少しばかり堪える。
ビルの周囲で屯する人達からの視線もうそうだったけれど、ビルに入ればロビーに居る人達から突き刺さる様な視線を浴び、最後には受付の人に探る様な目で見られるのは、流石にしんどい。
「直人の所みたいな人なら良いんだけどな……」
うちのプロダクションは、彼等の保安局員の社会復帰のリハビリに協力している。慈愛に溢れたボランティア精神の発露等と言う、綺麗な理由じゃない。魚心あれば水心、ギブアンドテイク。
我々は彼等に協力する。彼等はそれに対して色々と手心を加えてくれる。例えば、彼等の施設で撮影がある場合、セキュリティ登録済のうちの事務所の者をキャストとして使う様に制作会社側に推してくれる。大人の世界というものは綺麗ごとだけでは進まない。それだけの事だ。
リハビリが上手くいき、保安局に戻らずそのままうちの会社に入社してしまう人もいた。波照間直人のマネージャーが確かそうだ。うん、あの人は良い人だ。直人はあたりを引いた。
「素人の私達では、限界があります」
仕事が増え、ファンが増えるに比例して、変な妬みや僻み、脅迫状や悪戯の類も増えてきた。今の所、私達もファンの人達にも被害は出ていないが、最近は悪戯の内容が少しづつ過激化してきている。ひとつ間違えば怪我人が出たり、誰かが傷つく可能性を否定出来なくなってきている。
下積み時代から苦楽を共にしてきた福山マネージャに補助スタッフを付け、負荷を下げる事で、周囲に注意が向けられる様にしたり、都度警備員を配置するなど、私達も手を拱いて訳ではないが、悪戯は悪化しつづけ、遂にはファンの子の服が汚される悪戯が起きた。
その時は小道具の暴発という事で場を治め、ファンの子の服も弁償したので大問題にならなかったが、あれはどう見ても私を狙った悪戯だった。軸線に急に入り込んだファンの子が被害を受けた。そうでなければ、私が被害を受けていた筈だ。
私が怪我をする分には構わない。ファンの子達が怪我をするのだけは避けなければならない。そうであっても、素人の私達が何かをするにも限界がある。
福山マネージャも頑張っているが、仕事も忙しくもう限界だ。そもそもあの体型で護衛は無理だ。専任護衛は無理としても、せめて補助スタッフをもうひとり増員出来ないかと、少し前に社長にお願いした。
「でもこの娘は優秀な人だから、安心して君に付けようと思う」
専任護衛を付けられる様になったと連絡を受けて、福山マネージャと共に社長の所に来てみれば、徐にタブレットの中の履歴書を見せられた。
タブレットの中には10代後半の華奢な少女が映っていた。専任護衛の件で呼び出しておいて、実はオーディションの事前審査の手伝いをさせるつもりだったのかと、呆れ半分、社長に文句のひとつでも言ってやろうとしたところ、社長はこの娘が専任護衛だと言う。
正直、社長の正気を疑ってしまったが、社長曰く、この見掛けからは信じられないが、この娘は保安省第20局所属の精鋭で、実戦経験も豊富だと言う。
馬鹿な事を言い出したと思えば、直ぐに目を逸らし、会話を打ち切ろうとする社長との短い闘いを経て社長に白状させた所、彼女は任務に精勤する余り、一般社会の流行り廃りどころか、社会通念にも疎くなってしまい、これは拙いとリハビリ命令が出たとの事だ。大丈夫かよ、おい……。
その瞬間に私は理解した。これは地雷案件だと。だいたい精鋭がリハビリ等と、碌でもない理由があるに決まっている。
狸爺曰く、世間に疎いのは良いことだと言う。彼女は今の芸能界で誰が売れていて等という事も知らない。誰が芸能人なのかも区別がついていない。だからお前に呆けて任務を疎かにする事もないし、お前に気に入られ様と下手にお前に媚びる事も無い。だからお前の専任護衛に最適だと言う。
なに、世情に疎い世間知らずのお嬢さんを預かったと思えば良い。今から会うから、お前も一緒に会って見極めろと言われた。この狸親父、変なのを引き当てたら苦労するのはこっちだっての。
「私服でも、構いません」
社会人にとって、最も悩ましい言葉。額面通りに休日の私服で訪ては駄目。企業というものに所属した事のない私であっても、その言葉の意味は知っている。
私服とは所謂オフで着用する服のことではない。ガチガチのフォーマルではないが、華美ではない落ち着いた大人の格好をして来いという事だ。と言ってフォーマル過ぎる格好にならない私服のレベルは人によって千差万別。これ程に判断に困る言葉はない。
有難い事に制服でも構わないと言われたので、私は保安省の制服で訪れた。だけど、少し後悔している。周囲からの視線の刺さり方から判断すると、ベレー帽も着用しているからか、此処で黒づくめの赤紋章の制服は悪目立ち過ぎかもしれない。
とは言え、私に選択肢はない。以前はその手の大人の落ち着いた格好の服を持っていたけれど、今の私はこの制服かオフの私服しか持っていない。だから制服を着用するしかない。
「いやぁ、良く来てくれました。お待ちしていましたよ」
妙に御機嫌な狸親父に促されて、室内の私達に一礼して入ってきた彼女は、ベレー帽とジャケットの左肩にある朱い紋章を除いて黒一色の制服姿で現れた。
私の対面のソファーに無表情で腰掛けた彼女は、保安局員に見えなくもない。いや嘘を言うのは止めよう。履歴書の写真以上に幼く見える彼女は、どう贔屓目に見ても、緊張で無表情になってしまっている、制服コスプレでオーディションの面接を受けている少女にしか見えなかった。
この狸親父が御機嫌な時は何かある。もう少し注意深くしておけば、この後の悲劇は防げたのに、それを一瞬でも忘れていた私が恨めしい。
そう言えばこの時、彼女が無表情なのは、感情を読み取られない様にわざと無表情の仮面を付けている。ふとそう思った。
「私は別に気にしませんし、構いません」
彼女の名前は沙羅。苗字は無いそうだ。家族も居らず天涯孤独。でも、私が居た部署では、それが当たり前でしたと薄く微笑む彼女が少し哀しく見えた。
乗り気になった社長を止められる訳もない。なる様にしかならないと悟りの境地に至っていたからか、それ以外の事は余り覚えていない。いや、嘘だ。覚えていたけれど、その後の狸親父の横暴で、何もかも忘れただけだ。
何が沙羅さんは専任護衛だから、お前の家に同居するだ?!お前の家は部屋が余りまくっているから問題ないだろう?仮にお前が彼女を押し倒そうとしても、彼女に返り討ちにされるから安心だぁ?!あたま腐ってるんかこの爺!
沙羅さんも、無表情のまま、承知しましたとか言ってないで、反論しようよ?!貴女女性でしょう?私は男ですよ?!襲われるかもしれないとか考えませんか?
そうでなくても、お風呂とかトイレとか、洗濯物とか色々聞かれたり見られたりするのが嫌なものがあるでしょう?
沙羅さん、私はですね、見てわかる様に健全な独身男性なんですよ!性欲だった人並みにあるんですよ?分かってます?!
私は男の人と、どうこうした経験はないので、知識だけではありますが、男の人なので、そんなお店に行く場合もあるのは理解しています。その場合は、私は外で待機していますから、行きたい場合は気兼ねなく仰って下さい。
それはご配慮戴きどうも有難うございますって、そうじゃなくてですね!普段の家の中だって危ないと思いませんか?貴女のお風呂上りとか危険を感じるかもしれませんよ?!
私みたいな容姿の者は押し倒さないでしょう。押し倒すのであれば、もっと容姿の良い女性でしょうから、お気にせずに。じゃないですからね、沙羅さん。
貴女もしかして自分の容姿の事に気づいてないのでしょうかね?貴女、相当、可愛いんですよ?分かってます?
何を淡々と社長の申し出に応諾してるんですか?身の危険を感じて拒否しましょうよ?!おい!そこの狸親父、笑いながら同居の話しを進めるんじゃねぇ!




