1-13-3A-13 星への道)幸運の女神
「うん。良い感じだ。何処の所属の娘なんだろうね?思い出せない?」
私は今、重大な岐路に立っている。社会人の責務を果たすべきか、個人のアフターファイブライフのどちらを優先するのか。沈黙の間を不審がられる前に答えないといけない。
仮に、あれは私の従妹ですと答えたら、この後の3・4時間は地獄。買い物と、その後の雪月亭での楽しい夕食が雲散霧消して、超絶不機嫌になっているであろう従妹を宥めすかすのに腐心しなければならないだろう。
これだけは言っておきたい、私は悪くない。例え、明後日迄に候補者を集める様にと、無茶ぶりを宣っていたプロデューサーが傍に居る事を忘れ、思わず頬を緩め、楽しそうにしている紗樹ちゃんをて見ていたとしても未必の故意じゃない。
絶賛売り出し中のアイドルグループから挨拶を受けていたプロデューサーが、横に立っているなんて想定外!
そもそも、目立っていたのは紗樹ちゃんの自業自得であって、私が積極的に売り込んだわけでもないのだから、私に非は無い筈。うん、多分。
じゃぁ知らないふり?それは、無駄な行いでしかない。私が知らないと言えば、恐らくこのプロデューサーは紗樹ちゃんに直接アタックする。
その段階で、紗樹ちゃんは私の名前を呼びながら手を振るだろう。どっちみち従妹とばれる。プロデューサーと紗樹ちゃん両方から責められる。ん?!詰んでる!私、詰んでるし!
覚悟を決め、はい知ってますと答えた時、楽しそうにしていた紗樹ちゃんが私に気づき、私に笑顔を向け手を振った。危なっ!首の皮一枚で助かった……。
「ん?」
香奈実ちゃんが、横のおじさんと一緒に歩いて来くるなと思ったら、その後ろから嫌な気配を感じた。誰かが何かする気?!と思い、後ろを見てみれば、良く分からない女の子と目が合った。
どうやらその娘が嫌な気配の出元みたい。目が合った途端に気配は消えたけど、何なのあの娘?怯むくらいなら、そんな気配を出さなければ良いのに。
ところで、香奈実ちゃんの横のおじさんは何方?
「?!」
プロデューサーと共に紗樹ちゃんの方に歩きだして直ぐに、捕食獣の眼差しで見つめられるというのは、気持ちの良いものじゃない。
ごきげんな笑顔の少女から、一瞬で冷徹な捕食獣に変わった彼女に見つめられているのが自分自身であれば、尚更。
思わず歩みを止めてしまったけど、それで良かった。彼女は私達ではなく、私達の後ろを見ていた。振り返った先には、先ほどプロデューサーと挨拶をしていたアイドルグループのひとりが、怯えるのを通り越し、硬直して立ち竦んでた。
おおかた、挨拶を早々に切り上げたプロデューサーが歩く方向に紗樹ちゃんを見つけ、殺意に近い嫉妬の感情でもぶつけんだろうな。何て、馬鹿な娘。
いい加減、止めてあげなさいよと言おうと紗樹ちゃんに振り返れば、そこには私達を見ながら、小首をかしげる普通の娘が居た。
今からCM製作の会議兼オーディションに出て欲しいので、買い物と食事を明日に延期出来ないかという申し出に眦を上げる紗樹ちゃんを、遅れて到着した美彩と一緒に宥めすかし、ちゃんとした報酬を得る仕事の話だと説明すると、条件付きではあるけれどもすんなりと承諾してくれた。
最近の若い子と言うのは、こんなにドライなのだろうかと思ったけれど、そうではなくて、紗樹ちゃんは将来に不安を覚えてた。
あの場所から持って帰った宝石を換金してあるので、自分の蓄えは、私立の医学部に進学したとしても十分にあるのは知っている。けれど、もし、高齢の両親に何かあったら?と考えると不安で仕方なかったらしい。
突然の申し出に驚きはしたけれど、オーディションに合格したら、未成年でも合法的に収入を得られる。渡りに船のこの話は、ありがたいと喜んでいた。
そんな素振りを見た事がなかったので、そこまで将来に不安を覚えていたなんて気づいてなかった。
拍子抜けするほどあっさりと終了したオーディションの後、さて契約条件を事務所の人と確認しようとしたところで、何処にも所属していないことを思い出した。
うちの会社の系列に所属と言う手段もあるけれど、流石に縁故優遇にも程があるので、何処か別の事務所に所属させようとなった。
しかしだ、下手な事務所を紹介したら、親族一同から殺される。どうしようと頭を抱えていた時に、ロビーに美樹が居たのを思い出した。美樹の事務所なら、うちの会社の信用も厚い。藁をも掴む思いで、電話してみれば未だ居るという。私は運に未だ見放されていないみたい。
え?!優越的地位の乱用?取引先虐め?何を言っているのかな?こちらは信用のある事務所に紗樹ちゃんを所属させることが出来る。事務所側は大手企業のCMの仕事が貰える。ウィンウィンよ!ウィンウィン!文句ある?!
「塚田さん、今どこに居ますか?」
下っ端の私が未だ此処に居たのは、偶然の産物。出来たばかりのガールズバンドIRIS(虹)のマネージャーを仰せつかり、ビッグレーベルを持つこの会社に挨拶回り。どうせならと、見かけた知り合い全てに挨拶をしていたら、思いの外、長居をしてた。
そして連絡をもらったのは、幸運の産物。この会社の香奈実とは、会社は別だけれど入社年度が同じで、公私混同をしない様に注意しながらの友人。
香奈実から名前ではなく苗字で電話を貰った時に、何か緊急事態が発生したのだろうとは思ったけど、これは想像の埒外だったよ香奈実。
切羽詰まった香奈実が言うに、従妹の百鬼紗樹ちゃんとやらをうちの事務所に所属させて欲しい。理由はCM撮影のため。勿論、そちらにも利点はある。私が担当しているアイリスも同じCMに一緒に出てもらう。他の事務所に所属させるくらいなら、うちの事務所に所属してもらった方が、安心できる。なにより母より殺されないで済むと懇願された。
確かにうちの事務所は他の事務所と異なり、人の一生を預かるのが私達の仕事という社長のポリシーで、むやみやたらにスカウトして来ない。まぁお陰で中堅の下のままなんだけど、私はそんなうちの事務所が好きだ。
打診の際に見せられた動画を見る限り、そこそこ歌える娘だと思うので所属させるのは問題無いと思う。やんごとなき上層部からの訳ありを押し付けられるのかと思っていたけど、安心した。
本来、所属させるか否かは上司の承諾が必要だけど、そんなもの後回しよ、後回し!この場所に居たことも、電話を貰っただけでも奇跡なのに、更に躊躇なんてしたら、幸運の女神は走り去ってしまう。大手企業のCMに出して貰えるという、このチャンスを掴まなければマネージャーの意味がない。秒で応諾させて貰った。
応諾したものの、香奈実さぁ?あんたややこしい親戚居たのねぇ。家族構成は父93歳、母87歳、彼女の年齢を考えると特別養子縁組ね……。まぁ家族が反社会的勢力に所属していないのであれば、構成なんてどうでも良い。この世界で重要なのは、当の本人の実力と運だけ。
学校帰りに寄ったとのことで制服姿の彼女と鞄を見るに、生活が荒れている雰囲気はないかな。それどころか、へにゃっとした雰囲気を出しているこの娘が、いきなりのオーディションを受けたとは。見掛けによらず、根性あるのかも。
「あれくらいで動じてたら、とうの昔に死んでますから」
どうしよう……。この娘は不思議ちゃんかもしれない。
買い物と食事に行くために従姉達を待っていただけなのに、心の準備も覚悟も無いままに、いきなりオーディションを受けさせられる。普通なら激しく動揺するし、緊張でガチガチでまともにオーディションを受けられない。
なのに、この娘は緊張はしていたけれど、堂々としていたと聞いたので、貴女って結構、根性あるんだねと話しかけたら、何とも言えないズレた答えが返ってきた。死ぬってなに?!オーディションってデスマッチか何かだったっけ?!
不思議ちゃんは、碧唯だけで十分。もうこれ以上、要らないんだけどなぁ……。
「部長は後20分ほどで到着ですね。はい、今の所、他の事務所にはバレていません。私への直接連絡だったので、知っている人は居ないかと。近くで練習をしていた、あの娘達にも練習を切り上げて此方に来るように連絡済です」
何故か皆が同席している場所で、あの娘に所属するにあたっての説明をしていた時に、IRISの他の娘達が練習をする場所は偶々この近く、今度からはその場所に良く来てもらう事になると話していたら、それを横で聞いていたプロデューサーが、今から全員の顔合わせとCMの事前説明をしましょうと、あれよあれよという前に物事が進む。もう、眩暈がしそう。
書面で契約を取り交わすために此方に移動している荒木部長より、あの娘達の方が、早く到着するかな。デビューはしたものの、仕事は本当にあるのかと不安にしていたから、こんなに早く仕事がもらえる可能性が出て来て喜んでいるだろうな。
でも、この時間だからお腹減らしているかな。多分、リーダーの美玖が他のメンバーに、仕事を貰うためにはここは我慢のしどころ、空腹に耐えて頑張るよって発破をかけてるんだろうな。
緊張でいっぱいいっぱいの状態で此処に通されて、机の上のお弁当に気づくかな?これ貴女達の分って言ったら驚くだろうなぁ。机の上に乗ってるのって、コンビニ弁当じゃなくて、洋食屋さんのテイクアウトだもの。普通、デビューしたての十把一絡げの新人はこんな好待遇じゃない。普通は、こんなの食べられない。
プロデューサーがイメージ通りの娘が見つかったからと、この近くにある雪月亭という洋食屋さんのテイクアウトを大盤振る舞い。香奈実いわく、美味しいらしい。ちょっと私も楽しみ。
お弁当を食べながら皆と、この娘と顔合わせ。そしてCM撮影の説明。仕事の内容を聞いて、お弁当以上に喜ぶだろうな。だって普通は売れている人が出る大手企業のCMに起用されるんだもの。
「もう少ししたら、他の人達も来るから我慢して」
先ほどから、私は何度、首を横に振っただろう?紗樹ちゃんは、左右に座った私と美彩に交互に首を横に振られる度にテイクアウトを見つめるを繰り返している。まるで待てをされた犬の様に。
この餓えた野獣を抑えるのも、そろそろ限界。みんなが揃うまでは食べられない。IRISの他の娘達はそろそろ着くらしい。最後は、美樹の上司かな。お願い、早く来て。




