1-4a 未来は決して私達を忘れてくれない
美味しい話には裏がある。誰もが一度は聞いた事があるはず。
「クエスト正式開始前に、対象者は最低10回の実戦体験が課せられます。死に戻りの際は、痛覚が反応します」
対価も無しに大金が貰えたり、幸運が舞い降りたりする訳がない。対価を忘れてはいけない。
「昨夜、ソウル市シンチョンで……」
あの日から、世界は毎夜現れるVOAに怯えている。VOAに関連するニュースが、流れない日は無い。あれをニュースと言うならばだが。
喧々諤々、あれやこれや。いかにも信憑性がありそうな眉唾物の噂が現れては消え。消えては、新しい眉唾物の話がでてくる。
誰が思いついたか分からぬ三文オペラ以下の妄想が、只々垂れ流される。
誰かが言っていた。ニュース番組は絶滅した。正にその通り。ネットで拡散されている噂の二番煎じの憶測以下の内容ばかりでは、ヒントにすらなりもしない。
結局、掌に蒼い星が現れた以外は、何も起きていない。嵐の前の静けさだと言う人間も居るけれど、確かな事は誰も分らない。私も分からない。
そんな状態が続くと、いや、怒涛の如く物事が起きるよりはマシだけれど、流石に何もないと反対に不安になるのが人情というもの。
何も起きないという事が、かえって私達を押し潰しそうになっていた。その不安を解消するため、少し前までは、毎夜、境界の彼方にログインして、友人達とチャットを繰り返し、情報交換していた。
「それは境界の彼方にログインする言い訳でしょ?」と言われると……。すみません言い訳でしたぁ!でもね?他に何も出来ないしね?チャットくらいね?
みんな同じことを考えたのか、妙に浮ついた、わざとらしく明るい雰囲気になっている境界の彼方の中で、この騒動の当事者たる「登録者」達と交わす会話が一番確かな情報源という、変な事になってしまった。
「ちょっと質問があるのですが?」
「実戦訓練を経験した人居ませんかー」
「質問あります」
情報を入手するためなのだろうな、多分。境界の彼方は、非常に混んでいる。ロビーは雨後の筍の様に、大勢の新規ユーザが蠢いている。
外国人ユーザも増えた。今じゃ怪しい日本語と、拙い英語が飛び交うのも普通の風景になってしまった。
日本人と同様に何割かは、海外のマスメディアに依頼された人達なのだろう。まぁ、情報入手するなら日本サーバだからね。態々海外から接続ご苦労さん、としか言えないな、私は。
「excuse me」
(ひー!英語―、逃げるのよー)
英語が全く出来ないわけではない。だけど、私は日本語以外には反応しない事にした。ここは日本だ、日本語使え!グローバルだぁ?知らんわそんなん。文句あっか?
「チームに入るにはどうしたよいですかー」
少し前なら、こんな拙い日本語でも、「うちのチームに来ない?」「にほんご、できるなら、うちはどう?」とか、勧誘の嵐だったけど、今じゃ誰も勧誘しない。
本当に新規ユーザなのかもしれない。だけど、今の状況じゃ……、恐らくマスメディアかその辺りだろうからね。
のんびりとした雰囲気だったここが、少しギスギスした空気になっているのが、哀しい。
「あそこにちっちゃいのが居る、あっ!あそこにちょっと大きい奴!」
「あっ!あっちに大きいのが出た!」
「そこのクレジット拾い忘れている!あっちー、こっちー」
毎夜チャットを繰り返していたけど、今はチャットではなくて、敵を倒すとドロップするクレジットをせっせと拾っている。
何でって?そりゃあなた、お金の為ですよ。あの日から暫くして、新たにクレジットを貯めると、現実通貨の残高に加算されることが分かった。
最初は噂だけだった。ところが、チャットで情報交換しているだけの暇人達が、それを検証し、確認した瞬間、画面の中は、狂奔するユーザだけになった。
そりゃぁもう、いつも以上に頑張って、クレジットを拾い集め、クレジットドロップ率の大きいVOAを倒している。
拾った分が、現実世界の残高に加算されるというのであれば、醜態を晒すことなんて安いものだ。我が家の女帝様が怖い訳じゃない……多分。いや、恐らく。
クレジットを集め出した時は、我が家に怒れる女帝が降臨した。「何やっているの!状況を理解しているの!何を現実逃避しているの!」と。
何処の家も同じだったみたいだ。始めはどの家族も、いきり立ったらしいが、それはそうだろう。近い未来に強制的に容姿が変ってしまうこと、VOAと戦わざるを得ない状況になること等を考えて、本人の気持ちが落ち着くならと許可していたゲームへの接続。
チャットしていただけの筈の私達が、いきなり鬼気迫る勢いでゲームを再開して、ドロップしたクレジットを拾うためにキャラクターを奔走させ始めるまでは、家族は静観していた。
いきなりあの日以前の様に、いや、それ以上にゲームにのめり込む私達をみて、何が起きたか判らぬ家族は、そりゃあ、怒こる、怒らいでか。
しかしだ、クレジットと現実残高の連動を説明した後は……
ああ、これも何処の家でも同じだったらしいぞ?世帯主としての威厳を保て? 自由にさせてくれ!と言えば良いじゃないかって?そんな恐ろしい事が出来る訳がなかろう?自殺願望でもあるのかね、君は?
「何時にもまして、キビキビとした動きで敵を屠っていたけど、どうしたの?今日は、皆やたらとキビキビしてなかった?あとさ、なんで今日はロビーに屍みたいに放心したのが一杯いるの?」
近く結婚式を挙げるヴァルが、不思議そうに聞いてくる。
ふっ…未だ結婚式前、独身の君には判らないよ、ヴァル君。
嫁が怖くて、手が抜けなかった訳ではない。嫁が風呂に行った瞬間にドッと疲れが来たのは、きっと気のせいさ。
我々は、絶対王政の王女様のお言葉を疑ってはいけないのだ。努々それを忘れるではないぞ、ヴァル君。命に関わるからな。
尻に敷かれている?亭主関白じゃないのかだって?はっはっは、何を言っているのだね、君は?亭主関白という文字はね、御伽噺の中にしかない言葉なのだよ、知らなかったのかい?
嗚呼ヴァル君、君が実は女性で嫁の立場になるというのであれば、そうだな、未来の旦那に、少しばかりの慈悲を与えることを忘れないで欲しいな。
それ位の希望を与えても、罪は無いと思うのだが、どうだろうかヴァル君?
「これやっていると、気がまぎれるし」
「怖いもんね……」
将来の不安を隠すため、みんなで現実逃避をしていることなんて、判っている。決して、忘れていた訳ではないんだ。
「クエスト正式開始前に、対象者は最低10回の実戦体験が課せられます。死に戻りの際は、痛覚が反応します」
未来が変ってしまったことを、思い出したくなかっただけなんだ。あの日以前に戻りたい。未来は変わってなんかいない。いつもの生活がが戻ってくるのだと、決して叶わない夢を願っていただけなんだ。
うん、なんか目がぼやけるなぁ……。 眠い?という訳でもな……い……?
「お父さん!何処に行くの?!ちょっと!」
疲れているのかなぁ?すこし目の前がゆらゆら揺れているのも、そのせいかなぁ?
音が聞こえなくなってきた。体もフワフワして視界が悪くなってきた。あっ……これはやばいタイプの立ち眩みだ。不味い!早く何か掴んで体支え……支えない……と。
「お父さんてばっ!何処に--」
あれ?座っていたよね?なぜ立っているんだろう?
「Guoooooooooooooo!」
煩い!耳痛い!何の音だ?!体支えようとして、間違ってリモコンの音量を触った?ああ、視界が薄暗い……。これは……少しばかり危ない立ち眩みかも……。
「Pam!Pam!Pam!Pam!Pam!」
銃声の様な音?!なんで?
「うぎぃやぁーーーーーーーーー!」
ひめ……い? なんでぇっ!?
「Guyaoooooooooooooo!」
なんで? これはバッタのスタンサウンドだけど、なんで?!
何でロビーに大型VOAが出るわけ?何でこんなに近くで、リアルに聞こえるの?あれ?私、ロビーに居たっけ……? あれ?
橙色の世界?ここは何処?あそこに見えるのは小型VOA?
なんの匂い……?また?悲鳴?何で悲鳴!?何で、悲鳴が聞こえるのだろうね、ヴァル?あれ?ヴァ……ル?ヴァルだよね?!何で、そんなに妙にリアルなの?
「え?ヴァル?」っておうわっ!何いきなりこっちに向かって発砲するんだよ、こいつは!
「アズ!周りはVOAだらけだ!しっかりしろ!撃て!撃て!撃て!」
対価も無しに大金が貰えたり、幸運が舞い降りたりする訳がない。対価を忘れてはいけない。忘れた振りをしていても、未来は決して、私達を忘れてはくれない。
2018/11/8 一部ルビを振る形式に変えました。
2018/12/9 文の体裁を直しました。
2018/12/22 1-4 私は喜んで悪に成るを修正し、その1 その2に分割しました。